自由度の高いゲーム

 長谷川はせがわ はじめ。29歳独身。

 伯鳴高校教諭。担当科目は生物。

 よれよれの白衣に無精ひげという、ベタな科学者のコスプレのような姿で年中過ごしている。

 生徒からの評判は、変わり者、見た目ほど変人じゃない、授業がいつも脱線するので楽しい、キモイ、よく見たらイケてる、人間よりカエルとかの方が好きそう、解剖するのも好きそう、……エトセトラ、エトセトラ。


 そんな、生徒から好悪入り混じった印象を持たれているところの長谷川に促されて、文哉は生物教室へ入った。

 教室内にある水槽たちは、偽装したメルクリウス・サーバ群だ。実際は純水とそれに散布されたナノチップで満たされているのだが、外から見る限りでは空っぽだった。今のところ、偽装は問題なく機能しているようだ。


 長谷川はメルクリウスの名を口にしたが、だからといってメルクリウスのことが露見したと考えるのは早計だ。

 長谷川が何をどれだけ知っているのか、それをはっきりさせなければならない。

 相手側は大した情報を持っておらず、その上で、断片的な言葉で文哉を揺さぶって、ボロを出すのを期待している――ということも考えられるからだ。


 文哉は、とりあえずシラを切ることにした。


「あの……、さっきのあれ、どういう意味ですか」

「蟻の巣の戦闘では大活躍だったじゃないか、〝フミヤ〟」


『フィールド・オブ・エクセクト』の話だと認識し、文哉は緊張を少しだけ解く。

 メルクリウスはゲームの案内役として顔も名前も出している。

『FOE』のプレイヤーならば、ゲームをすることを〝メルクリウスに会う〟なんて婉曲表現することもあるかもしれない。


 文哉のことはプレイヤー名から見当をつけたのだろうか。

 先ほどの戦闘フィールドで一緒だったのだろう。


「せ、先生もやってるんですか、『フィールド・オブ・エクセクト』」

「ああ、〝ファースト〟ってプレイヤー名でね」


 その名前には覚えがある。先ほどの戦闘で率先して協力してくれたプレイヤーだ。


「その節は、どうも」

「もともとクオリティが高いゲームだとは思っていたけれど、今回の戦闘は特にすごかったね。驚いたよ」

「ああ……、害虫が2種類同時に出てくるのは、オレも初めて見ました」

「いや、私が驚いたのはそこじゃあない。フィールドの自由度の高さだよ」

「自由度、ですか」

「敵が地面からランダムに穴を開けて出てくる敵や、その穴に自機が進入できることとか、あとは、その穴を爆破して崩落させる――そういうところさ」


 長谷川の話はメルクリウスから離れつつあった。

 単に同じゲームをしている仲間を見つけて、語り合いたかっただけなのだろうか。


「先生もゲーム好きなんすね」

「スーファミからPS・サターンあたりが直撃した世代だからね。あの頃から技術は進歩したけど、その分グラフィックやサウンドやら手を回す部分が増えたせいか、ゲームの自由度という点ではそれほど変わっていない。

 ゲームというのはそもそも不自由なものだ。同じことしかしゃべらないNPC、伝説の剣でも破壊できないオブジェクト、見えない壁に囲まれた戦闘フィールド。物理の教科書に出てくる〝重量のない滑車〟とか〝摩擦を考えない荷物〟のような、話を進めるのに支障はないが掘り下げていくと明らかに不自然なもので形成されている」


「でもそれはそういうルールだし」

「そのとおり。だけど『FOE』は違う。ほかのプレイヤーはあまり突っ込んでなかったけど、あのゲームは自由すぎる」

「え?」


 自由すぎる。

 それはあまり聞かない意見だった。むしろ、ユーザから寄せられる意見はその逆――不自由だというものが多い。


 主に自機〝インセクティサイド〟に関する、武装の重量や弾薬・エネルギー制限だ。あまりにリアルすぎて、ロボットアクションとしてのけれん味・・・・が足りない、という指摘もあった。

 けれん味というのは、たとえば、ロケットパンチをまともに飛ばすにはあの程度の燃料弾薬では足りない、みたいな野暮な突込みはよせ、細かいことは気にするな――とリアリティより見栄えを取る姿勢のことを言う。


 だが、そこを突っ込まれるとどうしようもない。

〝インセクティサイド〟は24000光年彼方に実在している機動兵器なのだから。


「自由ですか? あのゲーム」

「不自由と自由が同居しているというか……、そう、君の言った、ルールだ。

 あのゲームのルールはたった一つしかない」

「なんですか?」


「物理法則。装備の点で不自由なのは、機体の耐久性やブースト出力という制約がある以上仕方がないことだろう。反面、フィールドには範囲制限も、破壊不能なオブジェクトもない。

 どこへでも行けるし、なんでも壊せる。

 あの巣穴へ飛び込んだ君の行動が証明している。

 あんな物理シミュレータは、世界中のどんなスパコンでも再現できない。

 わかるかな。基本無料のオンラインゲームのβ版の中に、途方もないオーバーテクノロジーが使われていることに」


 あれ?

 話の流れがまた危険な方へ向かっている。そんな気がした。

 文哉の危惧をよそに長谷川の弁舌は好調を維持している。


「現実と見まがうほどのCGムービーがあるが、あれは百万回再生しても、寸分たがわず同じことの繰り返しだ。ところが、現実において『同じことの繰り返し』は、厳密には存在しない。退屈な日常を憂うJポップの歌詞の中以外にはね」


 例えば、と長谷川は続ける。


「君が帰り道で最初に目を付いた石ころを蹴飛ばすとしよう。

 同じ場所の同じ石を蹴飛ばすことを、百万回試してみても、その石ころがまったく同じ挙動で転がることはない。

 ほんのわずかな違いが、たとえば靴の当たりどころ、力の入れ具合、最初に跳ねる地面の起伏――それらの要素すべてが完全に一致することはありえないからだ」


「川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、ってやつですか」

「博識だね。モテないだろう」

「大きなお世話す」


「蟻型の害虫があけた穴を観察したんだが、口径や地面の盛り上がり方、土の飛び散り方、すべて少しずつ違っていたよ。まったく必要のない演算だ。現実を再現する、という厳密なルールに縛られていない限りはね。――由良君は、これをどう思う?」


「さ、さあ、どうなんですかね。オレはそういうの、よくわからないし……、深く考えずに遊んでただけなんで……」


 危機感が増大する。

 自身の危険でも、メルクリウスへの危険でもない。

 こんな場所で、『FOE』に対する疑念をずばずばと口にして、『FOE』の秘密に迫っていく長谷川を、メルクリウスは、そのままにしておくだろうか。

 知りすぎた者は消される。古今東西のフィクションの定番展開だ。

 自分が秘密に近すぎたせいか、文哉は今までそういうことを考えなかった。


 メルクリウス・サーバに視線が向く。

 今にも彼女の真の姿である水銀が波打って水槽から溢れ返り、長谷川を飲み込みはしないかと気が気でなかった。

 文哉は考える。

 仮にそうなったとして、自分はそれを止めるだろうか、止めようとするだろうか、

 そもそも――止めることは可能だろうか。その気・・・になったメルクリウスを。


「まあ、そうだろうね」

 長谷川は肩をすくめる。

「珍しい拾い物をした――その流れに運ばれるがままで、その重要性を深く考えることもなく、遠い星の平和を守るための戦いゲームを続けているんだから」


 文哉は長谷川を凝視した。

 長谷川は知っている。すべてではないかもしれないが、かなりのところまで。

 だからといって、話に乗るのも癪だった。

 黙ったままの文哉にかまわず、長谷川は続ける。


「知っているかな? 〝地球外生命発見後の諸原則に関する宣言〟を。宇宙人を見つけたらこれこれこういう手順でみんなに知らせましょう――っていう取り決めを国際機関が真剣に作っているという、フィクションみたいな本当の話を」


「確信が持てる証拠でなければ、公表してはいけないんですよね」


 長谷川は口元を上げた。


「へぇ、本当に博識だね」

「先生ほどじゃないです」


 視線がぶつかり合うこと数秒。


『ハセガワ先生』

 横合いから合成音声。

『正しくは〝地球外知的・・生命発見後の諸原則に関する宣言〟です。

 教師は厳密であるべきです』


「ああ、そうだったね、失礼」

「メルクリウス!? おま、なんで……」


 いつの間にか、メルクリウスは銀髪黒衣の偽装形態で、教室の中央に立っていた。


『ハセガワ先生には、惑星ルゥ・リドーを救うためにご協力をいただいています』

「協力って」


 文哉は長谷川を見た。


「ただ水槽を増やしただけだよ」


『この学校である程度の権限を持つ方を頼れば、サーバ増設は容易になります。水槽の手配や、その設置場所の都合などを、ハセガワ先生はつけてくださいました』

「これ以上、無許可でからの水槽を増やすわけにもいくまい」


 そのとおりだった。

 いくら外観を偽装できるといっても、場所をとることに変わりない。


 だが、長谷川の許可があれば、少々奇妙に思われることはあっても、深く追求されることはないだろうし、万一追求されても回避しようがある。

 さすがに2学期が始まれば教室内に置いたままにはできないが、隣の生物準備室などであれば、ある程度はごまかしが利く。


「それに、先生はそれなりに金を持ってるからな」


 長谷川は親指と人差し指で輪を作った。


 資金に、社会的な信用。

 いずれも文哉にはないものだ。


「……でも、先生は、メルクリウスの存在を公表するつもりなんじゃ」

「ああ、さっきの話かい? ただの雑学じゃあないか」

「雑学って……」

「それに、この来訪者さんが本気になったら、公表なんて出来ないさ。発表しようとする動きを潰されるか、痕跡を完全に消して逃げられるか。どちらにせよやるだけ無駄だ。何より〝異なる星系文明との接触〟は彼女の目的ではないからね」


 いつか、文哉はメルクリウスに質問をした。

 大きな力を持つ組織や、政府機関などに協力を要請しないのか、と。

 返ってきた答えは「ノー」だった。

 メルクリウスの目的は、あくまで自分の星を救うこと。

 はるばる地球までやってきたのは、害虫と戦うための戦力を求めたからだ。


 現状、オンラインゲーム『FOE』は戦力としての用件を満たしている。

 害虫群から人類の活動圏を少しずつ取り返している。

 であれば、大組織に接触して助力を願う必要はない。

 ネットを通じていくらでも戦力を増強することができるのだから。


「後進文明に余計な波風を立ててはいけないっていう縛りがあるらしいですよ」

「おお、それじゃあ『動物園仮説』は当たってたんだね」


 うれしそうに長谷川は言う。


 動物園仮説とは、地球外生命体に関する仮説のひとつだ。

 人類以外の知的生命体が地球にやってこないのは、地球の文明が檻の中の動物のように観察対象として扱われているからだ、という仮説である。

 宇宙規模での環境保護区、といえばイメージしやすいだろうか。


「……そんなことはどうでもいいです。先生は何が望みなんですか」

「望み? この、心躍る状況以外に何かあるのかい?」


『ハセガワ先生からは、何も要求されていません』

「それじゃあ……」

「せっかくはぐれメ○ルを見つけたんだから、逃げられるのは惜しい。それだけさ」


 長谷川の言葉を受けて、メルクリウスが手乗りUFOならぬ手乗りはぐれメ○ルを作り出す。メタリックな質感がすごい。


「つまり、〝特別〟に一枚かませろってことですか」

「いいや、経験値はいらない。〝特別〟の近くにいられるだけでいいんだ。世紀の大発見を公表して注目を浴びたい、なんて自己顕示欲も持ち合わせちゃいない。だから〝特別それ〟は君のものだよ、由良文哉君」


 長谷川はそう言ってきびすを返す。

 ぽん、と軽く文哉の肩を叩いて、そのまま退室した。


 メルクリウスと二人きりになる。

 何か話があってここへ来たはずなのに、全部、吹き飛んでしまった。

 メルクリウスの存在を他人に知られて動揺しているから――それだけだろうか。


『フミヤ?』


 黙りこくったままの文哉に、メルクリウスが問いかけてくる。


「ああ……、サーバ、増設できるんだよな。先生が置き場を準備してくれたって?」


『はい。体育館の地階を。予備発電施設や、使用頻度の低いものを保管している倉庫があります。近づく人も少ないので、隠し事には向いている、と言っていました』


「そうか……、どれくらい増やせそうなんだ?」


『明日の早朝には512、昼前には1024、夕方には2048と、段階的に接続可能数を増やしていく予定です』


「すげーな、倍々じゃねーか」


『サーバの稼動が軌道に乗れば、あとは単純な増設作業になります。別々の水槽を連動させる分散サーバも順調に機能しています。それから……』


 メルクリウスの言葉が耳に入ってこない。

 何か話したいことがあったはずだが、すべて吹き飛んでしまっていた。

 身の入らない会話。

 ただ、長谷川に関して尋ねることだけは意図して避けた。

 二・三、言葉を交わして、生物室をあとにする。

 またログインする、とか、そういうことを話したかもしれないが、その日はゲームをやる気にはならなかった。



 薄暗い廊下を歩きながら、胸ポケットをさぐる。

 長谷川が帰り際に文哉の肩を叩いたとき、折り畳んだ紙切れが差し込まれたのだ。メルクリウスに気づかれないような、さりげない仕草とタイミングで、


 取り出して紙を開く。


『水銀を疑え。あれはすべてを語っているのか?

 惑星ルゥ・リドーの人類とやらを、君は見たことがあるのか?』


 走り書きの汚い文字で、そんな言葉が記されていた。

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