第 章 『――――』
きっかけは何だったのだろうか。
きっかけ。
そう、きっかけだ。
きっかけについて考えよう。
なんて。
何だか哲学者みたいだ。
ははっ、わらが哲学者。
うん、面白い。
とても面白い。
まるで人間のようだ。
人間。
それもまた、きっかけの一つなのかもしれない。
きっかけ。
それは過去が今へと至るための布石であり、今が未来へと繋がるためのの予兆であり、過去を未来へと一連づけるための伏線であったりするのだけれど、いやはや、なかなかどうして実際にこうして思い返してみると、普通に思い出せないから困る。
想いを、返せない。
重要なことのはずなのに。
重大なことだったはずなのに。
わらにとっては。
それこそ、存在を変えてしまう程に。
なのに。
思い出せない。
黄昏の空のように曖昧だ。
もしかしたらそれは、わらがわしだったころの出来事かもしれないし、わしが私だった頃の悲劇かもしれないし、私が僕だったころの物語かもしれないし、僕がわらだった頃の“人生”かもしれない。
そう考えると、比喩ではなく(いや、比喩なのだけれども)、なんだが身体のどこかが欠陥しているかのような心地だった。
記憶を失うということは、人生を失うということ。
本人が生きた証など、突き詰めれば結局、主観によってしか成立しないのだ。
そして実際。
実際も何も、記憶がはっきりしないのだから因果関係も、因果応報かどうかも分からないのだけど、とにかく、わらは今普通に死にかけていた。
これ以上ないってくらいに、分かりやすく。
誰の目から見ても、もちろん自分から見ても致命傷である。
土手っ腹には、大穴。
いやもう、それは大穴というよりはほとんどただの空間だった。すっかすか。右腕と左足に至っては、もう跡方すらない。文字通りというか何というか、ただの無残だった。それでいて意識だけははっきりしているものだから、こうして身体が欠陥している心地をありありと味わうはめになっているのだ。
これでもう、何度目だろう。
何度も、何度も。
幾度となく繰り返される等活地獄のような光景。
ぐるぐる、ぐるぐると。
風車は風に吹かれて廻り続ける。
「ごぼっ」
本人的には『けほっ』くらいのつもりだったのに、溢れ出る血がそれを許さなかった。とゆーか、胃とか軽くぶっ飛んでるのに、一体この血はどこから出てきているのだろうか。謎だった。
「人間のような化け物と、化け物のような人間と、どちらの方がタチが悪いかはさておき、しかしどうだろう、“ワタシタチ”によりふさわしいのはどっちだと思う?」
――と。随分久しぶりに聞こえてきたその声に、わらは、ぼんやりと眺めていた血のぬかるみから視線を上げた。
焦点は、定まらない。
けれど“そいつ”の姿は、例え姿形が変わろうともその在り方(すがた)だけは、はっきりと分かった。
わらをこんな目に合わせた張本人であり。
わらをこんな目に合わせ続ける元凶。
そしてたぶん、これからも。
「げほっ……随分と……まあ……嬉しそうでは……ないか……」
「そうでもないわ」
言って。
そいつは、笑う。
にこやかに。
晴れやかに。
それでいて、凄惨に。
「“信じていたのに”」
笑う。
「約束したのに。誓い合ったのに。契約したのに。指切りしたのに。盟約を結んだのに。公約だったのに。宣誓したのに。口約したのに。確約したのに。誓約したのに。血盟したのに。願掛けしたのに。内約したのに。密約したのに。黙約したのに。契りを込めたのに――」
そいつは言う。
笑いながら。
「“裏切った”」
『声』を、“繰り返す”。
裏切り。
嘘。
欺瞞。
全て、“信頼の裏返し”。
信頼がなければ、そもそも裏切れない。
「わらは……」
わらは、何を言おうとしたのだろう?
分からない。
その答えは、そいつの手によって遮られた。あるいは、最初からそんなものなかったのかもしれなかった。
「最後に――」
手の平を、わらの眼前に向けながら、そいつは言う。
「言っておきたいことがあるわ」
「……ふん……何度目の……最後じゃ……?」
「何度目でもないわ。私達にとってはね」
一瞬一瞬、今この瞬間にも“私達は死に続けている”のだから。そう付け加えて、そいつはやっぱり笑う。
たぶんおそらく絶対に。前回と同じく。そして何前回とさかのぼろうとも。
そいつは、同じ言葉を、同じ表情で、同じ場面をして、手向ける。
「“愛してるぜ”」
ぐしゃり。
意識が、暗転した。
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