1年後の現在:仇敵との再会 前編


「……ねえ文やん、何ボーッとしてるの」


 漫画喫茶の個室。

『FOE』のプレイがひと段落着いた葉月が、文哉に声をかけてくる。


「メルクリウスが消えたときのこと、思い出してた」

「そう……」

「あの後、あいつのことなんてロクに話さなかったのにな」

「ちゃんと話して、探してたら、見つかってたと思う?」

「たぶん無理だったろうな」

「メルはどうして、あんなことをしたのかしら」


 文哉は返事ができない。

 自分の踏み込んだ問いかけが、メルクリウスの〝知りすぎた者は消される〟スイッチに触れてしまった。その結果があの証拠隠滅めいた爆発なのだと思っていた。


 葉月を巻き込んでしまい、一生ものの傷をつけてしまった。

 その後悔の念は強い。


「あの爆発でね、あたし、メルを探さなきゃっていう……、やる気とか、執着とかが、吹き飛んじゃったのよ。とても強い拒絶をされた感じ。だから探す気力が起きなかったの」


 葉月は自分の腕に触れた。服の上から傷跡をなぞるように。


「それに、その後すぐに夏休みが終わっちゃうし。2学期になって普通の学校生活が始まったら、メルクリウスのことを考える時間も減って、ときどき思い出すだけになって……」

「オレも似たようなモンだな。代わりに受験勉強の時間が増えてって」


 葉月は当初の志望より1ランク、文哉は3ランクほど上の大学に受かっていた。

 文哉の場合は単に、この町を離れたいという不純な動機が強いこともあったが。


「長谷川先生とは、メルがらみの話ってしなかったんでしょ?」

「メルクリウスどころか、勉強のこと以外で会話しなかったぞ。葉月もだろ」


「ええ。先生はあの爆発のことも、直接は知らないはずよね。あの場にいなかったんだから。学校内にも残ってなかったはずだし……。ああ、だから文やん、長谷川先生を疑ってたのね。今もメルの居場所を知ってるんじゃないかって」


「もともと生物室以外の増設サーバは全部、長谷川先生のポケットマネーだったし、オレはそのサーバがどこに置かれてるのかも知らなかった」


「去年の夏休み中は、増設サーバの設置場所は校内だけでしょ。ゲームの規模もそれほど大きくなかったんだし」


 学校で、サーバを設置するのに適した条件を有する場所。

 ある程度の広さがあり、人の行き来が少なく、環境の変化に乏しい場所――といったところか。屋内であることは確実だろう。


「滅茶苦茶になってた生物室を一晩で元に戻したくらいだし、ある程度は力技ができるってことでしょ」

「部屋を増やすとか?」

「でも建て増しはダメでしょ。すぐ気づかれちゃうわ」

「じゃあ地下室なら……」

「横穴を掘ればすぐね」

「校舎に地下はないよな。でも、プールが半地下でポンプ室みたいになってたか」

「体育館は? 地下が用具置き場になってるでしょ」

「ああ……、そこだ」


 おぼろげな記憶がよみがえる。

 長谷川の職権を使って拡張された、サーバの増設場所には、体育館の地下も含まれていたはずだ。


 すこし考えを進めるだけで、少なくとも校内にメルクリウス・サーバが残存している可能性にたどり着いた。

 対象への思考を放棄することは、距離や時間が隔たることよりもずっと、対象との関係性を遠ざけてしまうらしい。


 文哉は立ち上がった。


「行くぞ」

「えっ、今から?」

「野球部とかまだ練習してるだろ、大丈夫だって」

「フットワーク軽いわね」

「夏は短いからな、ぼんやりしてるとすぐに終わっちまうぞ」

「何を言ってるの?」



◆◇◆◇◆◇◆◇



 昼どきに続いて夕刻、文哉たちは再び学校内に足を踏み入れた。

 今度は校舎ではなく体育館へまっすぐに進んでいく。


「体育館の地下にサーバがあって、そこにメルがいるとするじゃない?」

「ああ。そのつもりで動いてる」

「それは、あたしたちの知ってるメルなのかしら。それとも、あのときの、冷淡で面白みのないメルクリウスの方?」

「つまらないやつの方だろうな、たぶん」

「区別しにくいからワルクリウスって名付けましょ」

「相変わらずのネーミングセンスで……」

「いいでしょ別に、こんなのわかりやすさ重視よ。メルのときも、もう少し短い名前にすればよかったのに」

「大きなお世話だ。……あいつも喜んでたっぽいし」

「ウソぉ、文やんの主観でしょ、あと願望」


 真っ向から否定されると自信がなくなり、黙り込んでしまう文哉である。


「――やはり君たちか」


 体育館の外周から地下へ続く通路へ入ったところで、長谷川が立ちふさがった。


「どうしたんですか?」

「不審人物が進入したから見てこいって言われたんだよ」

「ワルクリウスにですか?」

「わる……? ああ、そうさ、〝彼女〟にだよ」


 わずかなやり取りで文哉は違和感を感じる。しかし出所でどころがわからない。

 葉月が一歩前に出る。


「あの、先生。ワルクリウスは「不審人物」って言ったんですか? 葉月とか文哉っていう名前じゃなくて、ただ不審人物って」


 ――ああ、そいつだ。違和感は。


 メルクリウスは、監視カメラなどの画像と、ネット上の個人情報と比較することで個人の特定ができる。初対面の人物でも、その相手が何者なのかがわかる。個人情報と、相対している人物を一致させられるのだ。


 そんなメルクリウスが、文也と葉月に気づかないわけがない。

 今は別物――ワルクリウスなのだとしても、その性能は同一のはずだ。


「会えますか、ワルクリウスに」

「先刻からなんだい、そのワルクリウスというのは。ひどいネーミングセンスだよ」

「……会えるんですか?」


 葉月はむっとした顔で再び尋ねる。

 長谷川は苦笑しつつ頭をかいた。


「今ならば、さすがにいきなり爆発とかはないだろうが……、怖くはないのかい?」


 長谷川が問うているのは、一年前の出来事。

 再びアレの前に立つつもりなのか、ということだ。


「知ってたんですね、何があったか」

「彼女に――君たちが言うところのワルクリウスに見せられたからね」

「あの爆発を見たのに、先生はワルクリウスの使い走りをしてるんですか?」

「逆らっても無意味だからね。告げ口もできない」


 長谷川は苦笑する。


 まず、物理的にどうこう・・・・できる相手ではない。

 宇宙人を見つけましたと声を上げても普通の人は取り合ってくれない。

 完璧な証拠をそろえようとしても、その前に先回りしてすべてを握りつぶされる。


 圧倒的なテクノロジーの前に個人は無力だ。

 そのうえ、メルクリウスは個でありながら、ネットを介して組織以上に組織的に動くことができる。

 演算能力に任せたマルチタスクの極み。地球へ来訪して1年。メルクリウスがどこまでその存在を拡散しているのか、把握している者は誰もいない。


「ただ、まあ……、一年前の爆発あれは、威嚇の類だと僕は思っているよ」

「えぇ、あれで!?」


 葉月が声を上げる。

 しかし、文哉は長谷川と同意見だった。


「そりゃそうだろ、ワルクリウスが本気だったら、オレらが無事なわけがない」

「爆発で気を失った二人を介抱し、自宅へ送り届けるところまでケアしていたよ」

「手当てどころか完治してましたけど」


 葉月はいぶかしげだ。


「生体コンピュータ由来の技術がある。細胞の培養やら再生は得意なんだろうね」

「でも……」


 消えない傷跡をつけられた葉月は、納得できないようだ。


 ワルクリウスにとっての関心事は、文哉たちの生き死にだけで、多少の傷や精神的なダメージは誤差の範囲内なのだろう。

 そういった細部を省みないあたり、外見は同じであっても、やはりメルクリウスとは別物なのだ。


 ともかく、ワルクリウスはこちらが妙な動きをしない限り、一方的に危害を加えることはないだろう――というのが、文哉と長谷川の共通認識だった。


「それとは別件で、ワルクリウスは、ちょっと動作が不安定になっているみたいなんだよ。受信データの容量に異常値が見られる、妙なノイズも多いし」

「そんなのモニタリングしてたんですか」

「こっそりとね」

「送信する分には問題ないんですか?」

「ああ、異常があるのは受信だけだ」

「でも、受信って〝インセクティサイド〟側の画像情報や、弾薬残量とかをこちらのディスプレイに反映させる、要はフィードバック情報ですよね」


 異常というのはそれ以外のノイズがあるということ。

 その出処はどこなのか。


「ついに向こうの人類が介入してきたんですか?」

「人類かもしれないし、そうじゃないかもしれない」

「そんな回りくどい言い方しないでください」

「結論から言うと、ノイズの出処は、害虫だよ」


 雑音ノイズというのは音響的ではなく電磁波的な意味のはずだ。

 害虫は基本的に電波など出さない。

 ただし、指揮個体と呼ばれる特殊な固体だけは例外だ。指揮波というある種の電磁波によって、群れを統率している。


「指揮個体が、こっちの通信に干渉してきたんですか? だけど、もともと指揮波っていうのは他の害虫を操るための電波であって、ジャミングとは用途が違いすぎるんじゃ……」

「昔、話しただろう? 害虫群・生物兵器説」


 害虫群がそもそも人の手によって作り出された存在ならば、機器のインプラントや遺伝子操作などで、電磁波の発信能力を付け加えることも可能だろう。

 害虫群が自然な進化の果てにああ・・なったと言われるよりは、よほどありえる話だ。


「ワルクリウスが不安定っていうのは、どういう感じなんですか。人型が維持できなくなって指先が溶けてきてるとか……」

「人型になるのは、コンピュータとしてのリソースを食う割にメリットがないらしい。あの事故の後、彼女が人型をしているところはほとんど見ていないよ」

「じゃあ影響があるのは――」

「サーバの方だね。オンラインゲームでよくある異常と同じさ。接続が不安定になったり、動作が遅くなったり……、主に『FOE』への影響だよ」

「DoS攻撃みたいですね」

「ドスで攻撃するの?」


 葉月が首をかしげている。

 彼女のイメージは訂正しないでおこうと文哉は思った。


 のんきなやり取りが続いていたが、体育館の地下へ向かう階段に差し掛かると、口数が少なくなっていく。

 地下へ降りていくというのが、どことなく、邪悪が潜む魔窟をイメージさせる。

 待ち受けるのは、かつてメルクリウスだったもの。

 文哉と葉月に傷を負わせた、いわば仇敵である。緊張もしようというものだ。


 文哉はスマートフォンを取り出した。

 通信状態を確認すると、ある番号に向けて電話をかける。


「何してるの?」

「ダメ元で、ちょっとな」


 しばらく呼び出し状態が続いたが、結局、相手が電話口に出ることはなかった。

 そのままスマートフォンをポケットに突っ込む。

 眼前には分厚い扉。


「この中がサーバルームだよ」


 重苦しい嘶きのような音を立てて、鉄扉が開いていく。


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