第1話 その2
珠美さんの作戦が始まりました。
問題は、メンバーが珠美さんひとりだけということです。
プロジェクトマネージャがひとりで、プロジェクトメンバーがひとり。非常に効率的ですね。なにせ管理する必要がないのですから。
じゃあ、何が問題かというと、「だらける」ということです。
ああ、ほらほら、珠美さんがカフェでお茶を始めました。珠美さんは騎士である以前にこちらの世界の女子大生ですから、カフェで季節のフルーツを使ったパティシエお勧めのタルトを食べながら、紅茶を飲むのが大好きです。こういう時の紅茶は、アールグレイだったりします。個人的には、お菓子と合うのはアッサムとかセイロンだと思うのですが。
お茶を飲みたいのですよ、彼女は。
お茶を飲んでいる自分にうっとりしているのですよ、女子大生ってのは。
そういうのに付き合うのを、誇らしげに思ったりするんですよ、そこらの男子は。
どうして大学生の男子とか女子ってのは、お茶したがるんでしょうね。ラーメンでいいじゃないですか。ラーメンなら、がっつりからあっさりまでバリエーション沢山。さっと注文して、がっと食べて、すっと立って出て行く。
……会話ができませんね。
あの手の大学生は、お茶をしたいのではなくて、お茶を飲みながらお喋りをしたいのでしょうね。しゃべり場に出るほどではない程度の内容のお喋りを、たるらたるらと続けたいのでしょうね。
はいはい、たるらたるら。
その気持ちは分かるのですが、珠美さんがのんびりしていると、村長の娘がどうかなってしまうのではないかと、僕は心配です。置き手紙にも期限が……書いてないですね。指示を出す時は、期限を明記するべきだと思うんですが。
僕なんかバイト先でいつも言われるのが、何か仕事を頼まれたら、いつまでにやればいいのか、優先度はどのくらいかを必ずメモしておくようにってことなんですけどね。異世界は緩いですね。神様の僕が言ってはいけないのかもしれませんが。
これは少しつっついたほうがいいかもしれませんね。村長さんに監視役をつけてもらうことにしましょう。……よいしょ、っと。
「え? どちら様?」
突然眼の前に現れた男性に、珠美さんは顔を上げました。
「村長から言いつかって参りました。私、ビッグマウスと申します」
「ビッグ? 大きい?」
珠美さん、何かを言いたそうです。
「私が小男であることは否定しません。だからと言って、すべてが小さいとは限りません。意外とビッグかもしれませんよ?」
「んー? どういうこと?」
「騎士殿は、おぼこであらせられる。ともあれ、私が貴殿の仕事ぶりを村長に報告しつつ、道案内などのお手伝いをさせて頂きます」
「うー。お目付け役かー」
「そう受け取って頂いても構いません」
「しょうがないなー」
珠美さんはよっこらしょと大きな声をあげて、立ち上がりました。女子大生の皮はここに脱ぎ捨てていくようです。
「ちょっと、お化粧直してくるねー」
そうでもないようです。
ビッグマウスさんも大変ですね。
「ねー。デルギット団ってどういう団?」
「盗賊団でございます、騎士殿。この界隈では有名な盗賊団で、一部では義賊とも呼ばれていますが、すべての義賊がそうであるように、見方によります」
「ビッグさんはどう思うの?」
「個人的な見解は持ち合わせておりませんでしたが、今回の件で変わりました。村長のように小さな村を堅実に守っていらっしゃる方の娘さんをかどわかすなんていうのは、義賊の仕事とは思えません」
「悪人ってことかー」
「御意」
「そうよねえ。娘さんの寝室に夜中に忍び込んで、しかも誘拐するんだものねえ」
「そこに義はありません」
「そうねえ」
「許してはおけません」
「……あ!」
珠美さんは大声を出して立ち止まりました。
「な、何か?」
「ビッグさん、もしかして村長の娘さんのことが好きで、義憤というか嫉妬しているとか?」
「勝手ながら、お嬢様のような美形の女性は、私には身分不相応と心得ております」
「タイプじゃないのね」
「そう受け取って頂いても構いません」
「そっかー」
確認だけすると、珠美さんは歩き出しました。止まったり歩いたり、忙しいです。ちんまいのが二人並んで、止まったり歩いたりしているので、リモコンのアンテナでも背中についていないか確認したくなります。
あ、僕がビッグマウスさんを操作しているのではありませんよ?
僕は派遣を依頼しただけです。派遣の場合、作業指示は派遣先から直接出るものです。バイト先の派遣さんなんか、そんな感じです。誰に雇われているのか、よく分かりません。大学生の僕には、不思議でありませんが、色々な働きかたがあるのですね。
さてさて、置き手紙を思い出してみましょう。トラスト山に来いと書いてあります。
「トラスト山って、どこだったかしら」
「騎士殿、こちらに地図が」
「えー、私、地図見ても分からない。スマホとかないの?」
「ス・メイ・フォ? ……なんでございましょう」
「もういい。案内してくれる?」
「もちろんで、騎士殿」
トラスト山は、村の北東にあります。森林地帯を抜けた先の、それほど高くない山です。山は岩だらけで植物が少なく、上って来る者は簡単に見つかるでしょう。姿を隠すものがないのですから。
そんな山を上るのは、容易なことではないでしょう。
珠美さんたちも作戦を練っているはず……その前に、森林地帯がありました。この地域の気候は温暖なので、こちらの世界で言うジャングルという雰囲気ではありません。日本の山林にむしろ似ています。猿がいるところなんか、そっくりです。
猿です。猿が襲ってきます。
「きゃあっ! 剣! 剣とられたー!」
「お静かに。奴らが興奮します」
言うが速いか、ビッグマウスさんは懐から短剣を取り出すと、猿に向かって投げました。短剣は猿の脇を通過し、木の枝に刺さります。驚いた猿は、盗んだ珠美さんのロングソードを落しました。
「ふぅー、よかったー」
「お気をつけ下さい。騎士殿」
「ありがとうね、ビッグさんっ!」
「大したことではございません。先を急ぎましょう」
このビッグマウスさん、意外と腕が立つようです。短剣の使い方が、ただ者ではありませんでした。これなら珠美さんも大丈夫でしょう。
「ビッグさんって、カッコいいねっ」
「お戯れを」
ちょっと心配になってきました。珠美さんの様子を、よく見張っていないといけません。目を離さないようにしましょう。
珠美さんというのは、僕のような人間と付き合ってしまうくらいなので、男を見る目については「物好き」と言ってもよいでしょう。自己申告しますが、僕はモテる系男子ではありません。どちらかと言えば、モテない系男子でしょう。まったくモテないかと言うと、それほどではなく、神様というくらいでそれなりにあっちの世界ではモテると思うのですが、こっちではさっぱりです。多分色気の波長があっちとこっちでは異なるのでしょう。色気が電磁波の一種だと仮定してですが。
もしかすると、色気はアルファ線やベータ線やゲッター線みたいなものなのかもしれませんが、ガガガ・ガガガガ・ガオガイガーしていない僕の勇者王では、そこまで測定できません。
言ってみたかっただけです。
珠美さんとビッグマウスさんは、森を抜けました。ここからが、難関です。
「騎士殿、岩を影にして渡り歩きながら、頂上まで駆け抜けることはできますか」
「うーん、あんまり走るのは自信ないなー」
「僭越ながら、私が囮になります。敵の攻撃の合間を縫って、頂上まで走ってください。騎士殿ならできると愚考します」
「うん。頑張る」
言うだけのことはあり、ビッグマウスさんの動きは見事でした。どこに隠し持っていたのでしょう、次々に短剣を取り出すと、頂上めがけて威嚇のために投擲します。その度に敵の攻撃——距離的に飛び道具ですから、弓矢とか槍とかの類ですが、盗賊はこの手の武器は得意でないみたいです——が止まるので、珠美さんは頂上目指して走ります。
頂上に近づくと接近戦になりますが、こちらは珠美さんの得意分野。勇者というだけあって、珠美さんは実は強いのです。ただ、大勢の敵に囲まれるとパニクって訳が分からなくなるだけで、順番に戦うのであれば、得意のロングソードを振り回し、次々と敵を倒していきます。もちろん、ビッグマウスさんの身のこなしも見事なものです。
「やめろ!」
突如、太い声が響きました。盗賊デルギット団の頭領の登場です。
「あなたが、ボスね!」
「我が名は、モスエ・ド・デルギット。デルギット団を率いている」
「村長の娘を返しなさい」
「金は持ってきたか」
「へ?」
ビッグマウスさんが、珠美さんに耳打ちします。どうやら珠美さん、本来の手段を忘れていたようです。
「お金を要求するなんて、ひどい奴!」
「待て、小娘。いきなり乗り込んで俺の部下をなぎ倒すほうが、ひどいと思わんか」
「身代金のことを忘れてたのよ」
ああ、言っちゃった。
「して、金は」
「ここにあるわ。三〇〇〇〇G相当の金よ」
珠美さんは、懐からインゴット——いわゆる金塊を取り出しました。というか、そんなものを懐に入れたまま戦っていたのですね。敵にしたくないですね。
金というのは、もちろんこちらの世界でいうところの金という金属で、あちらの世界では別の物質——物質と呼んでいいのかも難しいですが——を指します。しかし、非常に重い点では同じです。
珠美さんはそのインゴットを、ピラミッド状に積み上げました。
「金か……」
「偽物なんて小賢しいことはしないからね」
「いいだろう。……おい、娘を連れてこい」
頭領が指示を出すと、しばらくして子分が少女を連れてきました。
「お嬢さま!」
「ビッグマウスさん。あなたが助けて下さったの?」
「いえ、こちらの騎士殿の力です。私はお手伝いをしたまで」
「そんなあ、ビッグマウスさん、大活躍でしたよー」
そんな和やかな会話が始まる中、盗賊頭領のモスエさんは、床にあぐらをかいて、三人の様子を眺めています。なんでしょう、このまったりとした雰囲気は。
「なあ、あんたら」
頭領は三人に話しかけました。
「そのお嬢さんを取り戻したとして、一週間後に俺がまた誘拐して身代金を要求したらどうする」
「その前にあなたを捕まえるわ!」
「できないだろ? 俺は盗賊団の頭領で、俺を捕まえて騎士団に差し出したりしたら、部下の盗賊連中が黙っちゃいない。それとも、全員捕まえるか? 百人近い盗賊をどこに閉じ込めておく? それとも全員打ち首か?」
「それは……」
「結局あんたらは何も解決できない」
珠美さんが言葉に困っていると、ビッグマウスさんが切り出しました。
「ならば相談があります。この身代金を持って、この地を立ち去っては頂けないでしょうか?」
「それは取り引きのつもりか」
「騎士殿と私が本気で戦えば、盗賊団を全滅……とまではいかなくても、半数以上を倒すことはできます。なにより真っ先にあなたを狙うでしょう。あなたがこの地をを立ち去ってくれるのであれば、我々も同じく村に戻ります。事を荒立てない、それが取り引きの条件です」
「ふうむ」
ビッグマウスさんときたら、ここに来てビッグマウスの本領発揮です。でかい口を叩きだしました。しかし、頭領はその条件を本気で考えているようです。
「いいだろう」
おや、条件を飲んだようです。
「この金を持って、俺たちはショバを移すことにする。あんたらには迷惑になるまい」
「分かって頂けて恐縮です」
「そうとなれば乾杯だ。丁度最高級のコーヒーがある。お嬢さんがたもどうだい?」
「いえ、できれば私たちは紅茶のほうが」
「用意させよう。兄ちゃん、あんたは俺の部屋に招待しよう。貴重な山羊コーヒーだ」
ちなみに、コーヒーというのはこちらの世界での表現です。当然のように。製法はコーヒーと似ている飲み物ですが、植物の種類はまったく異なります。山羊コーヒーというのは特殊な製法で作ったコーヒー豆ですが、実は同じようなものはこちらの世界にもあります。山羊コーヒーは、まず果肉付きの豆を山羊に食べさせます。この山羊はオリーブの葉を主に食べさせています。あ、このオリーブというのもこちらの世界でたとえればオリーブというだけで、あっちの世界では……だんだん面倒になってきました。
コーヒーは、山羊の消化器の中で発酵し熟成されます。そして糞になって出てきます。驚いたでしょう。コーヒーの豆は殻に覆われているので、消化されないのですね。糞の中からコーヒー豆を取り出して洗って乾燥させて、あとは普通に焙煎し抽出します。ちなみにこちらの世界では象に食べさせたりするそうです。ギガジンに載ってました。
そんな貴重なコーヒーを、この盗賊はふるまってくれるというのです。どうせ盗んだ物だろうとは思いますが、ビッグマウスさんはご相伴に預ることにしました。二人は屋敷の奥に消えていきました。
一方、珠美さんと娘さんは、盗賊の手下が用意してくれた紅茶でティータイムです。
「騎士様も大変でしょうね」
「お嬢さんも大変でしょうね」
などと、お互いのことを気づかいながら、心の底ではどうでもいいと思っている女の会話を交わしながら、一時間ほどが過ぎた頃でした。
盗賊の屋敷の奥から、ビッグマウスさんが走ってきました。そして小声で珠美さんに告げます。
「大変です。頭領が殺されました」
途端、珠美さんの顔が険しくなります。同じく小声で答えました。
「どういうこと?」
「部屋のほうに。盗賊連中には見つからないように」
「分かったわ」
ふたりはさりげなく立ち上がり、娘さんには「ちょっと待ってて」と言い残して、屋敷の奥に移動しました。
移動した先は、頭領の私室です。
頭領が仰向けに倒れていました。胸から大量の血を流しています。傷口がさほど大きくないようなので、刃物で突かれたのかもしれません。テーブルには乾燥させた果実と、コーヒーのポットが、ランプで熱せられていて沸騰しています。危ないですね。火を止めないと。あとは柱の近くに散らばったロープが目につくところでしょうか。
しかし不覚でした。僕は珠美さんの動向ばかりに注目していて、ビッグマウスさんたちの様子に注意を払っていませんでした。神様である僕ですが、さすがにふたつの場所を同時に見ることはできません。頭領の私室で起こった事件までは目が届きませんでした。
ビッグマウスさんは状況の説明を始めます。
「頭領がコーヒーを沸かし始めて、すぐのことでした。頭領の部下が二人現れて、頭領と何かを話し始めました。小さな叫び声が聞こえたので、私が顔を上げると、すでに頭領は刺されていて、仰向けに倒れて絶命しました。その後、私は二人にロープで縛られて、柱につながれていました。どうにかようやくロープを切って逃げ出して、騎士殿の所に参った次第です」
「その間、他の盗賊は来なかったの?」
「来ませんでした。ですから、頭領が殺害されたことは、まだ盗賊の間には知られていないはずです……犯人の二人を除いては」
「その二人の顔は分かる?」
「申し訳ありません。なるべく顔を合わせないようにしていたものですから」
なんとしたことか、いきなり殺人事件になってしまいました。こういうの、珠美さんは苦手だと思います。
案の定、彼女はうーんと唸り始めました。
「騎士殿、ここは頭領の死体を隠して事件の発覚を遅らせて、我々は逃げるべきではないかと思います」
「うーん、それは気持ち悪い−」
「では、どのように」
「待って、待って、考えるわ。考えるけれど、うーん」
珠美さんは、しゃがみこんで、頭を抱えてしまいました。
実際、どうしたものでしょうね。
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