第6話 その4
スライスからスライドし、僕はこちらの世界に戻ってきました。
珠美さんはトイレから出てきませんね。
騎士団は待機指令のままですからね。
念のため言っておくと、待機指令が出ていても「身を清めておくように」という暗黙の了解はあるので、交代でお風呂には入っているようです。騎士団女子部の専用浴場は、二四時間いつでも入れるようになっています。
そこでの出来事については、僕は細かくチェックしていないので知りません。いえ、本当に知らないので、知らないったら知らないのです。
「あらマリさん、最近身体のラインがやわらかくなりません?」
「うわー、やらしー、やらしー」
みたいな会話があったかどうかも、知るところではないのです。
だけど、そのくらいの緩い会話でもないことには、やってられないんじゃないかと思います。待機中なので、家には帰れないし、男子部と女子部との間での連絡もとれません。
さらに言えば、状況が見えません。
詰所で待機しているのは、いわば現場の騎士です。皇女側近、閣僚に混ざって皇国の方針を議論する上級騎士ではありません。
毎日の朝会で、その時どきのゴンドワナ帝国の動きや、皇国側の方針は伝えられますが、質問する時間は設けられません。一方的に伝達されて、おしまいです。
その内容も、常に同じ。
「いまはまだ、耐えよ」
国境の小競り合いは続いているものの、双方に決定的な犠牲は出ていません。民間人は国境は遠ざけているとのことなので、彼らの生活に影響はあるし、消耗戦状態になったら体力があるのはゴンドワナ帝国のほうです。
じりじりという、妙な熱量が、騎士団に間に蓄積されていきます。
——耐えて、待って、国民に犠牲が出たらどうするのか。
——国民を護るのが騎士団ではないのか。
——敵国が威嚇をするのであれば、こちらも軍勢を揃えて威嚇をすればよいではないか。
考えてもしかたがない、むしろ考えてはいけないと知りつつも、騎士の誰もがそのような疑問を内に抱えています。
熱い、夜になりました。
騎士団女子部の詰所では、パチンパチン、カサッカサッとボードゲームやカードゲームに興じる音だけが響きます。みんな無言です。何もしていないのに——いや、何もしていないからこそ、重みを持った疲労だけが蓄積されていきます。
今夜も、この部屋は、重圧で埋め尽くされるのでしょうか。
バタンッ!
「逃げたっ!」
木製のドアが開くのと同時に、憲兵が詰所に飛び込んできました。
「地下牢から、罪人が逃げ出しました! 騎士団の応援を要請します!」
椅子を倒す響き、騎士のほぼ全員が立ち上がりました。手早く装備を整えて、我先にと詰所から出て行きます。
「城内からは出ていないはずだ!」
「多少の傷は構わん! 生かして確保しろ!」
「手加減ったってねえ」
「単独で行動するな! 二人一組になるんだ!」
もちろん詰所を空にすることはできませんから、リーダー役の数人は残ったままですが、それ以外はほぼ全員が出払いました。
残るのは珠美さんと、マリさんです。
「タマミも行こう」
「わ、私は……ここに……」
「探しにいこう。タマミが最初に見つければ、説得できるかもしれない」
「うん……そうか、そうね。行くわ」
逃げ出したのは、ビッグマウスさんです。
確かに珠美さんの説得なら耳を貸すかもしれませんが、そもそもどうして逃げ出す必要があったのでしょう。不思議な点はありますが、そういったことも、珠美さんが話せば分かるのではないでしょうか。
マリさんと珠美さんは、ペアを組んで城内の探索を始めました。
城というからには、城壁があり、城門があります。城壁は高く、外側から登るのは困難であり、城門を閉めれば外部から内側に潜入することはできません。
城壁はひとつではありません。城の本体を取り囲むように、何段階かの壁が作られていて、一番外側の壁がいわゆる都市の壁になります。
夜の間、もっとも城に近い内側の城門は閉鎖されています。同様に、もっとも外側の門も、都市を護るために閉鎖されています。
ビッグマウスさんが収監されていた地下牢への入口は、一番内側の城壁の外にあります。騎士団の詰所も同じ階層にあります。皇族を護るのは、近衛騎士団という上位の騎士がいるので、一般の騎士団は城の外側でよいのですね。
ビッグマウスさんの脱走が発覚した時点で、すべての階層の門が閉じられました。少なくとも階層間の移動は難しくなるので、徐々に探索の範囲を狭めることはできるだろうという作戦です。
騎士団の人間であれば門番の確認を得て門を通過することはできますが、各自の配置が決まった後は、なるべく階層をまたいだ移動をしないようにという指示が出されました。
夜といえども街の盛り場は活気にあふれています。人々の行動に制限が出るのは好ましくないのですが、門番には事実を隠しつつもやんわりと追い返すようにという命令がくだっています。
珠美さんとマリさんは、一番外側の階層に配置されました。珠美さんが自ら進んで外側を選んだようです。ここから逃げ出されると、都市の外。まさに最後の砦です。
配置されたのは、二人だけではありません。容易に想像できるように、外側にいくほど城壁は長くなっていきますから、探索する範囲も広がります。
一〇組の騎士が集められ、担当区画を割り当てられました。微妙に区画を重ねることにより、見落としがないかを相互にチェックするようにしています。
珠美さんとマリさんは、並んで暗い草むらを歩きます。外郭の区画なので、夜ともなればひとけもなくなります。それでいて、人が隠れることができるくらいの木や草は生えているので、考えようによっては、一番危険な場所です。
「タマミは……ね? あの人に肩入れしているでしょ」
「あの人?」
「今、逃げている人」
「ううん、そんなことない……と思うよ」
「そうかな」
「……多分」
「はっきりしないね」
「しないかも。……そうね、はっきりしないね」
「しないねえ。好きなら、牢屋から出てきたら結婚すればいいじゃない」
「す、すすすす、すすすー? け、けけけ、けけけけー?」
「違うの?」
「違うよ、違うよ。そういうのじゃないよ。あ、ほんと、そっちは全然ないから」
「なーんだ、そうか」
「マリちゃん、自分が幸せだからって、世話焼きおばさんみたいになってるよ」
「かもねー。そうね、幸せだと、友達にも幸せになって欲しいって思っちゃうの、前は面倒くさいなって思ってたけど、今は分かるかも」
暗い中、小さなランタンの灯りだけで足元を照らしながら、二人はなるべく小さな声でのお喋りを続けます。
「だけどね、マリちゃん? 最近、ショーン君とのことばっかりになってない?」
「そうなのよ。みんなとの話題も、私がいるとそればっかりになってる気がして、違うよね、それはちょっと違うよね、とは思う」
「いじりやすいのかしら」
「でも『いじる』っていうのも、なんか嫌じゃない?」
「うん、嫌だ。私はマリちゃんに彼氏ができても、一生彼氏ができなくても、マリちゃんだと思うし、彼氏がいるいないでマリちゃんが別の人になるとも思えないし」
「ありがとうね、タマミ。でも、一生彼氏ができないのは嫌だなあ」
「そうね」
そう言ってふたりは、くすりと笑いました。
仕事中だというのに、不謹慎だねなどと言いながら。
怒られないように、内緒にしようねなどと約束しながら。
「……待って」
マリさんが歩みを止めました。
「音。そこの、木のところ。タマミはこれ持ってて」
ランタンを珠美さんに渡し、マリさんは刀の柄に手をかけた状態で、ゆっくりと木立に近づきました。一歩、また一歩。気配を探ります。
シュッという音がしました。
一瞬のことでした。
ゴトリという音とともに、刀に添えていたはずのマリさんの「腕」が地面に落ちました。
え? と思ったマリさんが首をそちらに向けた次の瞬間、彼女の首筋から鮮血が吹き出しました。
首が半分まで切られ、骨が露出しています。
マリさんは、言葉を発することもなく、重力にしたがって倒れました。
絶命しているのは明らかでした。
珠美さんはランタンの灯りの中、一部始終を見ていました。そして一歩も動けず、何をすることもできませんでした。それくらいの、短い時間でのできごとでした。
木立の中からゆっくりと人影が現れます。
小柄な男性は、珠美さんに向かって深々とおじぎをしました。
「ゴンドワナ帝国近衛兵団特殊小隊所属、ビッグマウス・ザ・サウザンドナイブズと申します。改めて、ご挨拶を申し上げます」
珠美さんは抜刀しました。剣の切っ先を、ビッグマウスさんに狙い定めます。
ビッグマウスさんは、両手に短刀を持っていました。いずれも、鮮血に染まっています。
マリさんを殺した、二本のナイフです。
「どうして!」
「ローレンシア皇国は、戦争がお嫌いとのことでしたので、大義名分ができたのではないかと」
「そのために、マリちゃんを殺したの!」
「大事の前の小事という言葉があります」
同じです。デルギット団の団長を殺した時と、同じ理屈——それもゴンドワナ帝国に都合のよい理屈を繰り出そうとしています。
「このまま法の裁きを受けるつもりがあるのなら」
「タマミ殿」
言葉を遮りました。
「法、などというものの、意味がなくなる時代がはじまります」
「ふざけないで」
「タマミ殿、身勝手を承知で具申いたします。……私と帝国に参りませんか。私の立場であれば便宜をはかれます」
「何を言っているのか分からないわ」
「一緒に帝国に戻り、私の妻になって欲しいのです。あなたは聡明な方だ」
「ふざけないでって言っているでしょ!」
珠美さんが剣を振りかざしました。勇者の実力たる速攻で間合いを縮め、ビッグマウスさんの懐に入ります。
横に一閃。
しかしビッグマウスさんは軽い身のこなしでそれをかわし、まるで森に棲む動物のような動きで後退します。
やがて城壁に取り付くと、足がかりを器用に見つけてよじのぼり——内部からの攻撃要員のために、壁の内側には登れる場所が何箇所かあるのでした——城壁の向こうに姿を消しました。
珠美さんだけが残されました。
足元には、血だまりができていました。
それはついさっきまで楽しくお喋りをしていた、友人の血でした。
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