悪くないよ、うん。僕は悪くないよ。悪くない……なにも悪くない……なにもしていない……

 後日談のようなもの。

 の前に、ちょっとそこに至るまでの経緯を語ることにしよう。


 僕がストーカーをなんとかのした後。

 僕は沙池さんの部屋に置いてあった荷造り用の紐を引っ張りだし、それを寝転がるストーカーに巻き付けた。意識はあったが、奴が持っていたナイフで脅すと、案外すんなり大人しくしてくれた。ストーカーであろうと死ぬのは怖いものだ。


 十数分後。

 お姉さんが呼び寄せたくれた警察の方に身柄を引き渡し、僕らも事情聴取にかり出された。僕やお姉さんが沙池さんの部屋に泊っていた理由については、本当の目的を語ることなく、ただ単に友達の家に泊りにきただけ、ということにしておいた。

 僕とお姉さんは比較的早く終わったが、やはり直接的な被害者である沙池さんの聴取は長く、僕らは沙池さんが署から出てくるまで待ちぼうけをくらっていた。ようやく沙池さんは署から出てくると、時刻はとっくに真夜中と呼んでも差し支えない時間であった。


 僕らはなんの会話もないまま、沙池さんの部屋に帰り、川の字になって寝た。まあ、そこは割愛してもいいだろう。


 そして翌日。


「––––だからだよ? アンタはもっと年上に頼るべきだったんだ。ガキのくせに、一丁前に女守るつもり? ふざけるんじゃない」


 僕は寝ぼけ眼のまま、お姉さんのお説教を甘んじて聞いていた。

 予想もしていたし、なんなら昨日の夜から朝まで聞かされるかと思っていたので、僕にとっては易しいものだ。まあ、二時間も正座のままなのは少しキツかったけれど。


 ひたすら説法をし続け、いよいよ僕が空腹と足のしびれにまさしくしびれを来してきたころ、


「……ま、いろいろ言ったけど、感謝はしてる。ありがとう。そんでごめん。そして愛してるよ」


 お姉さんは僕の身体を抱きしめ、頭を撫でてくれた。忠犬にでもなった気分だ。まあ、悪い気はしないけど。

 


 沙池さんには、ひたすらに謝られた。『ごめんなさい』を言った数が僕の預金通帳並みなんじゃないかと思うぐらい謝られた。

 沙池さんは僕を危険な目に合わせたことを心の底から後悔しているらしく、僕の両親に挨拶して土下座をさせてくれと僕に土下座をして頼んできた。

 あなたの土下座は十分見たのでもう結構です。


 それにしても。

 両親に挨拶……なんだか胸が高鳴るフレーズだ。


 三人とも、過去の行いを清算し、すっきりして朝食を食べ終わった後。

 切れてしまった牛乳を買いに、僕は少し外に出ることにした。もうすっかり沙池さん家の住人気取りだ。


 二人にいってきますを言い、さて近くのコンビニへでも……というノリで外に出て、僕は、部屋の前で壁を背もたれにして佇んだ。


 佇むこと、三十秒。


「……! …………」

「待てよ。逃げることないじゃあないか。友達になろうよ」


 隣室から出てきた少年……沙池さんのお知り合い、よしき君が、僕の姿を確認するなり、早歩きで階段に向かって行った。慌てず僕は、よしき君を引き止めた。


「……なんすか」

「ちょっと話しをしていこう。積もる話しもあるしね」

「……話すことないんで」

「僕が話す。君は黙って聞いてなさい。発言するかどうか、君の判断に任す」


 僕はよしき君に歩み寄る。


「昨日、沙池さんの部屋にストーカーが入り込んだのは知ってる?」

「さあ……」

「まあ入り込んだんだ。それでね、単刀直入に言うと、僕は君が共犯だったのでは、と疑っているんだ」

「……なんの根拠が」

「もう茶番はいいよ。あいつはとっくに自白した。司法取引って、頭の悪い君でも意味わかる?」

「……っ!」


 よしき君は明らかに動揺した。馬鹿は扱いやすくて助かる。


「全てが手遅れなことは理解した? 君に前科がつき、君が志望する大学には決して入れないことが決定し、これから先の人生後ろ指を指されて、親姉弟親戚友人恋人、誰からも疎まれてそのまま死ぬ準備をしよう」

「……は。少年法とかあるじゃん。俺が共犯とか、誰も認めないし」


 あれよあれよと言う間に尻尾を見せてくれた。とんだ間抜け狸だ。


「ああ、少年法ならある。けど今の時代、SNSっていう便利なものがあるじゃあないか。君も使ってる? あれで君の情報、ちょろっと流せばどうなる? 法が君を守る前に、全てが終わるよ」

「あ!?」

「ほら君の写真撮れた」


 僕は構えていた携帯のボタンを押した。パシャ、と小さな音がして、僕の携帯のメモリに、新たなデータが作られた。


「あとは、僕がネット上に君の情報と写真を流せばいい。それだけで君は世間から後ろ指を指されて生きていくことになるんだ」

「はァ!? ふざけんなよ……マジで調子乗んなよ……!」


 よしき君は僕に詰め寄り、携帯をひったくろうとした。が、昨日の激戦が記憶に新しい僕には高校生一人いなすのは容易く、掴み掛かるよしき君をくみふせることに成功した。まあ、データは他のデバイスにも転送されてるんだけど。


「焦らないで。別に僕は、君をどうこうしようってんじゃないんだよ」

「っ……はあ……?」

「君だって、ストーカーが犯罪だってことぐらい知ってるんだろう? どうして犯罪に加担したんだ?」


 僕が組み立てた仮説。

 『大学生である犯人の指導と引き換えに、犯罪に加担していた』というのは、決して有り得ないとは言えないが、絶対そうだと言わせるほどの説得力も感じなかった。どうも納得できない。大学にも行こうという、それなりの学力の持ち主が、ストーカーに加担していた理由は、一体なんなんだろう。


 よしき君はうざったそうに僕の手を睨み、


「……つか、別に犯罪ってほどのことでもねえし……」

「え?」

「ちょっと二人でふざけてただけじゃん……真田さなださんも、別に本気でストーカーって感じじゃないし……。沙池さんだって、そんな気にしてないでしょ」

「はあ……?」


 よしき君は僕の手を振り払い、


「マジになんなよ……。俺ら、冗談でやったんだから。……はあ、こんなんで受験終わるとか、ないわあ……」

「冗談って……その、真田は、本気で沙池さんを……」

「だからマジじゃなかったんだって。少なくても俺は。あの人、いつもはノリいい人なんだよ。そんな人がさ、マジでやるとか思わないでしょ? てか、勝手にやったのはあの人じゃん? 俺じゃないじゃん」

「……沙池さんに悪いとは、思ってないのか」

「いや思ってるって。ごめんって。けどお前、本人に言うのはやめろよ? 俺ん家、あの人と結構関わりあるから」

「っ……でも、君が今後も沙池さんに変なことをしないとは––––」

「いやしねえって。ほんと、マジで。ごめんって」


 よしき君はうざったそうに僕に頭を下げた。


「じゃ……じゃあ、悪いと思ってるなら、沙池さんに謝れよ……」

「いやだから……マジ無理だから、はは……じゃ」


 よしき君は曖昧な表情を浮かべ、さっさとエレベーターへ走って行った。彼の走りはそう速くない、追いつこうと思えば簡単に追いつけるのだが。

 僕は、よしき君を追うことができなかった。


 彼には、罪の意識がないのか。

 彼に言わせれば、沙池さんのへのストーキング行為は、ただの冗談、嫌がらせに過ぎなかったらしい。

 けれど沙池さんは。犯人……真田を放置していた結果、沙池さんは今回、最悪の事態も有り得たのに。よしき君には、罪の意識がない。


 犯罪、というものの重さを知らないのか。いや、自分の行いがまず、犯罪だとも思っていない。知識不足、認識不足……学校に通っていながら、こんな基礎的なことも知らないのか? そんな、有り得ない。


 彼は数学の公式や英語の文法を覚える代わりに、現代人として当たり前のルールを学ぶことを放棄したのだ。お勉強ばかりさせて、倫理観の欠片も形成されなかった。それは一体誰の責任だ? よしき君自身か? 学校か? 家庭か? 社会か?


「……牛乳」


 答えなんて見つからない。

 僕は、階段へと向かった。


***


 午後。

 僕は沙池さんとお姉さんと別れ、自宅へと帰ることにした。

 本来昨日のお泊りは僕の予定になかったことであったし、一日以上家を空けると両親に心配をかけてしまうかもしれない。二人に別れを告げ、早々に自宅の門を叩いた。


「っ……アホ!」


 びたん。と綺麗な音がして、僕の頬にもみじができた。秋には未だ早い。


 自宅に帰った僕をいの一番に出迎えてくれたのは、妹の強烈なビンタであった。


 そう、僕はすっかり失念していた。聴取を受けたのだから、当然親に連絡がいくであろうということを。


 両親からは、最初に叱られた。その後、ちょっぴり褒められた。まあ、本人たちは僕のことを褒める気なんてないだろうし、僕に今回の行いがよい行いだと思って欲しくもないはずなので、口にはしなかったが。


 そして一通り説法を聞き終わったのち、僕は妹にビンタされたことを伝えた。親の教育不届きを糾弾する気だったのだが、両親は少し笑って、


「あの子、あんたのことすっごく心配してたのよ。昨日なんて、夜中にあんた探しに行くって」


 との言葉を聞いて、そんな気も失せてしまった。何年もの間、まともに話しすらしていない思春期全盛の妹が、僕のことを気にかけてくれた。その事実が、ビンタの痛みなんて吹き飛ぶくらい嬉しかった。


 あまりに嬉しくて、妹の部屋にお礼を言いに行った。

 ノックをして、返事がなかったので、心配になりドアを開けると。

 妹の成長の記録を見ることができた。

 僕の両頬に紅葉が咲いた。


***


 さて。では、後日談のようなものを。


 それから僕は、しばらくの間勉強が手に付かなかった。

 夏の暑さがさらに本格化したから、最近妹がますます僕に風当たりが強くなってきたから。いろいろ理由を作ることができるだろうけど、本当の理由ならなんとなく理解している。


 僕はなにを解決したのだろう。ストーカーを捕まえることはできた。けど、よしき君はあのままだ。あのまま、というのは決して逮捕されていないまま、という意味ではない。


 よしき君は自ら、もう沙池さんに変なことをしないと言った。変な話しだが、それは嘘ではないと思う。反省とか、自戒の意からではない。あのよしき君が、これ以上面倒なことに関わることをするとは思えないのだ。これで沙池さんを巡る事件は解決した。のだけれど。


 僕は、ただ事件が起こってそれをなんとかしただけに過ぎないのではないか。『罪の意識の欠如』がもたらす悲劇を、僕は知っていたはずなのに。僕がのんびり勉強にかまけているうちに、僕の身近な人が危険に晒されてしまった。沙池さんだけでなく、お姉さんまで。もしかしたら、縁さんにも危険が及んだかもしれなかった。


 僕だって、よしき君と同じではないか。勉強にかまけて、周りに注意を払えなかった。僕は。


「……なんで僕が悪いみたいになってるんだ」


 ベッドから飛び起きる。暇すぎて、まったく無意味なことを考えてしまった。自責、自戒。僕が一番陥ってはいけない現象だ。僕の人生で、反省すべきことなどなにもない。なぜなら、僕はなにもしていないから。誰の不幸にも幸福にも手を出したことがないのだから。


 僕は悪くない。

 悪くない、はずなのに。


「……気持ち悪」


 こんな感傷、中学生までに済ませとけよな。

 来年大学生になる人間の考えることじゃあないよ。


 鬱屈とした気分を変えるべく、僕は静かな場所に行くことにした。暇なときに僕がよく行く、市内の図書館だ。さすがに、心休まりたいときに不法侵入してまで大学の図書館に行こうとは思えなかった。


 定期券を使い、市内へ。そこからは徒歩。暑い、暑くてうっとうしい。うっとうしいのに、なぜか歩く。苛立ちは増していく。しかしそれでも、僕は歩くのを止めない。きっと、きっととはなんとも他人行儀だが。

 きっと。僕は不快の沼に沈んでたいのだ。痰が絡んだままでいたいのだ。

 そうでないと。自分の行いを省みてしまいそうだから。


 図書館にたどり着き、少し涼む。それから適当な本を見繕って、座って読めるスペースに行った。


「あ」


 小さな驚きの声が聞こえた。ここ最近、聞き慣れたか細いソプラノ。


 文庫本を持った沙池憂さんが、僕に驚きの目を向けていた。


***


「なにか、悩んでいるの?」


 開口一番僕に何度目かの謝罪をしてきた沙池さんをテキトーにあしらい、一緒の席に座った僕は、数ページも繰ってないのを沙地さんに見とがめられてしまった。


「……なにも。いや、確かに悩んでいるかもしれないですけど……こんなの、日常茶飯事ですよ。人なんていつも悩んでいるもんです。プラセボ効果につけこむ占い師ですか」

「……先輩から聞いた。きみが、そんな風に面倒くさい話し方をするときは、大抵悩みを抱えてるって」


 無駄な入れ知恵をしてやがった。


「……でも。ほんとに大したことじゃないんです。ひとに話すようなことじゃないですよ。そんなことより、読書に飽きたんですか? ならもっと楽しい話しをしましょうよ」

「…………」


 沙池さんは目を伏せてしまった。


「この前、僕とお姉さんとコナーで……ああ、コナーってのは僕の後輩の女子なんですけど、一緒に解決した事件でも話しましょうか? あれは笑い話ですよ」

「………………」

「まず、僕とコナーの出会いから話しましょうか。あれは新学期、僕がクラス替えで憂鬱になっていたときなんですけど––––」


「……当たり前だと、思うよ」


 沙池さんは上目遣いに僕を見た。


「私には、悩みなんて言えないんだよね」


 はっきりと、しかし今まで聞いたどんなか細い声より、寂しそうにそう言った。


「––––まさか。まさかまさか、そんなことないですよ。あまりにくだらないことだから言わなかっただけです。もう、仕方ないなあ言いますよ。面白くなくても茶々入れてくださいよ?」


 なにを言ってるんだこのひとは。僕が、ひとに悩みを言うだと?


「実は最近僕、勉強に伸び悩んでるんです。基礎と応用はできるようになったんですけど、僕のいく大学って難しくて……」


 アレ……?

 まるで、違うことが口から出てしまう。確かに、それも悩んでいるかもしれない。けれど、そんなの本題じゃあ、ないはずなのに。


「赤本を見ても、いまいちわからないところがありまして……あ、数学なんですけども。僕って理数系ちょっと苦手なんですよねえ」


 舌先三寸、口八丁。

 アレヨアレヨといううちに。僕は、どうでもいい悩みを言ってしまっていた。ごまかしを、してしまった。


 沙池さんは黙った。僕も黙った。誰も喋らない。僕らだけ、喋らない。


 風が吹いた。首を振れない。本が落ちた。驚きもできない。


 僕は沙池さんに囚われてしまった。


「…………」

「…………」

「……私は、きみに感謝してます」


 沙池さんは席を立ち、


「きみは悪い人じゃないです。悩むようなこと、なにもしてないと思います」


 そう言って、さっさと図書館を去ってしまった。

 敬語に、戻っていた。


「…………………………」


 僕はうなだれてため息をついた。去り際、沙池さんが口にした言葉。沙池さん本人にしてみれば、精一杯の励まし、だったのだろう。それはわかる、そんなことで誤解したりしてるんじゃない。

 しかしその言葉は、不覚にも僕の急所をついて、とどめを刺してしまった。


 僕はなにもしていない。

 そう、僕は本当になにもしていない。


 よしき君の人生になにがあってあんな風になったかは知らないが、そんなこと僕には関係ない。僕はなにもしていないのだから。

 真田が普段どんな人間でよしき君とどんな時間を共有していたか、僕には関係ない。僕はなにもしていないのだから。

 罪の意識が欠如した人間がどれだけ溢れかえったって、僕は関係ない。僕はなにもしていないのだから。

 そいつらが僕の大事な人にそのどす黒い人間性を晒したって、僕は関係ない。僕はなにもしないのだから。


 僕は関係ない。僕は悪くない。僕はなにもしていない。

僕は関係ない。僕は悪くない。僕はなにもしていない。

 僕は関係ない。僕は悪くない。僕はなにもしていない。

僕は関係ない。僕は悪くない。僕はなにもしない。 


 絶対にそれは事実だ。『なにもしないことが罪』だなんて、この世の誰に言わせてやるものか。こうしている現在、人は何人の人間を見捨てているか、わかったもんじゃない。なにもしなくても、なにも悪くない。


 けれど。


「……なんなんだよ」


 そう考えれば考えるほど。

 僕の中に、聖者の薄汚い囁きが芽生えてくる。


 悪くないと思えば思うほど。

 自分は罪深い人間なんだと思わされる。善行を為した者のディレンマ。


 ふざけるなよ、僕がなにをしたんだ。なにか悪いこと、したのか。僕はいつも被害者だったじゃないか。僕はいつも失ってきた。あの時も、前回も、今回も。いつも僕が、世間的に言って『可哀想』な目に合ってるじゃないか。


 なのに。


 どうして罪を犯したあいつが、あんなに平気そうに生きてるんだ。そんなの。そんなの、そんなの。


「悪くないよね……僕は、なにも」


 悪くないよ。僕はなにも悪くない。聖者の囁きなんて無視してしまえ。僕は絶対絶命悪くない。百発百中悪くない。僕は被害者。あいつは加害者。


 悪くない、絶対僕は悪くない。なにもしてないもの。僕は悪くない。悪くない。 

 のに。


 悪くない、僕は必ず悪くない。みんな僕に感謝してくれている。誰も僕が、『事前に事件を防いでくれたらな』なんて考えてない。僕はなにもしていない。


 悪くないよ、僕は悪くない。なんの罪も犯してない。あいつが可笑しいだけだ。僕はなにも……


 悪くないよ、うん。僕は悪くないよ。悪くない……なにも悪くない……なにもしていない……


【つづく】


 


 


 


 






 

 


 


 



 

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【短編】僕ではなくお姉さんの後輩 夜乃偽物 @Jinusi

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