第5話 そして、雹は降る

 「ねぇ、お兄ちゃん?運命の書のとおり村に戻った後、どうなるか知ってる?私たち、幸せに暮らすとは限らないよ……?」

 ヘンゼルはグレーテルの姿に顔を強張らせる。右手にかけられた籐製のバスケットには、お菓子が一杯に詰め込まれている。背中に巨大な竈を背負い、普段の服の上に魔女のローブを羽織っている。爛々と輝く目は飛び出さんばかりに大きく、左手には巨大な包丁を持っている。ぼうぼうと燃える竈の火からは真っ黒な腕が無数に伸び、人の呻き声の様なものが聞こえる。そこから漂う肉の焼けすぎた臭いは、天国まで臭いそうなほどだ。ヘンゼルはグレーテルに近づいて言った。

「もう、こんなことは止めようよ、グレーテル……。一緒に家に帰って、お父さんと暮らそうよ……」

 グレーテルは不気味な笑みを浮かべながらヘンゼルの背中にしがみついたヴィランを引きはがし、ヘンゼルに見せびらかした。ヴィランは足をばたつかせて抵抗する。

「これ、お父さん。私たちを捨てた報いは、ちゃーんと、受けてもらわないとね?」

 ヴィランが悲しそうな声を上げる。グレーテルはヴィランを放り投げると、自らの包丁でヴィランの腹を突き刺した。うめき声を上げるヴィランを脚で蹴飛ばし、血がまとわりつく包丁を勝ち誇ったようにかまどに掲げる。竈から伸びた腕が刃を掴んでヴィランの血を攫い、竈に引っ込んでいった。肉の焼ける音が周囲に響き、ピクピクと体を動かして地面に這いつくばるヴィランが声を上げる。グレーテルは鬱陶しそうにヴィランの脳天を突き刺し、ヴィランが動かなくなるとおもむろにヘンゼルの方を見た。

「ウフフ……お兄ちゃんはどんな声で鳴いてくれるのかなぁ……?」

 ヘンゼルはグレーテルの変わり果てた姿に膝をつく。しきりに謝罪を繰り返すヘンゼルの脳天をめがけて包丁が振り下ろされようとする。刹那、シェインが放った矢が左手を射貫き、包丁を持った手ごと吹き飛ばした。タオがヘンゼルを担ぎあげて安全な場所へ移した。首をふらふらと揺らしながらシェインの方を見たグレーテルは、口が裂けんばかりに口角をつり上げていた。

「ウフフフフ……お姉ちゃんたちはどんな声で鳴いてくれるのかなぁ……?」

 グレーテルは吹き飛んだ左手を右手で拾いあげ、月に吠えるように笑う。

「同情はするけど賛同はしかねるわ」

 レイナは冷静な口調で言い、グレーテルの目を睨む。グレーテルの瞳はぐりぐりと回されていた。

「お前のことをこんなに思っている兄貴にこんな仕打ちをするとはな……」タオは怒りに任せて怒鳴る。

 グレーテルはうるさそうに耳をふさぎながら笑い、ふらふらと揺れ動く。

「えぇ、一度ぶっ飛ばして教育しなきゃいけませんね」

 シェインがタオに歩み寄る。グレーテルの笑い声が耳をつんざく。

「行こう、みんな!」

 エクスは強く踏み込んだ。各々が導きの栞を使用して姿を変えた。グレーテルは感嘆し、恍惚した表情で各々を見定めた。レイナの姿に半ば興奮気味に鼻を鳴らすと、うっとりとしながら包丁の刃にレイナの姿を映した。一行はその不気味さに思わず息をのむ。

 グレーテルは目玉をぐりぐりと回しながら高笑いした。背負った竈から黒い手が伸びる。竈の腕はごきごきと自らの骨をを折りながら四人を囲い込む。グレーテルが歩くたびに、腕は骨を砕く音を立てて四人に近づく。

 タオは黒い腕を貫くが、痛覚のない腕からは骨の砕ける音がするだけで微動だにしない。グレーテルは徐々に四人に近づいてくる。竈が煙を上げながら唸り声を上げる。

 グレーテルは「一番可愛いお姉ちゃんの栞が欲しいなぁ」と言いながらレイナに向かって包丁を放り投げた。

 レイナはこれをかわし、行き場をなくした包丁が竈の腕に刺さる。腕にめり込んだ包丁は肉に包まれて吸収され、ぐちゃぐちゃと音を立てながら腕の中を通り抜けていく。レイナはすきをついて魔法を唱え、グレーテルの真下から光の柱が立ちのぼる。直に魔法を受けたグレーテルは高笑いをしながら吹き飛び、それに合わせてのたうち回る黒い腕が鞭のように動く。四人を包囲したまま不規則に動く腕からは黒い煤が放たれて、四人の視界を奪う。四人は散開したままで動き回る鞭を叩き込まれ、煤が晴れる頃にはほとんど拷問でも受けたように傷だらけになっていた。足をふらつかせながら何とか立ち上がった四人めがけて、黒い腕の肉を突き抜けて包丁が放たれる。タオがすかさず盾で防ぐが、背後から手を組んだ竈の腕が突進をし、タオごと突き飛ばして包丁を肉の中に吸収する。

「どうするお嬢!これは埒が明かねぇぞ!」

タオが叫びながら腕の中を這う包丁の前につくように移動する。

「どうって、本体に直接攻撃するしかないでしょう!」

レイナは語気を荒げた。

「でも、反動が大きいとさっきみたいに腕が……ここから外に出ますか……?」

シェインはグレーテルのこめかみをめがけて弓を引く。

「だめね、腕がまた鞭みたいに動いて妨害するだけよ」

レイナは注意深く周囲を見回しながら言う。ゴリゴリと不気味な音を立てた黒い両腕は、波打つように動きながら不規則に筋肉を動かしている。飛び出した包丁を防御したタオは再び突進する腕に追いやられる。

矢を次々に放ち、グレーテルの動きをけん制していたシェインは「そういえば新人さんは……?」と、視線だけを動かしながら周囲を見回した。

 一行はグレーテルの高笑いに嫌な予感を感じ、全員が森や池など、遠くを見回す。そこにエクスの姿はなかった。グレーテルは背中の竈から薪に火を移しながら四人めがけて放り投げる。薪は草に延焼してたちまち黒煙を立ちのぼらせる。

「お兄ちゃん、飲み込んだのかなぁ?」

 そう言ったグレーテルは再び竈の中に薪を突っ込んだ。

「くっそ、まずいな……!もたねぇぞ!」

 タオはヒビの入った盾を構えながら腕の歪な動きをせき止めている。グレーテルが薪を竈から引っ張り出すと、そこで手が止まった。グレーテルは薪を落とした。落ちた薪が真下にある雑草を景気よく燃え上がらせて、黙々と黒い煙を上げ始める。背中に感じた鈍い刺激にグレーテルは目をひん剝いて瞳を左右に泳がせ、無事な方の手の指をぴくぴくと動かしている。竈の腕も動きを止め、萎れて地面に倒れ込んだ。グレーテルは首をカクカクと動かしてふり返る。背後には、背負った竈と体の隙間から剣を突き刺すエクスの姿があった。

「まさか、存在感の薄さがこんなところで役に立つなんてね……」

 エクスは自嘲気味に笑う。グレーテルはそのままぐったりと地面に倒れ込んだ。炎が高く上がり、グレーテルの服に延焼する。

「グ、グレーテル!」

 ヘンゼルがグレーテルに駆け寄る。ヘンゼルは炎に大量の井戸水をかけて、火を消す。一瞬大きく火柱が立ち上り、ヘンゼルに火の粉が飛び散る。じゅう、という音とともに炎は落ち着き、やがて消えた。ヘンゼルはグレーテルを抱き上げる。森を突き抜ける強い風が火傷まみれの肌に突き刺さる。

 グレーテルはジュクジュクと赤く腫れあがる顔で天を仰ぎ、小さく震える唇で「お兄ちゃん、お兄ちゃんは、私を捨てたりしないよね……?」と呟く。ヘンゼルはグレーテルを支えながら頷いた。

「当たり前だよ。僕はグレーテルを守る。ずっとだ。お父さんがまた僕らを捨てようとするなら、その時は僕がグレーテルのことを守るから……。大丈夫、だから」

 ヘンゼルは声を震わせながらグレーテルの手を強く握る。グレーテルは穏やかに微笑んで、目を閉じた。ヘンゼルは今までに発したことがないほど大きな声で泣き、それを聞いた森中の鳥がバサバサと羽をばたつかせて飛び去っていく。連鎖するように空を覆う烏の群衆は、野次馬のように森の臍を取り囲み、六人の姿を覗き込んでは森の彼方へ消えていく。

「グレーテル……」

エクスは言葉を詰まらせる。目の前の惨状を目の当たりにして、耳触りのいい言葉など、言うことすら憚られたからだ。森がざわめき、握られた左手が手離される。右腕から滲む血が雑草を赤く、黒く染める。一瞬の静寂が場を支配する。どこからか狼の遠吠えが聞こえる。

「始めるわ……」

 レイナは静かに目を瞑り、祝詞を上げた。

「混沌の渦に呑まれし語り部よ、我の言の葉によりて、ここに調律を開始せし……」

 辺りが光に包まれ、すべてが白く染まった。


 光が収まり消えたとき、二人がいた痕跡はなくなっていた。先ほどまでよく耕されていた畑は荒れ果て、薪からはキノコが生えていた。家には苔がむしており、静まり返っている。朽ち果てた柵は何かに齧られた跡があり、一帯に焼けた肉の臭いと共に、死臭が立ち込めている。そこに在ったもので唯一あの時の面影を残すものは、たった一つ、人工池に貼られた水の揺らめきだった。

「行きましょう……」

 レイナは静かに立ち上がる。

 エクスは「待って、二人のこと、見に行こうよ」と言ってレイナを引き留める。

「そうだな。お嬢、村に戻ろうぜ」

 レイナは渋々頷いて、森の道なき道を歩き始めた。

 村の雰囲気は以前と変わらず、むしろ悪化していた。カビやほこりの嫌なにおいが充満し、頬がこけた住民が咳をする。にぎやかな兆しは全く感じられず、ただ死と飢えと病の苦痛が広がるばかりだった。言葉をかけあうものもなく、うつろな目をして不毛の畑を掘り起こす男がいる。

「相変わらずひでぇな……」

 タオが呟く。村の外へと続く一本道を行くと、先々で物乞いがひび割れた手を差し出してくる。エクスは心を痛めながらも、その腕を無視して通り過ぎる。物乞いは彼らを責めるでもなく、また通る人に手を差し出していた。暫く歩くと、見覚えのある青の帽子と緑の帽子をかぶった子供が二人で道を歩いていた。手を繋ぎながら四人の目を見るでもなく通り過ぎていく。エクスがふり返ると、二人は荒れ果てた家の中では比較的手入れされた、大きめの家に向かって歩いていく。老婆と娘が二人を見てひそひそと話し始めた。

「ねぇ、あの子たち……」

「えぇ、お母さん。ヘンゼルとグレーテルですよ……」

 ヘンゼルが足を止める。お腹のあたりを軽く摩りながら、二人の声を聴いているようにも見えた。

「あんな子供が森の中から帰ってこれるはずないわよねぇ……悪い魔女をやっつけたとか言っていたけど、もしかしたらほんとはあの子たちが魔女なんじゃないかねぇ?」

 老婆は唾を飛ばしながら攻めるような視線を二人に向ける。

「嫌だ、告発したら雹も止むのかしら?」

 娘は手で口を隠しながら囁き、二人を睨み付ける。

 グレーテルは俯いてしまった。一滴、二滴と、グレーテルの涙が地面にしみこむ。ヘンゼルはお腹を摩る手をグレーテルの背中に回す。悲しげに眉を下げながらも、努めて笑顔を作り、グレーテルの耳元で「行こう、グレーテル」と囁いて手を差し出した。彼の手はあの時ほどきれいではなく、泥まみれで、服も心なしか黒ずんでいた。

「うん、お兄ちゃん」

 グレーテルは差し伸べられた手を強く握る。グレーテルが噂話をする二人の方を一瞥し、続けてヘンゼルの悲しげな表情を見た。ヘンゼルは猫背になりながら重い足取りで歩き出す。グレーテルは目一杯の笑顔を見せながら「私、お兄ちゃんがいるから、頑張れるんだよ」と、周りに聞こえるくらいの威勢のいい声で言った。ヘンゼルは驚いてグレーテルの顔を見る。グレーテルは無邪気に笑う。ヘンゼルは下がった眉をつり上げて、猫背になった背中をピンと立てた。グレーテルの声に驚いた老婆と娘がふり返ると、ヘンゼルは二人を睨み付けている。老婆と娘はばつが悪そうに逃げていく。二人は手を強く握りあい、再び歩き出した。

 四人の顔にも笑顔が戻った。

「思ったんだが、カオステラーはヘンゼルだったんじゃねぇか?」

 タオが二人の後姿を眺めながらいう。シェインが怪訝そうに眉を顰める。

「グレーテルではなく、ですか」

 タオは頷いた。

「あいつはグレーテルを守りたかったんだ。その為に、グレーテルに頼ってもらいたかったんじゃねぇかな」

 タオの言葉を静かに聞いていたレイナが続ける。

「どうかしら。竈がカオステラーなのは間違いないけれど、グレーテルに憑りついていたもの。竈はヘンゼルにとっては呪いであり、願望でもあったのね。でも、もしそうだとしたら、ヘンゼルは増幅していく自らの罪の具現を、支えきれないままグレーテルに押しつけてしまったのかしら。それが歯止めが利かなくなるにつれて、自分の行いに疑問を持つようになり、そして最後には、ヘンゼルは無自覚に竈という形でグレーテルに憑りついてしまったのね」

 二人の影が遠くなり、やがて家の中へと消えていった。村を突き抜ける温い風が、たちどころに冷たくなると、ガラスのような雹が降り注ぎ、地面にたたきつけられて、砕けて消えていった。雹に打たれて二人の婦人が逃げるように家に向けて走り出す。物乞いは腕で頭を覆い、ガタガタと震えながら近場の屋根の下に身を縮める。

「……行きましょう」

 レイナは合図のように回れ右をして歩き出す。一行は再び歩き始めた。荒れ果てた村の出口には、小さな黄色い花が二つ隣り合って、四人を見送るように風に身を委ねて体を振っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔女に与える鉄槌 民間人。 @gomikkasusan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ