1年後の現在:恩師との再会
喫茶店を出た二人は、母校である伯鳴高校へ向かった。
帰省者の多い時節柄、訪れる卒業生は珍しくないようで、文哉たちはほとんど素通りで校内に入ることができた。
二人は示し合わせるでもなく、自然と生物室へ向かっていた。
言葉数が減っていく。
文哉は心拍数が上がるのを自覚していた。
葉月は服の上から、傷跡の残る肩口をきつく押さえている。
生物室はあの頃と変わっていない。
一年という歳月がその理由ではない。
事故の翌日にはすでに元通りになっていたし、そもそも事故があったことすら誰も気づいていないのだから。覚えているのは文哉と葉月、そして長谷川だけだ。
生物教室の片隅には金魚鉢がある。
赤と白が複雑に絡みあった、綺麗な模様の金魚が1匹。
当時よりも1年分成長して、やや窮屈そうにも見えるそれは、メルクリウスがあの夏祭りの出店で手に入れたものだった。
メルクリウスが自分の意思で何かを欲するのは初めてのことだった。それも、おそらく任務には不要なもの。文哉にはそれがとても特別なことのように思えて、彼もまた普段と違った行動を取った。
自腹を切って金魚鉢を購入し、生物室へ持っていったのだ。
家族以外にプレゼントなどしたことがなかったので、ひどく浮ついた気分だった。これを見せたときに相手はどんな反応をするのだろうと、想像することが楽しかった。そのときのメルクリウスとの会話はよく覚えている。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「これ使えよ」
『なんですか?』
「知ってるだろ。金魚鉢だよ」
『名称ではなく意図を尋ねています』
「プレゼントだよ、ただの」
『人工知能が生物を飼育する行為をどう思いますか』
「ん……、まあ、よくある話だよな」
『地球でそのレベルのAIは普及していないはずですが』
「フィクションでって意味だよ。子犬を雨からかばって自分はずぶ濡れになっているロボットの話とか、悲しいときに涙を流す機能がないことを嘆くロボットの話とか、そういうのがあるだろ」
『それはそれでひとつのジャンルとして成立しており、度々、全米が涙しているようですが?』
「ロボットが何かしたってだけで、みんな感動しすぎだろ。
たとえば「泣きたいけど涙を流す機能がないロボットの話」で、ロボットがそう考えるのは、この状況では泣くものだって〝学習〟したからだ。
でもそれじゃ味気ないから〝感情〟なんて言葉にすり替えたりする。
人間の感情だって同じだろ。経験して空気を読んで、この場面ではこう感じるものなんだ、それが常識なんだ、って学んでいく」
『では、ノンフィクションでそれを目の当たりにした場合は?』
「そんなことを聞くなんて珍しいな。何かあったのか」
『お願いします』
婉曲した問いかけだったが、メルクリウスは自分の行動に対して、文哉からの評価を求めていた。
「……育てて食うつもりじゃあないよな」
『効率的ではありません』
「夏祭りにはしゃぐ子供、の演技の一環」
『それは昨日、十分に行いました』
「育てるうちに情が湧くのかどうか、の実験」
『情の定義を明確にしてください』
埒が明かない。
「まあ、ただの人工知能が珍しい行動を取るなら驚くけどな、お前が少しばかり人間らしい動作をしたところで、今さらそれがどうしたって話だ。オレや葉月の行動を、人間らしいか人間らしくないか、なんて言い方はあまりしないだろ。普通は、オレらしいか、葉月らしくないか、っていう判断になる。お前も同じだ。人工知能らしいかどうか、なんて基準じゃないんだよ。
メルクリウスらしいか、らしくないか――その基準でいくと、お前が金魚すくいをするのは確かに意外だったけどな。今まで何も欲しがらなかった子供が、急に興味を示したとなれば、そりゃあどういう心境の変化かと思うだろ」
『わたしらしいか、どうか……』
「で、何かあったのか?」
『いいえ、何も』
「でもなぁ……」
さらに言い募る文哉に対し、メルクリウスは話を変えてくる。
それも、文哉がはっきり食いつくに違いない話題で。
『感情は学習するものだという言葉、まったく正しいと思います。しかし、あまり口外はしない方がいいかと。涙を流すロボットの話に感動するヒトは、フミヤが思っている以上に高い割合で存在していますよ』
「わーってるよ」
『女性は特にそうです。フミヤの持論は、あまり理解されないばかりか変人扱いをされる可能性が高いでしょう』
「……それ、葉月とかも?」
『ヒトは
◆◇◆◇◆◇◆◇
しばらくすると生物室に長谷川がやってきた。
彼は相変わらず伯鳴高校で教鞭を取っている。とはいえ一年しか経っていないので職業的な変化はない。外見的にも、以前のままだ。よれよれの白衣に、無精ひげ。
「やあご両人、久しぶりだね。元気でやっているかい」
「お久しぶりです先生、相変わらず独身ですか?」
葉月が笑いながら言う。
ひどいあいさつだと文哉は思うが、長谷川は苦笑するだけだ。
「卒業生が来るたびに言われるものだから、もう慣れてしまったよ」
「独り身に慣れるのは危険な兆候らしいですよ、姉いわく」
「ほう、お姉さんって独身?」
「元教え子の姉に興味を持たないでください」
そんなやり取りを横で傍観していた文哉に、長谷川が話しかけてくる。
「正直、君たちが来るとは思っていなかったよ」
「『FOE』のCMを見ました。あのゲームはまだ続いてるんですよね」
「つまり、メルクリウスの名残、面影を探しに来たというわけだね」
「行方を知りませんか?」
「深入りした結果あんなことになって、それでもまだ君は……」
長谷川はため息をつき、文哉の目を見据えた。
幼子に言い聞かせるように、ひと言ずつ、ゆっくりと、言葉を刻みつけていく。
「断言するが。彼女はあの日、ここで、消えた。今はもういない」
「心当たりは……」
「あのゲームの運営を続けている〝何か〟は、どこかにいるのだろうね。だが、そいつはもうメルクリウスじゃあない。彼女と同じ機能を持った別物だ」
葉月にも忠告された。
――メルクリウスがメルクリウスのままでいると本気で思っているのか、と。
ところが、黙りこんだフミヤに代わって反論したのは、その葉月だった。
「そんなことないです。先生、これ見てください」
葉月は一歩前に出ると、スマートフォンを取り出して長谷川に画面を向ける。
メルクリウスに助けられた話をし、メルクリウスからのメールを見せた。
長谷川は少々面食らってはいたものの、すぐに平静を取り戻す。
そして、やはり信じられない、と首を振った。
◆◇◆◇◆◇◆◇
長谷川と別れ、学校を出てからの道すがら。
「どう思った、先生の反応」
「あたしがメルに助けられたって話には、やっぱり驚いてたみたいね。そんなに大きい反応じゃなかったけど……」
「ああ、あの驚き方は、なんて言えばいいんだろうな……、こういうこともあるんだな、っていう余裕の見える驚きじゃなくて、こんなことが起こるなんてありえない、っていう心底からの驚きだよな。うまく言えないけど」
まったくの未知への驚きではなく、ある程度把握しているものが、想定外の挙動を示した――そういうタイプの驚きだった。
「わかるわ、それ。長谷川先生の知ってるメルクリウスは、あんなことはしない――っていうかできないと、先生は思ってたんでしょうね。だから予想外のことに驚いてるって感じだったわ」
「……だな」
つまり、長谷川は現在のメルクリウスについて知っている可能性がある。
「まあ全部想像だけどな」
「そうね」
「でも、長谷川先生なんか変わったよな。もう少しノッてくるかと思ったのに、ほぼ突っぱねられた感じだった」
「そりゃあ、先生は立場があるでしょ。去年は一緒になって楽しんでた節もあったけど、あんなことが起こって……、だから、あたしたち子供と一緒に、ってわけにはいかないのよ。大人には責任があるんだし。あたしたちはそう思ってなくても、子供に何か起こったとき、周りは一緒にいる大人を責めるでしょ。監督責任とか安全責任とか。普通の大人よりちょっとゆるくて子供寄りだった長谷川先生も、そういう実感があったら、やっぱり変わらざるを得ないのよ」
葉月の話を聞いて、文哉は複雑な気分だった。
長谷川の変化をはっきり言語化してのけた葉月もまた、あの頃とは変わったのだろう。外見だけではなく内面も――子供から大人へと。
とはいえ、感慨に浸っている場合ではない。
「先生にこれ以上何か聞いても、教えてはくれないだろうな。っつーか、無理に聞き出すのは迷惑になるか。責任を負わせることになる」
「そうね。何か手があるの?」
「ある」
「どんな」
「張り込み」
「刑事ドラマとかでよくやる、あれ? ……8月いっぱいって本気だったんだ」
葉月は呆れ顔を浮かべ、そして、「仕方ないわね」と苦笑するのだった。
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