第8話 立ち上がる珠美さん
第8話 その1
「できる限りの消毒はしたがな。麻酔は万全とはいえん。そっち、頼むぞ」
騎士団直属の医師が言いました。
ベッドに横になっているのはショーン君で、その横には医師が座り、対面にはセレナさんが座っています。セレナさんの役割は麻酔です。薬草で調合した麻酔薬と、いくつかの針を使った麻酔術とで、ショーン君の左腕の感覚を麻痺させようとしています。
ショーン君とはと言えば、木の枝を口にくわえさせられ、それを包帯で口に固定されています。舌を噛んだり、顎に過度な負担をかけないようにという対策です。
「始めるぞ。目を閉じていろ」
医師が処置を始めました。
ショーン君が受けた左腕の傷は普通ではありませんでした。薬物か、細菌のようなものが塗られていたのか、もともと負傷していた左腕の傷を悪化させ、破傷風になりかかりました。戦場ではこれ以上の治療はできないと判断した医師は、左腕を切断することにしました。
切断です。
こんな戦場の、消毒すら危うい場所で、それでも切ったほうが安全だという判断を、医者はしたのです。
ビッグマウスさんのナイフは、本来なら文官を狙ったもので、ショーン君は身代わりになったようなものです。仮に文官に当たっていたとしたら、彼が同じような目にあっていたでしょう。当たった場所が悪ければ命に関わっていたかもしれません。
「ぐぅっっっ! はっ、はっ、うっ! ぐぐぐぐぐっ!」
ショーン君が悲鳴をあげましたが、口にはめられた枝のせいで、その声は叫びにはなりませんでした。部屋には医師とセレナさんしかいません。騎士団のリーダーが痛みに苦しむ姿を、皆に見せるわけにはいきませんでした。ショーン君が望んだことでした。
骨を断つノコギリの音がします。
数分後、ごとりという音とともに、半ば紫色になった彼の腕が切り離されました。縫合などの後処置が始まります。
「半分だ。この先をミスると感染症になる。我慢しろ」
「ぐぅっ!」
セレナさんは声をかけることもできませんでした。がんばれなんて気休めだってことは分かっていますし、ショーン君は十分にがんばっています。これ以上何をがんばれというのでしょう。
枝のきしむ音がします。ショーン君はそれだけ歯を食いしばっているのです。
セレナさんは肩の針を追加しました。上半身の麻酔は、意識も朦朧とするはずなのですが、この痛みにかなわないのでしょう。いっそ意識を失ってしまったほうが楽になるのかもしれませんが、ショーン君の強い心はそれすらも拒否して耐えています。
開始から一時間が経過して施術は完了しました。
「終わったぞ。しばらく休め。寝た方がいい。消毒がうまくいっているかどうかが鍵になる。医療の神様に祈るんだな」
ショーン君が脱力しました。
騎士団はリーダーであるショーン君を欠いた状態ですが、休むわけにはいきません。アルルさんが主導し、何人かの参謀を配置して、今後の作戦について議論しています。
「現状では我がローレンシアが、敵国側に一歩踏み込んだ状態になっている」
「優勢ともいえるが、敵国を侵略することが目的ではない」
「敵側は一歩引いた場所に陣を敷いている。見合いではあるが、距離が近すぎるな」
「本国へは?」
「伝令は走っている。増援を求めている」
「ゴンドワナも増援を呼んでいるだろう。どちらが先に到着するか……」
「しかし増援が到着したら、本気の戦闘になる。小競り合いでは済まないぞ」
「もう既に引き返せないところにきているのではないか」
「まだだ。増援が到着する前に優勢なバランスにしておき、増援を背景にして、再度和平交渉をするという流れが作れるはずだ」
「賭けに近いな」
「先方に出方にもよる。逆に先方にバランスを奪われたら、こちらは交渉で不利になる。少しだけ有利なバランスというのを維持する必要がある」
「どうする、アルル殿?」
アルルさんは考えました。リーダー不在の今、行動を起こすのは危険です。しかしタイミングを逃したら敗北に向かいます。
議論は、騎士団全員が揃っている場所で行われていました。オープンディスカッションというやつです。
アルルさんは言いました。
「切り込むにも、手が薄いな。ショーンは眠っている」
騎士団の中から、声があがりました。
「勇者殿はいかがか」
「そうだ、勇者殿だ」
勇者というのは、珠美さんのことです。珠美さんに、先頭に立てと言っているのです。
「それは……」
アルルさんは言いよどみます。友人である珠美さんの様子がおかしいことは、十分に分かっていました。その事情までは知りませんが、戦場での彼女の姿は、勇者と呼ぶにふさわしいものの、いつもの友人タマミの姿からはかけ離れていました。
アルルさんは、珠美さんを心配しているのです。
しかし周囲からは勇者を呼ぶ声が次第に大きくなってきました。
今こそ勇者殿の力を借りる時ではないのか。
先の戦闘でも、勇者殿は目を見張る戦績であったではないか。
勇者殿がいれば、我々は勝てる。
勇者殿が。
勇者殿が。
僕は心配になって珠美さんにズームしました。珠美さんはつらい顔をしていました。鬼のような、と言っても言い過ぎではないかもしれません。
珠美さんは戦いたくないのです。だけど、戦わないわけにはいかないのです。
なぜなら、この戦いは自分が引き起こしたと、彼女は考えているからです。
珠美さんはつらいのです。逃げられないのです。
珠美さんがゆらりと立ち上がりました。
「私が、先陣を切ります」
「タマミ……」
「大丈夫よ、アルルちゃん。私は大丈夫。だって……みんな、家族だから」
もちろん笑ってなどいません。つらく険しく固まった表情のどこにも、正義感とか信念とか勝利に向かう心とか、そういったポジティブな要素はありません。ただ虚無に満ちた顔をしていました。
アルルさんが立ち上がりました。
「騎士団に告ぐ。すべては皇女の旗のもとに一丸となれ。我ら騎士団は一体となれ。騎士団はわれら皇国に滅私奉公せよ。一心同体、我々はひとつだ! 勇者タマミに続け!」
騎士団から喝采が沸き起こりました。
僕は苦しくなって、見るのをやめました。
スライド。神の世界に移動します。
空照大神は、八百万あるいはそれ以上の神を前にして言いました。
「我々は、我になる」
「滅私ということか」
「その通りだ。我々神々は、ひとつとなり、ゴンドワナの唯一神であるゴンに対して戦闘をしかける。正面からだ」
「ウイ・アー・ザ・ワールドといったところか」
「それは少し違うが、この際細かなことはいい」
「空照大神よ、話し合いは無理かのう」
「爺神よ、あきらめろ」
「そうか……」
僕はどうすればいいのでしょう。何を信じて、何に従えばよいのでしょうか。
分かりません。
八百万の神の頭目は空照大神ですが、彼が絶対的な権力を持っているという構図ではない我々の神の世界は、命令だから無条件に服従するといったものではないはずです。
しかし今回は「私」を捨てよと言われました。
個である私を捨て、すべての神が一丸となるべしということです。
僕にはそれができるでしょうか。
だけど。
だけど。
珠美さんが戦っているのです。
彼女をひとりで戦わせるわけにはいかないのです。
僕も戦わなくてはならないのです。
正直納得はしていません。これまで多様性を中心に据えてきた我々八百万の神々が、いきなり「ひとつ」になれと言われても、これまでのこと全否定かなどと考えてしまいます。
だけど僕は、他の神々なんか関係なく、珠美さんに対して責任があるのです。
彼女を異世界パンゲアに送り込んでしまった使者の神として、僕は責任をとらなければなりません。
それが戦うことなのであれば、戦いに身を投じましょう。
神の戦いが一丸になることなのであれば、一丸となりましょう。
八百万の神々は今、ローレンシアの唯一の神となるのです。
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