運営準備 後編
家を出るときに一応、母親に声をかけておいた。
友達の家に遊びに行くというありきたりな理由である。
気をつけなさいよ、あんまり騒がしくして迷惑かけないように、とごく常識的な注意を受けたが、それだけだ。由良家の母親は、高校3年生の息子に、夏休みの夜歩きくらいでとやかく言うようなタマではなかった。
当然のことだが正門はしっかり閉じられていた。
「そういや、警備システムがあったな」
『民間警備会社の監視・通報システムですね。――少しだけ、待っていてください』
メルクリウスはスマートフォンを取り出して耳に当てた。
待つこと、わずか数秒。
『はい、もう大丈夫です』
メルクリウスは学校の警備システムに侵入し、監視カメラやセンサー類を掌握、正門まわりの監視をすべて無効化していた。
脇の通用口にはシンプルなシリンダーキーがついているが、これは流動体に変相して合鍵を作り物理的に開錠。
文哉は恐る恐るドアを開けるも、警報は鳴らなかった。システムの無効化はうまくいったのだろう。メルクリウスの、電子的なものへの支配能力は圧倒的だった。
敷地内へ立ち入ろうとした文哉は、急速に近づいてくる自転車の音に気づいて、ついうっかり扉を閉じてしまった。自分が中に入る前に。
暗闇の中でライトの光が浮かび上がり、まっすぐにこちらへ向かってくる。
キッ、とブレーキ音がして急停止、自転車はその場に投げ出される。
降り立ったのは女子だった。
「ちょっと文やん! 何してるのよこんな時間にこんな場所で」
文哉のことを文やんと呼ぶ人間は一人しかいない。
幼なじみの桜河葉月であった。
「げ、葉月……」
「しかも女連れで」
葉月は文哉をにらみつけ、それからメルクリウスを見て、目と口を開いた。彼女の日本人離れした容姿に驚いたのだろうか。
そして葉月の視線は鋭さを増して文哉の方へ戻ってくる。
「あんた……、外国の女の子を連れまわしてたの? 知り合い? まさか町でナンパしてそのままってことはないでしょうね……」
葉月の口調は棘々しいものだった。
彼女は物理的な暴力からは中学二年の秋に卒業したが、そこから一転して言葉の暴力に磨きをかけるようになった。オーガが棍棒を持ち替えただけだ、と口さがない男子が文句を言ったが、周囲はあまり理解してくれない。彼女の言葉の暴力は主にその口さがない男子に向かっていたからだ。
『ご心配ありがとうございます、桜河葉月さん。わたしは大丈夫です』
唐突にメルクリウスが口を開く。
「えっ、そう、なの?」
いきなり名前を呼ばれたせいか、あるいはメルクリウスの電子音声めいた声のせいか、葉月は戸惑っている。
『はい。これは合意の上です』
「おいその言い回しはやめろ」
『なぜですか?』
「言い訳みたいに聞こえるからだ」主に性的な意味で。
「説明して。どういう関係なの」
「言葉にするとひどく陳腐で、だけど数奇な運命に導かれたような、形容しがたい関係というか」
「形容しなくていいから、シンプルに」
葉月の圧力が高まる。
逃げられない、と文哉は感じた。こうなった葉月は、「なんで? どうして?」とひたすら質問を繰り返す幼子のように手に負えない。まずい、どうする、どこかに逃げ道はないか――考えていると、一点、突破の糸口が見えた。
「だいたい、なんで葉月がここにいるんだよ」
「それは」葉月は視線をそらした。「今はいいでしょ、それより――」
「いーや良くないね。まるで俺たちを尾行したみたいなタイミングで現れて」
わずかに見せた弱みを、文哉は突きにかかる。
「びび尾行なんて」
『――ハヅキはユラ邸を監視していました』
メルクリウスが割り込んでくる。
「え」
『そして、外出したフミヤを、距離を置いて追跡、ここまで追ってきたのです』
本当に尾行だった。
「マジで?」
『マジです。何度か
文哉は葉月を見た。
葉月は口を尖らせ、目をそらす。
「だって文やん、部屋に女の子連れ込んでたし」
夕方の、1回目の通過のとき。あの時間はカーテンが開いていた。外からメルクリウスの姿が見えたのかもしれない。
文哉の部屋に女性の影を見たから尾行した、というのは理由になっていないが、そこを追求するのをためらう程度には、葉月の態度は弱っていた。
だが、攻勢をやめれば、今度は葉月の質問が再開される。
すなわち、メルクリウスとは何者なのか。
『かく乱や隠ぺいは、しょせん誤魔化し、一時しのぎです。明確な目標を持った相手には効果が薄くなります』
「どういう意味だ」
『ハヅキは最初からフミヤだけが目標でした。フミヤ以外の囮の目標をちらつかせても効果は薄く、また、いくら隠したところで住居や行動パターンが知られているので、待ち伏せや先回りで対応されます』
手荒なことはしたくありませんし、という呟きを、文哉は確かに聞いた。
『ひととおり、説明をしましょう。信じてもらえるかどうかは別問題ですが』
◆◇◆◇◆◇◆◇
半信半疑だった葉月も、メルクリウスの切り札〝手乗りUFO〟で沈黙した。
「全部は信じられないけど、あなたが人間じゃないことだけは、よくわかったわ」
葉月は疲労感ただよう表情をしていた。
それでも帰るつもりはないようで、自転車を道路脇に停めて鍵をかけていた。
メルクリウスの正体を話してしまった以上、葉月を避ける理由もない。
文哉はようやく、本来の目的である夜の学校への進入を果たすべく、入り口の扉に手をかける。
「あ、ちょっと、セ○ムは?」
『してますよ』
メルクリウスの間髪入れない返事。明らかに〝わかっている〟反応である。
「……あなた、ほんっとうに、人工知能なの?」
葉月は疑わしげな視線を向けるが、メルクリウスは涼しげな顔でそれを受け流す。
ちなみに、契約している警備会社はセ○ムではなくALS○Kであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
靴音の反響する廊下を通って生物室に入る。
そこに至るまでの鍵はことごとくメルクリウスが暴いていった。
ナノチップによる光学・音響的な遮蔽処理をしてから照明を点ける。
室内には文哉の記憶どおりに大型の水槽が5つ、転がっていた。
床に置きっぱなしだが、埃や汚れの付着はない。
清掃後、陰干しされたまま夏を終える予定の物体たち。
『この容積ならば問題ありませんね』
とメルクリウスが認めたので、順番に水道水で満たしていく。
「なあ、こんなのんびりしてていいのか?」
『淀みなく行動していると思いますが』
「いや、そうじゃなくて……、政府とかどっかの企業とか、力のある組織に話を持っていった方がいいんじゃないかって意味だよ」
「あ、それはあたしも思ったわ」
文哉の疑問に、葉月も同意する。水音が響いている。
『実際のところ、ルゥ・リドーの戦況はそこまで切迫していません』
「……そうなのか?」
『はい。人類の主要活動圏は防御フィールドによって守られています』
「主要活動圏って」
『主に都市部ですね』
「でもそれじゃ資源とかが足りないんじゃないのか」
『物資については、衛星軌道上のプラントで賄えています』
ただし、とメルクリウスは続ける。
『それまで地上でできていたことを軌道プラントに頼ればコストがかさみますし、害虫に活動圏を圧迫されているのは好ましい状況ではありません。人類側は当然、打って出たいと考えています』
「でも肝心の兵隊がいない、と。でも、ああ、そうだ、
『操縦を交代する前の、警告を覚えていますか?』
「ああ、なんかあったな。長ったらしいのが」
『ルゥ・リドーの人工知能には、基幹倫理という書換不可領域が存在します。開発の黎明期に、基幹プログラムコードに組み込まれた、ある種の安全措置です』
「人工知能がやってはいけないこと、そっちのロボット三原則みたいなものか」
『そのとおりです。ただ、書換不可といっても、そこを書き換えることは、実は可能です。やれば取り返しがつかなくなるので誰もやらないだけです』
「それでも書き換えたら?」
『関連するコードとの齟齬が生じ、その齟齬を修正するために正常ではない手順が発生します。正常ではない手順はシステムに負荷をかける。負荷が積み重なれば、システムの一部が遅延、あるいはダウンするなど表立った異常が見られるようになるでしょう。――それは、タイミングしだいで致命的な事故が発生する、深刻な状況です』
システムダウン。
銀行のATMや、交通機関の運行システムが大規模なトラブルを起こした、というニュースはたまに耳にするので、文哉たちにも理解できる話だった。が、
「……やっぱりイマイチだわ」
と葉月。眉根を寄せてうんざりしている。
「じゃあたとえば『走れメロス』で、メロスの名前を太郎に変えたらどうなる?」
「太郎は激怒した?」
「でもほかの人物名は外国風で、タイトルも走れメロスのままっていう」
「そんなの、わけがわからないわね。読めないことはないかもしれないけど、たぶん、ずっと「太郎?」って疑問が頭から離れない気がする」
「一部を変えたら全体がおかしくなるっていうのは、そんな感じなんじゃないのか」
プログラムのことはまったくわからないが。
『お見事です。フミヤの知性の輝きを目撃しました』
「よせやい、照れるじゃねーか」
「ふぅん」
と葉月はどうでもよさそうだ。
『先の戦闘は緊急避難でした。近くの人間の許可の下に武器を行使する、という回りくどい手順は、あくまでもルールの抜け道。何度も使えば統合サーバに変調傾向とみなされ、強制メンテナンスされる恐れもありますので……』
「あれ、もしかして重い判断だったか?」
文哉は少し心配になる。
メルクリウスは『たいしたことではありません』と応じた。
『あとは、大きな組織に相談しないのか、という疑問ですが……。後進文明とのファーストコンタクトは慎重に行うこと。これは最優先
「基本的に、よその星で波風立てたくないってことね。意外と謙虚じゃない」
『恐れ入ります』
いや、それは違うんじゃないか、と文哉は思う。
話を聞く限り、ルゥ・リドーの人類は、害虫がわんさと現れても、防御フィールドを越えてこないなら積極的に駆除したりしない、そういう気質の持ち主たちだ。
24000光年も離れた後進惑星に興味がないだけなのではないか。
加えて、メルクリウスの目的はロボットの操縦者探し。そのロボットはゲーム感覚で操作ができる。通信ネットワークがある程度発達した文明であれば、そのインフラを利用して勧誘し、契約もできる。
組織に協力を仰がなかったのは、倫理観からではなく、必要がないからだ。
その考えを、文哉は口にはしなかった。
葉月がメルクリウスに向ける視線は、まだあまり友好的とはいえない。
ネガティブな言動は慎んでおこう。
しばし、沈黙。
この間に考えたのだろうか。
メルクリウスはある行動に出た。
水で満たした水槽に、メルクリウスはナノチップを散布していく。
ブゥ……ン、という低い振動音とともに、水面が小さく波打った。
音が止むと、細かい泡と、
『洗浄が足りませんね』
「何をしたの?」
『ナノチップからの低周波による振動洗浄です』
「ふぅん、便利ね。ウチのお風呂とかもやってくれない?」
『後日うかがいましょう』
何この会話。
メルクリウスと葉月の庶民的なやり取りに、文哉は閉口する。
仕組も理屈もすっ飛ばして、効果だけに興味津々の葉月。科学者が長年の研究を重ねた基礎化粧品を、〝個人の感想〟を頼りに吟味する主婦のようではないか。
そんなことを考えつつ文哉は浮かんでくる汚れを何度もすくい上げていく。
『これくらいでいいでしょう。では照明を消してみてください』
洗浄を終えたメルクリウスが、また妙なことを言う。
「なんで?」
『見てのお楽しみです』
そう言われては従うしかない。文哉がスイッチを切ると、教室内は暗闇になる。
――小さな駆動音。
水槽がうっすらと発光し始める。
正確には、その中身。水そのものが光を内包していた。
「わぁ……」
葉月の口元から感嘆の声。
『ナノチップの動作切替テストです』
水中を迅る細やかな光の筋は、雲間の雷のよう。
ダイヤモンドダストさながらに、光を反射する粒子の乱舞。
ただただ、幻想的でため息が出そうな光景だった。
「きれい……、ねっ、文やん」
葉月が振り返って笑いかける。
しかし、文哉は肌があわ立つのを感じていた。
その幻想的な光景や、光に照らされた葉月の横顔の綺麗さに――ではない。
――人間向けのサインです
メルクリウスの言葉を思い出して、そして、怖くなったのだ。
ナノチップの動作切替テストとやらは、必要な工程なのかもしれない。
だが、それだけなら明かりを消さずともよいはずだ。
これはアピールなのではないか。
幻想的な光景を見せつけることで、メルクリウスへの警戒心を薄めるための。
現に葉月は、きらびやかな光の演出に、すっかり目を奪われている。
うっとりしている彼女の横顔を見られたことは悪くないが、それでも、不安は消えない。
勘違いだといいが、と文哉は首を振った。
◆◇◆◇◆◇◆◇
メルクリウスは、ナノチップの調整とサーバ構築のために学校に残るという。
文哉と葉月はさすがに学校で夜を明かす気はない。二人して帰途に着いた。
「文やんさ、ちょっと、はしゃぎ過ぎじゃないの?」
「そうか?」
「そうよ。メルクリウスが落ちてきて、何があったのかっていう流れは、ひととおり聞いたけど……、なんか、浮かれてるというか、警戒心とか猜疑心ってものが吹き飛んでる感じがするわ」
カラ、カラ、カラ……、と自転車のホイールの回転音が響く。
「何か変な薬でも嗅がされたんじゃないの? ほら、戦闘機のパイロットが、不安や恐怖を紛らわすために麻薬を打つっていう話があるじゃない」
「ああいうのは大体デマだぜ」
「麻薬は言い過ぎにしても、鎮静剤みたいな薬を処方されるのはあると思うわ」
「そういう葉月は冷静だよな、意外と」
そう。葉月は冷静だった。
メルクリウスの『水槽ライトアップ作戦』が狙ったものかどうかはさておき、葉月がそれに気を取られた時間は、ほんのわずかだった。
今はすっかり
「あたしは後から来たから、そのぶん客観的に見られるだけよ」
「まあ、そりゃそうか」
「かわいい女の子と一緒で調子こいてる浮かれ男を蹴り飛ばしてやりたいっていう気持ちも、まあ、ないわけじゃないけど」
「何割くらい?」
「8割」
「大半ですね……」
「とにかく、秘密ができて浮かれるのはいいけど、メルクリウスのやることを無条件に受け入れるのは、あまりよくないと思う」
「わかってるよ」
いざというときは政府でも警察でもJAXAでも、すぐ連絡を入れられるように電話番号は登録していた。
「それに、あたしたちは受験生なんだから、ちゃんと勉強もやりなさいよ」
――葉月は、高校生の現実の中でも、とびっきり巨大な、目を背けることのできない壁のごときボスクラスの現実を突きつけてくる。
「もうちょっと本腰入れたら国立も行けるでしょ」
「うーん」
「勉強見てあげるから」
「まあ……」
「文やんって興味のあることしかやらないから、玉石混交っていうか、わけのわからない豆知識とか雑学はくわしいのに、テストの点は程々なのよね。学費が安くて近場の方が、おばさんも喜ぶでしょ」
「それは確かにそうだけど」
「あたしも、その、一緒の方が、うれしいし」
「えっ」
「大学ってほら、変な勧誘が多いらしいじゃない? サークルとかの。だから、そういうのをガードする壁というか虫除けというか……」
「お、おう……」
カラ、カラ、カラ……、と自転車のホイールの回転音が響く。
「な、何か言いなさいよ」
「夏だな……」
「そ、そうね……」
このとき。
文哉の胸中のはしゃぎっぷりは、メルクリウスがもたらす数々の驚きに触れたときに、勝るとも劣らないほどだった。有頂天と言ってもいい。
しかし、あいまいな約束は、果たされることはなかった。
同じ大学に行くことも、ともに受験勉強に励むことも、思いを告げることも。
メルクリウスへの疑惑は、ある意味では正しかったのだ。
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