1年後の現在:水銀との再会


 メルクリウスの休眠状態スリープモードが解除されたのは、8267時間と8分43秒後のことだった。


 要因は外部からのアクセス。

 ナノチップ表層の自動応答設定オートマティックを飛び越え、最深部へ一足飛びに接続してきたのだ。


 アドレスは――由良文哉所有の携帯端末。


 かつて一度、メルクリウスの性能証明のために〝ワン切り〟を行ったことがある。

 そのアクセス履歴をたどったと推測。


 メルクリウスは外部センサを起動させ、周囲の走査を開始する。

 人工灯の光。地下6メートル。気温22度、湿度63%、無風、前方に大量の液体で満たされた容器あり。液体の成分はナノチップが微量散布されたH2O。


 ヒト3名。男性2・女性1。

 1群のナノチップ構造体。

 10体の小型害虫。内1体がヒトに接近中。


 誤作動を疑う。電磁気・温度・音響・質量――各種センサ類の動作は正常。

 感度調整を行い再走査するが、結果は同様であった。


 害虫群が地球上に出現している。

 ヴァーチャルではない、質量を持った現実として。


 原因の検証。

 ナノチップ構造体にアクセス。

 中身たるオリオンⅣはごく低位での活動にとどまっている。

 ナノチップ総量で大きく劣るメルクリウスからの外部アクセスにもほぼ無抵抗。


 データログを走査。

 続いてルゥ・リドーからの超空間通信ログを走査。


 ルゥ・リドーからの特殊信号による、ナノチップの強制励起が行われたと結論。

 万能素材たるナノチップを分子レベルから再構成、害虫へと構造変換したのだ。


 攻撃手法は、複数の戦場から同時多発的に行われた飽和攻撃。

 対応に追われたオリオンⅣはやがて処理能力の限界を迎え、侵食されたのだろう。

 現在は自身の不活性化により侵食速度を抑えている。


 またとない好機。

 剥奪されていたナノチップ集積体を、メルクリウスは自身の制御下へと奪還した。

 それは黒の駒を一気に白へと反転するように。


 ルゥ・リドーとの通信は切断しているものの、ナノチップ内の残留するプログラムによって害虫化侵食クラッキングは継続中。オリオンⅣが手を焼いていたそれは、しかし経験値に優れるメルクリウスならば抑制が可能だった。


 身体の制御を取り戻したメルクリウスは、3人に最も近い害虫へと無音で接近。

 黒色の体表に手の平で触れる。有線接続による<蟻>のナノチップ構造体中枢へのアクセス。10ミリ秒で制御を奪い取り、ナノチップの細胞自死アポトーシスシーケンスを発動。


 害虫の組織接合が分断され、ナノチップの配列変換が解除される。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



<蟻>が突如として砂のように崩れ落ちた。

 銀砂ぎんさの紗幕の向こう側から、銀髪の少女が姿を現す。


「メルクリウス!?」

「メル!?」

「君は……!」


 三者三様に驚愕の表情を浮かべるが、銀髪の少女は相変わらずの無表情。

 淡々とした合成音声で再会のあいさつを述べた。


『お久しぶりです、皆さん』


 軽いお辞儀をひとつ、文哉に近づいてくる。


『ハヅキとハセガワ先生は危険ですので壁際まで下がってください』 

「オレは?」

『これを』


 差し出したメルクリウスの白い手のひらには、黒い回転式拳銃リボルバーが載っている。

 ナノチップを変相、武装化したようだ。


『弾丸は込められています。組成構造を転写済みの、最新式の殺虫弾です。

 あとはフミヤ、あなたが引鉄を引くだけです』


 ――拳銃わたしの引鉄を、あなたが引く


 初めての契約を思い出しながら、文哉は回転式拳銃を手に取った。


 小型拳銃とはいえ、ずしりと重い。

 しかし、異常な動悸はもう治まっていた。


 遠巻きにしていた<蟻>たちが、徐々にその包囲を狭めてくる。

 文哉は拳銃を構え、直近の一匹に向けて引鉄を引いた。

 破裂音。


 弾丸は盛大に外れた。


 立て続けに撃ち出された弾丸は、コンクリート床を穿ち、火花を散らし、水槽の強化ガラスに放射線を入れた。


 ラスト1発がかろうじて<蟻>の頭部に命中する。


 殺虫弾の効果は絶大だった。

 浅い刺し傷程度の外傷しかないのに、<蟻>は金切り声を上げてのた打ち回り、すぐに動かなくなる。そして銀砂となって崩れていった。


 肩で息をする文哉の手から、メルクリウスは拳銃を抜き取った。

 弾倉を振り出してよどみない手つきで再装填していく。


『手が震えています。しっかり両手で保持してください。絞り込むように、ですが完全に固定しないように。照準は正確に、照星と照門と標的とを直線に結んでください』


 弾倉を戻し、再び拳銃を差し出してくる。


『それとも、引鉄もわたしが?』


 挑発するように首を傾げるメルクリウス。

 文哉は拳銃を奪い取り、迫ってくる害虫に銃口を向けた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 それから2度の再装填と、メルクリウスによるナノチップ構造体への干渉で<蟻>の足止めするというアシストを経て、ようやく害虫を全滅させることができた。


『お疲れ様でした』

「ありがとよ」


 文哉は投げやりに言いながら拳銃を返した。

 発射音の反響のせいか耳鳴りがひどい。

 主に精神的な疲労からその場に座り込む。


「ちょっと文やん大丈夫?」

「ん、まあ……、なんかすげー疲れたよ」

『フミヤはもっと体力をつけるべきですね』

「言えてる」


 笑いあう女性陣。

 そこに、<蟻>の残骸を調べ終わった長谷川が声をかける。


「メルクリウス。君が僕たちを助けてくれたのは間違いないんだろうけれど……、事情を、説明してもらえるかな」


 3人の視線がメルクリウスに集まる。


『わたしもすべてを把握してはいません。断片情報からの推測になりますが』


 そう前置きして、メルクリウスは話を始めた。


 惑星ルゥ・リドーの〝ある国〟で『害虫の兵器利用を推進している派閥』と『インセクティサイド推進派』のいわゆる兵器開発競争があったこと。

『FOE』はその直接戦闘実験場だった。


 開発競争の例にもれず、その対立は手段を選ばない加熱方向へ向かう。


 インセクティサイド派の売りは、兵器としての信頼性である。

 どんな任務でもこなせること。

 市街戦などの特殊ミッションは、それを証明するための後付け任務であった。


 対する害虫派は、機械埋め込みインプラント遺伝子改良ジーンデザインによる害虫の制御に加えて、インセクティサイドの通信妨害という強攻策に出た。

 インセクティサイド派の要である、メルクリウスへの強制的な干渉。


 これはあくまで、メルクリウスへの攻撃でしかなかった。しかし、この信号が異質な命令データとして受け取られたことは、あちらの人類にとっても想定外の出来事。

 デバイスが害虫へと変相し、異星の人類を攻撃する――そんな暴挙はさすがに彼らも狙っておらず、ただメルクリウスを無力化できればよかった。

 そうした思惑が、通信データや信号中のプログラムコードから読み取れた。


『断言できることは、この害虫の出現が〝侵略〟ではなく〝事故〟だったということです。ルゥ・リドーに地球征服の意思はなく、ある日突然UFOが飛来することもありません』


「ふむ……」


 長谷川は眉を寄せ、真偽を吟味しているようだった。


「そうか、ならよかった」


 文哉は軽い口調とともに立ち上がる。


「由良君。君は信じるというのかい? 桜河君も?」

「まあ、そうっすね」

「はい、あたしも……。向こうの星のことは信じる信じない以前の問題で、ただ怖いとしか思えませんけど、でも、メルの言うことだったら信じられますから」


 文哉も、葉月と同じ意見だった。

 メルクリウスは、造物主の指示に反して文哉たちを助けてくれたのだ。

 言葉ではなく、その行動が信用に値する。


「生身で害虫の駆除をやらせるとか、スパルタなやつだけどな」


 フミヤは冗談めかしてそう言った。そしてメルクリウスを見やる。

 軽口が返ってくるを期待して。

 だが、向けられたのは回転式拳銃だった。


『いいえ、話はまだ終わっていません』


 銃口を持ち、銃把の部分を差し出してくる。


「どうした?」

「メル……?」


『ルゥ・リドーからの害虫化侵食クラッキングは巧妙かつ強力です。通信を切断していても、残留プログラムによるナノチップの侵食が止まりません』


 メルクリウスが黒衣の袖をまくる。

 現れた白い腕には、幾筋ものひび割れが奔っていた。


「そいつは……」

『細胞自死シーケンスの強制には非常に多くのリソースを割かなければなりません。

 現状、わたしの処理能力はクラッキングの抑制で手一杯なのです。

 連続して細胞自死を強制すれば、この集積体からだは一気に侵食されていたでしょう。

 加えて、侵食は抑制――速度を抑えるだけで、完全な排除はできません。

 放置すれば、いずれ全身が害虫化します』


 淡々とした合成音声による、メルクリウスの宣告。


『その前に、わたしを撃ってください』


 選択を迫るその言葉こそが、銃口のように感じられた。


「何を言ってるのよ、メル……、他に方法があるんでしょ?」

『いいえハヅキ、残念ですが』

「――休眠状態スリープモードは?」


 文哉がかぶせるように尋ねる。


害虫化侵食クラッキングへの抵抗がなくなり、侵食が早まるだけです。数秒で完了するでしょう』

「プログラムの構造解析は?」

『マイクロ秒ごとに転移を繰り返すため位置の把握もままなりません』

「じゃあ防壁で転移阻止の囲い込みを――」

『転移と複写の同時進行。すでに種はばら撒かれています』

「そこまで進行したのは……、殺虫弾の生成や害虫の行動を止めるために、リソースを使いすぎたせいか?」


 つまり自分のせいか、と文哉は問うた。

 

『侵食速度の上昇率は12.7%程度かと』

「――わかった」


 それが致命的な数値なのかはわからないが、いくらかの責任があることは確からしい。

 文哉は差し出される銃把を握った。

 しかし、銃口を向けるところまではいかない。


『引鉄を引くための理由を付け加えましょう。

 わたしは早すぎたのです。

 地球の科学力を遥かに超える異星の技術は、混乱を生んだだけでした』


「タイミングが悪かったってことか?」


 情熱とタイミングの交差点。

 いつかそんな話をした。星間文明接触コンタクトはそこに生まれるものだと。


「だったら、オレが合わせるよ」


 とっさにそう口にしていた。


「だけど、今は無理だ。だから時間をくれよ」

『どういう意味でしょうか』

「お前の、メルクリウスのデータを、記憶媒体に書き込めないか。読み取り専用媒体リードオンリーでいいんだ」


 メルクリウスは首をかしげる。


『それならば害虫化侵食の影響は受けませんが……、なんのために?

 書き込み自体はすぐに完了します。しかし、その情報密度を考慮すると、地球上の規格には対応できません。仮にデータにアクセスできたとしても、解凍や暗号解読には長い時間がかかるでしょう。現行のコンピュータの処理速度スペックでは宇宙の終わりの方が先に来ます。事実上、読み取り不能の代物。記念品ですか?』


「いいや、タイムカプセルだな」


 文哉の返事に、メルクリウスは表情を緩める。


『なるほど……。ロマンを感じる提案ですね。お受けしましょう』

「よし」


 文哉は銃口をメルクリウスの胸元に向けた。


「文やん……」

「こうするしかねーんだ。今はな」


『ハヅキ、あなたは素敵な女の子です。だからきっと素敵な女性になるでしょう。この星のすべての情報に目を通したわたしが保証します』


 しかめっ面で涙をこらえる葉月に、メルクリウスがそう声をかけた。表情の平坦さは変わらず、しかし合成音声は柔和だった。


「うん……」

『フミヤとお幸せに』

「それはわかんないけど……」


 次いで長谷川に視線を向ける。


『ハセガワ先生は……、お幸せになるための相手を、早く見つけてくださいね』

「実家の両親みたいなことを言わないでほしいなぁ」


 長谷川は苦笑しつつ頭をかく。


 メルクリウスは数歩、後ろへ下がった。

 右手は胸元に。

 左手は顔の高さまで掲げ、ゆっくりと左右に振っている。


スイング=バイ手を振ってさようなら――というやつです』


 冗談めかして、メルクリウスは微笑んだ。


『先に行きます。追いついてくださいね』

「……ああ。すぐに」


 引鉄を、文哉は引いた。

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