内に潜む恐怖
ここはどこだ、俺は誰だ。
こんなことを考えているのも、俺という存在を構築した誰かによるものなのか。
俺があれだけ辛い思いをしたのも、アイに友達関係のことを相談したのも、親に再開して涙したのも全てそいつのシナリオ通りなのか……。
考えただけでも吐気がする。
鬱病になりそうだ。
怖い……。
誰かに見られている気がしてならない。
いや、誰かに見られているからこんなおぞましい小説があるのだ。
自分が誰なのか分からない……。
俺はデータの中の形のない空想の人物なのか。
今こうして布団を被って全身の鳥肌を無理やり静めようとする行為さえも、この物語の一文なのか。
異世界へ行ったのも、あの光景を見せられたのも、五年の修行も、全部文字で表されただけのものだったのか。
異世界へ行けて胸が高鳴った。
適当に学校へ行って毎日同じことを繰り返すだけの自分を変えられるって、そう思ってた。
現実は甘くなかったけど、それでも乗り越えて心を折らずに才を開花させた。
全部物語だったのか。
俺という存在は確かにそれを思い出にした。
だがそれは全て誰かの手で描かれてたものだった。
俺は誰かに操られ、考え、行動し、今は無様に震えている。
俺以外、いや俺さえも魂の篭っていない空っぽな人間かもしれない。
「確かに、これを創ってる神様からしたらラノベのテンプレをぶっ壊してるわな」
そしてこの物語を世に出して俺は晒しものにされ、あーだこーだと評価されるわけか。
怒りと恐怖が支配した。
鳥肌が立ち、震えが止まらない。
プールの後のように唇が青ざめカタカタと震わせた。
しばらくして、どっと体が重たくなった。
恐怖や不安や怒りでどうにかなってしまいそうな体に限界が来たのか、瞼を開いていられなくなった。
俺は生まれたての赤子の様に、深く、深く眠りについた。
今日は疲れた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーー君はもう
頭が痛い。胸が苦しい。体が重い。
ーー僕の操り人形じゃない
怖い。嫌だ。助けて。
ーーあぁ、残念だ
暗い。見えない。聞こえない。
ーーだが、なかなか面白い
誰、
ーー僕は
え
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ちょっと、起きなさい!」
脳内に響き渡るこの聞き覚えのある叫び声はなんだ。
俺は疲れたんだ。もう少し、眠りたい。
「遅刻するわよ!今日は学校でしょ!」
学校……。
「学校!?」
その単語を俺の辞書というやつから引っ張り出し、五年ぶりに『登校』『遅刻』の魔の四文字を思い出した。
そうだ、今までは昼まで寝て、起きたら家を徘徊したり稽古を受けたりしているだけだったが、ここは異世界じゃない。
五歳ではなく十七歳なのだ。
「なんで今日が学校ってことを言ってくれなかったの!?」
俺は咄嗟に、「なんで今日は寝る日なの!?」と同じ様なことを言った気がした。
「はぁ?なに言ってるの、早く着替えなさい」
エプロンを掛け、右手にフライパンを持っている母親を押しのけて着替えを探す。
「着替えはどこだったかな」
「ちょっと頭でも打ったんじゃないの?」
まぁそう思われても不思議ではない。
俺は年齢的に言うと二十二歳、ここで暮らしていたのは十七歳の時だ。
記憶が曖昧でも仕方が無いだろう。
ましてや着る服なんて高校生になるまで親が用意してくれていた。
今考えると何とも恥ずかしいことか。
俺の学校には制服がない。
中学の時もそうだった。
だから親が適当に用意してくれていたが、そのことをアイに話した時には大爆笑されたものだ。
それからというもの自分で用意していたが、やはり面倒なものは面倒だ。結局親が用意していた。
だが、今は……。
「なんで用意してくれてないの!?」
「自分で用意しなさい!アイちゃんから昨日注意を受けたのよ!」
な、なんでだ……。
「アイちゃんには嘘は通じないみたいね。自分で用意してるなんて言ってますけど、お母さんテイストの服ってすぐ分かっちゃいますよ。なんて言ってたわよ」
いや、なんで考えてることが。
「あんたの考えてることくらいわかるわよ。顔に全部出てる」
俺ってそんなに分かりやすい!?
ってこんなことしてる場合じゃない。
「ご飯は用意しといたから食べててね、私はもう行くから」
そう言うとエプロンを外し、フライパンを片付けた。
黒いカバンを手に持ち、じゃ、言ってくるね。一言言って立ち去った。
部屋に独り。
もう一度昨日の恐怖が襲いかかる。
だが、今は陽の光が俺の味方だ。
俺は卵とハムの乗ったパンを口に頬張った。
卵とハムが舌に絡みつき、塩と瑚椒のスパイシーな味が癖になる。
パンのカリッとした食感とよくマッチしていて、この組み合わせはさながら阿形と吽形のよう。
パンを食べ終え、あとは味噌汁を飲むだけ。
右手に箸を、左手に汁を持ち勢い良く口に流し込んだ。
「懐かしい味」
心が温まる、こんな表現では表せないだろう。
俺は久しぶりに食べた本物の母親の料理。
喜びと寂しさの溜まった水滴が零れた。
その水滴さえも汁は吸い込み、俺を温かく守ってくれている気がした。
怖い、寂しい、辛い。
俺の心はぐちゃぐちゃに乱れて、壊れていた。
恐怖は去ることなく、ふとした瞬間に心を締め付けてくる。
喉を締められているかのような息苦しさ。
耐えられない孤独感。
俺は気づいた。
この五年間、ずっと独りだったのだと。
ずっと自分の心を誤魔化してきたのだと。
魔王には裏切られ、親には稽古しか受けていなかった。
庭から一歩も外へ出た事はなかった。
勿論友達なんていない。こっちより酷いじゃないか。
さて、もう行こう。
時計を見ると時間ぎりぎりだった。
いまでなければ間に合わない。
俺は食器を片付け、トイレに行こうとした刹那、リビングの方で物音がした。
カサカサ、カサカサ、と一定の速度で音が鳴る。
俺は放っておく訳にもいかず、万一泥棒だったことも考えてその辺にあったペンを持って恐る恐るリビングへ向かった。
この家には今、俺しかいないはずだ。
なのに……。どうして……。
一歩ずつ、ゆっくりと近づいていく。
息を殺し、足音を立てないようにそうっと歩く。
だが、俺が近づいているのが分かるかのように、一歩足を出すに連れてカサカサという音が速さを増す。
カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ
俺は恐怖で胸がいっぱいだった。
昨日と同じ、いやそれ以上に唇が震えていた。
さぁ、そこを曲がればリビングだ。
俺は自分に言い聞かせ、前に出る勇気を振り絞る。
恐怖で体を支配されていては何も行動を起こせない。
あと一歩。
ダンッ!
最後の一歩は思い切り前に出し、勢いで音のする方へ飛び出した。
「あ……」
頭が真っ白になった。
絶対的恐怖が俺の脳を、体を支配する。
足を震わす力も入らず、膝からその場へ崩れ落ちた。
唇の震えが増し、顔から血の気が失われるのが分かった。
全身の血が抜け出ていったのかと思うほど青ざめ、目を見開いた。
俺が見たものは。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます