第十八話 侵入者たちの「奇襲」

 幻術で姿を消したラッセルとルフェンダは普通に歩いて門を抜け、魔法研究所を後にした。足音も立てて横を歩いているのに見向きもしない門番の図はラッセルには初体験で、不思議ながら魔法の便利さを再確認する体験になった。

 エレオーシュで露店でサンドイッチと丈夫な葉を編んだ水筒入りの飲み物を買い、馬車を借りる。代金はラッセルが払った。使い道のない金が役立つ数少ない機会だ。

「キミの迎えが来るのはそろそろかな。ここまでは最短でこれたんじゃないの」

 ルフェンダは幻術で姿を変えるだけでなく、髪をまとめて団子にした上からスカーフを巻き付けていた。服は町娘風のものをまとっている。

 ラッセルは動きやすい旅装束を選んで着ていた。幌馬車の窓の外を見ながら遅い朝食を口にするが、気が焦っているせいか味はよくわからない。

 向かいに座る少女は焦る少年の様子に苦笑した。

「もっと大船に乗った気でいなよ。キミの目の前にいるのは伝説級の魔術師なんだから」

 そうは言うものの、追われる経験など初めての少年が焦るのは無理のない話だった。長命な魔女にとっては何度もある経験かもしれないが。

 夕日が暮れ馬車が小さな町に辿り着いても、追っ手があるような気配は何もなかった。

「順調みたいだね」

 街外れの宿の窓を開け、ルフェンダはその手から白い小鳥を三羽、空へ解き放つ。何の変哲もない、どこででもよく目にする種類の鳥だ。

「情報収集?」

「そう。追っ手の様子と、盗賊団のアジトの情報。ネタンの郊外というくらいの情報しかないでしょ」

「そういえば確かに」

 山並みの向こうに夕日が暮れていく。周囲は静かで、とても追っ手のある中で強盗団のアジトへ向かう途中とは思われないのどかな景色だ。

 夕食前までに、三羽の鳥たちは戻ってきた。その鳥が魔女の手のひらに吸い込まれるように消えると、鳥たちの見聞きした情報が術者に伝わる仕組みになっているらしい。

「キミを迎えに来た連中は警備隊の手も借りて探しているようだけれど、今のところ近場しか探していないね。幻術は見破られていないらしい。ただ、〈アクセル・スレイヴァ〉から応援が来るのも時間の問題だろうね」

「そうなれば、幻術に気づくような魔術師も派遣される、か」

「とはいえ、ここで一泊するくらいの時間はある。夜が明けきらないうちに出るつもりではあるけれどね。それと、〈黒龍の牙〉のアジトはすぐにわかったよ。警備隊や〈アクセル・スレイヴァ〉、キミの家の者も近くで監視しているけれども。追っ手よりこっちの方が厄介かもしれない」

 それはそうだろう、とラッセルも納得した。〈黒龍の牙〉の監視に当たる者の中には一流の魔術師や警備隊の高官などもいるだろう。

 間もなく運ばれてきた夕食は素朴なものだった。焼き立てのパンに豆とキノコのスープ、豚肉と野菜のソテー、ヨーグルトに杏のソース。ささやかで派手さはないが、味はどれも素材の旨味を生かした洗練されたものだ。

 ずっと緊張していたラッセルも、少し気分が緩む。

「朝早いから、早めに寝よう」

 ルフェンダのことばに少年も同意し、二人は夜の闇が空を支配しきらないうちにベッドに入る。

 そして、朝日の気配もかすかに山並みの向こうを染めた程度のうちに目覚め、身支度を終えた。宿泊費は前払いなので、朝は宿を出るだけでいい。朝食はいらないと事前に伝えてある。

 誰もまだ起きだしていない街並みに出ると、少し寒さを感じてラッセルは上着をしっかり着直した。鳥のさえずりも聞こえない静けさは緊張感を煽るが、一方でどこか冒険心を刺激する。誰にも知られない秘密の中にいるかのように。

「空から探されるのが一番厄介だから、できるだけ暗いうちに街に入りたいね」

 〈アクセル・スレイヴァ〉の上級士官なら、地上の広い範囲を眺めながら飛行可能だ。

 まだ馬車も営業前のため、二人は歩いて煉瓦が埋め込まれた道を進み始める。星もまばらな薄暗い中、ルフェンダは迷いなく道を辿った。その背中を道しるべにラッセルは歩き続ける。

 やがて陽が山並みより上に昇り始めると、魔女は姿を消す魔法を使う。

「そう言えば、ネタンには行ったことあるかい?」

「あるけど、すごく小さいころだから、全然覚えていないな」

「じゃあ、時間があればちゃんと見て歩きたかったところだね。色々と勉強になるところだよ、あそこは」

 急に実年齢相応らしいことを言う魔女に、ラッセルは少し苦笑した。

「今はただの通過点だけどな」

 噂の都市は、すぐにその街並みを行く手に表わす。城壁の向こうにいくつもの高い塔の上部が覗いている。

 少しずつ世界は照らされて周囲は見通しやすくなるが、魔法で透明化している二人は誰に見咎められることもなく聖王都ネタンの門をくぐった。門番の目線も彼らの姿をかすめることすらしない。

 行き交う姿の多さに、ラッセルは思わず足を止めた。旅装の姿も多いが、学生らしきローブ姿や魔術師然とした服装の者も多い。

「懐かしい雰囲気だね。あそこにある大きな建物は図書館で、古い魔導書も保存されている。あっちの塔は大魔術師アスモダイテの塔だ。中枢塔の西にある大きな三角屋根は魔法具倉庫で、貴重な魔法の道具がたくさんある」

 ルフェンダが楽し気に説明する。まるで見てきたような口ぶりだが、実際、かつて現場で見たことがあるのかもしれない。

「さあ、必要なものをそろえて少し休憩したら盗賊たちのアジトへ行くよ」

 連れにつられて歩き出しながら、少年は問う。

「必要なもの、って?」

「決まってるじゃないか、あれだよあれ」

 彼女が視線で示した方向には、〈サリーリザの魔法具店〉と看板が掲げられていた。


 盗賊団〈黒龍の牙〉はネタン郊外の草もまばらな荒野の一角、泉のほとりにある岩の隙間に木々が生えた岩場にあった。岩場の下には縦横無尽に洞窟が掘られ、出入口もあちこちにあり逃げやすく工夫されている。

 〈黒龍の牙〉を監視する〈アクセル・スレイヴァ〉の士官らも、すべての出入口を把握しているわけではない。

 時刻は、そろそろ朝食というころだった。

「なんだあれは……?」

 キャンプ地からそんな声が上がったのは、少し離れたところに煙が立ち上った直後だ。

「人の姿はないが……」

「わたしが様子を見てきます」

 若い上級士官が翼を広げる。気をつけろよ、と声を受けながら大空へ舞い、煙に近づく。

 その姿が煙まであと少しというところで、忽然と消える。

「どうした……?」

 キャンプがどよめきに包まれる。

 彼らはしばらく幹部で議論したあと、警備隊の一団を残して煙へと接近し始める。彼らの一部の者たちの目には、煙の周囲に広くわだかまる薄い魔力が視えていた。その薄い魔力の内側に入ると、彼らは背後の地面の下を駆け抜けていく淡い魔力に気づくことができない。

 なんのことはない、消えた上級士官は透明化の魔法で姿を隠されただけであり、煙は魔法具の煙球によるものだと彼らが知ったのは、すぐ後のことだった。


 魔女ルフェンダは魔法で地中を掘り、ラッセルとともに盗賊のアジトの直前まで肉薄した。盗賊のアジトが地下にあるのだから、この周囲の土は柔らかいはずだ――という推察は的中していた。

 さらに地下道を〈黒龍の牙〉のアジトの通路寸前まで進めたところで、ルフェンダは人差し指の指先で突いて小さく穴を空け、片目で様子を確認すると、懐から導火線のついた煙球らしきものを取り出す。外で使った煙を吐き出すだけのものではなく、眠りを誘導する魔法薬の粉を噴出させる魔法具だ。

 穴を球のくぐれる程度まで広げ、球に火をつけると放り込み、穴を丸めた布で塞ぐ。間もなく、バフッ、と柔らかい爆発音が鳴る。

「一応、解毒薬を飲んで行こう」

 小さな丸薬を渡され、ラッセルは素直にそれを飲む。しばらく待てばほぼ隅々まで広がった眠りの粉薬も床に落ちるが、移動など何かの拍子に舞い上がった粉薬を吸い込む可能性もある。

 十分な間を取って、ルフェンダは自分の掘った地下通路を盗賊たちのアジトに接続した。彼女の魔法による通路は人ひとりやっと通れる程度の幅だが、それなりに年季の入っているらしいアジトはその数倍の幅があり、ところどころ木の柱で補強されているのも見える。

「適当に行くしかないかな」

「さすがに、盗賊のアジトの地図は手に入らなかったからね」

 二人はアジトに侵入し早足で移動を開始する。眠り薬の効果はせいぜい一時間もない。その上、外にいる者たちは間もなく異変に気がつくだろう。

 時折、盗賊らしき男たちが倒れているのを横目に、ときにはまたぎながら、さらに進んでいく。部屋があると覗き込むが、木箱や樽が並んでいるくらいだ。

 少しずつ行く手は下り坂になり、ラッセルはこの道が正しいことを予感する。

「誰かいる」

 ルフェンダが不意に足の動きを緩める。まだ透明化の魔法はかかったままであり、誰かがいても見えないはずだ。

 しかし、この状況でも無事に立っている者がいるのなら、その相手は透明化も用をなさない相手だと予想できた。その相手、それは上級魔術師。

 行く手の先、黒いローブをまとった背の高い男が角から姿を現わす。

「〈イーブロッサム・メセト・モノオン〉!」

 低い声がそう告げるなり、床の土がせりあがる様にして二足歩行の角ばった姿を形作る。ゴーレム、というものをラッセルも魔法研究所の授業で習ったことがあった。狭いのでその大きさにも限りはあるが、それでも二人の侵入者よりずっと大きく手足も太い。

「やれ」

 魔術師のことばに呼応するように顔の中央に穴が開いただけのようなひとつの目が赤く光り、太い足が踏み出される。その硬く重そうな足で蹴られでもしたら骨折だけでは済まないかもしれない。

 見上げながら、ラッセルは懐の剣の柄を握る。

「〈ヴァルヴァデイル〉!」

 ルフェンダが対魔力を込めた光弾を三つ、向かい来るゴーレムめがけて解き放つ。

 ゴーレムはあっさりと崩れ落ちた。柔らかい土製のゴーレム自体には強度はなく、その身を固めるのは術者の魔力の強さだ。魔力と魔力のぶつかり合いでは、伝説の魔女に勝てる者はなかなか存在しない。

「チッ……仕方がない」

 ゴーレムを失った魔術師は舌打ちし、ローブの懐から一枚の紙を出す。

 魔法の紋章が書き込まれた符は怪しい光を放っている。その符を目にしたラッセルは不吉な予感を覚え、剣の柄を握ったままの手のひらに汗がにじむのを感じていた。

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