敏感と鈍感


 桜河葉月はその日の予定を完全に白紙にしていた。

 突然の誘いがあっても応じられるように。

 無ければ無いで――少し悔しくはあるものの――自ら誘いをかけられるように。


 そんなつもりだったから、朝からやっている受験勉強はロクに手に付かない。

 イベントを後ろに持ってくると、その手前の日常が精神状態の影響を大きく受けてしまう。期待にしても、不安にしても。


 電話がかかってきたのは、勉強をあきらめてベッドに仰向けになったときだった。


『今から行っていいか?』

「い、今からってどれくらいよ」

『すぐ出るから五分後くらいか』

「はぁ? 5分ってあんた、もうちょっと気を使いなさいよ女子の準備には時間がかかるって常識でしょ」

『お前は常識では測れないやつだよ』

「バカ、30分後で」

『中途半端な空き時間だなぁ』

「ゲームでもやって遠い星の平和を守ってなさいよ」

『ん……、まあ、そうするか。じゃ30分後な』


 歯切れの悪い返事とともに通話が切れる。

 どうしたのかしら、と少し疑問に思う葉月。

 しかし、すぐに現実がその疑問を押し流す。


 そんなことよりも、部屋を片付けて、服を着替えて、あとはメイクも、そんなに気合を入れる必要はないけれど、かといって自宅では常時すっぴんなのでナチュラルメイクなんてやったことがない、学校向けくらいあっさりだと、おそらくあの鈍感は気づかないだろう、どれくらいのバランスがいいかしら――


 一気に頭が回り始める。

 体感温度が2度上がった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇


 35分後、文哉はコンビニの袋を提げて現れた。

 二人分の飲み物と、アイスをテーブルに置いていく。


「ありがと。で、なんの用事? わざわざ来るなんて珍しいじゃない」

「用事っつーか頼みっつーか」

「はっきりしないわね、さっさと言いなさいよ」

「その……、お前もゲームしないか?」

「え?」

「だから、ゲームだよ、『フィールド・オブ・エクセクト』」


 体感温度が3度下がる。

 どうでもいいことにはアレコレ気が回るくせに、この男は……。


「ああ、あんたとメルクリウスがやってるネトゲのこと」

「そうだよ」

「この部屋ちょっと寒いでしょ、設定温度上げるわね」

「クソ暑い中を歩いてきたばっかり……いや、なんでもないです」


 葉月はリモコンを操作してエアコンの設定温度を上げた。

 その上で断りの言葉。


「嫌よ、あたしがソシャゲとかネトゲとか興味ないの知ってるでしょ」

「別に本格的に参加してくれっていうんじゃなくて……」


 文哉は視線をさまよわせ、テーブル上のノートとペンを見つけると、


「あれはまだβテスト中で、毎日問題点が出続けてる。それはいいんだが、サービス開始前に潰しておきたい問題っていうのは、ゲーマー視点だけじゃ見つからないことも多いんだよ。慣れとか常識とかで視野が狭くなるんだ。だから普段ゲームをやらない葉月にも、テストしてもらえたら助かる、んだけど」


 文哉は話をしながらも、ノートに文字を記していた。ペン先でそれを指し示す。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  「よその星」についてくわしく知りたい、メルに気づかれないように

  オレのログでおかしなうごきをしたらすぐにバレる

  代わりにしらべてほしい

――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 心拍数が上がった。

「なんで――」

 葉月はとっさに口を閉じる。


 筆談をするということは、メルクリウスは内密の話ということだ。


 この部屋にはメル子がある。文哉も持っているだろう。

 音声は筒抜けのはずだ。

 

「あたしにタダ働きしろって言うの? これでも受験生なんですけど」

「アイスとか飲み物とか……」

「こんなの手土産でしょ」


 文哉は顔をしかめる。


「……何か一個、言うことを聞く、っつーことで」

「なんでも?」

「可能な範囲で」

「ふーん、ま、いいでしょ」


 葉月はパソコンを立ち上げてネットから『FOE』のファイルをダウンロード、解凍、インストール、そして起動させる。

 その待ち時間に筆談を交わした。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  何をすればいいの

  戦わずに、あちこちをうろついてみてくれ、画質は最高にして

  目的は

  惑星ルゥ・リドーの調査

  ゲームでしょ

  この星に文明があって、知的生命体が実在する証拠を探す

――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 超空間通信によって24000光年のタイムラグなく、地球側での操作どおりに、惑星ルゥ・リドー側でロボットは動いている。

 実在の惑星で文明もあるのなら、その痕跡――都市なり建造物なりが見えてもおかしくないはずだ。しかし、幾度となくプレイしている文哉でさえ、今までそんなものを見たことはないという。


 意図的に隠しているのか、それとも、そんなものは最初から存在しないのか。


 意図的だとすれば、隠す理由は?

 存在しないとすれば、メルクリウスの話はどこまでが事実リアルでどこからが虚構フィクションなのか。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇


 葉月は〝インセクティサイド〟を駆ってフィールドを適当に動き回った。

 ゲームに興味がないと公言した上で、嫌々ながらプレイしてやっている・・・・・・・という前提。

 素人目線でのデバッグという名目もあるので、むしろまともにゲームをしていない方が自然に見える。


「綺麗なところよね」

 赤みがかった空の色こそ違和感があるが、それ以外の地形や植生などに地球離れ・・・・したところは見られない。


「ロボットからの映像って、なんかほら、ドローンで撮影した映像みたいに、視点があまり体感したことない高さとか速さじゃない? ちょっと新鮮よね」


「あー、オレはあんまり、ゲーム的にはよくある視点だからな……」

「ああヤダヤダ、ゲーム脳ってやつでしょ」

「けっ、大衆はすぐにメディアが作った言葉に流されやがる」

「マイノリティぶるのって、本人が思ってるほど周りには格好よく見えてないから」

「なっ、そんなんじゃねえよ、オレは少数派を気取ってるんじゃなくて、自分の考えを貫いて、結果として少数派になっただけであって……」

「それにしても、綺麗っていうか……、自然しかないわね。街にはそうそう当たらないとしても、道くらいあってもいいんじゃない? ちょっと探してみよっと」


 少々不自然だったかと思いつつ、葉月は自機を急反転させる。

 害虫群と戦う味方機を尻目に、逆方向へブーストをかけて突き進んでいく。

 自動車の速度をはるかに超えて新幹線に近い速さで流れていく景色は、多少の画像の荒さはあっても単純に心地よいものだった。


 戦闘フィールドから離れて文明の痕跡を探す――

 その目的ごと置き去りにしてしまいそうなスピード感。


 それはやがて前触れもなく切断された。

 画面一面に赤色警告レッドアラートが明滅する。


「え、何これ」


 何かの境界線や立ち入り禁止区域のような、わかりやすいラインを超えたわけではない。ディスプレイに映るのは、ずっと似たような自然風景のままだ。


 ゲームのくせに、少し怖い。

 葉月はマウスから手を離しそうになる。


「そのまま行って」


 冷たさすら感じる文哉の声音。

 見上げた彼は険しい横顔のままディスプレイを見据えている。少し見惚みとれた。


「わかったわよ、もう。知らないからね」


 そのまま数十秒ほど前進を続けたところで、画面は暗転した。


「どうなったの、これ。ちょっと怖いんだけど」

「扱いとしては戦闘不能じゃなくてログアウトみたいだな」

「どういうこと?」

「よくわからん」

「頼りにならないわね……」

 葉月はデスク上に置いてある、リング型のメル子を指先でトントンとつついた。

「メル、聞こえてる?」


 数秒置いてレスポンス。


『――はい。どうしましたか?』

「あたし今あのゲーム……、フィールドオブ何とかをプレイしてたんだけど」

『ご協力ありがとうございます』

「文哉に頼まれて仕方なくよ、素人目線がほしいんだって」

『ではフミヤもそちらに? お楽しみだったのでは?』

「ぜんぜん、あたしゲーム好きじゃないし」

 数秒の空白。


「メル?」

『パーソナルタグの一部を変更しました』

「ふーん……?」

『ご連絡の内容は?』

「あ、そうそう、あたし戦いなんかそっちのけで、ステージを敵が来るのと逆方向へまっすぐ突き進んでたんだけど、そしたらロボットが急に止まっちゃって」

『それは通信範囲から外れたことによる接続エラーですね』

「圏外とかあるのね、このロボット」

『スタート位置に電波塔があります』

「ああ、そういえば」

『そこから離れすぎてしまうと、ロボットの操縦に必要な通信密度が確保できなくなり、やがてロボットとの通信自体が途切れてしまうのです』

「ふーん、そういうこと」


「――その制約はどうしようもないのか? そっちの科学技術を持ってしても」


 文哉が割り込んでくる。


『はい。厳密には不可能ではありませんが、バランスの問題ですね。

 超空間通信には距離的な制約はありませんが、生産・維持費での制約はあります。

 ルゥ・リドーにおいても最先端技術である超空間通信は、いろいろと高くつく。

 何より軽量・小型化の見通しが立っていません』

「〝インセクティサイド〟には積めないってことか」

『そのとおりです。中継地点を経由した通信の方が安定性も高いですし』

「そっかぁ、残念ね。街とか建物とか見てみたかったんだけど」


 葉月がポツリと漏らした言葉に、文哉がぎょっとした顔になる。

 メルクリウスはそれを聞きとがめることもなく、


『戦略上、インセクティサイドの出撃地点は人類圏から相当距離の安全マージンを取っています。戦闘の余波が万一にも人類圏に及ばないようにするためです』

「まあ、それはそうよね」

『加えて、わたしには人類圏内のデータを閲覧する権限が与えられていません。

 たとえば惑星ルゥ・リドーの町並み、といった画像なども提示できないのです。

 葉月のご希望に沿うことはできません』


「何それ」声が低くなる。


『申し訳ありませんが』

「そうじゃなくて……メルはそっちの人間たちのために地球くんだりまで来てるのに、データ閲覧禁止って、なんだか、冷たいじゃない。一方通行っていうか」


『お気遣い感謝します。

 これはセキュリティ上の都合です。

 わたしが人類圏のネットワークに自由にアクセスできるならば、わたしが悪意を持った何者かに掌握された際に、ネットワークは無防備になってしまいます。

 わたしはもちろん万全のセキュリティ強度を持って設計されています。

 しかし、宇宙は広大です。

 高高度科学文明から見て、キュリティホールがない、とは言い切れません。

 また、こちらの想定すらしていない攻撃手法アタックがあるかもしれません。

 それらに対応するには、スタンドアロンこそが最も安全な対策なのです』


 スタンドアロン。孤独スタンドアロン

 24000光年の距離を渡ってきたメルクリウスを言い表すのに、これほど適切な単語はないだろう。

 それを彼女が当然のごとく受け入れていることが、葉月は釈然としなかった。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇


 メル子がスリープに入ると、葉月は文哉に向き直った。

「……ですって!」

 声が苛立っている自覚はあった。

「あっちの人間って身勝手よね、自分たちの都合でメルをよこしておいて、お前は入ってくるなって? しかもそれを疑う地球の人間もいるし」

「疑うってほどじゃ……、ちょっと疑問に思っただけだろ。

 それにお前はメルクリウスに入れ込みすぎじゃないのか」

「文やんこそ、なんかドライじゃない。……何かあったの?」


 文哉の態度に違和感を覚え、葉月はそう尋ねる。

 視線をさまよわせ、やがて文哉は口を開いた。


 生物教師の長谷川がメルクリウスに協力をしている。

 しかもそれはメルクリウスの方から持ちかけたものだという。

 その話には葉月も驚いたが、同時に、気づいたこともあった。


 メルクリウスという秘密を知られたばかりか、サーバ増設の役目まで掻っ攫われてしまったという敗北感。

 それが文哉の言葉の節々ににじんでいた。


 ――あんたそれ、長谷川先生に嫉妬してるだけよ。


 言ってやりたい。そして凹んだ顔を見てやりたい。

 そんな欲求を抑えて、葉月は違う言葉を口にした。


「さっきの約束」

「え」

「ひとつだけ言うことを聞くって言ったでしょ」

「あ、はい……」

「今日ってなんの日か覚えてる?」

「いや……?」

「夏祭りよ。柊神社!」

「ああ……。……で?」


 久しぶりに、物理的に手が出そうになる葉月だった。



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メルクリウス データ更新履歴


由良文哉ゆら ふみや

『鈍感』のタグを追加。


桜河葉月おうが はづき

『純粋』『アダルトトーク不可』のタグを追加。

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