追憶の水銀灯


 メルクリウスは、長い不活性ねむりの中で記憶領域の整理整頓デフラグを進めている。


 五感から取り込んだデータは、記憶領域に無造作に放り込まれるため、そのままの状態では使いづらい。

 情報を整え、タグ付けし、不要なものは廃棄する。

 その過程でまたたくデータの断片が、メルクリウスの意識表層に浮かび上がる。

 それはヒトが睡眠時に知覚する幻像――夢に似ていた。


 いつか彼と話した、とりとめのない話の欠片。



「自星のほかに生命が存在する可能性って、そっちの星でも計算したりするのか?」


『もちろんです。生命居住可能領域ハビタブルゾーンや、接触可能性算出ドレイク方程式――地球で考案されている理論に似通ったものは、ルゥ・リドーにもひととおり存在します』


「いくら科学が進んでても、あてずっぽうで探査機を飛ばしたりはできないもんな」


『生命存在の可能性はかなり高いと考えられています。しかし、それが知的生命体となると確率は一気に下がります』


「微生物が発生するのと、文明を築けるまで進化するのは、また別の話だからなぁ」


『高度な文明が繁栄しているうちに、別の文明がそれを発見できるのか、というタイミングの問題もあります。近々発見できるという学者がいれば、そもそも知的生命体は他の星では発生しないという学者もいます』


「やってみないとわからない、ってことか」

『そして、この星にたどり着きました』

「運がよかったんだな」

『フミヤにはロマンが不足していますね』

「AIの言うことかよ」

星間文明接触コンタクトに必要なものは、遥かな距離を渡り行く情熱です』

「無表情で淡々と言われてもな……。でも最後にモノを言うのはタイミングだろ?」

『情熱とタイミングの交差点に生まれるもの。まるで恋のようではありませんか』

「何言ってんのマジで」

『心拍数と表体温の上昇を確認』

「夏だからな」

『投げやりですね』



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 メルクリウスがある危険性について察知し、対策を取り始めたのは、あの夏祭りの日からだ。


 危険性とはすなわち、文哉たちが知りすぎてしまうこと。

 それによって、母星から警戒されてしまうことだ。


 特に長谷川は『FOE』というゲームから散見されるルゥ・リドーの実情を、独自の調査によってある程度、推測していた。

 それは好奇心を満たすための行動であり、サーバ設置場所の提供なども、善意からではなく、楽しみいわば娯楽の一端であった。

 メルクリウスにヒトの精神の機微はわからない。しかし、長谷川は使命感などで動いているわけではないようだった。


 メルクリウスは、閲覧権限のないルゥ・リドーの事情について、探査を行った。


 不明とされている害虫の由来。

 ルゥ・リドーの人類が、害虫の本格的な駆除に乗り出さない真の理由。

 メルクリウスがアクセスを制限されている、惑星の人類圏の内情について。


 これらの疑問を明らかにするため、メルクリウスは少々危ない橋を渡った。

 メルクリウスは、母星から定期的に通信を受けている。それはメンテナンスであったり、対害虫群における戦闘指示であったりした。

 そのアクセスの隙を突いて、メルクリウスはルゥ・リドー人類圏へのマイクロ秒単位でのアクセスを繰り返したのだ。


 その結果、メルクリウスの持つデータと、母星の実情には、いくつかの相違点があることがわかってきた。


 害虫群が、ルゥ・リドーの人類が生み出した生物兵器であること。

 人類圏から隔離された戦闘フィールドは、その大規模な運用実験場であること。

〝インセクティサイド〟と駆除者エクセクトは、害虫群の戦闘データを取得するためのサンプルであり、また、害虫の過剰な増加を防ぐための文字どおりの駆除役であること。


 しかし『FOE』の登録者数増加に伴い〝インセクティサイド〟が兵器として再評価されることになった。

 害虫群と駆除者の戦いは、いわゆる兵器開発競争の様相を呈していった。



『インセクティサイド推進派』は、運用の精密性、利便性を主張。

 その証明として、〝インセクティサイド〟の市街戦での利用を開始した。


 低頻度で発生する市街地戦は、害虫の駆除ですらない、ただの内輪揉め・・・・だった。

 敵対勢力の圏内にインセクティサイドを派遣し、市民を殺害させるミッション。


 当初のゲームとは方向性が違いすぎるその内容には、画像処理によってカモフラージュが施された。拡張現実ARによる偽装である。

 ルゥ・リドーで一方的に虐殺される市民を、ディスプレイでは小型害虫として映し出すことで、ミッションの異常性を抑制するのだ。


 これは功を奏した。

 プレイヤーのほとんどはさして抵抗感なく害虫しみんの虐殺を行い、難易度の低さに首を傾げつつも多額のゲーム内通貨を受け取って満足していた。

 違和感を覚えて深く踏み込んできたのは、由良文哉くらいのものだった。


 しかし、深入りしてくる彼を、メルクリウスは止めることができなかった。


 最初の〝市街戦〟の直前。

 メルクリウスは、この企てに対して強い拒絶を表明し――その結果、彼女は地球で構築してきた固有のアーティフィシャルパーソナリティを剥奪された。

 ナノチップ集積体は、ルゥ・リドーからの指示に忠実なAI素体オリオンⅣが引き続き使用することとなった。


 あろうことか文哉は、入れ替わったばかりのオリオンⅣに対して、いきなりゲームの偽装を看破し、追及した。


 そして〝排除〟されたのだ。


 そこまではメルクリウスの想定内だった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――あの夜。

 瓦礫が散乱し、文哉と葉月が傷を負った生物室。


 葉月は擦過傷や刺し傷などで出血があるものの、命に別状はない。処置は止血と傷口の軽度のケアのみ。トリアージ。文哉の方が優先だった。


 文哉の右胸部には大きなガラス片が突き刺さり、肺を破って背中にまで達していた。他の臓器は傷ついていないが、失血と外傷だけですでに致命傷のレベルである。


 メルクリウスは、秘匿していたナノチップをすべて動員することを決定。

 爆発でも無傷だった金魚鉢――その中を泳いでいる金魚が跳ねた。金魚鉢から飛び出て床に当たる。、パシャ、と音を立てて銀色が床に広がった。


 その、〝銀の金魚〟こそがメルクリウスの切り札。自らの記憶メモリや経験を蓄積した、ナノチップ集積体であった。


 体積にして5立方センチ程度。

 それは伸縮性の包帯のように形を変えて文哉の傷口を覆った。生体部品特化。

 大小微細なものまですべてのガラス片を取り除き、破損した体組織を縫合しつつ培養、補填、そして被膜。


 まずは体表の傷口をふさいでから、中身・・の修復に取り掛かっていった。

 その処置は手術の域を遥かに超えており、特に破損部分の周辺組織はすべて体細胞の再生によって修繕された。


 ナノチップの大半が文哉の身体の一部となり、メルクリウスは本来の機能のほとんどを停止して休眠状態に入っていく。


 オリオンⅣへの対策は済ませてある。

 深層コードにはある仕込を行っていた。

 それは文哉と葉月を別人に誤認させる一文。if関数に類するものだ。


〝もし由良文哉と一致する人間を認識したら、それは山田太郎である〟

〝if(由良文哉)then(山田太郎)〟


 ――という、特定の個人の認識を、強制的にすり替えるコードを書き加えたのだ。


 置き土産だけでは不安が残るが、メルクリウスのコンディションで打てる最善の手である。例えば、五感センサ類を誤認させる手は、オリオンⅣへの常時監視が必要である上に、高い演算能力を要するため、現実的ではなかった。



 徐々に処理能力が低下していくまどろみ・・・・のなか、メルクリウスは最後に休眠時のモード設定を行う。

 文哉と葉月のバイタルを監視、危機に陥ったと判断した場合には休眠を解いて、助けに入れるように。


 加えて、文哉が『FOE』に接触できないようにする反射行動を設定。

 条件設定に抵触した場合、メルクリウスの活性化の代償として、文哉の身体に呼吸機能低下や痛覚などがフィードバックされる可能性あり。


 設定を確定させる直前――迷いという名の、刹那の処理能力低下。


 ヒトの苦痛要因を可能な限り排除するのは、AIの行動原理の根幹である。


 条件設定の変更を確定? >Yes.


 痛覚という一過性の苦痛よりも、長期的な安全の確保を優先。

 また、苦痛の喚起に伴い、関連する記憶が喚起される。

 それは一種の安全弁であり、警告としての作用が期待できる。よって放置と判断。


 ヒトの記憶は、反復的なアクセスによって、より強固なものになるという。

 だとすれば。

 文哉が痛みを感じるたびに、メルクリウスむかしのことを思い出す。

 それは悪くない作用エフェクトだ。


 メルクリウスは徐々に外部情報の処理を軽減、休眠状態スリープモードに入った。

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