Last Episode ただいま、唐揚げパーティ

 翌朝の教室。

 始業のベルが鳴るギリギリのタイミングで豪太郎は教室の引き戸に手をかけていた。

 こうして立っているだけでも教室内のざわめきがイヤというほどよく聞こえてきてしまう。

 そっと戸を開き、中へ踏みいっていく。

 その途端さっと広がる静寂。

 蜘蛛の子を散らすように避けられていく視線。

 しかしその耳は豪太郎の一挙手一投足に集中されていた。

 視線を伴わない注目という奇妙な圧迫感の中、豪太郎は自分の席についた。

 敢えて周囲を見まわすとクラスメイトがビクリと体を震わせる。

 想定はしていた。

 なにしろ自分は“哲学者イタバレ”なのだから。

 しかしこの状況、思った以上にキツイものがあった。

「(……もう帰っちゃおうかな、オレ?)」

 そして強く思う――登校拒否しひきこもりたいと。

 だがそこで目の前に落とされる影がひとつ。

「金剛丸くん!」

 ハッとして上を向くと、大門英雄あれくさんだぁくんが立っていた。

 大門くんは言いにくそうにもじもじしていた。

「あの、その、あの……」

 豪太郎は神妙な顔で大門くんの言葉を待つ。

 既に覚悟はできていた。

 いったい誰がこんな“哲学者ヘンタイ”と友だちでいられるのか。

 大門くんのようなスーパーリア充がこれまで自分と付き合ってくれただけでもう十分なのだ。あとは彼自身の幸福を追求すればいい。

 こんなヘンタイ野郎など切り捨ててしかるべきなのだ。

「ボク……、ボク……」

 大門くんはそこでなにかを断ち切るかのように大声を上げた。

「ボク、感動したよ!」

「へ……?」

 あまりにも意外な言葉に、豪太郎は椅子からずり落ちそうになっていた。

「世界中の前で、“痛彼女”にコクるなんて、凄いよ。凄すぎるよ!」

「あ、いや、そんな……絶賛されてもむしろ困るというかなんというか……」

 もしやからかわれているのでは?などと考えてしまうが、そこで思い直す。

 大門くんはそんなことをする人間ではないのだ。

 それだけは自信を持って言い切れた。

「あの告白を見てボクも思った。勇気づけられた!」

「って、なに……を?」あのシーンから誰かになにかが伝わるなんて、これっぽっちも思っていなかった。

「ボクも、自分に正直にならないとダメなんだって」

「正直……に?」

「ああ」大門くんはそこで眼を伏せた。「友だちになろうとして近づいたけど、本当は別の理由もあって……」

 よく理解できないまま、豪太郎は首を傾げた。

「本当は彼女が気になって、気になって……」

 大門くんの顔が見る見るうちに真っ赤になっていった。

「彼女が金剛丸くんのこと好きなんじゃないかって、不安でしょうがなくて!」

 大門くんの視線の先にいるのは、超ツヤ髪の前下がりストレートボブ。

 元サイコパスにして現地味系美少女。

 つまりは黒井玲。

 母凉子イチ推しの嫁候補だった少女だ。

 大門くんの不安は残念ながらまるっきり的中していたわけだ。

「そ、それで――」感極まったのか言葉が止まらない大門くん。「勇気を出して告白したんだ、昨日」

「えっ!」ビックリしてしまい思わず声が洩れる。「で、どうなったの?」

 動揺したせいか、いらないことまで訊ねてしまっていたのだ。

 大門くんはガックリとうなだれた。「……ふられた」

「「「「――――ッ!!」」」」

 周囲が驚愕に包まれていた。

 あの大門くんがふられた、だとおおおおおお――!?

 そんな周囲のざわめきに、つい質問してしまったことを後悔する豪太郎だった。

 やっぱりこういうことは、二人だけのときにするべきだったのだ。

「ご、ごめんなさい――っ!」

 そこでガタッと立ち上がったのは玲だった。

「「「「なななななんと――ッ!!」」」」

 驚きの視線が玲に集中していく。

「でも私、それでも金剛丸くんが好き、大好き――っ!!」

「「「「ななななな、なにぃいいいいいい――ッ!!」」」」

 よりによって大門くんをフッて、“哲学者ドヘンタイ”の豪太郎が好きだってぇえええええ!

 驚愕の視線が次に豪太郎へと押し寄せる。

 クラスメイトは揺さぶられっぱなしだった。

 豪太郎も揺さぶられまくっていた。

 だが、それでも不十分とばかりに大門くんは絶叫していた。

「でもボク、玲ちゃんを諦めない――ッ!」

「うわっ、言い切った」クラスの誰かが思わずそう洩らす。

「あ、あたしだって」そこで聞こえてくるか細い声。

 なぜか続いたのはらぶちゃん。

「あたしだって……」だが、そこから先が聞こえてこない。

 声が小さすぎたのだ。

「ちょっと待ったあああ――――ッ!!」机を前に押し倒しながら立ち上がったのは睦美。「私だって、好きだから。……大門君のこと」

「「「「いや、それムリだから。……ムリだから!」」」」

 クラス中が一転して残念な苦笑いを浮かべていた。

 しかし睦美は挫けない。顔を真っ赤にしながら宣言するのだ。

「大丈夫だから! 私痩せるから。痩せたらぜったい大丈夫だから。私、ベースはいいから!」

「(……なにこのカオス)」

 あれやこれやと起こりすぎて、豪太郎の脳内はいっぱいいっぱいだ。

「あ、でも……」大門くんは睦美を完全にスルーして豪太郎へ笑いかけた。「ボクたち、これからも友だちだから」

 だが注意して見るとその顔はどこか引き攣っていた。

 睦美のことを完全にスルーできているというわけではないようだった。

「あ、ああ。そう……。うん、ありがとう大門くん」

 半ば信じられないまま、豪太郎は安堵の吐息を吐き出した。

 玲が目当てだったとはいえ、大門くんはいいヤツなのだ。

 そんな彼がこれからも友だちでいてくれるのは、ずっとボッチだった自分をどれほど力づけてくれることか。

 大門くんはそこで笑ってから、ふっと眼を逸らした。

「あ、でいいから」

「え?」

「だ~か~ら~、あれくでいいって言ってんだよ、豪!」

「(……えっ? なにその呼び方その響き! なにその友だち感!?)……わ、わかったよ、あれくぅ?」

「もっと堂々と言えよなあ」そう応じる大門くんの声もひどく裏返ったものだった。

 その直後、全力で謝ってしまう豪太郎。

 そしてそんな光景を、眼を細めて見詰めているのは一徹と凉子。

 豪太郎の両親はそれから眼を合わせ、満足げな笑みを浮かべ合うのだった。


 チャイムが鳴り、担当の鈴木教諭が教壇に立つ。

「おはようご……」

 先生の朝の挨拶を遮るように一徹が立ち上がった。

 いつもの乱暴な動作ではないのに、不思議に周囲の注目を集めてしまうような、そんな立ち方だった。

「オイラ……」言いながら視線を豪太郎に向ける。「行かなくっちゃ」

「……?」

「お母ちゃんも、行くね」いつの間にか隣に立っていた凉子がそう告げた。

「え、なにそれ?」

「ゲートが開いちまったんだよ」

「帰りのワームホールがすぐそこまでお迎え……みたいな?」

「そ、それって……?」

 豪太郎は思わず両手を机について立ち上がっていた。

「な、なんなんだよ!」

 初めは困惑。しかしそれはやがて弱い憤りへと移ろっていく。

「いきなりやってきて、人の生活さんざん荒しまくって……、で、突然帰っちまうのかよ!?」

「はっ」一徹は肩を竦めた。「すまねえな」

「しょうがないのよ、豪太郎」

「でも気にすんな」

「なにを……?」

「いつだってお母ちゃんともお父ちゃんとも会えるでしょ?」

 凉子の、痛々しさすら感じさせるムリした笑顔。

 普段は強面の母親にそんな顔をされると、豪太郎は声を出せなくなってしまう。

「ま、でもな」一徹は豪太郎の肩に手をかけた。「こうしていられて楽しかったさ」

「お父さん?」

「オヤジって言えって!」瞬間、表情を変えた一徹の拳が豪太郎の鳩尾にめり込んでいた。

「ぐはっ――」思わず体を二つに折ってしまう豪太郎。

 一徹は、そんな豪太郎の後頭部を掴むように手を載せた。

「一緒に高校生やって、放課後遊びに行って、実は結構楽しかったんだぜ?」

「うんうん。玲ちゃんや睦美ちゃん、大門くんにらぶちゃんに。みんなと一緒に遊んでられて、お母ちゃんも楽しかった。グループ交際……みたいな? ホント、最高だったけど」

「元の時間軸に戻って、子作りしなくちゃなんねえんだ」

「ばかっ!」直後、凉子の手の平が一徹の頭頂部をペシリと叩いていた。


 二人は手を繋いで教室を出ていく。

 クラスメイトたち、そして鈴木教諭までもがまるで導かれるかのようにその後に続いていった。

 廊下に出ると左右にそれぞれのワームホールがあり、真っ黒い不吉な顎を開いていた。

「じゃあな、豪太郎」一徹がワイルドすぎる眉を片方だけ吊り上げた。「友だち、大事にするんだぞ?」

「豪太郎……」凉子は切れ長の眼を潤ませる。「アンタが生まれた時、あんまりにもワームホール体質がひどかったから、二人目作るのやめちゃったんだけど」

「……そうだったんだ」

「でも今度は作るから。ね、お父ちゃん」

「ああ、オイラいい仕事すっからさ。もう何発だって――」

 直後に続く巨大ハリセンの音。

「ま、夫婦仲良くね」そんな二人のやり取りに豪太郎は思わず脱力してしまう。

「もしかしたら待望の妹ができるかもね」凉子はイタズラっぽい眼で笑った。

「え? あ、いや、その、えっと……そんな、オレ、妹とかゼンゼン興味……ないし?」

「なあ豪太郎」妙に冷静な口調で一徹が語りかけてきた。「人間正直が一番だぞ?」

「な、なんのことかな?」

  “哲学者”として不動の地位を得た豪太郎にとって、妹属性の一つや二つ、どうということはないはずなのに。……はずなのに。


 やがて二人はそれぞれのワームホールに向かい始めた。

 一歩、二歩、三歩、しかしまるでタイミングを合わせたかのように振り返り、お互いに駆け寄っていく。

 二人は熱い抱擁を交し、優しく唇を重ねていく。

 別の時間軸から来た、父と母。

 しかしそれぞれの時間軸が同一のものか、或いはべつのものか誰も確信を持つことができない。

 もしかしたらこの二人はもう永遠に会えないかもしれない。

 元の時間軸に戻ったら、それぞれの相手と出会うことだろう。

 しかしそれが今のこの二人であるかどうか、別の一徹と凉子であるか、まだわからないのだ。

 逢瀬を惜しむ二人の姿からは、相手への想いが溢れ出ていた。

 感受性の強い女の子が思わず涙を流してしまうほど、それは美しい光景だった。

 息子である豪太郎でさえ、心震わされるほどに。

 二人はゆっくりと離れていくと、何かを断ち切るようにワームホールに飛び込んでいった。

 それぞれの主を呑み込むと、ワームホールは一瞬だけ発光してから消滅していった。

 残されたのは、普段通りの廊下の姿。

 つい、ほんの一瞬前にワームホールがあったなどという痕跡は微塵も残っていなかった。

 授業が開始されたこの時間帯、周囲はやけに静かだった。

「なんなんだよ……」困惑した豪太郎はそんな呟きしかできなかった。

 豪太郎の肩に手を載せる大門くん。

「豪……」

 大門くんはそれ以上なにも言わず、豪太郎の肩にかけた手に力を入れた。

 一徹が、そして凉子が消えていったその先を、その向こうにある時間軸に思いを馳せながら。

 その手の体温がどれだけ今の豪太郎を支えているのか、自覚しないままに。


* * * * * * * *


「ねえ、唐揚げパーティ、またしようよ?」

 言い出したのはらぶちゃんだった。

「あたし、お父ちゃんさんとお母ちゃんさんにまた会いたいし」

 一徹と凉子が元の時間軸に戻ってから一ヶ月ほどが経過していた。

 二人がいなくなってもいつものメンバーに変動はなく、豪太郎をはじめ、大門くん、玲、睦美、らぶちゃんはだいたい放課後は惰性的にまったりと過ごしていた。

 違いがあるとすれば、豪太郎に事象が発生しなくなったことと、それぞれの心の距離が近くなっていたこと。あと、痛子がたまに都立中島高校の制服姿で堂々と通学するようになったことだ。もっとも、先生に見つかるたびにこっぴどく説教されてしまうのだが。

 ただ、らぶちゃんの存在だけは豪太郎にとって、相変わらずの違和感があった。

 大門くんに未練があるというわけではないようだ。

 むしろ大門くんとらぶちゃんは、別れる前よりも今の方がずっと自然な感じで接していて、お互いいい友だちという良好な関係を築いている。

 そしてそんならぶちゃんに対して、睦美は妙に好意的なのだ。

 そんなわけで最近は睦美とらぶちゃんはやけに仲がいい。

 一方、玲はらぶちゃんに対して含むところがあるようで、波乱含みである。

「女子ってよくわかんねえよな?」

 豪太郎がそうぼやくと、大門くんに思いっきりスネを蹴り飛ばされた。

「そんな鈍感ラノベ主人公みたいなこと言ってると、お母さんに怒られるよ」

「それで、唐揚げパーティなんだけど……?」

 すかさず口を挟んできたのはらぶちゃんだった。普段はニコニコしているだけで周囲に多幸感をふりまいている彼女からの提案に、豪太郎は考えを巡らせる。料理上手ならぶちゃんと、からきしな玲の対比がまた明らかになってしまうわけで。

「いいね、それ」大門くんはニカッと笑った。「ボクも久し振りに二人と会いたいし」

 そんな大門くんの反応が結論となった。

「ま、いいか」豪太郎は頷いた。「別に隠す必要もないし」


 放課後、まっすぐスーパーに行って、ああだこうだと言い合いながら大量の食材を買い込む。

「なあ、いいのか?」

 誰にも聞かれないように、豪太郎は睦美に訊ねていた。

「なにがよ?」

 睦美はこの一ヶ月間、凄まじい勢いで体重を減らしていた。

 もう誰もが彼女を残念系お太りさんとは呼べなくなっていたのだ。

 このまま順調にいけば、夏休みには水着姿も眩しいスリム女子の出来上がりだ。

「いや、揚げ物とかいいのかなって」

「大丈夫よ」睦美は即答した。「唐揚げは別腹だから」

「なに唐揚げが別腹って? 意味不明すぎ。ていうかリバウンドとか心配じゃな……ってぐはぁ!」

 険しい眼をした睦美の掌底が豪太郎の顔面に炸裂していた。「うるさいわね!」

「おまえ……、なんか痩せ始めてから性格悪くなってねえか?」

 人格だけなら嫁にしたいナンバーワンと言われていた睦美。それは既に過去の話となっていた。性格の悪さと体重は実に美しく反比例の曲線を描いていたのだ。

「余計なお世話っ! 大門くんにバレなきゃいいんだから!」

「……マジかよ?」

 打撃を受けたばかりの頬をさすりながら、豪太郎は呟いた。

 が、その直後ふいに思い出す。

「なあ、榎本?」

「なに?」

「あのさ、松島くんのことなんだけど」

 超お太り痛彼女の“みう”ちゃんが学校に押しかけてきたせいで痛バレしてしまい、以来ずっと登校拒否状態が続いている痛友仲間のことを豪太郎は思い出していた。

「こんど二人で会いに行かない?」

「なんでよ?」

 なに言ってるのこの人?みたいに素っ気なく、睦美は応えた。

「リアルで好きな人の名前を付けるようなクズ、知ったこっちゃないわよ!」

「ふうん……」豪太郎はジト目を睦美に向けていた。「そんなこと言っていいのか?」

「な……、なによっ!?」

「榎本の痛彼氏って、名前アーくんだったよね?」

「――っ!!」

「それって略称だろ? 本当の名前はあれくさ……」

「わかったから――っ!! 行くから行くから!! 松島んとこ行くから、行かせてもらうからぁあああああ――っ!!」

 態度をコロッと変えた睦美は、もはや懇願調になっていた。

「だからお願い! このことは黙ってて!」

 必死に両手を合わせる睦美に、豪太郎はふっと笑ってから囁いた。

「ははっ。そんなことバラすわけ、ないだろ?」


 両手一杯の荷物を持って家に着くと、油を熱するいい匂いが漂っていた。

 ダイニングで待っていたのは凉子と、会社を早引けしてきたのか既にビールを片手にしている一徹。そして当たり前のようにそこで笑っているエプロン姿の痛子。

「「「おかえり!」」」

 微笑んでくる一徹と凉子は見事なまでのグダッグダな中年体型。皮膚緩みまくりの顔たるみまくりだ。

 ちょっと前ならこんな劣化の激しい両親を誰かに見せるなんてとんでもないことだった。

 でも今はそうじゃない。むしろ二人のポンコツっぷりにみんながどんな反応を見せてくれるか、逆に楽しみなくらいだ。

 だから、豪太郎は胸を張って応える。ちょっと誇らしく思いながら。最近はすっかり慣れてしまったその呼び方で。


「みんな連れてきたよ。オヤジ、お母ちゃん!」               [了]

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痛彼女;タンスの中に二次元嫁が棲んでるわけだが つきしまいっせい @ismoon

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