第8話 その3

 僕はアパートに戻りました。


 珠美さんもトイレから出てきて、テーブルの向かいに座りました。


 僕は立ち上がって聞きました。


「お茶、飲みます?」


「……ハーブティーがいい」


「カモミールしかないですよ」


「それでいいわ」


 ティーポットにカモミールのティーバッグをふたついれて、お湯を注ぎました。


「シンちゃんはね」


「はい?」


「前に、結婚したら運命共同体みたいなこと話したじゃない?」


「ああ、そんなこともありましたね」


「本当にそう思う?」


「どうなんでしょうね……。でも、一緒に暮らしていたら、たとえば片方が風邪をひいたときに、もう片方は知らんぷりはしないでしょう。看病しますよね。場合によっては、仕事を休んだりしても」


「一心同体みたいね。でも、それで風邪がうつって共倒れしたら大変ね。一心同体だから、共倒れするのは当たり前なのかもしれないけど」


「みんなで力を合わせれば——みたいなことをよく言いますけれど、みんながみんな、同じことしてたら多様性はないですよね。多様性がないと、同じ病原菌に一斉にやられたりするし、簡単に全滅です」


「そうよねー。でも一丸となって頑張ろうっての、みんな好きよね。運動会も体育の授業も体育会系の部活もオリンピックも、全部そう」


「オリンピック、嫌いな人もいますけどね」


「いてもいいはずよね。参加するほうも、見るほうも」


「力を合わせるのと多様性の否定とは、また少し違う気もしますけどね」


「違うんだけれど、ううん……なんていうのかなあ……、そのふたつって、あっさり転がりそうな気がするの。一緒に頑張ろうねって言っていただけなのが、いつの間にか、私たち運命共同体でしょ? ってなったり」


「ありそうな話ですね」


「そうなのよ。どこかで話がすりかわったりするのよ。まあでも——自分がやらなければならないことは、やらないといけないんだけどね。連帯責任なんかじゃなくて、本人の責任として」


 その通りですね。珠美さんは、その責任を正面から抱えようとするひとですよね。


 そんなことしなくてよいと、僕の立場としては言ってあげたくなるのですが、いやむしろ言わないといけなくて、責任は僕にあると説明しないといけないように思うのですが、だけどそれは彼女の強い心を否定することにもなるような気がします。


 カモミールのほんのり甘い香りが、部屋に満ちています。


 ハーブのひとつであるカモミールには、心を静める効果があるといいます。カモミールのハーブティーで、僕らも心を静めたいところなのですが、ハーブ程度の効果で静まるほど、僕らの心配事はたやすくありません。


 いやいや。


 だいたい、ハーブごときで静まる心の荒れかたって、別にたいしたことないと思うんですよね。これで沈静効果がありますと言われても、ふーんとしか思わないし、実際飲んでも沈静するかといえば、ざわざわとした心の中は決してしずまりません。


 ハーブティーでコントロールするってのは、セルフコントロールの一種であり、本気でやばい精神状態はハーブじゃ無理だと思うんです。


 あ、ハーブって、本来の意味ですよ? スラングのハーブじゃないですよ?


 こんなハーブで落ち着けたなんだから、昔のひとはストレスが少なかったんだろうなと思うわけですよ。


 のんびりした時代だったんだろうなと思う一方で、そんな時代に戻りたいって今の人々は思うのかななどと考えます。こちらの世界はどうにもストレスが多すぎるけれど、科学技術の水準という点では遅れている異世界パンゲアだって、ストレスがないわけではありません。


 たとえば、今回の戦争みたいな。


 今回の場合、ローレンシアは急に戦争状態に突入することになったので、そこでの国民のストレスは非常に強いです。ある程度の準備をしていたとは言え、そして反撃をしようとしない皇女陛下への不満が高まっていたとは言え、実際に戦う段になると話は別です。


 一方、ゴンドワナ帝国は常に戦争をしているので、もしかすると戦争慣れしていてストレスは少ないのかもしれません。それも嫌な話ですが。


 いやでも違うなあ、ビッグマウスさんのやっていることを見て、ストレスが少ないとはとても思えないです。あれでストレス少なかったら、あの男はどこか壊れている。……そうですね、壊れているのかもしれません。


 だとしたら尚のこと、これ以上珠美さんに近づけたくはないですね。


「珠美さん」


「なあに?」


「結婚したら一心同体みたいな件ですけれどね」


「……うん」


「僕は、誰かと一心同体とか運命共同体とか、そういうのはできないと思います。まだその覚悟がないということなのかもしれませんが」


 珠美さんはそれをきいて、ハハ、と笑いました。


「……そうね」


 決して僕の言葉を聞いて落ち込むのではなく、むしろほっとしたようでした。肩の荷が降りたといったところでしょう。だから僕は、今これを言っておく必要があったのでした。


「私もね、同じこと言おうと思っていたの。運命共同体になって共倒れするなんて、何か違うよね」


「そうですね」


「そうよね」


 おそらく僕等が、結婚なんて大それたことをするのは、当分先のことなのでしょう。


 いつかきっと、少しだけ考え方も変わるかもしれませんし、結婚っていう枠組みのほうが少しだけ変わるかもしれません。


 そうなったら、その時に考えましょう。


 それはそれとして。


「もうひとつ、珠美さん。たとえば、なんですけどね」


「うん」


「隣の家と喧嘩をすることになったとして、勝つか負けるかって話になりますよね」


「そうね」


「でも、隣の家なので、どちらが勝っても、収まりは悪いと思うんです」


「わかるわー。その後の付き合いもあるしね」


「勝つ必要はないんじゃないですかね」


「ん?」


「どっちも勝たない——いえ、勝てない状態にしてしまうという方法もあるんじゃないかと思います。方法ではなく戦略として。たとえば、双方が親戚に応援を頼んでいる時、両方の応援が来れなくしてしまうとか」


「なるほど」


「喧嘩すること自体が馬鹿げていますからね」


「そうよね。どっちも頭を冷やしたほうがいいわよね」


「そういうことです」


「そういうことかー」


「あくまで、たとえば、ですけどね」


「うん。でもいいわ、ちょっと役に立った」


「そうですか」


 神様だから見えることもありますし、神様でも見えないこともあります。


 少なくとも、空の上から戦局を俯瞰するに、どちらの軍勢にも弱点があります。


 それを教えるのは神様としてフェアではありませんが、方向を示すところまではやっていいんじゃないかと思います。


 それがローレンシアの神が人間に介入できる、ちょっとしたやり方なのではないかと。


 珠美さんはトイレに向かいました。




 スライド。——神の世界へ。


 人間同士の戦いが一旦引いたこともあり、神々も戦線から離脱しました。重なった紙でたとえると、隙間があいたのではなく、密着していた文字が紙面上を移動して離れたイメージでしょうか。


「だいぶ食われたな」


 空照大神が言いました。


「食われましたか」


「いかにも、食われた」


「肉食ですな」


「いかにも、奴らは肉食だ。身を切られる思いというのは、こういうことを言うのだなと知った」


「食ってどうしようというのでしょうね」


「知らぬ。我らを取り込もうとでも考えているのかもしれんな」


 そうですか。食われましたか。


 食って取り込んで、それでどうしようというのでしょう。こちらの考えていることや、情報を探ろうとでもしているのでしょうか。


 見たところ、ゴンドワナの神はひとの話に耳を貨すタイプではなさげですので、欲しいとしたら情報の線が濃厚ですね。


 情報……これは使えるかもしれません。


 僕の頭の中で、少しずつピースがはまっていきます。


 作戦と呼べるような代物ではありませんが、突破口がありそうな気がしてきました。しかしそれは、誰にも知られないようにしないといけません。


 僕は空照大神に言いました。


「ちょっと皆さんに警告をしておきたいのですが」


「皆さんとは?」


「八百万の皆さんです」


「食われたから、少し減っているがな」


「七百五十万くらいでいいです」


「じゃあ、集めるか」


 そして集まった山のような神々を前にして、僕は説明を始めました。


「ローレンシアの騎士団は増援を求める伝令を走らせました。それを受けて、中央では増援の準備を行っています。まもなく城を出発するでしょう。同じように、ゴンドワナも増援を求めているはずです。すでに、近衛部隊の一部は戦線に参加していますが、更に増やすはずです」


「恐ろしいことだ」


「戦などというものは、のう」


「爺神の皆様、嘆いても始まりません。増援が遅れたら、ローレンシアはピンチです。なんとしても、速やかに増援を前線まで送らなければなりません」


「しかし、我々神は、人間に介入できません」


「その通りです。ただ、守る程度のことはできるはずです。たとえば、ここ——」


 僕は地形の俯瞰風景を共有しました。


「現在戦闘が行われている地域は、周辺の地形が入り組んでいます。ローレンシアの増援が移動する経路の途中にも、狭い道や移動に障害がありそうな場所が何箇所もあります」


「ほう」


「ここは守らねばなりません。ここは急所です。この道を遮断されたら、援軍は戦地にたどり着けません。守る必要があります。守るだけなら、神の仕事としてあって然るべきでしょう」


「まあ、許されるだろう。なあ、空照大神よ」


「許されるだろうな」


「そのへんを、皆さんにはよしなにやって頂きたいのです」


「よしなにか」


「よしなにです」


「では一丸となる神々の尻尾のあたりで、気をつけておくことにしよう」


「うむ、そのくらいだな」


「そのくらいだ」


 神々は口々に「そのくらいなら」「そのくらいだろう」と言い出しました。


 まあ、このくらいでしょう。


「ということを、皆さんに知っておいた欲しかったのです。ありがとうございます、空照大神よ」


「構わん。それよりも、人間たちは、いよいよ追い込まれているようだぞ」


 空照大神が言うように、人間の世界では次の作戦会議が行われていました。


 僕は再び、スライドしてみることにします。



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