人形の人形

 それは気持ちの悪い動きをしていた。

 ペン先がカタカタと不気味な音を立て、不自然に動き回っている。

 そのペンを持っては目視出来なかった。

 もう今更超常現象どうのこうのとか言うつもりはないが、これは流石に不気味すぎる。

 鳥肌が立つのが分かった。

 冷や汗が背筋を凍らせ、まるで進撃してくる巨人を見た人間の様に立ち尽くした。


 俺はその数秒の間が長く感じた。

 ピタリとペンは動きを止め、魂が抜けたかのようにカランとその場に倒れ込んだ。

 しかし、今度は先ほどペンによって殴り書きされていたメモ用紙が浮かび上がってきた。

 そのメモ用紙は俺の前で停止し、ヒラリと舞い落ちた。


 俺は恐る恐るそのメモ用紙を手に取り、目の前まで持ってくる。

 たかがメモ用紙にここまで警戒したのは初めてだ。

 そして、そ のメモを掠れた声で読み上げた。


 ーー君はもう、僕の操り人形じゃない。


 ーーあぁ、残念だ。


 ーー良い作品になると思ったのにな。


 ーー君が望むなら僕が君に会いに行こうか。


 ーーさぁ、僕を造ってくれ。


「何なんだこれ、訳が分からない」


 全て読み終え、そう呟いた刹那何か大きな物が落ちる音がした。


 玄関へ向かうと、組み立て式の巨大人形が転がっていた。

 巨大と言っても俺と同じくらいの身長だが。

 なにより明らかに裸のマネキンである。

 こんなものを組み立ててどうなるというのか。

 だが、これは多分次の道へ進む一歩。

 やってみる他に選択肢はない。


 そして、数分でその人形が完成した。

 命のない空っぽの人形をただ見つめる。


「何も起きないじゃないか」


 俺は後ろを振り向き、大きくため息を吐いた。

 寝坊はするし、親からは子供扱いされるし、学校は遅刻する。


「今日は散々だな」


「いや、今日は良い日だよ」


 背後から男の声が聞こえた。

 俺は心臓が飛び出るほどに驚き、肩を震わせた。

 人形が喋るなんて有り得ない。


 いや、もしかしたら宅配便の人かも知れない。

 よし、ゆっくりでいい、振り向こう。


 俺はゆっくりと首を後ろへ回した。

 階段が見え、電話器が見え、カレンダーが見え、人形が……。


 見えない。


 確かにそこにあったはずの人形がいない。

 宅配便なんて勿論来てない。


 もう一度、寒気がした。

 俺は今日一日だけでどれだけの恐怖を感じただろうか。

 もう学校遅刻とかそんなことどうでもよくなっていた。


「人形、人形、人形はどこだ…!?」


「ここだよここ」


 後ろから先ほどと同じ男の声が聞こえた。

 今度は勢い良く振り向くが、誰もいない。


「全く、僕も見つけられないのかい」


 次はトイレの方から声が聞こえた。


「一体、どうなってるんだ……?」


 さっきから姿が見えない。


 まさか、人形の呪いか……?


「そろそろ出てきてあげよう」


 トイレの扉がゆっくりと開いた。

 唾を飲み込み、生きる人形がどのような攻撃をしてくるのかと身構える。


 手が見えた。ドアノブに掛けた白い指先がその不気味さを際立てている。


 足が見えた。細く、肉があまりついていない様に見える。まさか骸骨の様な容姿なのか。


 そして、全身が表れた。

 その不気味なオーラを放つそれは静かに、ゆっくりとこちらに体を向けた。

 血が通っていない真っ白な指でソフトハットをそっと上げる。


 そしてそのソフトハットとダボダボのスーツはどこから取り出したのか。

 人形に髪の毛も生えていなかったのに、緑色の毛が帽子に隠れきれておらずはみ出している。

 右手には杖を持っており、その杖を鋭く二度床を叩いて言った。


「やぁ、お初にお目にかかります」


 ニヤリと口元が歪み、男性にしては高い声で名前を名乗った。


「僕はパラダイス・ドッグ」


 帽子を取り、腰を深く曲げて頭を下げた。

 緑色の長い髪の毛がだらりと下がる。


「ダイスとお呼び下さい」


 そして彼は腰を曲げたまま首だけ九十度上に向け、口を横に裂きながら言った。


「私は君が言う神様ってやつかな」


 彼は髪で隠れていない方の目でじろりと俺を見上げた。

 緑色の眼球は俺の恐怖感を煽った。

 ギロリの擬音がよく合うその目玉は大きく見開かれ、より一層不気味さが増す。


「この体制も辛いので、そろそろ体を起こさせて頂きますね」


 曲げていた腰をシーソーの様に勢いよく上に弾き、直立する。


「なに黙り込んでいるのですか?もしかして怯えてます?」


「そんなんじゃない!」


 反射的に声が出てしまった。

 しかし、図星を付かれて咄嗟に言葉を吐いたおかげで喋り出すきっかけが出来た。


「これは…どういう状況なんだ……」


 とにかく分からないことが多すぎる。こいつは自分で神様だと名乗った。つまりこの世界の創造主であり、俺という存在を描く絶対的権力者だ。

 こいつからすべて聞き出してやる。


「そうですねぇ……。まずはあなたとこの世界のことから話しましょうか」


 彼はそう言うと壁に背を預け、覚えてきたセリフを言うように説明を始めた。


「あなたは私が創った架空の人物。これはもうある程度分かっていたんじゃないですか?」


 やっぱり……。そうだったのか……。


 神様から直接言われるとそれを信じるしかなくなってしまう。

 逃げ道がなくなった。


「ですが……。」


 俺が死んだらこの世界は終わりを迎えるのだろうか。

 ほれとも新しい主人公が生まれるのだろうか。


「あなた達は自立してしまったのですよ」


「え」


 自立?小説の中の人物が自立だと?

 そんな話聞いたことがない。

 あの小説にも俺の行動や感情が全て記されていたのに。


「ならあの小説は何なんだ、俺が自立したって言うならあの小説が俺の行動を全て記している意味が分からない」


「自分で言ってるじゃないですか、『小説が俺の行動を全て記している』とね」


 そう言うと彼はポケットからスマホを取り出し、俺に見せてきた。


「ほら見てください。君は小説通りに自分が動いていると思っているかもしれませが、先ほど自分で発言していたように小説が君の行動を記しているのです」


 俺はことぱの意味が理解出来ず、彼の端末の画面をじっと見た。

 そこには例のサイトの例の小説の最新話が写っていた。


「一番最後を読んでください」


 これを読んでどうなるというのだ、特に何も書いていないじゃないか。


 いや、まてよ。


「これ、最新話だよな?」


「そう書いてあるじゃないですか」


『俺が見たものは。』


 最新話はこれで終わっていた。

 ということは俺が小説に沿って行動しているのではなく、小説が俺の行動に沿って描かれているということだ。


「ようやく理解しましたか」


 俺が自立しているとはこういうことか。

 自分の頭の悪さを思い知った。

 なんでこんなことに気が付かなかったのだろうか。

 駄目出しは後だ。今は他に気にすることがある。

 俺が自立しているのは理解出来たがアイや魔王達はどうなる?


「これは、俺だけが意志を持って行動しているのか?」


 俺だけが意志を持って行動していても、周りが小説通りに描かれているままならば結局は一つの決められた道を通るしかない。

 それに、自立したということは元々小説の人物であったということだ。

 彼が俺は操り人形じゃないと言っていたのも証拠になる。


 ではいつから?

 どのタイミングで俺は意志を持った?

 どうして意志を持ってしまった?

 どうして異世界になんて連れて行った?


 分からないことがとにかく沢山だった。

 全てこの男がやったことだ。

 あの光景も、あの世界の設定も。

 頭がおかしい。

 こんな世界を作り出して世に出回してお金を設ける。

 なんと馬鹿げた話だろうか。

 俺はそれが許せなかった。

 確かに自分自身もラノベや漫画を読んで面白いと思った。矛盾しているのは理解している。

 だが、このサイコパスじみた茶番はうんざりだ。

 もう二度とラノベや漫画を楽しむことは出来ないだろう。


「聞いていますか?」


「うわっ!」


 不意に表れた青白い顔と見開かれた眼球に驚き尻餅を着く。


「私はあなたのために話をしているのですよ。さて、もう一度話しますね」


 やはりこいつは頭がおかしい。

 サイコパス診断をしてみたい。


「この現象、つまりお話の中の人物が意志を持って行動するというのは極めて異例です」


 そんな俺の雑念は他所へ、淡々と話を始めた。


「ですので理由は分かりませんが、全ての人物が自我を持って動いているのですよ」


 俺はその言葉を聞いて、安堵の息を吐いた。

 そして何かが吹っ切れたのか、どす黒い毒を巻いた心が雲のない晴天の様になった気がした。

 とにかく、一つの大きな悩みを消化した。

 俺が誰かに支配され、監視されるという恐怖は異常だった。

 きっと、誰かに永遠に縛られ死にたくても死ねない人生を送っていただろう。

 だが、それは無くなり、その誰かという人物が目の前にいるサイコパス野郎の仕業だというのも分かった。

 これは大きな成果だ。


 しかし、そんな安心感は次の一言で消え去った。


「それはつまり、あなたの命は誰も保証してくれなくなったということです」


 そんな保証なんて誰が頼むかと思った。

 だが、そんな考えは甘かった。

 俺はすぐに気がついた。

 そしてずっと忘れていたこと、いや、もしかしたら忘れようとしていたのかもしれない。


 ルマー・トレイアのあの一言を。


『君の世界を壊しに行ってもらう』


 魔王の地を救うことは血を交えなくてもなんとかなりそうな感じはしていた。

 だが、こればかりは地を流さなくてはならないだろう。

 主人公補正のかからなくなった俺は、もう不死身ではなくなった。

 今まで意識していなかったが、俺は死んでも転生したり、世界を移動したりと死にそうでも死なないというのを維持していた。

 確実に補正がかかっていたはずだ。


 ここが小説だと知らなければこんなことは意識しなかった。

 だが、知っているからこその怖さがある。

 確実に死に近づかなくてはならないからこその恐怖がある。


 俺の物語はまだまだ終わっていなかった。



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