第2話「人それぞれだし」
「ねぇ!だから言ったじゃん!呼んでから子ども入れてって!こっち1人なんだから考えて!」
残暑も厳しくなってきたその日の午後。
外で遊んでいた子ども達を部屋の中に入れる際、服を脱がして手足を拭いていた時だった。1人の男児が靴を脱いでそのまま汚れた足で勝手に部屋の中に入っていってしまった。先に室内で子ども達のおトイレを援助していた同期の子が苛立った声で詩丘に叫んだ。
「あ、ごめんなさい……」
「ちゃんと聞いてて下さいよ!ほら、こうちゃん。足拭くからこっちきて」
同期の優香先生は詩丘よりも2つ下の短大卒業生で同じ1歳児担当だった。ハキハキした性格で一年前も1歳児を担任していた経験がある為、行動もスパスパと無駄がない。先輩の智恵先生からも信頼されており、仲が良い(←端から見れば)。
だから、詩丘は気後れしてしまう。このクラスでちゃんと出来てないのは子どもではなく自分なのだと。1歳児担任は4人で、7年目の智恵先生と詩丘を含めた同期の3人。もう1人の同期である果歩先生は地方の児童福祉施設で働いていた経験を買われ、中途採用でやってきた。彼女も詩丘より年下でテキパキ動き、容量が良いので智恵先生から可愛がられていた。
「詩丘先生。後の片付けお願いします」
智恵先生が最後の1人を部屋に入れながら詩丘に指示した。今日の役回りは優香先生がリーダーで智恵先生と果歩先生は補佐、詩丘は雑用だった。1歳児専用の小さな園庭には玩具の玩具や滑り台などが出してあり、それを詩丘は1人でしまう。いつもの仕事だ。この後はお迎えの時間まで室内遊び。詩丘は5時上がりだったのでそこまでは気を張っていた。怪我でも起きたらまた怒られるので、トラブルのないように見守りながら子ども達と遊んだ。
「詩丘先生、ちょっと良い?」
もうすぐ5時で上がれるという時に智恵先生に呼び出され、詩丘は子ども達が移動し終わった2歳児の室内へと連れてこられた。お迎えもピークになり、子ども達が段々と帰っていくこの時間帯の室内は静けさが目立っていた。
「この間の事故報告書、出した?」
「はい……。出しました」
「アタシ、チェックしてないけど」
「えっ」
「言ったよね?書類出す時はチェックしてからだって。何で勝手に出したの?」
「いや……えっと……その、事故報告書もチェックがいるものだとは知らなくて……」
「あなたはまだ許可降りてないんだから勝手に出しちゃダメなの。だからほら。書き直し」
智恵先生は持っていた事故報告書を詩丘に見せながら言った。その紙には赤ペンでの直しが沢山付けられていた。
「チェックしなかったから二度手間だよ。これ書き直したら見せに来て」
「……はい」
折角今日は早上がりで何もしなくて良いと思っていたのにまさかの仕打ち。詩丘は仕方なく受け取り、チェックされた紙を書き直していった。園長のチェックも鬼だ。言葉を知っている故にチェックが厳しい。書き方とか言い方とかこんな所で学んでもどこかで活きるのか。この書類は意味のあるものなのだろうか。雑念に支配されながらも詩丘は書き直した紙を智恵先生に見せ、珍しく1発でOKが出たので帰り支度をしに、1歳児の部屋へ鞄を取りに行った。
「……あぁ。あの人ね」
1歳児の部屋へ入ろうとした時、中から声が聞こえた。一瞬で誰の話か分かってしまう。声の主も。詩丘は隣にある書庫に隠れ、会話が終わるのを待った。盗み聞きをしているとは微塵も思っていない。ただ空気を読んだだけだ。
「何でヘマすんだろーね」
「さぁ?もっとテキパキ動いて欲しいわ」
「ってか、4人も要らなくね?」
「3人で充分だよねー」
「あの人がリーダーの時、マジイライラすんだけど」
「あー……そうね」
「それで智恵先生もイライラしてこっちに八つ当たりじゃん?やめてくれーって感じ」
「まぁまぁ。あれでも頑張ってんだし」
「空振ってんの分かんないかね」
優香先生と果歩先生は言いたい放題だ。智恵先生は今、遅番の先生達と駄弁(だべ)ってるので当分ここには来ない。年齢が近いせいか優香先生と果歩先生は仲が良い。保育の時もチームワークは流石だ。
「この間の飲みの時もあんまり話してなかったじゃん?ああいうのめんどくさい」
「うわぁ、キッパリだね」
「人見知りもいいとこだよ。こっちはフランクに話したいのにさ」
「分かるー」
「智恵先生もさぁ、人によって態度変えんのやめてけろって感じ」
「あぁ、見え見えだよね」
「子ども達が可哀想だよ」
「ねー。あんな目の前で怒ったりとかさぁ。正直どうかと思う」
「本当だよね」
「優香先生は気に入られてるから良いじゃん」
「だからだよ。うちに頼り過ぎ」
「あー……」
2人の愚痴は更に続き、詩丘が部屋に入れたのは30分程経ってからだった。話し終えて満足したのか2人は楽しそうに笑いながら部屋から出ていった。書庫にはカーテンが掛けられていたので詩丘がそこにいた事を2人は気づいていない。鞄を取って着替えて園を出る頃にはもう6時を過ぎていた。
「一時間も無駄にされた……」
タメ息をつきながら詩丘は携帯を取り出し、電話を掛けた。相手が出ようが出まいがどちらでも良かった。掛けた相手は3コール目で出てくれた。
『 詩丘ちゃん?お疲れ様。もう仕事終わったの?』
縁深名はこの前と変わらぬ声色で詩丘を受け入れた。その柔らかい声を聴いて詩丘は力なく呟いていた。
「死にたいです……」
『 あらら……。また何かあったのかなぁ。話聞くよ。駅近のカフェ分かる?marineってお店』
「はい。大丈夫です」
『 オレも今から向かうから先に着いたら席取って置いてね』
「わかりました。ありがとうございます」
『 はぁい。気を付けてね』
これが甘えだなんて分かりきっている。縁深名は優しい。その優しさに浸かってるだけなのかも知れない。でも、今彼に話を聴いて貰わないと、本当に死を選ぶだろう。死んだ後の事なんてどうでもいい。色々思い浮かぶ事もあるが、どうでもいい。そんな気持ちに負けながら詩丘は自転車でmarineというカフェへ向かった。
駅近は賑わっており、主に帰宅中の人達が行き交っている。店も沢山出来て、目移りしそうだ。平日のこの時間帯に空いている席を見つけるのは難しいだろうかと考えながら店内に入ると予想外に客が少なく拍子抜けしてしまった。marineというカフェは最近改装して新しくなったお店で自家焙煎コーヒーが売りだった。詩丘も何度か利用しており、ポイントカードも持っている。禁煙席で話がし易そうな場所を見つけ、店内の奥にある4人掛けの席を取った。この時間で空いていればこの後も混む様子はない。2人席だとスペースがないので寛げないと判断した次第だ。周囲の席にも人がいないので、会話を気にする心配もなかった。詩丘の保育園からは少し距離のある場所なので、先生達は寄らない。というより、寄り道をする先生達は少ない。朝も早いし、次の日が休みで無ければ直帰する人が殆どだ。
「詩丘ちゃん」
縁深名が来たのは詩丘が店に来てから20分くらい経っての事だった。仕事がアパレルだからか今日の服装もオシャレだ。そして変わらずの美形。これ位のイケメンなら彼女がいるのが当然だろう。だとすればこうして呼び出してしまうのは彼女に悪いのではないだろうか。今更そんな心配をしながらも詩丘は彼に会えた事に安堵していた。
「詩丘ちゃん、何飲んでんの?」
「抹茶ラテです」
「わぁ、いいなぁ。ちょっと頂戴」
「はぁ……」
縁深名は詩丘の向かい側に座りながら興味津々に詩丘の飲み物を口にした。これは間接キス?彼女がいる説に気づいたばかりだというのにこんなんで良いのかと困惑してしまう。
「縁深名さんは何にしたんですか?」
「飲む?」
「はい」
味も聞かずに渡された飲み物を口にした。途端に苦味が口の中を支配し、詩丘は表情を歪めた。
「はい、お口直し」
元は詩丘の抹茶ラテをさも自分のであったかのように縁深名は飲み物を交換し、詩丘に勧めた。
「苦っ……」
「まぁねぇ。ブラックコーヒーだし」
「よく飲めますね」
「オレ、珈琲全般好きだから。今日はブラックな日だったんだ」
「へぇ……」
「それに、折角自家焙煎なんだから珈琲を堪能しないとね」
「あぁ……そっか」
カフェに来たのに珈琲を選ばずして何を飲んでるのかと詩丘は考えてしまった。まぁ、人の好みはそれぞれなのでそれが正しい選択だと決める人はいないので。詩丘は抹茶ラテを飲みながら一息ついた。
「落ち着いたのかな?」
「はい……。急に呼び出してすみません」
「あはは。まぁ、ビビるよね。開口一番に『 死にたいです』なんて言われたら、話聞かない訳にはいかないもんねぇ」
縁深名は頬杖を付きながら詩丘を眺め、彼女の言葉を待っていた。
「……また、ミスったんです」
「そっか。失敗はしょうがないよ」
「……しかも、帰り際に陰口聞いちゃって」
「あらぁ……。それはそれは災難」
「聞く心算(つもり)なかったのに、入りづらくて……。同期の子達に疎まれてるんです」
「そうなんだ。同期の子は同い年?」
「2個下です」
「そっかぁ。先輩としてはやりずらいかもね」
「めっちゃ居心地悪い。最初は同期と一緒だからって嬉しく思いました。でも、やってる内に本性見えてきたっていうか……」
「あぁ、本性ね。なかなか隠せないよねぇ。特に先生って立場だと」
「子供がいるからか……どんどんハキハキしていって……。今日も同期の子から怒られちゃって」
「それは辛いねぇ。厳しい子なの?」
「サバサバ系です。嫌な事はイヤってはっきり断るような子達ばっかりです」
「そうなんだぁ。でも、先生になるんだからその性格の方がやりやすいのかもね。ほら、先生が迷ったりしてたら子供にも影響するし」
「はい………。あたしも感じてます」
「詩丘ちゃんは真逆タイプだよね」
「……自覚はあります……」
「あぁ、批判とかじゃないよ?性格なんて人それぞれだし、それを咎めるなんて偉そうな事するものでもないし。自分が正しいって思ってる子は伸びないよね。他人の正解になんて興味ないから。だから、独自の視線で成長しちゃう。逆に周りに流される人は考えて伸ばすタイプかな。他人の意見に耳を傾ける事で視野が拡がるし。性格が変わる人なんてほんの一部だよ。だからって訳じゃないけど、無理に治そうって考えなくても良いんじゃないかなぁ」
その考え方には詩丘も同意だった。変えたくても変わらないのが持って生まれたもの。仕方ないと諦めればそのままだし、無理に感情を押し殺して冷静(クール)さを気取るのも疲れるし。かと言って今のままでは何も成長しない事は明らかだ。
「周りがどうだろうとさ、詩丘ちゃんの思った通りに動けば良いと思うよ。それでまた失敗しちゃったらそこで学ぶものが得られるでしょ?」
「……あたし、思慮深いみたいで……。やった方が良いって思っても、やったらしなくて良かったみたいな事もよくあって……」
「考え過ぎ。周りの反応気にしちゃうの?」
「はい……。何言われるかとかビクビクしちゃいます」
「それは良くないね。そうさせてる環境も悪いけど、詩丘ちゃんもそんな気張ってたらメンタル保たないよ」
「……もう、どうしたら良いのか分からない……」
涙が出てくる。ダメな自分に嫌気が差す。それでも、変化なんて起きる訳もなく、弱気に押し潰されるだけ。
「詩丘ちゃん。明日は休み?」
「はい……」
「じゃあ、ちょっと付き合って欲しいんだけど」
縁深名の微笑みに詩丘は頷いていた。
カフェから出て駅まで歩いて行き、そこから暗い路地に入った。人通りも少なく、大人のお店が並んでいる。 1人では決して通らないような怪しげな道。縁深名は周りの景色など見もせずに真っ直ぐ進んでいく。詩丘は不安になりながらも彼の後を付いていった。
「詩丘ちゃん、お酒飲める子?」
「はい」
「なら大丈夫だ。ここだよ」
案内されたのは小さなBAR。煉瓦造りがレトロな雰囲気を漂わせている。看板には 【Guild】とオシャレな文体で記されていた。
「ギルド……」
「そう。オレらの集いの場所だよ」
「オレら?」
縁深名は笑みを絶やさぬまま扉を開けた。室内は薄暗い照明でカウンターの所だけ電球が明るい。広さはそんなになく、席も5•6席程しかない。カウンター席は詰めれば10人は座れるような間隔だった。キッチンの天井(?)にはいくつものグラスが逆さまになって飾られており、奥の棚には種類豊富なお酒の瓶がズラリと並んでいた。
「久しぶりじゃん、縁深名。デート?」
ドア付近にあるレジにいた青年が親しい様子で縁深名に声を掛けてきた。まだ若く、縁深名と同じ位のイケメンだった。
「そんな所。席空いてる?」
「あー……ちょい待ち。今、調整するわ」
「あ、無かったら立ちでも大丈夫」
「オッケー。一応、声掛けてみるから」
店内は賑わっており、奥の席に行くのも一苦労な位沢山の客がいた。見渡した感じ、みんな詩丘と同い年位の子達が目に付き、お酒を片手に談笑している。腰に黒いエプロンを巻いているのがスタッフなのだろうが、客の子達と一緒に会話に混ざったり、お酒を回し飲みしたりしていた。イメージする普通のBARとは大分印象が違い、詩丘は呆気に取られていた。
「こういう所初めて?」
「あ、はい……」
「大丈夫だよ。殆ど20代だから話も合うだろうし。それに保育士の子も結構いるから共通出来る事もあると思うよ」
「はぁ……」
詩丘は人見知りしないかだけが不安だった。自分より年下の子との接し方はいまいち分からない。それ以前にちゃんと話が出来るかどうかも。
「お待たせー、縁深名。席やっぱ無理だったわ。今日『 oasis』だから余計ね」
「あー、そっか。誰か歌うの?」
「それがさぁ、大輝さんが来れなくなったらしくて」
「仕事?」
「そうみたい。あ!縁深名、やらねぇ?」
「ギターあるならやっても良いよ」
「あるある。この間、よっしーが寄付してくれた」
「ならやろうかな。何か無いとつまんないもんね」
「サンキュー、縁深名!9時から開始にすっから。ギター用意しとくわ」
「はぁい」
「飲み物だけ頼むか?」
「じゃあ、ライチソーダ。詩丘ちゃんは何にする?」
「あ、梅酒のロックで……」
「りょーかい。ちょお待ってろー」
彼はカウンターの中に入りながらテキパキと飲み物を作り始めた。
「ごめんね、詩丘ちゃん。今日イベントあるの忘れてた。いつもはこんな賑やかじゃないんだけど」
「イベント?」
「そう。この店は月に一回『 oasis』っていうイベントやってて、大体月末なんだけど。そこで歌をやったり何かを発表する機会みたいな感じなんだ」
「さっき言ってたやつですか」
「うん。最近は大輝さんて人が歌を披露してたんだけど、来れないなら仕方ないよねぇ」
「……え、じゃあ今日それやるの、縁深名さんなんですか?」
「うん。急遽決まったけど、ギターは結構長くやってるし、以前にも披露した事あるからね」
「凄い……」
「こういう場でもさ、そういう機会貰えるなら活かそうって思うんだ。夢に近付けてる感じするでしょう」
「まぁ……素敵だと思います」
「ありがとう。今日は詩丘ちゃんの為に歌うからね」
「えっ……」
「はい、お待ちー!」
2人の間に先程の彼が飲み物を運んできた。詩丘も受け取り、一口飲んだ。
「美味しい……!」
「サンキューでーす。縁深名、この子は?友達?」
「うん。この間ナンパしちゃった」
「ひゅー!やるねー!流石イケメン!」
スタッフの青年はテンション高めで会話をしていく。縁深名もそのノリに合わせており、会話の流れがスムーズだ。
「あ。俺この店のスタッフやってます、木佐って言います!宜しくねー」
「あ、はい。詩丘です……」
「大体いつもいるから、気軽に利用してねー」
「はい。ありがとうございます」
「今日はイベントもあるから楽しんでって。あ、縁深名ちょっと」
「ん?」
木佐は縁深名を連れてレジの方で話をした。聞かれたらまずい話なのだろうかと詩丘は思いながらも様子を窺っていた。梅酒の味は今までのどのお店よりも美味しくて何杯でも飲めてしまいそうだ。詩丘は賑わっている店内を眺めながら梅酒を口にしていた。
「ごめんね、詩丘ちゃん。大丈夫だった?」
数分位で縁深名が戻ってきたので詩丘は安堵した。
「あ、ドリンクおかわりする?」
「いいですか?」
「勿論。あ、ミッチー!」
縁深名は近くにいた女の子のスタッフを呼び、手招きした。人混みを掻き分けてやっとの思いで2人の元にきたスタッフは可愛らしい女の子だった。
「縁深名、久しぶりー!『 oasis』だから来たの?」
「や、紹介したい子いたから。この子にドリンクおかわり貰っていい?」
「あぁ、良いよ。初めての子?」
「そう。今日がお初なの」
「そうなんだ」
「詩丘と言います……」
「あたしは理葉(みちは)。気軽にミッチーって呼んでね」
「はい……」
「おかわり何飲む?」
「あ、じゃあファジーネーブルで」
「はぁい。今作って来るからねー」
理葉も高めのテンションで楽しそうにドリンクを作っていった。こんな風にスタッフと気軽に会話が出来て親しみやすいお店は無いだろう。居心地も良いし、詩丘もいつの間にか不安は無くなっていた。
「縁深名じゃーん!超久しぶり!」
「うっそ、縁深名いるの?!」
彼に気付いた何人かの女の子達が飲み物片手に2人の元に歩み寄ってきた。皆派手な格好でとてもお洒落だ。多少の化粧で美が増しているようにも見えるが、ナチュラルメイクでも可愛いのだろなと思える位の子達だった。詩丘は若いっていいなとおばさんみたいなタメ息を小さく吐いた。
「どうしたの?今日『 oasis』だから?」
「まぁ。この子に紹介したくて」
縁深名はサラッと交わしながら詩丘に視線を変えさせた。
「詩丘ちゃんて言うんだ。よろしくね」
「またナンパしたのー?」
「あはは、まぁそんな所。あ!千咲、保育士だったよね?詩丘ちゃんも現役保育士なんだよ」
「おー!保育士仲間ー!」
千咲と呼ばれた髪の長い子はパァっと笑顔になり、大いに喜んでいた。
「何年目ですか?」
「あ、二年目です……」
「先輩じゃーん!あたし千咲です。まだ一年目なんすよー。保育士マジ辛くないっすか?」
「うん。辛い」
「ですよねー。あたし辞めようかと思っててー」
「色々面倒だもんね」
「そうなんすよねー。うちの所園長が五月蝿くてー」
「うちもそうだよ。人間関係良くなくて」
「一緒じゃないっすかー。保育士仲間超歓迎なんすよー」
話しやすい子だなと詩丘は安堵した。千咲は可愛いというよりかは綺麗系な顔立ちで背も高く、明るい子だった。保育士という職業だからか明るいのは当然なのかも知れないが。
「あ、じゃあLINE交換しません?もっと話したいですし」
「あ、うん」
詩丘は携帯を取り出し、またやり方が分からなかったので千咲にしてもらった。新しい連絡先が増えて気持ちが高まった。
「ーーあ!あかりちゃん来たよ!あの子も保育士だよね」
賑わっている店内に来店してきた小柄な女の子。1人がその子に気付き、こちらへ手招きした。
「あかりちゃーん!」
「あ、お疲れ様です」
ちょこちょこっと可愛らしく現れた女の子は肩までの髪にふわふわのスカートを履いていた。荷物が少しだけ大きいのは保育士だからだろうか。
「あかりちゃん、この子も保育士なんだって!」
「あ、そうなんですか。棚橋あかりです。よろしくお願いします」
あかりと呼ばれている子は丁寧に挨拶をしてくれた。声も透き通っていて羨ましいなと思った。
「詩丘です。よろしくお願いします」
「あかりちゃんより一つお姉さんだよ」
縁深名がにこやかに付け足した。
「そうなんですね!じゃあ、詩丘さんで」
「呼び捨てで大丈夫だよ」
「え、じゃあ、詩丘ちゃんにします。保育士さんなんですね」
「うん。あかりちゃんは何年目?」
「私は二年目。でも派遣だから」
「そうなんだ」
「此処は初めてですか?」
「今日きたばっかり」
「おぉ。じゃあ丁度いいかも。今日イベントなんだよ」
「あー、なんかみんなから聞いた」
「でも大輝さん来れないんでしょ?」
あかりちゃんは隣にいた女の子に聞く。とても親しげに。ここの常連さんはみんな知り合いなのかと不思議に思った。
「じゃあ何やるんだろー」
「あっ……」
詩丘は縁深名の方を見たが、口元に人差し指を当てながら「内緒」とウィンクされてしまった。その仕草がとてもイケメン過ぎたので詩丘はドキッとしてしまった。
「詩丘ちゃん、連絡先交換してもらってもいい?」
「あ、うん」
「保育士同士、話したりしましょう!」
「そうだね」
そろそろやり方を覚えてきたので詩丘はドキドキしながらあかりとLINEを交換した。
「ここ良いお店でしょ?」
「うん。すごく」
「私、常連だから良かったら誘うよ」
「ありがとう!お願いします」
すっか りあかりと打ち解けた詩丘を見て縁深名も優しく微笑んでいた。
「縁深名。そろそろ……」
時計に目を向けながら木佐が小声で促した。縁深名は女の子達が話に夢中になっている間にスッとその場から移動した。詩丘は縁深名の背中を見送りながら様子を眺めていた。
時刻は9時5分前。木佐と理葉達スタッフがそわそわと場所作りを行っていた。縁深名が歌う場所は奥のスペースでそこにいた客達はイベントが始まるからと端に移動するよう促されていた。詩丘もあかりに連れられ、中間辺りで立ち見する事にした。前にいる子達は携帯構え、誰が何をやるのか待ち構えている。詩丘も一応携帯は手に持っていた。あかりは撮影する気満々だ。店内にいた客の全てがステージとなる場所に視線を注ぎ、時間になるまで話し声が聞こえていた。
「はーい!皆さん、お待たせしましたー!『 oasis』のメインイベント始めまーす!今日初めてのお客さんもいるけど楽しんでって下さいねー!」
木佐がマイクを持ちながら司会を行った。客達は良いノリで盛り上がっている。
「実は今日、大輝さんが歌う予定だったんですけどー、急遽仕事の為、代わりにこの人が歌ってくれる事になりましたー!」
スタッフルームからギターを掛けた縁深名が現れ、また盛大な歓声が上がった。その見た目にギターの付属は益々イケメン化を際立たせていた。縁深名に慕ってる人も多いんじゃないかと思う位の人気でみんなの目が人気アーティストを見るような視線になっていた。
「縁深名、何歌うの?」
「 【千本桜】とか。みんな知ってるよね?」
「おー、イイじゃん!俺、好き」
縁深名は椅子に腰掛け、ギターを構える。その姿勢はプロっぽく見えて詩丘はもう目が離せなかった。
「じゃあ、縁深名!よろしくー!」
木佐が縁深名に振り、客達も押し黙る。静けさが訪れた時、縁深名はギターを奏でた。アコースティックギターの柔らかい音に重なる彼の歌声。この曲は詩丘も大好きだった。普通の速いテンポのものよりアレンジを聴かせた弾き語り。こっちの方が旋律が際立って好きになった。
みんなが縁深名の歌声に惚れ惚れしている。ギターの音色も美しく、彼だけの 【千本桜】。包み込むような優しい彼の歌声はいつまでも聴いていたかった。
拍手喝采が起き、縁深名は笑顔で手を振った。
「じゃあ、あと何曲か弾こうかな」
「縁深名、カッコイイー!!」
「もっと歌ってー!」
酒のせいか女の子達はMAXなテンションで持て囃す。縁深名はにこやかに受け流し、ギターを構えた。
鳴ったのは、聴き憶えのある曲。有名な映画の代表曲だ。アコースティックギターで弾くとこんなにも穏やかな旋律になるのかと詩丘は感動を覚えた。
「Raindrops on roses and whiskers on kittens.
Bright copper kettles and warm woollen mittens.
Brown paper packages tied up with strings .
These are a few of my favorite things .
Cream colored ponies and crisp apple strudels.
Doorbells and sleigh bells and schnitzel with noodles.Wild geese that fly with the moon on their wings.
These are a few of my favorite things.
Girls in white dresses with blue satin sashes.
Snowflakes that stay on my nose and eyelashes.
Silver white winters that melt into springs.
These are a few of my favorite things .
When the dog bites, when the bee stings .
When I'm feeling sad I simply remember my favorite things And then I don't feel so bad
Raindrops on roses and whiskers on kittens Bright copper kettles and warm woolen mittens Brown paper packages tied up with strings
These are a few of my favorite things
Cream colored ponies and crisp apple strudels
Doorbells and sleigh bells and schnitzel with noodles .Wild geese that fly with the moon on their wings These are a few of my favorite things.
Girls in white dresses with blue satin sashes .
Snowflakes that stay on my nose and eyelashes .
Silver white winters that melt into springs .
These are a few of my favorite things.
When the dog bites, when the bee stings.
When I'm feeling sad .
I simply remember my favorite things And then I don't feel so bad.」
英語の発音も耳に溶け込んでくる位の上手さで、もう本当は歌手なんじゃないかと思ってしまう程の実力を縁深名は持っていた。夢がシンガーソングライターというのも分かる。それはもう半分叶っているのではないだろうか。
拍手に包まれながら縁深名は一呼吸置いてから次の曲を奏で始めた。
「あっ……」
しっとりとした旋律。これは 【星に願いを】。また彼は英語の歌詞を歌っていた。最後に相応しい曲。みんなが知っている歌。保育園でもお昼寝の時にかける。そのまま一緒に眠ってしまいそうになるがそこはなんとか堪えなくてはならない。
「When you wish upon a star.
Make no differens who you are.
anything your heart desires.
Will come to you.
If your heart is in your dream.
No request is too extreme.
When you Wish upon a star.
As dreamers do.
Fate is kind.
She brings those who love.
The sweet fulfillment of
There secret longing.
Like a bolt out of the blue.
Fate steps in and sees you through.
When you wish upon a star.
Your dream comes true. 」
ギターを木佐に渡し、縁深名は観客達に一礼した。拍手が鳴り止まない中、彼は集まっている客達の間を通りながら詩丘の元まで来た。
「どおだった?詩丘ちゃん。かっこよかったでしょ?」
「はい……!とても感動しました」
「ありがとー!じゃあ、目立ち序に紹介しよっかな」
「えっ……」
「はぁーい!みんなこっち注目ー!」
まだ注目を集めていた縁深名が声を掛けると散りばめ始めていた客達がみな振り返った。
「この子、詩丘ちゃんって言いまーす!よろしくねー!」
いきなりみんなから注目を浴び、詩丘は戸惑った。けれど、客達は大いに歓迎してくれた。「よろしくー」との声も多く上がり、受け入れられた事に一安心する。そしてメインイベントも終わったので客達はまたバラバラに動きながら会話などを再開した。
「ごめんね、急に」
「いえ……」
「縁深名の知り合いなんだって分かって貰えてた方がまた此処に来た時、思い出して貰えるでしょ?」
「あぁ……なるほど」
「仲良くなれた子もいた?」
「はい!千咲ちゃんとあかりちゃんとLINE交換しました」
「そっか。2人とも保育士だもんね。此処の常連さん達はみんな良い子達ばかりだから繋がっておくのも悪くないよ」
「そうみたいですね。こんなに受け入れてくれたの初めてで……」
「楽しんで貰えたかな?」
「はい!とても」
「良かった」
「縁深名」
会話をしている2人の元に木佐がやって来た。先程の縁深名のパフォーマンスをテンション高めで褒め称えていた。その隣で詩丘は時計に目を向ける。なんともう10時を過ぎていた。
「時間、ヤバイ感じかな?」
詩丘に気付いた縁深名がスッと声を掛けた。木佐は他の客達の所に移動しており楽しげな笑い声を上げている。明日は休みなのでまだ時間的には大丈夫だったが、あまり帰りが遅くなると親の反応が怪しいので詩丘は躊躇いがちに頷いた。
「なら、そろそろ出よっか。夜道を1人で帰す訳にもいかないからね」
「良いんですか?」
「うん。もうイベントも終わりみたいだし」
「そうなんですね」
「ちょっと待ってて」
縁深名は近くにいそうなスタッフを探し、丁度目の合った理葉を手招きした。
「はいはーい、縁深名!どうしたの?」
「オレらもう帰るから。木佐にもよろしくって伝えといて」
「OK!詩丘ちゃん、今日は来てくれてありがとね。またいつでもおいで」
「はい。ありがとうございました」
「あかりちゃん達にもよろしく」
「了!またねー!」
理葉に見送られながら2人は店内から出た。外はすっかり暗くなり、生温い風が吹いていた。
「……あ!あの、お会計は?」
「ん?大丈夫だよ。初めてのお客様は無料なんだ」
「え、そうなんですか?」
「そうそう。それにイベントだったしね。詩丘ちゃん、ラッキーだったよ」
「はぁ……」
なんとなく納得してしまったが、本当に良かったのだろうかと少し不安になった。
「詩丘ちゃん」
「はい」
「死にたくなくなったでしょ?」
優しげな笑みで彼にそう言われ、詩丘はドキッとした。今日はそれで此処に来たんだ。「死にたい」なんて思っていた事がバカバカしいように感じた。
「はい。今日出逢えた人達見てたら、死ぬのが勿体ないなって思いました」
「そう」
「良い所ですね。お客さん達もみんな親しげだし」
「うん。紹介して良かったって思うよ」
「また来たいです」
「良いよ。そしたら今度はこのBARと連携してるお店に連れてってあげるね」
「まだお店があるんですか?」
「うん。そこもめっちゃいい所だよ」
「行ってみたいです」
「行こうね。また連絡するから。詩丘ちゃんも今日みたいに何かあったら連絡頂戴」
「分かりました。多分近い内にまた堕ちると思われるので……」
「保育士の子もまだまだいっぱいいるからさ、話聞いてみるといいよ。同じ想いの子もいるだろうし」
「はい。楽しみです」
詩丘は置いていた自転車に荷物を入れながら支度をした。
「あのさ、詩丘ちゃん」
「はい」
「……オレらね、同じ仕事してるんだ」
「えっ……」
「仲間、なんだ。さっきの人達もスタッフ達も」
「……仕事?」
「そう。もし、詩丘ちゃんが興味あるなら話したいなって思って」
何の事だかよく分からなかったが、興味はあった。先程の人達が同じ仲間だという意味も知りたい。
「聞いてみたいです」
「本当!?興味ある?」
「はい。仲間を得られるなら」
「大丈夫。すぐになれるから。じゃあ、今度説明するね。オレから連絡するから空いてる日があったら予定は空けといて欲しい」
「分かりました。待ってます」
「うん。今日は付き合ってくれてありがとね。こんな時間まで」
「いえ、こちらこそ。いきなり会って貰った上にこんな素敵なお店を紹介してもらって」
「此処のお店の話もしたいんだ。だから結構な時間要するかも」
「大丈夫です。予定確認しておきます」
「ありがと。1人で帰れる?」
「はい。自転車ですぐなので」
「そっか。気を付けてね」
「ありがとうございます」
「じゃあ、またね」
「はい」
縁深名に見送られながら詩丘は自転車を走らせた。色んな事があってまた気持ちがふわふわしている。明日が休みで良かったと改めて思った。
その日の夜は適当な理由を両親に伝え、難無くやり過ごせた。お風呂から上がり、自室でテレビを見ているとLINEがたくさんきていた。
《 今日は来てくれてありがとう!また会おうね!一緒にギルド行こう!》
一件目はあかりからだった。詩丘もすぐに返信し、次を見た。
《 今日はありがとね。楽しんでくれて良かったよ(^-^)また連絡するねヽ(*´∀`)ノ》
二件目は縁深名から。詩丘は笑みを零しながら返信した。千咲からは来てなかったので詩丘から送り、返信を待った。
あんな素敵なお店があるとは知らなかった。お酒も美味しかったし今度は料理も食べたいと思った。
縁深名が言っていた 『 仕事』の話と『 仲間』の話も早く聞いてみたい気持ちが浮いていた。
久々に楽しかったからかその夜はいつにも増して熟睡する事が出来た。
毒霧 ~ドクギリ~ 夕奏琉 @Emina19
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