第4話 珠美さん、勇者になる
第4話 その1
また少しだけ、昔の話をしましょう。
手順とか段取りとか手続きとか順番というのもは、往々にして存在するものでして、たとえば三回目のデートで正式にお付き合いしましょうということになり、じゃあ次は家に遊びに来ませんか狭いアパートなんですけどね「じゃあお菓子持っていくわ」「どうぞ、いらっしゃい」「ああなんか、くつろげるわー。私実家だから」「実家はくつろげませんか」「そんなことないけれどねー。なんか新鮮」「ゆっくりくつろいでもらっていいですよ」「本当? じゃあ、ちょっと横にならせてもらっていい?」「いいですよ」「おやすみー」マジかーッ!
寝ちゃいましたよ、この人。
僕は良識ある人間もとい神様なので、目の前で微妙な距離感の彼女が寝ていたからといって、距離感を強引に縮めるような真似はしませんが、無防備すぎませんかね。
しばらく寝こけていた後、ぬーっと起き上がり、
「帰るわ」
「駅まで送りますよ」
「うん、ありがとう」
それ以来、珠美さんは度々僕のアパートを訪れては、お茶を飲んだり昼寝をしたり漫画を読んだりしはじめ、しまいには夕食も食べていくようになりました。もっとも、お惣菜屋さんのお弁当だったり、ご飯だけ家で炊いておかずを買ってきたりというもので、手作りクッキングを振る舞っちゃうぞ的なものではなかったのですが、これはこれでこじんまりとしていて僕には楽しいものでした。
「私ね」
珠美さんが言いました。
「両親を早くに亡くしているのね」
「ほう」
「それで、弟とふたりで祖父母に育てられたの」
「それは大変でしたね」
「大変ってことはなかったのよね。実の祖父母で優しくしてくれたし、父の妹も一緒に暮らしていてにぎやかだったし、父の弟はあんまり家に寄り付かなかったけど。でもやっぱり、家とか家庭っていうものの考え方が、他の人とは違うみたいなのよね。人が作った家ってのが、なんか安心する」
「でも、おじいさんたちの家は、珠美さんの家でもあったのでしょう?」
「そうなんだけどね。何かしらね。弟はそんなことないみたいだから、私だけの問題かもしれない。だから、この部屋にくると『ああ、人の家』って感じで安心するわ」
「アパートの部屋ですよ。家ってほどじゃないです」
「でも、ここであなたはあなたなりの家庭を作っているでしょう?」
「家庭なんですかね。一人暮らしですが」
「一人暮らしでも、立派な家庭よぉ。ああ、落ち着くわ。……変?」
「いえ、別に。そうですか、家ですか、家庭ですか」
そういうものを、あなたは欲しているのですか。
「珠美さん自身は、家庭を作りたいのですか?」
「私? ……どうかなあ。家庭って、私でも作れるのかなって思うときはあるわね。家庭を作るって、なんか勇者の仕事って感じがしない? 肝っ玉母さんって、映画に出てくるヒーローみたいに、なんでも解決するパワーを持っていないといけなさそう」
「そうなんですかね」
「本当は分からないんだけどね。私のお母さんは、やさしかったなあって記憶の断片しかないから、肝っ玉母さんとはずいぶんイメージ違うし。私が肝っ玉母さんになれるかっていうと、そういうキャラでもないし」
「みんながみんな肝っ玉母さんでもないでしょう。でも、広い意味での大黒柱という意味で、勇者みたいなひとが家庭を支えるというのは分かります」
「そうねえ。そういう意味では、家庭を作りたいっていう気持ちはあるかしらね」
家族とか家庭について、珠美さんと話すことは、この後も何度もありましたが、最初は彼女の身の上話がきっかけで、その時の会話で僕の心は決まりました。
彼女を勇者にしよう、と。国家という巨大な家庭を導く、勇者になってもらおう、と。
しかしそうなると、どうやって異世界の国家、すなわち僕がやってきたローレンシア皇国に送り込むかという問題が生じます。どこかにドアのようなものを作ればいいのでしょうが、僕のアパートの部屋はそれほど大きくありません。壁にドアのポスターを貼って、さあこの先にどうぞなんてのは怪しすぎます。作れないことはないですが。神様なので。
「ちょっと、トイレ借りるね」
「どうぞ」
女性を部屋に招く時には、トイレを綺麗にしておくとよいというのは、誰のアドバイスでしたかね。実際僕も頑張って掃除していて、そのせいかトイレについて珠美さんから厳しいツッコミが入ったことはないですね、いまのところ。
ぴかり。
おや? 気のせいでしょうか、トイレのほうが明るくなっている気がします。
僕は立ち上がり、トイレのドアの前に移動しました。確かにトイレの中が明るいです。照明とは明かに違う光が、明滅しています。
そうか、そういうことか。
僕が心を決め、ここに扉が開いたということなのです。
僕の役目は、勇者の召喚なのですから。
トイレの光が消え、普通の照明に戻り、人の気配が消えました。
珠美さんは異世界パンゲアに旅立ったのです。
もしかすると——。
家の中でどこか他人との距離感を感じていた彼女が、本当に自分の居場所だと思えたのは、トイレだけだったのかもしれません。
こんなこと、彼女に直接聞くことはできませんが。
僕は……間違ったことをしていないですよね、多分。
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