第十九話 それぞれの「立ち位置」

 魔術師が符を宙に放ると、その符に描かれた魔法語が妖しく輝く。

 直後、秘められた魔力が解放された。符は白い霧となって広がると、形を変える。はっきりとした輪郭を持つ大きく長い姿に。

 現われたのは黒く巨大な蛇だった。胴は両腕を伸ばしても抱えきれないほど太く、とぐろを巻いている身体は今まで進んだ通路より長そうにさえ見える。天井につきそうな頭部、左右に引き裂かれたかのような大きな口には、鋭い牙が並んでいた。

 牙の間からチロチロと赤い舌が覗く。獲物を見定めるように。

「やれ」

 魔術師が告げる。その声には淡く、勝ち誇ったような響きが潜む。

「〈エルファジオ〉!」

 ラッセルは用意していた魔法を放った。彼が使える数少ない魔法。

 しかし、大蛇は見えない壁をあっさりと砕いた。魔法により生み出された大蛇は魔力の魂のような存在であり、その魔力はまだ魔法初心者であるラッセルの防御結界など、簡単に凌駕する。

 だが、その大蛇も空中で動きを止めた。

 少年が見上げると、いつの間にか〈世棄ての魔女〉の左腕に白い龍が絡みついていた。龍は怯んだ大蛇を睨みつけると大きく顎を開き、長い牙を大蛇の顔に突き立てた。

 大蛇は無数の魔力の粒となって散り散りに消える。

「なっ……」

 驚き逃げようと背中を向ける魔術師を、ルフェンダは白龍が瞬時に姿を変えた電撃で打ち据えた。抑えたそれは殺傷能力まではないが、無力化するには充分である。

「行こう」

 昏倒した魔術師を乗り越え、魔女はその向こうの壁に見えた扉の取っ手をつかむ。そして何かを探るように金属のそれを軽くなでてから、しっかりとうなずく。

 ラッセルは懐の魔剣の柄を握りかけ、思い出したように腰に吊るす模造刀の柄を握った。変装の飾りのような剣だが、一般的な模造刀と同じ用には足りる。それでも、強大な魔法の前には何の役には立たないとわかってはいるが。

 準備は整った。

 ――バン、とルフェンダは一気に扉を開けた。

「なんだ、お前」

 大型ナイフを手にした男が二人、左右から跳びかかる。しかしラッセルが模造刀をかまえる前に、男たちは跳びかかったのと同じだけの勢いで弾き飛ばされる。

 視界を遮る人間の姿が無くなり、今まで見たものより広い正方形の部屋に、五人の姿が見えた。

 奥の脚のない椅子に座る若い男と、左右で腰を浮かしかけている盗賊らしい男二人。

 そして隅で柱に縛り付けられている、あきらかに他とは身なりの違う青年。薬でも使われているのか、その目は閉ざされこの状況に対して何の反応も示していない。

 そしてその反対側、見覚えのある少年が所在なげに座り込んでいた。

 ――なんでハイドラは拘束されていないんだ?

 見渡して浮かんだ疑問は、すぐに解ける。

「ハイドラ、こいつがお前の言っていた弟か? 確かに、坊ちゃんに似ているが」

 脚を組み厚いクッションの敷かれた背の低い椅子に座る若者が問う。顔にはまだ少年らしさの残る、盗賊の長にしてもかなり若い男だった。

「ああフィレオ、そいつがラッセルだ。金持ちの息子で金で学院に入ったヤツだ」

 そう言われると、ラッセルはまるで自分が重い罪を犯したかのように思える。

「ずい分と親しそうだね。盗賊の頭領にしては若そうだし」

 ルフェンダはそこがまず気になったらしい。

 頭領は魔女の姿に少し驚いたものの、素直に応じる。

「そりゃ、オレとハイドラは一緒に泥水をすすりながら生き抜いた仲だからな」

 エレオーシュの町からやや離れたところにある、治安の悪い町に捨てられた子どもたち。ハイドラとフィレオ、ウィーバらを含む五人ほどの孤児たちが力を合わせ、劣悪な環境の中を生き延びてきた。それから五年ぶりの再会だという。

「それがこういう風に再会するとは思わなかったけど、まあいい情報をくれたってのは確かだ。……連れて来い」

 部下の一人が、柱に拘束した青年を引きずって来る。相変わらず、ニットン・ジェルフは目覚める気配はなかった。

「人質のつもり?」

 ルフェンダが目を光らせた。

「それが何の役に立つとでも?」

 盗賊たちは少しの間首をひねるが、間もなく、ニットンを連れてきた盗賊が、相手の首に突きつけているはずの短剣が赤い錆の塊と化していることに気づき小さく声を上げた。その一人だけでなく、フィレオの腰の剣も、ほかの部下のものも。

 自分の腰の短剣を手に取ってまじまじと見つめ、フィレオは目を丸くする。

「へえ。とんだ強力な魔術師がいるもんだ。ハイドラの話にはなかったな」

 彼が言うと、幼馴染みはビクッと肩を震わせる。

「まあいい。返してやるよ、兄貴は」

「いいのか?」

 拍子抜けするような展開に、思わずラッセルはきき返す。

「ああ。ここに来る前に魔術師がいたろう。あいつに勝てるような魔術師に勝つ手立てがないってのが理由のひとつ。もうひとつは、もともと腑に落ちないことがあってな。……ハイドラ、お前いつから自分の意地も通せないような腑抜けになっちまったんだ? 自分で乗り込んでくる分、坊ちゃんの弟の方がマシだぜ」

 ハイドラはラッセルへの復讐を、フィレオに肩代わりさせようとしていた――と、そういうことらしい。

 だが、それを聞いた盗賊の幼馴染みは目を細めた。

「そ、そんなんじゃねえ! オレだって……決闘するつもりだったんだ!」

 それが本当かどうかは不明だが、彼は錆付いた鞘入りの長剣をつかんで部屋の中央に歩み出た。

 無意識のうちにラッセルは模造刀をかまえ、一拍後に自分の格好を自覚する。

 かまえる二人を目の前に、フィレオは口の端を吊り上げた。

「おもしろい。みんな手を出すなよ」

 盗賊たちは口を結び、ルフェンダも静観のかまえを見せていた。

 ――本気なのか。

 ラッセルは信じられない気持ちでハイドラと対峙するが、不思議と冷静でもあった。まるで、エレオーシュ魔法研究所の道場で練習試合をしているのと変わりない。相手の表情や体重移動が細部まで把握できている。緊張しているな、あれではとっさの攻撃への反応は苦手な体勢と言えるだろう、と。

 一方、初めて会った日のことを思い出す。注意すべきは魔法だ。ハイドラはべつに武術は鍛えていない。

「最初からお前は気に入らなかったんだ……ただ、金持ちの家に生まれたってだけで全部持ってるお前が」

 ハイドラの声は怒気と緊張で少し震えていた。

「全部持ってる?」

 ラッセルは思わず、少し笑う。

「僕はどこに行くかどこで生きるかの自由も持っていない。僕が持っているのは兄が表舞台から消えたときに代役として必要な最低限と決められたものだけだ。でも、どこでどうやって生まれるかなんて選べない」

 ハイドラは答えず、普通の発言より勢いをのせて口を開く。

「〈エルスランク〉!」

「〈エルファジオ〉!」

 叩きつけてくる衝撃波を相殺し、ラッセルは動いた。魔法は最初から防御しか考えてなかった。

 間合いは一歩で充分詰められる。ハイドラの口が再び動きかけるが、それはあまりに遅い。

「はっ!」

 息を吐くと同時に上体を倒しながら突きを放つ。

 そのときにはもう、勝負は決まっていた。まだ剣術を習ってそれほど経ってはいないとはいえ、実戦も含め経験を重ねてきたラッセルと魔法以外は素人同然のハイドラは、もはや戦いに対する度胸からして比較にならなかったのだ。

 ハイドラの手から剣が弾け飛ぶ。さらに、ラッセルの模造刀の先がピタリと喉もとに突きつけられた。

「勝負ありだ。あきらめな」

 顔を歪め舌打ちする幼馴染みを、フィレオはそう切り捨てた。そして彼は、顔をラッセルと似た青年の方に向ける。

「お前、兄が表舞台から消えたら代役になるって言ったな。それじゃ、そいつが消えたらお前は表舞台に立てるんだろう?」

 何を言われるかとやや怪訝そうにしている少年に、フィレオも少し不思議そうに尋ねる。

「なら、そいつが生きて帰ることにお前に得がないんじゃないか。死体で帰った方がお前は表舞台に立てるんだろう」

 そう、ニットン・ジェルフがいなくなれば、ラッセルが兄のいた立ち位置に入ることになる。それが代用品の務めなのだから。

 しかし、ラッセルは兄と同じ場所に立ちたいとは思わなかった。

「以前は表舞台に立つことを空想したりもしたけど……今は、いい。僕には僕のやりたいことがあるから」

 そう答えると、若い盗賊の頭領は、ふーん、と小さく答え少し笑った。

「それより、〈アクセル・スレイヴァ〉がそろそろ異変に気づいているころだよ。さっさとニットン・ジェルフを連れてここを去ろう」

 ルフェンダが腕を組んで口を挟んだ。

 ハイドラは、とラッセルが視線を戻すと、少年はフィレオの椅子の裏に身を隠すところだ。

「放っておけばいい」

 魔女は冷たく言い捨てる。

 この状況のアジトに〈アクセル・スレイヴァ〉が突入しようというのだ。すでに〈黒龍の牙〉は壊滅も同然だった。しかし、通路が四方八方に伸びたこのアジトの構造は逃げるのに向いている。頭領たちは自力で生き延びるだろう。

 ルフェンダの魔法の力を借りながらラッセルが兄を背負い、彼らは部屋を出て歩き出す。

「なんとか目的は果たしたね。一番近い脱出路を探すよ」

『しかし、我々の立ち位置はまだまだ問題が山積みだがな』

 魔女のことばに、しばらく黙っていた〈生命の剣グレイヴループ〉の知性がことばを挟む。

「確かに……」

 実際のところ、そのことば通りだった。〈生命の剣〉の存在。〈アクセル・スレイヴァ〉はそれを手に入れようとし、使い手のラッセルも監視下に置こうとする。

 そして、〈世棄ての魔女〉ルフェンダの封印が解かれたことも、すでに知られているだろう。

「大丈夫。言ったでしょう、キミの前にいるのは伝説級の魔術師なんだよ」

 ラッセルの心配をよそに、魔女はそう言って得意げに笑った。

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