第4話 兄と妹

「不審に思ったのはグレーテルが平然と森を歩いていた時です。子供二人で胡椒を買えるほどの稼ぎがあるとも思えませんし、家の周囲にいるヴィランが迫ってきていたとしたら、何故子供二人で無事でいられるのかも疑問でしたので、タオ兄が眠ったあと扉越しに彼らの話を聞いていました。どうやらグレーテルは私たちの導きの栞を欲しているようでした。ヘンゼルはあまり乗り気ではなさそうでしたが、グレーテルに言いくるめられ、反論できずといった印象を受けました。恐らく二人は共犯なのでしょう。どうやらここに住む魔女を彼らが倒し、その家を乗っ取っているようですね。二人はヴィランを旅人にけしかけて気絶させ、金目の物を奪うことで生計を立てているようです。ここからは憶測ですが、旅人をヴィランに書き換えていると考えれば、ヴィランが森を跋扈しているにもかかわらず、ヘンゼルとグレーテルが無事なことを説明できます」

 シェインが一通り言い終えると、レイナは腕を組んで「どっちがカオステラーかはわかる?」と訊ねる。

 シェインは首を横に振り、「話から推測するに、グレーテルだとは思いますが……」と言葉を濁す。

 エクスは悲しそうな表情で、タオと顔を見合わせる。タオはこぶしを握って怒りを抑え込んでいた。

「何があったんだよ……一体」

 タオの呟きにレイナは家の方を一瞥し、「恐らく、味をしめたんでしょうね」と答えた。

「味をしめた?」

 エクスが聞き返す。

 「えぇ。以前似た想区を旅した時はヘンゼルとグレーテルは魔女を倒して金銭を家に持ち帰り、幸せに暮らすという運命だったわ。つまり、金銀財宝に目がくらんだのね」

 エクスは家の窓ごしに夜の帳に隠された二人の部屋の扉を見つめ、「本当に、それだけなのかな……」と呟いた。

 突然扉が開く。四人に向かって鋼の丸盾が突進してくる。四人が咄嗟に避け、盾をにらむと、息を切らせたヘンゼルが槌盾を構えていた。槌を持つ手を震わせ、真っ赤な目で四人を睨み付ける。

「ヘンゼル……どうして……?」

 エクスが彼に近づこうとすると、ヘンゼルは距離を取りながら息を整え、槌をレイナに向け、怒鳴りつけた。

 「調律の『魔女』め!お前もかまどに放り込んでやる!」

 ヘンゼルの叫び声とともに、ヴィランが森の中から無数に飛び出し、一行を取り囲む。ヘンゼルが震える手を三度振り下ろし、「僕が……僕が……グレーテルを守るんだ……!」と叫ぶと、ヴィランは一斉に一行に襲い掛かった。一行は導きの栞を取り出して姿を変える。即座に包囲をかいくぐったエクスがふり返るヴィランを斬りつける。ひるんだヴィランを背後からシェインが狙撃し、囲まれた三人は開いた隙間から包囲を抜け出した。ヴィラン達は四散して彼らを追い回し、一行の抵抗によって徐々に数を減らしていく。ヴィランが10匹ほどまで数を減らした時、ずっと槌盾を構えたままだったヘンゼルが背後からエクスの脳天にたたき込もうと、槌を大きく振りかざした。不意を突かれたエクスは身を逸らしたが間に合わず、左肩に槌を受けて、地面に叩きつけられる。骨が振動する鈍い音が響き、ヘンゼルは息を荒げてタオに視線を移した。倒れるエクスを踏みつけて駆け込み、タオに向かって槌を振りかざした。

 タオは盾を構えて応戦し、金属が振動する音が何度も森に響く。ヘンゼルが奇声を上げ、髪を乱しながら何度も何度も盾をたたき、その度に反動で腕が思い切り反り、再び振り下ろされる。しかし、盾に叩き込まれるたびに反動が大きくなり、終に体勢を崩した。タオはすかさず盾を突き出して、ヘンゼルは盾に押されるがまま地面に抑え込まれた。激しく腕を振り抵抗するヘンゼルをぐいぐいとタオは押し、槌を持った腕を払い、手から離れた槌を奪って森に放り投げた。ヘンゼルは悲痛な声で喚き、じたばたと体を動かすが、やがて疲れて荒い息だけをつき始めた。タオがヘンゼルから盾を離す。

 ヘンゼルは「グレーテルは……僕が……」と掠れた声で呟く。タオはヘンゼルの胸ぐらをつかんで起こすと、ヘンゼルに怒鳴りつけた。

「お前のやってることは人殺しと同じだぞ!」

 ヘンゼルは震える唇を止めることができない。タオが一発殴る。

 ヘンゼルは声を震わせながら、「強いお兄ちゃんでいなきゃいけないんだ……!」と訴えた。

 タオはヘンゼルを地面に抛る。ヘンゼルは尻餅をついた。

「お前の気持ちはわかるぜ……。妹を守りたいって気持ちはな……。それでも、罪のない奴らを巻き込んでいいわけじゃねぇだろ」

 タオは屈み込んでヘンゼルに手を貸す。恐る恐る手を取ったヘンゼルは、怯えた表情で言った。

「親に捨てられた僕たちは、僕たちの力で生きていかなきゃいけない……。一晩泊めてくれた森の老婆を竈に叩き込み、その財産をそのまま持って、村に戻って元の暮らしをするはずだった……」

 エクスが介抱されながら立ち上がる。左の肩を気にしながら、ヘンゼルのもとへ近づいてくる。その道程には血が点々と滴り、肩は心なしか歪んでいるようにも見える。ヘンゼルはそのまま続けた。

「僕らの運命の書です……。歯車が狂いだしたのは、グレーテルがある提案をしてからです。僕はその提案を受け入れて村へ帰らず、二人でここで暮らすことにしました。実は、村へ戻って暮らす、という運命には続きがあります。村人に告発されて、僕らは魔女裁判を受けます。僕はそこから解放されますが、グレーテルは……。だから、もう、縁を切りたいという思いがあったんです。口減らしのために捨てられた僕たちがそう思うことは、不思議じゃないでしょう?しかし、それにしたってどうやって暮らしていくか……?そこで、グレーテルがある提案をしたんですよ。あとは、皆様のご想像通りです」

 ヘンゼルが黙ると、暫く沈黙が場を支配する。耐えかねたように何かを言おうとしたエクスを遮り、タオがヘンゼルの頭を撫でながら言った。

「そうか。辛かったな。でも、お前はわかってるんだろう?」

 ヘンゼルは黙ってうなずく。

「いいか、ヘンゼル。兄っていうのはな、妹を守るもんだ。間違った道を進もうとする妹を、正しい道に導いてやる事だって、その一つなんだぜ?」

 ヘンゼルは俯いて「はい、はい……」と繰り返す。瞼を閉ざし、手に持った盾を落とした。大粒の滴が背の低い草を濡らし、地面にしみこんでいく。エクスがヘンゼルの肩に手を乗せて、「もう大丈夫だよ、僕たちに任せて」と言うと、ヘンゼルは声を出して泣いた。森の向こう側まで響く掠れた大きな泣き声が、木々のざわめきと狼の遠吠えに共鳴し、鳥が一気に飛び立って消えていく。森の中から一匹のヴィランが顔をのぞかせる。そのヴィランはヘンゼルのところへ近づいて、慰めるように周囲をくるくると回る。ヘンゼルは涙をぬぐい、ヴィランの頭を撫でる。ヴィランはヘンゼルの背中に飛び乗り、抱き着いた。そのままヴィランは足をバタバタとさせて機嫌よさそうにヘンゼルにおんぶをせがむ。

「へへ、くすぐったいよ……」

 ヘンゼルは顔をくしゃりとさせて笑った。四人は顔を見合わせる。タオとシェインは安心したように微笑み、レイナはしかめっ面のままヴィランを眺めていた。その時、家から木の軋むような音がした。

「あーあ、使えないお兄ちゃん」

 扉の前に立つグレーテルは一行を馬鹿にするように微笑んで見せた。

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