第3話 その2
僕と珠美さんが出会ったのは、吉祥寺の『吉祥寺ドリームゲート』という劇場で、それから何やかんやとあって、いつの間にか珠美さんは僕のアパートに出入りするようになりました。
なりゆき?
そうなんですかね。お互い付き合っている相手がいないというさぐりをいれて、それがうまいこと噛みあって、ああそうなんだ、そうなんですね、ってことで、一応順序とか段取りとかを踏みつつも、自然な流れで。
自然な流れ? ええと、ひとまず自然な流れということにしておきましょう。
ここまで自然な流れで来たら、その先も自然な流れになっておかしくない、と思うわけですよ。
小さな部屋で、小さなこたつを挟んで座る二人。みつめあう目と目。絡み合う視線と視線。どちらからともなく顔が近付いていき、そして二人は……。
そして二人は……。
そして……。
ないですねえ。ならないですねえ。
どういうことなんでしょうか。まったりしすぎですよ。
「ああ、ここのアパートくると安心するわー。自分の家ももちろん落ち着くんだけど、シンちゃんのアパートは、別格の落ち着きがあるわよね」
「落ち着いているのは、珠美さんだけですけれどね」
「あら、シンちゃんは落ち着いていないの?」
「ええ、僕は珠美さんと一緒にいるとドキドキしっぱなしです」
みつめあう二人、そして二人は……。来るかな?
「それはエキサイティングね」
そっちのドキドキでしたか。
「違います」
けらけらと、珠美さんは笑いました。
その後、テーブルの上に持ってきたクッキーを広げ、「どうぞ、召し上がれ」と僕にも勧めてくれました。僕がそれをつまんで食べていると、珠美さんは僕の倍くらいのスピードでクッキーを消費していきます。
「珠美さん」
「なあに?」
「半分ずつじゃないですかね」
「早い者勝ちよ」
「そうですか」
かくして、クッキーのほとんどは珠美さんの胃に収まり、僕は僕でちょっと甘いものを食べれた幸せを噛みしめました。
珠美さんが立ち上がります。
「ちょっと、トイレ」
「珠美さんは、いつもトイレで何をしているんです?」
「そういうのは、女子には聞かないものよ。男子だって、トイレで何をしているのか聞かれたら嫌でしょ?」
「男子は、トイレでひとりでエッチなことをしています」
すると珠美さんは顔を赤くしました。
「馬鹿ッ!」
トイレのドアが閉まる音がしました。
異世界パンゲアの四大国のひとつ、ローレンシア皇国の皇国騎士団では、武闘大会が一大イベントでして、今がまさにその武闘大会の時期です。
騎士団には女子部と男子部がありますが、武闘大会は男子部のみの参加です。では女子部は武闘をしないのかというと、日々の訓練は怠っておらず、いざ戦いになれば、男子部と拮抗します。
それなのに武闘大会は男子のみ。
何故かというと、文化的な背景というのがありまして。
腕っ節を競い合うのは男子の仕事で、女子はいざという時に強さを見せればいいという文化なんですね。こっちの世界だと、ジェンダー論方面から色々つっこまれそうなんですが、ローレンシア皇国はそういう文化なのです。
それでは武闘大会の間、女子は何をしているかというと、狩りです。男狩り。またの名を、男漁り。
「さすがに、予選も通らない騎士は、なあ」
アルルさんが、ばっさりと切り捨てました。場所は、騎士団女子部の詰所です。
「でも、この前の人みたいな痴漢もいますし……」
こちらはセレナさん。今日も綺麗ですね。そして正論。
「ショーンの悪口言わないでよっ」
マリさんが反論します。おや、彼との関係は続いていたみたいですね。この前の覗き、いや、その後のタオルはらり事件が尾を引いていないのでしょうか。それともタオルはらりで、むしろノックアウトされた口でしょうか。
「マリちゃんは、やっぱりショーンさん押しなの?」
珠美さんは、やはりその後の話が気になるようです。
「押しっていうか、買ってはあるけどね」
マリさんが見せるのは、数枚の勝騎士投票券。簡単に言うと、女子部で行われている武闘大会の博打ですね。
「ねえねえ、これどうして馬券って言うの?」
「だって、別名勝馬投票券だから」
「馬?」
アルルさんのあっさりとした答えに、珠美さんは意味が分かっていません。マリさんが珠美さんの耳に口を寄せて、ごにょごにょと説明し始めました。
「えーっ!」
ごにょごにょ。
「きゃーっ!」
ごにょごにょ。
「うひょーっ!」
ごにょごにょ。
「ひぃぃぃぃぃっ!」
なんか変なことを吹き込まれている気がしてならないのですが、珠美さんの顔は再び真っ赤になり、黙り込みました。
「みんなも買っているんでしょ?」
マリさんの問いに、アルルさんもセレナさんもカードを出しました。
「マリには悪いけど、ショーンはないなって思ったから、五番から流して買った」
「私は、ショーンさんも買いましたよ。あとは一三番の人の筋肉が素敵で……」
「肉!」
あ、珠美さんが復活しました。
「タマミは?」
「いやあ、私はこういうのなんか苦手で」
「応援している騎士はいないの?」
「応援しているのは一番の人なんだけど、ギャンブルってあんまり好きじゃないのよね。もし当たったらどうしようって、欲が出ちゃうのが、自分としてはちょっと嫌」
「でもさー、タマミ。縁起物みたいなもんだよ。私らだって別に金儲けでやっているんじゃないし」
「そうですよ……。験担ぎでしょうか……」
「願掛けみたいな?」
「うん。そういうの分かるから、逆にここで運を使わないほうがいいかなって思って」
一同、しばらく不思議そうな顔をしますが、やがて思い出しました。
「ああ」
「あの人のことですね」
「もうすぐだっけ」
そうでした。ビッグマウスさんの裁判が、もうすぐ始まるのでした。
珠美さんが石造りの階段を降りていきます。外は明るいのに、小さな採光窓からしか光が差し込まない地下の部屋です。
カツーン、カツーンと足音が響きます。珠美さんの他、歩く人はいません。
なにせここは、地下牢への通路ですから。
カツーン、カツーン。音は下へと落ちて行きます。足もとの空気は外気よりも涼しく重く、足音はその冷たい空気の流れに沿って階下に向かっていくようです。
突き当たりにある扉の鍵を開けました。その先には同じような石造りの通路が延びていますが、通路の両側には小さな部屋が並んでいます。
——牢です。
幸いにもローレンシア皇国は平和なので、この地下牢が満員になるようなことは滅多にありません。入っているのは、詐欺師がひとり、食い逃げがひとり、殺人犯がひとり。殺人犯というのは、ビッグマウスさんです。
「面会とは強縮です」
地下牢の中でも礼儀正しいビッグマウスさんでした。
「もうすぐ裁判って聞いたわ」
「初回の公判です。私のような外部の人間にも、弁護人を立ててくれるとは、この国の裁判制度はとても整っているのですね」
「皇女様はフェアであることを信としています」
「なによりです」
「弁護人から、ビッグマウスさんは何も反論しなかったと聞きました」
「騎士殿が報告したことは、事実の通りでしたから」
「それでも、ビッグマウスさんなりの信念はあったのではないの?」
「買いかぶり過ぎです、騎士殿。私は盗賊の長を殺害し、その事件そのものを隠蔽しようとした。そればかりか、騎士殿を篭絡して逃げようとした。事実その通りです」
「私は篭絡されてないわ」
「ええ。誤算と言えば誤算ですが、そうなるかもしれないという予感は、騎士殿と初めて対面した時からあったのかもしれません」
「私は鉄の女と呼ばれているからね」
「重さという意味でですか」
「……ビッグマウスさん、言うようになったわね」
「強縮です」
「まあいいわ。裁判をやる以上、公正な判断が行われるはずです。だからビッグマウスさん……最後まで頑張って」
「強縮です。……わざわざそれだけを言いに?」
「ええ、そうよ」
「本当に……騎士殿を篭絡できていれば、それが一番良い解決方法だったのかもしれません」
「無理よ」
「ええ、存じています。騎士殿が愛する殿方に、よろしくとお伝えください」
「そ、そんな風に改まって言われると、ちょっと恥ずかしい」
「恥ずべきことではありません」
「そうだといいんだけど」
珠美さん、珠美さん、そういうのは恥ずかしいではなく、照れるというのが正しいと思いますよ。僕のことを好きだというのが恥ずかしいというのは、ニュアンスとしてどうなのでしょう。
珠美さんが地下牢を後にしました。その背中に向かって、ビッグマウスさんは、ずっと敬礼をしていました。……ん? 敬礼?
何か僕の心にひっかかるものがあったのですが、戻らないといけません。珠美さんがトイレから出てきます。
「よろしくだって」
「何がですか」
「何がかしらね」
「いきなりよろしくというのは、意味が分かりませんね」
「私もよ。小さい頃にね、親戚の叔父さんなんかから、『お爺さんによろしくね』みたいなことを言われることがあったんだけど、よろしくって何だろうってずっと思っていたのよね」
「それでどうしたんですか」
「とりあえずお爺さんに、『よろしくだって』って伝えてはいたんだけど」
「その気持ちが大事なんだと思います」
「でも、その叔父さんがよろしくねって言ってくるのって、選挙の時だけなのよね」
ああ、それはまずい。それはまずいよろしくです。あまりよろしくしないほうが良いタイプのよろしくです。
「お爺さんも大変でしたね」
「苦い顔をしていたわ」
そうでしょう、そうでしょう。珠美さん、なかなかに複雑な親戚関係のようです。結婚の時にはちょっと苦労するかもしれませんね。ああ、結婚相手は僕の可能性が今のところ高いのでした。……どうしたものかなあ。
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