この物語はフィクションではない

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 苦しい


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 痛い


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 辛い


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 熱い


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 寒い


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 あ


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「ちょっと、大丈夫?」


 俺は一瞬の激痛に涙をこぼしていた。

 塩辛い味が舌に染み渡り、その水玉は温かかった。


 あれ、舌がある。

 自身で噛み砕いた筈の舌がしっかり動く。

 右に動かせば歯の感触を感じ血まみれだったザラッとした感触があった。

 血で染まっていた服はーー


「この服…?」


 ふと、奇妙な感覚に襲われた。今見ているものが夢のような、そんな感覚だった。

辺りを見渡してその原因が何か判明した。


 気が付かなかった。

 上を見れば天井があり、前を見ればズラリと並ぶ机と黒板が存在し、後ろをむけば壁がある。

 廊下側の一番後ろの席の俺は、本来ならなこの風景に懐かしいを感じるはずだがそんなものは全く感じなかった。


「ねぇ、聞いてるの?」


 優しい声がした。

 俺が好きな声、落ち着く声。


 前を向き直すと、そこには少女が立っていた。

 今度の少女は胸がふっくらしていて、白いブラウスで身を包み、短いスカートを履いていた。

 そして、ショートボブという髪型が似合うその容姿はさながら女神のよう。


「あれ?幼馴染みの『モモヤ・アイ』というのですが」


「あ、あぁ聞こえてるよ、ちょっと考え事でね……は、ははは」


 謎の自己紹介を始めたアイだったが、返事をしたことによってそれを中断した。


 数少ない友だちの一人と話して今度こそは懐かしく思えた。


「考え事ってあの小説のこと?」


 なんだその話は。俺が異世界へ行く前にそんなことしてたかな。

 もう五年も前のことになるので記憶が曖昧なのは仕方ないが、こっちの世界では俺がいない間の時間は進んでいないらしい。


 いや、五年前とはいえ俺は高校生だ。赤ちゃんの時の記憶が無いのとはわけが違う。

 記憶力だってまぁまぁあった方だし、そんなことをしていれば流石に覚えているはずだ。

 俺が五年やってきたのは魔法や体術の訓練だけで、特に印象に残ることはしなかった。


 まぁ、魔法や魔物とかには驚いたが。


 本当に俺が覚えていないだけなのか。


「あの小説ってなんだ?」


 聞いてみる他ない。

 これが一体どういう状況なのか。

 まさか夢落ちとかではあるまい。


「何言ってるんだよ」


 廊下から背の高い男子が入ってきた。

 顔立ちが良く、勉強も運動もとにかく出来る男だ。

 数少ない友だちーー嫉妬することが多々あるがそれは自分のせいで、別に嫌いという訳では無いーーの一人である。


「なんだよモテ男」


 覚えてる。このあだ名は俺がこいつと知り合って間もない頃に付けたものだった。


 その名はやめてくれと言いながら俺の机に歩み寄る。

 頭を掻きながらあくびをし、今更ながらおはようと挨拶をしてきた。


「で、その小説ってのはなんなんだ?」


 もう一度問う。


「ほらこれ、お前が執筆している『ラノベテンプレをぶっ壊す!俺が滅ぼす異世界物語』ってタイトルのやつ」


 まるで覚えていない。しかもそんな厨二病臭いタイトルなんて意地でも付けない。

 だいたい、テンプレを壊して売れるのかどうかすら危うい。

 俺がそんなことをする暇があるならゲームしたりアニメ見たりグウタラしてるさ。


「ってことで覚えていない」


 小さく首を降ってその小説とやらの存在を否定する。


「自分で付けた名前を厨二病呼ばわりする人なんて初めて見たんだけど」


 アイは本当に俺がそんな小説を書いているというのだろうか。

 これはドッキリなのか?


「じゃあちょっと読んでみろよ。家に帰ったらさ」


 チャイムが鳴った。

 懐かしい鐘の音に耳を傾ける。


 昔は死の音と読んでいたこの音が落ち着く。

 ここの世界は平和だ。

 いや、世界のどこかで戦争が起こっているかもしれないが日本は平和だ。


 他人事。


 その言葉が頭をよぎる。


 助けて。


 その声につられて俺は飛び込んだ。


 救ってくれ。


 その心に迷いは無かった。


 あの日の悲鳴が耳鳴りのように耳をつんざく。

 技術も無ければ兵力も無いあの国が全て嘘だったなんて思いたくはない。

 あの惨劇を止めるために俺は転生までした。

 五年の訓練を耐えた。


 全てはあの日の景色のために。





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 放課後、夕日に照らされた懐かしい道を独りで歩く。

 大通りを通って、トンネルを潜ると市役所が見える。そこを右に曲がるとアイの家に着く。俺の家は反対方向で、車通りの少ない小道に入らなければならない。

 その小道は車一台やっと通る程度の幅しかなく、車が来るとよく立ち止まって花を見ながらやり過ごした。


 もう五年も経った。

 それなのにその五年は嘘のようで、花も草木もガードレールの落書きもそのままだった。

 何も変わっていない。


 よくこっちの親とここを歩いた。


 向こうの父さんと母さんは何をしているだろうか。

 話せないのにその想いが伝わって、不器用ながら厳しく愛情を込めて訓練をしてくれた。

 二人の名前を覚えるのにも苦労した。

 赤ちゃんの頃は無意識でこれをやっていたのか、それとも覚えていないだけで一生懸命覚えようとしていたのか、そんなことを考えたこともあった。


 思えば魔王の名前も聞いていなかった。

 あのゴブリンにもきっと名前があるだろう。聞きたくもないが。


 俺の家はアパートの四階。

 鍵を握り、エレベーターに乗り込む。

 エレベーターの独特な匂いが入り込んでくる。

 胸の奥で何かが込み上げてきたが、グッと堪える。

 ここで堪えなければあの召喚から転生の辛さが無駄になってしまう気がしたから。


 だが、やはりこれを見てしまうと堪えられない。

 耐えていた想いが爆発して、今まで誤魔化してきた『寂しい』という感情が脳を打ち抜いた。


 あぁ、やっと、やっと帰ってきた。


「お帰り、レント」


 辛かった。

 辛いことの全てがこの一言で吹っ飛んだ。

 俺の居場所。

 学校でも、アイの側でも、異世界でもない。

 俺の家。


「ただいま母さん」


 調理中にも関わらず俺の方を振り向く母に涙を見せないように背を向けた。


 ただいまの声が震えた。


「なに?泣いてるの?」


 それだけで察してしまう母に感服する。

 これでこそ俺の親だ。


「ちょっと、脳が震えただけ」


 とあるアニメのセリフを拝借して誤魔化した。

 かなり無理があったかもしれない。


「あ!あのアニメ全部見たわよ!面白かったわー、アニメ好きが見るアニメは見なくてはいけないね。あれの物語の元はラノベっていうネットの小説何だってね?」


 うちの母はよく喋る。


 そうだ、泣いてる場合じゃない。

 あの小説を確認しなくてはいけない。


 俺は適当に返事を返して部屋へと向かった。


「さて、えーっと長いタイトルだな」


 スマホで『小〇家に〇ろう』と検索し、そのサイトから例の小説へと飛ぶ。


 そこで出てきたのはまだ二章の途中しか執筆されていない小説だった。


「作者名犬の楽園、近況報告もフォローしている作家も無しか。なんか変な感じだな」


 名を売ろうとする作家は様々な小説にコメントし、自分の小説へと呼び込もうとするものだと思っていた。

 だが、それをした形跡がない。

 ただ趣味で書いているだけなのかもしれない。


 まぁいいかとその小説を読み始める。


 俺は鳥肌が立った。

 冷や汗が出た。

 寒気がした。


 誰かに見られていると錯覚までしてしまう程だった。


 気持ちが悪い。


 吐気がする。


 頭が痛い。


 怖い。


 ここに描かれているものは全て俺が体験したことで、それ以外は何も書かれていなかった。

 さらに、書かれているのは俺の行動だけではなく、心情だったり痛みだったりと目で見ただけでは分からないようなことさえ書かれていた。


「お、落ち着け……こんな驚き、あの日に比べたら……」


 恐怖を驚きに置き換えて気持ちを落ち着ける。


 もう一度読み返した。


 よく読むと、俺の心情や行動は細かく描かれている割にもっと大切な細かい情報が書かれていなかった。


 例えるならば燃やされたはどれほど燃えていたのかや、魔王の城がどれほどの大きさなのか、ゴブリンとの距離はどのくらいあってどんな速さで迫ってきたのかなど、かなり欠陥していた。


 他にも場面がころころ変わったり、登場人物との関わりがやけに少なかったりと読んでいて混乱するような作りになっていた。


 たしかに一人一人との関わりは少なかった気もするが、五年をすっ飛ばすのはかなり酷い描き方だと感じた。


 こんな描き方普通はしない。

 基本的に話数や文字数を稼ぐためにわざわざ展開を早くしたり、長期間に渡って行った事は省略しないのではないかと俺は思う。

 あくまでも素人の考えだが、不自然に感じたのは確かだ。


 やはりこれは俺が作った物語ではない。

 何者かが俺を監視、或いは中に入ってこの出来事を楽しんでいるのかもしれない。


 考えるだけで寒気がする。

 逃げ出せることなら今すぐ逃げ出したい。


 だが、あの時、魔王の城の時に聞こえなかった声が気になる。

 透き通った声の正体が知りたい。

 魔族の地の人々を助けたい。

 能力の謎を解きたい。

 そして、あの神族の王の言葉……。


 やり残したこと、やらなければならないことが山ほどある。


 ここで挫けている場合ではない。


 守ると決めたものを守り通す。


 もう一度あの場所へ。




「この物語はフィクションではない」


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