夏祭り


 夏祭りへと向かう道すがら。

 先ほどまでの荒々しい雰囲気と違って、葉月は大人しく、淑やかだった。


 朝顔が足元から腰の高さまで咲き乱れ、見上げる空は朝焼けのグラデーション――夏のイメージを形にしたような絵柄の浴衣に身を包んだ葉月は、まるで服に合わせたかのように、佇まいまで変わっていた。


 伏せた瞳にげな横顔。

 つやめく黒髪くろかみうしろでって、のぞくうなじに色香いろかかおる。

 文哉の歩く三歩後ろを、しゃなりしゃなり・・・・・・・・とついてくる。


 あまりの変わりように居心地が悪い。Tシャツにジーンズという手抜きの格好の自分が、それだけで怠惰なダメ男のように思えてくる。


 だから、メルクリウスを誘っていこうと葉月が言い出したとき、文哉は気まずさよりも安心の方を強く感じてしまった。


 大和撫子バージョンの葉月と二人では間が持たない。

 さきほどまで彼女の部屋で二人きりだったことが、今さらながらに思い出され、よくもまあ間違いが起こらなかったものだという、安堵と呆れが入り混じった気分になる文哉であった。


 夏祭り会場の柊神社へと向かう道中、サーバのある学校からの合流地点での待ち合わせ。少女はすぐにやってきた。銀髪黒衣の装いはいつもと変わらない。


 しかし、その身長は100cmほどしかなかった。

 文哉たちの腰の辺りほどの高さである。


『お待たせしました。さあ、行きましょうか』

「ちっちゃ! ……ええ? メル、どうしたのその格好」


『ここからは戦場でしか生きられない戦士たちが集うときです。わたしは、彼ら、強く哀れな者たちを導かねばなりません。今は力を分けた半身にその役目を託しているため、このような姿に身をやつしているのです』

「どういう意味?」

「飯を食ってやることなくなった暇人どもがネトゲをやり始める時間帯ってことだろ。サーバの負荷が増えるから、メルクリウス本体の何割かに見守らせて、いつでもサポートできるようにしてるんじゃないか?」


 文哉が翻訳すると、葉月はなるほどねとうなずいた。


「そういうこと」

『この容姿は奇妙だったでしょうか』

「ううん、とても可愛いわよ」

『ありがとうございます。ハヅキも美しいですよ。和装の美ここに極まれり、といった趣がありますね』

「ほめすぎよぉ、……それに比べて」


 葉月は文哉を一瞥し、ため息。

 メルクリウスが冷たい目を向け、同じくため息。


朴念仁フミヤ……』


「ん?」


ヘタレふみや

唐変木フミヤ

鈍感ふみや

甲斐性無しフミヤ

「なんかごめんなさい」


 名前を呼ばれているだけなのに、ひどい罵倒を喰らっているような錯覚を受ける。

 文哉は思わず謝罪していたが、にべなく無視。

 葉月とメルクリウスは話を続けた。


「メルの呼び方を変えようかしら」

『メルクリウス・ハーフとでも』

「カロリーカット食品じゃないんだから」

『では、ミニクリウスで』

「えー、ちびクリウスじゃだめ?」


 ロリクリウス、と言わないだけの自制心はまだある文哉だった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 鳥居をくぐった辺りから、3人は注目の的だった。

 夏場に量産される浴衣女子とは一線を画す、ダントツの容姿、着こなし、たたずまいを誇る桜河葉月。

 薄暗がりで際立つ白と黒のコントラスト、動く西洋人形のごとく現実離れした綺麗さで人々を惑わすロリクリウス。

 その二人の連れ合いなのか、たまたま歩調が合っただけの他人なのか、凡百の服装に凡百の容姿で、とぼとぼ歩く由良文哉。


 特にロリクリウスは、外国人じたいが珍しい地方都市の土地柄もあって、すれ違う人々の視線をもれなく集めている。中にはスマホのカメラを向けてくる輩もいる。


「なあメルクリウス、お前の画像がフォルダに入った瞬間に全データをクラッシュさせるようなプログラムってできないのか?」

『物騒なお兄ちゃんですね』


 ロリクリウスは口元をわずかに上げて、小走りで射的の屋台に向かっていった。合成音声は体格を意識したのか普段よりも幼い声だった。


「お兄ちゃんて」

「顔がニヤけててキモイわよ」

「これは……、違う、父性とかそういう感じのやつだ」

「男はみんなロリコンなんでしょ。お姉ちゃんが言ってたわ」

「どうせ酔っ払ってたんだろ葉子さん」

「フラれたヤケ酒よ。断りの台詞が「年上は好みじゃない」だったんだって」

「やめてくれよそういう話……、会ったとき顔に出そうだ」


 ロリクリウスが戻ってきた。


「どうだったの?」


 葉月が成果を尋ねると、ロリクリウスは首を振った。


『高価な景品は接着剤で固定されているか、重しによって動かないよう細工がされていました。コルク弾の質量と弾速であれらを撃ち落とすのは不可能です。店主にそれを指摘すると、イチャモンつけるならよそへ行ってくれ、と言われました』

「うーん……、それは、そういうものなのよ」

「気にするだけ無駄だぞ」


 葉月と文哉があいまいに答える。小さな悪を見逃せない幼子をなだめる、諦観を覚えてしまった大人のように。


 ロリクリウスは別の出店へ向かう。

 細長い棒に綿状の物体が絡みついた商品に興味を示したらしい。

 が、またすぐに戻ってくる。


『原料費や人件費その他の経費から適正な販売価格を提示したら、イチャモンつけるならよそへ行ってくれ、と言われました』

「だからそれはそういうものなんだって」

「気にするだけ無駄だぞ」


 ロリクリウスの幼い面立ちからは不満げな感情が垣間見えた。

 これまでとは異なる反応である。通常のメルクリウスは、表情の変化はあっても、こんなにはっきりと感情が見えることはなかった。構成物質ナノチップの少なさが、外観に関する機能に影響を与えているのだろうか。


 そんなことを考えていると、横合いから声がした。


「夏祭りの出店でみせというものは、イカサマとボッタクリでできている。それを許容するおおらかさが、祭りの雰囲気を作ってるのさ。気にしちゃあいけない」


 長谷川だった。相変わらずの白衣姿だが、腕に黄色の腕章をしている点がいつもとは違っている。周りに連れの姿はなく、独りのようだ。


「何してるんですか」

「若人たちのミッドナイトサマーカーニバルを阻止してるのさ」

「何言ってるんですか」

「不純異性交友の取り締まりだよ。こういう催し物のたびに若手が借り出される」


 長谷川は右腕の腕章を指でとんとんと叩いた。

『こどもパトロール中』と書かれている。


「子供のおりも大変ですね」

 自分もそうであることを棚上げして文哉が言う。


「お守りというか、脅しだね。大人の目がある中では、子供は少しばかりおとなしくなる。仮に子供の非行や犯罪が昔より増えたというなら、それは大人の目の届かない場所が増えただけの話さ」


 立ち話をしていたせいで目に留まったのか、数人ほどの集団が近寄ってくる。

 比較的親しいクラスメイトたちだった。


「あ、葉月じゃん。由良君も一緒で。へぇー」

「長谷川せんせー、こんばんわー」

「おいおい文哉、ついに桜河と……、キメる気か?」


 などと口々に声をかけてくる。

 それぞれに相手をしていた文哉たちだが、友人の一人がロリクリウスの存在に気づくと状況が一変する。


「ちょっとこの子どうしたの? チョーカワイイんですけど」

「外国人? 誰かの知り合い?」

「ね、お嬢ちゃん、お名前は?」

『わたしは……』


 まずいかもしれない、と文哉は思う。

 赤の他人ならコトを起こしても逃げ出せば済む。

 しかし、知り合い、しかもクラスメイトとなるとそうはいかない。

 ロリクリウスが妙なことを口走り始める前に、距離を取るべきだろうか。


 あれこれ考えている間に、長谷川が動いた。

 ロリクリウスの両脇を持って抱え上げながら、


「エカチェリーナ・イリーニチナ・スターリナ。大学時代の友人の娘さんなんだ。休暇を利用して遊びに来たところを預かっている」


 と、ロシア系の名前を口にした。確かに、ロリクリウスの外見ならばロシア人ということにするのが最も違和感が少ないだろう。


『はじめまして。エカチェリーナ・イリーニチナ・スターリナです。

 カーチャと呼んでください』


 ロリクリウスも長谷川の嘘に乗った。

 宙吊りにされたまま、スカートのすそを持ち上げるしぐさ。


「キャー、カーチャン、かーわーいーいー」

「お人形さんみたーい」

「ね、ね、年はいくつ? 何歳?」

「長谷川やべーよ事案にしか見えねぇよ……」


 騒ぎ立てるクラスメイトたちを尻目に、長谷川はロリクリウスを背中の方へ持ち上げる。肩に足をかけ、器用に長谷川の背中に収まった。おんぶ・・・の状態だ。


「それじゃあみんな、あまり羽目を外し過ぎないように。他人に迷惑をかけないように。ゴミはゴミ箱へ捨てるように。いいね」


 適当な注意を与えただけで見回り員としての役目を果たしたつもりなのか、長谷川は幼女を背中に乗せて人ごみの中へ消えていった。

 教師を見送る生徒たちの目には、不審の色が浮かんでいた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 クラスメイトたちと別れて、文哉と葉月の二人だけになった。

 長谷川がメルクリウスを連れて行ったのは、気を利かせてくれたのだろうか。


「今日のメルはちょっと珍しい感じだったわね。はしゃいでる……じゃなくて、戸惑ってるっていうのかしら」

「ありがちな話かもしれないけど、ネット上の情報と実際に見て触れて得る情報は、やっぱり違うってことだろうな」


 葉月の言葉に文哉もうなずく。

 メルクリウスはネット上でほとんど自由に振舞える。すべての情報を所持しているといっていい。不確かな情報やデマなどの不純物もあるが、そこは比較、精査によって正しいものを抽出し、整然と管理しているのだろう。


 だが、現実の五感で得られる情報は整然とは程遠いし、タグ付けもされていない。

 理にかなった世界ではないのだ、現実なんてものは。


 だからメルクリウスは戸惑う。こうした方が容易なのに、あるいは全体にとって都合がいいはずなのに、なぜそうしないのか――と。


 今までのメルクリウスが見せる態度は、動揺も困惑もすべて「この場ではこうするのが正しい」「こういう態度を見せるのが一般的だ」という、判断し、制御された反応に過ぎない。しかし、今日の挙動は、それらとは違っていたのではないか。


「長谷川先生がさ、言ったじゃない。休暇を利用して――とかって」

「とっさの嘘にしてはリアリティあったよな」


 いくらかは事実なのかもしれないが。


「それで思ったんだけど、メルはいつまでここにいるのかしら。地球に来た目的は自分の星の平和でしょ。どれくらいで実現できるのか。終わったらどうするのか、いろいろ気になっちゃって……。文やんは考えたことある? メルから何か聞いてる?」


「いや、でも、戦いが軌道に乗るまでは付き合った方がいいのかなとは思ってるけど……。害虫との戦いで勝とうが負けようが、結局のところ地球に影響はないわけで、緊張感のない戦いだよな。まあゲームだし、どうなるかはわからないよな……」


 文哉はあいまいにしか答えられなかった。

 何も考えていないし何も決めていない。

 それに、メルクリウスからも何も聞かされていない。


「 だらだらとこんな感じの日常を続けていきたいってことね」

「そうは言ってねーけど……」

「これは、夏の間は無理ね。勝負賭けようとか思ってたのに……」

「どうした? 受験勉強、調子悪いのか?」

「そうじゃないわよバカ」

「ええ?」


 葉月が何に悩んでいるのか、まったく思い当たらない文哉であった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 祭りの雑踏と喧騒の中。

 おぶわれたメルクリウスが、長谷川の耳元で口を開く。


『先ほど祭りの雰囲気の話をしていましたが……、確かにみな浮ついていますね。表情が緩み、視線も泳ぎ、足取りは不安定、判断力も低下しているようです。集団催眠といっても差し支えない状況ですね』


「みんなそれは自覚してるし、無自覚だとしても〝場〟から出ればすぐに覚める。問題はないさ」


『わたしをフミヤたちと引き離したのは、ハセガワ先生の職務に反するのでは?』


「君の星ではどうなのか知らないが、高校最後の夏休みのイベントというものは、人生の宝だよ。少なくとも、ともに過ごす相手がいる人間にとってはね」


『善意でしたか。あの二人に聞かせたくない話があるのかと思っていました』


「それもある。話をするだけなら、今である必要はないからね。若い二人に気を利かせつつ、自分の目的も果たすという」


『おためごかし』

「せめて一石二鳥と言ってほしいな」


『ハセガワ先生は、何をお望みなのですか? この場だけの質問ではありません。わたしの存在を公表しないだけではなく、完全に黙認、あまつさえ協力していることへの疑問です。見返りを求めない理由が不明です』


「おいおい、君の方から誘ったんじゃないか」


『謝礼は払うと言ったはずです。現在の株取引の主流である、オンラインでの超高速取引。わたしの処理能力ならばそれに割り込むこともたやすい。プログラムの解析もです。金ならいくらでもあります』


「そんな、電子世界の万能者たる君への質問だ」


『なんでしょう。わたしが保有している先進技術ですか? 超空間通信の指針となる4次元座標系波動方程式の導出方法? それともナノチップの細胞組成ログを?』


「小難しいことじゃないさ。……君はなぜ本気を出さない?」


『質問の意味が理解できません。わたしは常に、目標のために最適の手段を模索し、可及的速やかに実践しています。それはヒトの精神状態でいうところの〝本気〟に当たるものではないのですか?』


「こんな片田舎に拠点を構えて、ちまちま登録ユーザを増やしていく手法に違和感があっただけさ。君がその気になれば、地球の文明に影響を及ぼすことなく、もっと大規模に兵力を拡大できるだろうに」


『目標を果たすためには現状のやり方で十分です』

「ああ……、君の目標について、こちらの認識が間違っていたってことか」

『訂正できましたか?』

「害虫群の脅威度は、そちらの文明にとってさほど高くない?」

『予定している同時接続数せんりょくで、十分に対応できる程度です』

「そうか。そりゃよかった」


 長谷川はそれきり何も言わなかった。

 メルクリウスも会話に割くリソースを抑え、沈黙する。


 白衣の男性と、その背中に乗った銀髪黒衣の幼女は、祭りの喧騒に紛れていく。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 この時間帯、周辺――主に伯鳴高校の生徒間におけるネットワーク内で『事案』『銀髪幼女』『長谷川先生』『ロリコン』といったワードの流通量が急増していた。

 それは後日、オフラインでの噂という形で教職員の耳に入り、長谷川は釈明に追われることとなる。

 その未来予想の提供をメルクリウスは怠った。



「あー、ちょっとわかるわ、嫌がらせしたくなる気持ち。長谷川先生の話ってときどきネチっこくてイラッとするもの」

『否定します。気持ちなどというものにわたしの行動は左右されません』

「ふーん。……いいのよ? 無理しなくても」

『お灸をすえる、という慣用句への理解が深まりました』


 後日、葉月とそんなやり取りがあったとかなかったとか。

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