……はあ……今の僕、ジャッキー並みにかっこいい……

 思考。コンマ一秒。


 ここは沙池さんの部屋。

 ここにいるのは僕と沙池さんとお姉さんだけのはず。

 沙池さんは最近ストーカーにつけられている。

 全身黒づくめの男がいる。

 沙池さんの知人らしくもない、チャイムは鳴っていない。

 そして、僕の立てたくだらない推論。


 ……おっけい。やることは決まった。


「……っ!」

「ぶっ!……ぁ、があ……!」


 僕は、力いっぱい振りかぶり、僕を仰ぎ見る男の鼻面に、初心者丸出しのトゥキックをぶちかました。男は苦悶のうめきを上げ、台所を転がって行く。


 僕はすかさずポッケをまさぐり、携帯を取り出すと、居間の方に向けて乱暴に投げ捨てた。そして、恐らくそれを拾うであろうお姉さんに向けて、


「ひゃくとうばん!」


 と叫んだ。

 警察を呼ぶのはお姉さんにやってもらおう。こいつと対峙するのは僕一人。ちゃんと両手が使える状態でなければ。


 さて。

 僕が携帯を投げ捨てている間に、男が体勢を立て直し始めた。そしてなにやら、懐をまさぐっているようだ。いよいよ状況がまずくなってきた。


 今あいつに近づくのはまずい。しかし、それでは次の手が出ないのも事実だ。ええと、この部屋、包丁はどこにあったんだっけ……くそ、料理関係の小道具の居場所はバラバラだからな……


 いや待て。不法侵入者相手に、包丁でもしものことがあったらどうする? 正当防衛として認められるか? 正当防衛と過剰防衛の規定は……くそ、勉強不足だ。


 そうこうして間に、男はなんとか立ち上がることに成功してしまった。よろよろと台所の壁に手をつきながら立つ男のもう片方の手には、銀色に輝く凶器が握られていた。くそったれ、僕はなんて情けない男なんだ。こんなとき、兄さんが居てくれたら……


 男は鼻血を袖で拭い、顔を気持ち悪く歪め、


「……お前」

「………………」

「お前だよ、根暗」


 僕にそのナイフを向けた。

 ていうか、お前には言われたくない。


「……なんだよ」

「お前、なんで憂の家にいんだよ」


 憂。呼び捨てか。なるほど、よっぽど沙池さんと仲がよろしいらしい。ちらりと沙池さんの方を窺う。

 沙池さんは口を抑え、膝を床につき、嗚咽を漏らしている。


 ふざけるな。沙池さんにあんな顔させる奴が、軽々しく名前で呼んだりするな。


「……どうしてだと思う?」

「お前が憂につきまとってんだろ」


 こいつ、やけにぼさぼさの髪だと思えば……

 鏡を使わない人種らしい。


「違うよ、ばーか。僕みたいな男前はな、勝手に女が寄ってくんだよ。見ろよ、そこにいる二人。二人とも僕の女だぜ。僕は勉強がしたいっていうのに、あいつら僕のこと離してくれなくてなあ」

「……あァ?」

「特にそっちの……地味な短髪。名前なんつったっけな……ああそう、憂だっけ。お前が呼んでたな。そいつ、しつこくてなあ……」


 煽る。煽る煽る。

 相手は獲物有り、僕には無し。僕の身体能力は高校三年としては普通程度。相手は年上。どう考えても僕に不利だ。

 この状況をなんとかするために、残された手段は一つしかない。


「でも金払いはよくてよお……身体も貧相だし、その為だけに相手してやってるようなもんだぜ。構ってやらないと、うじうじ泣きやがる。うぜえよなあ」

「……黙れよ」


 僕の中の『クズ男』のイメージをかき集めろ。常用語字典部の、居路きょじやわらさんをイメージするんだ。まさか、あの男がこんなところで役に立つことになるとは。


「黙って欲しいか? でも黙らなあい! もっともっと喋ってやるよ。お前、あの地味女好きなんだろ? あいつのこともっと教えてやるよ。感謝しろよ。ああそう、あいつの話しと言えば。一度別れようとしたとき、ありゃあ、傑作だったなあ」

「……うっせえんだよ……!」

「必死に僕にしがみついて、捨てないで、捨てないで、ってすがるんだよ。うざがった僕が、誠意を見せてみろって、僕の足を口元に持ってったら、あいつ、躊躇なく舐めやがるんだよ。キメえよなあ。そうだ、あいつお前にやろうか? 俺が行けっつったら、簡単にしっぽ振ってくれるぞ。そうだ、おまけにもう一人の方も……」

「黙れ! お前みたいなクズが、憂をもてあそんでんじゃねえ!」


 一喝いっかつ一閃いっせん

 男はナイフを構えたまま、僕の胸に向かって突進してきた。その動きは理知的な、仮にも大学に受かった人物らしき知性が感じられない、きわめて単調な動きだ。僕はその軌道をしっかり目で見極める。


「……クズはお前だっちゅうの」


 ナイフが僕の腹を裂くその数秒前。

 僕は自分の体力の目一杯を使い、ギリギリまで引きつけたナイフの軌道を避けるため、身体を前に出し、躱した。そしてブレーキの効かない機関車のような男の腕を掴み、勢いを利用して床に叩き付けた。背負い投げというやつだ。


「がっ……!」


 素人にしては綺麗な形に決まった僕の背負いは、手負いの男を倒すには十分だったようだ。男は背中を思い切り打たれた激痛に苦しみ、やがて小さくもがくだけになった。


「はあ……はあ……」


 緊張の解けた僕は、荒い息をそのままに、男の手からナイフをひったくり、一息つけた。


「……はあ……今の僕、ジャッキー並みにかっこいい……」

「調子に乗るな」


 アドレナリンが止まっていない僕の頭を、お姉さんがこつんと叩いた。

 


 


 

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