第3話 あの時の、珠美さん

第3話 その1


  僕と彼女の、出会いの話をしましょう。




 神様というのは、求められて生まれます。——少なくとも僕の国では。


 ローレンシア皇国の価値観では、道端の石ころにも神様が宿っています。しかしそれは、「なるほど、ここには神様がいるんだな」と人々に認識されて、初めて神様として成立すると、僕は考えています。


 当の人々は、もしかしたら神様は最初から存在していると考えているかもしれませんが、神様である僕自身の理解は、少し違います。


 誰かが道端の石ころに神様が宿っていると認識し、そう考えることで精神の安寧を得る人が存在することで、そこに神は宿り活動を始めます。


 つまり、神様の誕生です。


 そのことを理解しているから、僕を含めたすべての神様は、人々に感謝することを忘れません。ああ、みんなが自分を必要としてくれているから、自分は神様でいられるんだな。そういう感覚です。


 人々は、勇者を望みました。


 パンゲアの国々の力のバランスは、現在非常に難しい問題を抱えています。パンゲアは、四大国と呼ばれる、ローレンシア、バルティカ、ゴンドワナ、シベリアに加えて、いくつもの小規模国家から構成されています。最大規模は我々ローレンシア皇国ですが、第二勢力であるゴンドワナ帝国がこのところ力を増しており、周辺諸国を取り込もうと画策しているという噂が流れています。


 ローレンシアが動けば、ゴンドワナを刺激することになります。


 皇女フローレンスは、国民に堪え忍ぶことを求めました。戦いを求めてはならないと。


 戦いは消耗をもたらします。皇女陛下は、この世界パンゲア全体の富が、十分にはないことを理解していました。もっともっと世界が発展し豊かになれば、戦争が引き起こす消耗にも耐えられるかもしれません。しかし今の世界の富の規模では、戦争は世界全体の終末を意味すると、陛下は考えたのです。


 皇国にも騎士団はいます。


 しかし、それは国を護るための騎士団です。他国を攻めるための騎士団ではありません。


 人々は、自らの国の騎士団を信じてはいたものの、不安を消すことはできませんでした。


 そして、勇者を望みました。


 誰か、この国が護られることを保証してくれるような、そんな優れた勇者はいないものか。


 皇女フローレンスは、臣民の声を聞きました。そして勇者を望みました。


 こうして、僕が生まれました。


 異世界で勇者を探し、パンゲアへと導く役割の神である、僕が出現しました。


 命ぜされて出現した場所は、——東京都吉祥寺でした。




 気がつくと、僕は小さな劇場の中に立っていました。


 後ろのほうの通路、舞台に向かって右手寄りです。劇場の中は暗く、前面のステージは演劇が進行しています。幕の途中に、僕は出現したのでした。


 暗闇の中、ステージだけが明るく照らされています。


 ステージの上では、何人もの俳優さんが、演じていました。よく通る声でセリフを喋っています。舞台俳優さんの声というのは、一種独特の響きを持っています。何より、艶があります。


 観客席は半分くらい埋まっているでしょうか。満員でないところからすると、チケット争奪戦が起こるような人気劇団の舞台ではなさそうです。


 しかし、素人目に見ても、魅力的な舞台でした。特に脇役を固める俳優さんがとてもよい味を出していました。主役の男女ふたりは若手のようでしたが、まだまだ成長するでしょう。


 なんて偉そうなことを考えてみたり。


 舞台が終わり、照明が戻り、観客たちはざわっとした空気を取り戻し、ひとり、またひとりと劇場から出ていきます。


 最後に残った女性がいました。彼女は舞台の正面中央、前から三列目の席で、立っていました。隨分長い時間、舞台のほうを見ていました。まるで、幕が降りた舞台の上に、俳優が残した何かがあるかのようでした。


 女性がようやく劇場から出ます。僕もなんとなく、彼女の後を追うようにして、劇場を出ました。


 外は雨でした。


 女性は入口に立っています。傘は持っていないようでした。


 僕は彼女から二メートルほど離れて、同じ様に立ったまま、雨が降るのを眺めていました。


 突然、彼女がぽつりと言いました。


「あなた、村上春樹は知っている?」


「村上春樹……。有名な作家ですね。デビュー作は『風の歌を聞け』」


「読んだことはある?」


「はい、何作かは」


 僕は淀みなく答えていました。同時に、ああこの世界に生まれた僕は、こういう設定なのか、と思いました。村上春樹を何作か読むくらいの、普通の青年っていったところでしょうか。


「村上春樹を読んだ後って、自分が村上春樹になった気分になるじゃない?」


「口調や書く文章が、妙に村上春樹っぽくなったりはしますね」


「そういうのって、強烈な作家性って言えるんじゃないかしら」


「そうですかね」


「そうよ。普通の小説だと、登場人物に自分を重ねたりするじゃない? 村上春樹の作品を読んでいる間、読者は村上春樹に自分を重ねるのよ。読者は村上春樹になるの」


「分かるような気がします」


「そこが村上春樹のすごいところよね」


「今回の上演は、村上春樹が原作なんですか?」


「ううん、全然」


「それではどうして」


「主役の、山田晃太さん」


「ああ、今日の俳優さんですか」


「彼の演技が好きなの。彼の演技は、登場人物に感情移入するのともちょっと違って、演じている彼に感情移入して、彼の目線から登場人物や舞台、世界観を読み解こうっていう気持ちになる」


「それは役者としては、どうなんでしょう」


「でも他にそういう役者さん、いないのよ?」


「作家性みたいなものですか」


「役者性?」


「好きなんですね、山田さんのこと」


「うん。大好き」


「僕は、そういう強い気持ちを持つことが、嫌いじゃないです」


 ふふ、と彼女は笑いました。


 この時になって、僕等は外の雨を見ながら——つまりお互いにそっぽを向きながら会話していることに気づきました。


 彼女のほうを見たら、彼女も僕のほうを向きました。そして右手を差し出しました。


「室伏珠美です」


 僕も右手を差し出しました。


「神野弾十郎です」


「芸名みたいね」


「芸名かもしれませんよ?」


 再び、雨の街並みに目を移します。


「走ろうっか?」


「走っちゃいますか」


 僕と珠美さんは、握手した手を一度離して、手をつなぎ直しました。えいっと、雨の中に駆け出します。


 ふと振り返ったら、劇場の看板が見えました。


『吉祥寺ドリームゲート』


 それが劇場の名前で、僕らが出会った場所の名前でした。




 神様という職業は、楽勝なものです。なにせ、自分の行いを評価する人がいないのですから。あえて言えば、人民ですが、信者というのは基本的に神様大好きっ子の集まりです。全肯定。それはもう、全肯定。


 とは言え、慢心していると反乱が起こったりするんですけどね。


 神は死んだとか言い出したり。


 あ、ちなみに神は死んだとか言ってたあの人ですが、彼は別に本当に神様をディスっていたのではなくて、当時の教会をディスっていたんですね。彼自身は敬虔な信者だったからこそ、こんなことではいかんと、教会の現状に不満があったのでしょうね。


 そうは言っても、僕程度のレベルの神様ですと、そんなに信者もいないかわりに、反乱が起こることもありません。そもそもローレンシアの神様というのは、あらゆるものに宿る存在なので、ひとりひとりに対して強い信仰を持たれているわけではないのです。


 そんな感じでいいんじゃないかと思いますね、僕は。責任も重くないですし。


 これがガッツリ信者が大挙して立ち上がるようだと、神様の責任というのも大きなものになって、周囲からは何だあいつっていう冷めた目で見られたりするものです。神様同士の付き合いってのもあるので、大変です。


 そうなんですよ、神様というのは誰からの批判も受けないかわりに、誰からの評価もないので、神様の間での序列というのが、難しいのです。


 たとえば会社を考えてください。


 係長、課長、部長、などなど。能力評価をする人がいて、序列が決まります。これが社長だとどうなるでしょう。取締役会で選出されて、株主総会で承認されるのが株式会社の社長ですが、小さな会社ともなれば、誰も社長を評価したり批判したりできないっていうところもあるんじゃないでしょうか。そうなると、社長というのは誰がその価値を決めるのでしょう。


 そんな社長が寄り集まったりしたら、どうやって順番を決めるのでしょうか。


 会社の場合は、業績という分かりやすい指標がありますが、神様の場合は?


 信者たちの数とか、彼らの豊かさってのは考えられますが、明確な指標とは言いにくいですね。


 そんな感じでして、神様同士の順序関係というのは、なかなかに微妙です。


 僕はローレンシアの神様の中でも末席のほうでして、言うなればこっちの世界に出向しているようなものなので、あまり発言力はないのですが、個人的な意見としては別に神様と神様を比較してどっちが上とか下なんで、馬鹿げていると思いますけどね。


 自分が相手している人々が、幸せに暮らせていればいいんじゃないかな、と。


 僕は、こっちの世界で勇者を探して導くのが仕事なので、僕が見つけた勇者——珠美さんが幸せなら、それでいいです。


 本当、それだけです。


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