第1話 その3
彼女がトイレから出てきました。
本当です。
トイレから出てきた珠美さんは、テーブルの僕の向かいに腰を下ろしました。
「あー、気持ち悪いわー」
「どうしましたか」
たとえばの話なんだけどね、と前置きして、彼女は殺人事件の始終を説明してくれました。
「どのあたりが、気持ち悪いですかね」
「村長の使者の人の不手際が多すぎるのよね。あの人、優秀に見えるのに。まず、犯人の顔を覚えていないってのが考えにくいし、あれだけ懐に短刀を隠し持っているのだから、ロープからの脱出だってもっと早くできていいと思う」
「なるほど」
「目撃者か容疑者がいれば、問い詰めることもできるのになあ。誰が容疑者かも分からないのよね」
「使者の人が盗賊の子分を順番に見て、かすかな記憶を掘り返してもらうというのはどうでしょう」
「子分には頭領が殺されたことを知らせるわけにはいかないのよ」
「それはそうですね」
「そうなの。どうなると事件が解決するのかが分からないのも、気持ち悪いのよ」
彼女はテーブルの上に顎を乗せて、目を閉じています。必死に考えながら、喋っているようです。鼻の穴にドライバーでも突っ込んでみたくなりますが、確実に機嫌を損ねるのでやめておきましょう。
「ぶっちゃけ、殺されたのが盗賊のボスだからっていう気持ちもあるんですかね」
「そういうの、嫌だわ」
「そうですね。珠美さんは、そういう人ですね」
彼女が潔癖症かというと、それほどではありません。彼女は「よい子」でありたいんですね。他人から、よい子と見られていたい。ちょっと見栄張りです。結果的によい子である、という状態に落ち着くので、よい子と見なされるのは事実なのですが、それが果して本当によい子なのかは、疑問が残ります。
人は見た目が九割という噂も、世間では囁かれていますし、見た目がよい子なのであれば、それでいいのかもしれません。あ、珠美さんはよい子ですよ。少なくとも僕にとっては。
「僕も考えますよ。もう一回、頭領の部屋の様子を細かく話してみてください」
「全部を覚えてはいないけどね」
珠美さんは頭をのネジをギリギリと巻きながら、部屋の隅から隅までの様子を説明してくれました。
心臓を正面から刺されたのなら、仰向けに倒れるのは不思議ではありませんね。テーブルの上のドライフルーツはお茶請けでしょう。コーヒーも、あちらの世界ではポットで煮て抽出するのでおかしなところはありません。
カーペットに血痕以外の大きな染みはなく、部屋の調度品も(おそらく盗品ですが)普通のものだったそうです。
珠美さんの真似をして、テーブルの上に顎を乗せてみました。
ふうむ。
僕の頭も大分沸騰してきましたね。
……沸騰。
ふうむ。
僕は、ひとつの疑問を珠美さんに告げました。
「なるほど! それは確かに、変ね」
「証拠としては、少し弱いですが」
「でも、ありがとう。あ、ちょっとトイレに行ってくるね」
「はいはい」
そう言って、珠美さんはトイレに向かいました。
目指すは異世界、パンゲアです。
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