ラジオドラマシナリオ 唐津奇譚(修正後)
霜月りつ
唐津奇譚 修正後
○ 望月の家
チリーンと風鈴が鳴る。
望月のN「夜になっても暑いねえ。こんな夜におあつらえ向きの話をしてみようか」
リリーンと風鈴が鳴る。
望月のN「あれは東京が江戸と呼ばれてたころだ。そのころ俺は暇な浪人でね。その 日も大川でのんびり釣り竿を下げていたんだけど」
○ 川辺
川の流れる音。セミの声。
信吉「こんにちは、望月さん」
望月「やあ、坂井屋さんの若旦那じゃねえか」
信吉「お暑うございますね」
望月のN「そいつはこの川でちょくちょく会う、顔なじみの旦那だった」
ナレーションのバックに店の賑わい等。
「いらっしゃいまし」という声や木箱を動かす音。それにかぶせて。
望月のN「坂井屋はそれほど大きくはないが、老舗の薬屋で、深川の住人なら誰でも 一度はお世話になっているのさ。
父親の六助はやり手の働き者だが一人息子の信吉はおっとりとしたのんき者だっ た」
川の流れる音。
信吉「つれますかあ?」
望月「いや、さっぱりだね……おや、若旦那、ちょいと痩せたんじゃねえのかい?」
信吉「あ、わかりますか?」
望月「ああ、なんか頬がこけてんじゃねえか」
信吉「実はね、あたしは今恋患い中なんです」
望月「(笑って)へえ、若旦那が?」
信吉「(恥ずかしそうに)そうなんです。あ、引いてますよ」
ぱしゃぱしゃと水の跳ねる音。
望月「おおっと、うわ、こいつ! ……あーあ、餌だけ持っていっちまった」
信吉「(笑い)おや、残念」
望月「そんで? 相手はどこのお嬢さんだい」
信吉「あ、ああ、はい。実は……」
望月「うん?」
信吉「その人はどこのどなたかさっぱりで」
望月、川に釣り糸を投げ入れる。
望月「よっと、……ふうん、どこか通りすがりにでも見初めたのかい?」
信吉「いいえ、通りすがりどころか毎日でも会えるんですが」
望月「ええ?」
信吉「あのう――絶対、絶対、嘘だって言わないでくださいよ、笑わないでくださいよ」
望月「言わねえよ、人の恋路をどうして笑う」
信吉「実はその人は茶碗の中にいるんです」
望月「う、(言葉を飲み込む)」
信吉「今、嘘って言いかけたでしょ」
望月「(焦る)い、言わねえ、言わねえよ」
信吉「(すねて)いいんです、どうせ誰にも信じてもらえないんですから」
望月のN「信吉がその女の姿を見るようになったのは一ヶ月程前、母親とお茶の稽古 をしていた時からということだ」
○ 信吉の家
しゅんしゅんとお湯の沸く音。
母親が茶筅でお茶を立て、畳の上に茶碗を滑らせる。
信吉「おっかさん、この新しい茶碗、いい景色だねえ」
母親「だろ? 肥前の国の唐津焼だよ」
信吉「こう手で持つとなんともほっこりと温かい風情でねえ……いただきま……う わっ」
衝撃のSE
信吉「おっかさん、茶碗の中に人の顔がっ!」
○ 川辺
水のせせらぎ音とセミの声。
信吉「それが……とてもきれいなお嬢さんで」
望月のN「信吉が言うには、白く小さな顔、細くつんとした鼻にぽっちりとした唇。 ときどきちらりと信吉の方を見る、その目の愛らしさがたまらないって」
○ 信吉の家
茶碗に水をいれる音。
信吉「ね、見てよおっかさん、おとっつあん。ほら茶碗の中に娘さんの顔が見えるで しょ?」
母親「信吉、お前どうしちまったんだい?」
父親「暇さえあれば茶碗の中を覗きこんで……うちにある気鬱の薬も効きやしねえ」
信吉「あたしはおかしかありませんよ、ほんとに娘さんが見えるんですってば!」
○川辺
せせらぎの音、セミの声。
信吉「一目ぼれってこういうことなんでしょうね。あたしは茶碗の中の娘さんに夢中 になったんです」
望月「不思議な話しだなあ。その唐津の茶碗に謂れはないのかい?」
信吉「あたしもそう思ってそれを買った焼き物屋さんに行ったんですが、なんの由来 もないというのだそうです」
望月「ふうん、……なあ信吉さん、一度その茶碗を俺にも見せちゃくれねえか?」
信吉「ええ、もちろんですよ」
セミの声、やかましく。
N「そんなわけで、さっそく信吉は、翌日、茶碗を持って俺のところにやってきた」
○望月の家
戸の開く音。
信吉「こんにちは、望月さん」
望月「おお、信吉さん、よくきてくれた。狭いところだがあがってくんな」
信吉「お邪魔しますよ」
信吉、草履を脱ぎ畳の上へ。
望月「お、これがその茶碗かい」
信吉「はい」
望月「持ってみていいかい?」
信吉「ええ、どうぞ……」
望月「(信吉の声にかぶせて)わあっ」
茶碗が畳みに落ちる鈍い音。
信吉「わっ、気、気をつけてくださいよ! 割れたらどうするんです」
望月「すまんすまん」
望月のM「今たしかに誰かが俺の手を握ったぞ。優しい力で」
信吉、立って玄関の水瓶からひしゃく
で茶碗に水を注ぐ。
信吉「水が入ってないと見えないんですよ」
望月「おお、すまねえな……どれ……うーん」
信吉「見えませんか?」
望月「ああ、俺にはな。今お前さんには娘の姿が見えているんだな?」
信吉「望月さんが見えないのは残念ですねえ」
○ 町中
雑踏の音。風鈴の鳴る音に風鈴屋の呼び声、金魚売りの声、人々の声。
望月のN「俺は坂井屋がその茶碗を買ったという焼き物屋へ行ってみた」
カチャカチャと瀬戸物の触れ合う音。
店主「謂れって言ったってね、前にも坂井屋の若旦那に聞かれましたが、これは新し いものでどんな謂れもありやしませんよ」
望月「それじゃあ、あの焼き物を焼いた窯元はどうだい?」
店主「か、窯元、ですか」
望月「若旦那が言うにはあの茶碗はかなり安かったらしいって話しだぞ。窯元から安 く買い叩いて恨みを買ってるなんてことは」
店主「そんな……窯元は……(言いよどむ)」
望月「(凄む)……窯元になんかあるのか」
店主「いや、あのぅ」
望月「言えよ、でないとこの店がお化け茶碗を売ったといいふらすぞ」
店主「や、やめてください、わかりました、話しますよ。実はあの茶碗を焼いた窯元 はもうないんですよ」
望月「ない? なぜだ」
店主「火事でね」
○ 窯元
店主の台詞にかぶって炎の燃える音。
若い娘の声で「おとっつぁーん!」
家が燃えてどおっと崩れる。
店主「親子三人が亡くなったそうです。あの茶碗はその焼け跡から出たんですよ」
望月「じゃあ焼き物師の家族と一緒に焼かれたってことだな?」
店主「そ、そうはいってませんよ」
○ 望月の家
リリーンと風鈴の音。
信吉「では、あのお嬢さんはその焼き物師の方の娘さんなんですね」
望月「確証はねえ。だがその茶碗にまつわる話はそれだけだ」
リリーンと風鈴の音。
信吉「(悲しそうに)それではこの世の方ではないんですね」
望月のN「まあいない娘に恋をしても仕方がない、いつかは信吉も諦めるだろう。俺 はそう思った。だが信吉はその後も茶碗の中を覗くことをやめなかった」
「火の用心」の声、拍子木の音。
望月のN「冬になった。この頃坂井屋は薬の仕入れで大きな失敗をして、借金を背 負っちまった。そこで家を救うため、信吉はある大店の娘と婚姻することに なったんだ」
○ 川辺
川の流れの音。
カラスの鳴き声、悲しげに。
さくさくと枯れた草を踏む足音。
信吉「こんにちは、望月さん」
望月「やあ、若旦那。元気かい」
信吉「どうですかね」
望月「若旦那、それ……例の茶碗かい?」
信吉「ああ、これねえ……」
望月「……若旦那、大丈夫かい」
信吉「望月さん。あたしはね、今日はこの茶碗のお嬢さんとお別れしにきたんです」
信吉、川から水をすくう。
望月のN「信吉は川の縁にしやがみこむとその茶碗で水をすくった。そしてその中を じっと見つめた。俺には見えないが、信吉はきっと茶碗の娘を見つめているの だろう」
信吉「んっ」
ゴクゴクッと水を飲む音。
望月「若旦那、こんな川の水を飲んじゃ……」
信吉「(ふーっとため息)望月さん。あたしは今、川の水を飲んだんじゃない、お嬢 さんを飲んだんです。こうやって飲み干すとお嬢さんがあたしの中にはいって しまったようです……」
望月「若旦那……」
信吉「あたしたちはこれで二人一緒に幸せになろうと思うんです。お嬢さんが生きら れはずだった人生を」
信吉は茶碗を石に叩きつける。
茶碗の割れる音。
望月「あっ」
信吉「(涙声)もうこれでお嬢さんを見ることもないでしょう」
望月「お前さん、それでいいのかい?」
信吉「(鼻をすする)いいもなにも……仕方ないじゃありませんか……」
茶碗の欠片を集める音。
それがひとつずつ水に落ちる音。
望月のN「やがて翌日の婚礼の夜。俺は長屋で一人、信吉の幸せを祈って酒を飲んで いた。だから俺は知らなかったんだ」
たかさごや~と謡の声。
望月のN「祝言の三々九度の盃の最中、信吉が悲鳴を上げて立ち上がったことを」
悲鳴。茶碗の割れる音、叫び声。
望月のN「信吉は腹を胸を喉をかきむしって、倒れてしまった。口から大量の黒髪を 吐き出して、そのまま死んでしまったんだ」
チリーンと風鈴の音。
望月のN「信吉が盃の中に何を見たのか、腹の中になにがあったのか――なあ、あん た。あんただったら知りたいかい?」
終り
ラジオドラマシナリオ 唐津奇譚(修正後) 霜月りつ @arakin11
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