農協おくりびと (70)100万戸の開拓農民 

「昭和21年11月。

 食糧難から脱却するため、政府は緊急開拓事業5か年計画を決定した。

 開墾面積の目標は、155万ha。

 あらたに100万戸の開拓農民をつくりだす、途方もない計画じゃ」


 「155万haの農地と、100万戸の開拓農民ですか・・・

 数字が大きすぎて、まったく実感が湧きません」

 

 「無理もないな。正方形を、頭の中に思い浮かべてみろ。

 両方の辺が100m×100mの面積を、1ヘクタールと呼ぶ。

 高校球児たちの聖地、阪神甲子園球場の面積が、1.3 haじゃ。

 日本全国に、120万個の甲子園球場があらたに誕生したと考えればよい」


 「120万個の甲子園球場が、あらたに誕生したわけですか・・・

 無理です、おじいちゃん。想像することができません。

 頭の中が混乱して、ますます、訳がわからなくなってきましたぁ~」


 「面倒くさいおなごじゃな、お前というやつは。

 日本の国土の総面積は、3779万ヘクタール。

 そのうち耕地として使われておる面積が、およそ459万ヘクタール。

 国土のおよそ12%が、農耕用の土地ということになる。

 そのうちのおよそ3分の1が、戦後の開拓政策の中で誕生してきたことになる。

 あとは自分の頭で確認しろ。

 これ以上説明するのは、面倒くさくなってきたわい」


 「このあたりでも、開墾事業がおこなわれてきたのですか?」


 「町の北部へ行くと、開墾の地・記念碑というのが建っておるじゃろう。

 北部に有った平地林は、3里四方ほどあった。

 平地林の大半が松林じゃ。

 ごく限られた場所に、クヌギなどの落葉樹が生えておった。

 戦時中はここに、陸軍の飛行場が有った。

 滑走路跡を中心に、平地林を開墾しようという計画がたてられた。

 入植予定者は、200戸。

 割り当て面積は1戸あたり、一町五反歩と決められた。

 復員軍人や海外からの引揚者を中心に、地元や、近隣の村々で入植者を募集した。

 この開墾事業の先頭に立ったのが、シベリアから復員してきた老農じゃ」


 「ご苦労したんでしょうね。北部で開墾に入った人たちは・・・」


 「昭和21年の3月に鍬入式がおこなわれた。

 その翌日から入植がはじまった。

 軽くて粗い土のため、当初は、作物がまったく育たなかった。

 最初の年のサツマイモは、小指くらいのサイズだったと言う。

 開墾記念碑とは別に開墾地の中央に、団結の碑というのが残っておろう」


 「あ・・・見たことが有ります。

 小さな公園の片隅に、ポツンと建っています。

 団結の碑と書いてあるので、何のことだろうと首をかしげたことがあります」


 「開墾が終った日。200戸だった入植者が、120戸に減っていた。

 労苦に耐えた人たちが、万感の想いを込めて建てたものじゃ。

 だがなぁ。入植者たちの本当の苦労は、開墾が終った日からはじまった。

 あのあたりに水源は無い。

 川は流れていないし、水をためる池もない。

 苦労を重ねて開墾したが、結果的には、広大な砂漠をつくり上げたようなものじゃ。

 次の日から、井戸掘りがはじまった。

 完成した井戸から水を汲み、天秤棒でかついで畑へ運ぶ。

 砂漠を潤すために、来る日も来る日も水運びが続いた。

 そんな風にして誕生したんじゃ。北部にある、あの肥沃な農業の集落は」


 「その先頭に立った人物が、今日、葬儀をおこなう老農ですか。

 でも長老。老農は2度にわたり、このあたりの農業を助けたと言いましたねぇ。

 開墾事業はまだ、1回目の出来事です。

 2度目のときはどんな仕事を、成し遂げたのですか?」


 「お前なぁ。ポンポンと年寄りに質問し過ぎじゃ。

 ワシに、何か飲ませたらどうだ。

 先を急ぎたいのは分かるが、ワシも少々疲れた。喉も渇いた。

 ビールとはいわんが、温かいコーヒーか緑茶などが、呑みたいのう」


 「あ・・・ごめんなさい」ちひろがあわてて立ち上がる。

ポケットを探り、小銭を取り出すが、ふと何かを思い出して立ち止まる。

「待っててね、お爺ちゃん」と、自分のロッカーへ飛んでいく。


 2分も経たないうち、ポケットをふくらませてちひろが戻って来る。

手に、乾杯用の小さな盃が握られている。

「試飲用にと、出来たばかりの日本酒を業者さんからもらいました。

こっちのほうがいいでしょう、おじいちゃんは!」


 「おう。気が利くのう、やっぱりおぬしは!」

ちひろから盃を受け取った長老が、嬉しそうに眼を細める。


(71)へつづく

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農協おくりびと 61話から70話 落合順平 @vkd58788

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