第24話

 ルシア王女は病弱だった。少し運動するだけですぐに体調を悪くしてしまうので、いつも王室にひきこもってばかりいた。窓の外の豊かな自然をみて、ああ、あの大地を歩けるようになったらなあ、と仄かに夢を見ていた。

 そんな幼きルシア王女の孤独を慰めてくれたのは、若きフリエラ・エドマンド・ファールフォーケン卿である。彼はいつもルシア王女の部屋に訪れては、本の読み聞かせをしていた。

「エドマンドさん、今日は何の話を聞かせてくれるの?」ルシア王女は彼のことをミドルネームで親しく呼んでいた。

「今日は、アルゲバ物語の続き。」

「わぁい!」

「アルゲバ王は本当にひどい王様で、すぐに家来を処刑しちゃうんだ。」

「なんで処刑しちゃうの?」

「彼はね、自分が人間じゃないと思い込んでいて、人間としてちゃんと生きている事が許せなかったんだ。お妃だってすぐに処刑しちゃった。」

「かわいそう。」

「そうでしょう?でも、そんな王も愛する存在がいたのさ。今日はその、王の愛する"処刑人"の物語。」

「それは楽しみね。」ルシア王女は言った。「私も、好きな人なんて、できるのかしら。」

「・・・。」

 病弱で王女であるルシアにとって、愛する人というのは何か特別なものだと考えていた。だからファールフォーケン卿の読む、人と人との物語をルシア王女はとても大事に聞いていた。その王女の真剣な顔を、卿はうっとりとした恍惚の眼差しで見下ろしていたのだ。



 そんなルシア王女も年頃となれば当然恥じらいもあるわけで、部屋に入れてくれなくなってしまった。ファールフォーケン卿はいつまでもいつまでも戸口で待っていたが、ルシアは扉を開けてくれない。戸口で寂しさを味わいながら、また、その寂しさ故に陶酔が盛り上がるのを感じた。齢三十にしてファールフォーケン卿は十三歳のルシア王女に恋をしていた事に気づく。あのあどけない表情。高貴ゆえの知性。そしてあの娘から匂ってくるえも芳しき香り。そして、「エドマンドさん」。

 しかしルシア王女も年頃の娘。やがて花婿とのお見合いがあるであろう。その事を考えた時、あのルシアが他の男のものになる、と気づいて、ファールフォーケン卿の胸の内で冷たい怒りに支配された。ルシアがどこの蟲の骨とも知らん男に奪われる事は許されざる事であった。ルシア王女は美しい。神の存在たるルシア王女を人間の座に引き摺り下ろそうと邪悪な男どもから、私は、守らなければならない。あの娘は純粋無垢で、かつ、永遠の王妃であるべきなのだ。

 その時彼は思いつく。現在ではプロテーア・クレアトゥーラと呼ばれている"蟲"をルシアの姿に型取り、そして、蟲術で彼の永遠の傀儡にしてしまおうと。今で言うと、好きな子のマネキンを作って部屋に置くのと同じような発想である。ただマネキンとは違って、プロテーア・クレアトゥーラは、ルシアの姿を象るために、ルシア固有の情報を欲していた。そのためにはやはりルシアに近づかなければいけない。どうすればいいのだろうか。



 ところがその機会は思いがけなく訪れた。なんと、ルシア王女がファールフォーケン卿を自室に呼んだのである。

 家来に案内されたファールフォーケン卿が中に入ると、ベッドの側でルシアの父王と母王がベッドを見下ろしていて、ベッドの中ですっかりやつれきったルシア王女が横たわっているのが見えた。卿は彼女と目が会う。

「父王さま、母王さま。」ルシア王女は言った。「席を外していただけますでしょうか。私はこの者とちょっとお話をするので。」ファールフォーケン卿は苦々しく会釈する。父王がこくりとうなづいて、母王の肩を抱き、共に部屋を後にする。

「ファールフォーケン卿・・・」ルシア王女は息も絶え絶えに言った。「あなたを、その、恥ずかしさで拒絶してしまったことを心からお詫びします。そして、両親には内緒でしたが、私もそう長くありません。ふと小さな頃を思い出して、あなたをお呼びしました。だから、どうか・・・物語を聞かせてください・・・。」

 ファールフォーケン卿はニコリと笑った。「いいですよ。いいのですよ。王女さま。ではある"蟲"のお話をしましょう。」

「"蟲"?」

「そう。永遠に生きる"蟲"の物語。」

「どんな・・・物語でしょう。」

「それは死を超越した"蟲"で、殺されない限り死なず、殺されてもすぐ別のところから蘇る。そんな"蟲"の物語。」

「素敵な蟲ね。」

「その"蟲"はそのような、永遠の命を持つ"神"の魂を持ちます。"神"の魂を持つ生き物の死体ならば、いくら死んでもその"神"を通じて蘇るのです。」

「そうなの。」

「"神"は生き物のかたちを変える力があります。」ファールフォーケン卿の語りに熱が入る。「この島にはその"神"を扱う蟲術師というのがいまして、"神"にコガネムシなどの形を与えると、次に"神"が宿っている死体は、"神"の力により、どんな生き物であろうとコガネムシに変形して蘇生するのです。」

「うん。」

「蘇生したコガネムシは、実に清らかな形をしていたのでした。"神"は蟲術師から与えられた形を、さながら酒のように熟成させるらしい、と。えも芳しき香りを放ち、人々はそのねずみにひれ伏した事さえあります。」

「すごい。」

「だが問題は、その形は一世一代に過ぎなかった。次転生するとすぐに元に戻ってしまう。そこで、この蟲術の天才である私、ファールフォーケン卿は、永久にその形が維持する方法を発見したのです。」

「あ、ファールフォーケン卿自身の物語でしたの?」

「そうですよ、そうですよ、そしてルシア王女。」ファールフォーケン卿は詰め寄る。「だから私はあなたに永遠の命を与えることができる。」

「え!」ルシアは息を飲む。「本当なの・・・」

「本当ですとも。"神"にあなたの形を与えればいいのです。そして私の発明した処置をすれば。」

「それだったら・・・」ルシアは迷いもせずに言う。「お願い。エドマンドさん。」

「勿論ですとも。」ファールフォーケン卿はにこりと笑った。「王女様こそ、永遠に生きながらえて欲しいと、私は願っていましたから。」

「嬉しい。あのね。」ルシアは言った。「もしも私が長く生きながらえたら、エドマンドさんのこと、好きになるかも。」

「おお、それは勿体ない事です・・・」ファールフォーケン卿はそう言いつつも暗い笑みを浮かべる。

「うん。」ルシアは無邪気に言う。

「そうですか・・・ならばなおさら素晴らしい。」ファールフォーケン卿は立ち上がり、暗い瞳でルシアを見下ろす。

「ファールフォーケン卿・・・?」ルシア王女の瞳が震えている。

 ファールフォーケン卿は懐から小さなぶよぶよした球を取り出す。「これは"蟲"に宿っている"神"を取り出したものです。」ファールフォーケン卿は言う。「この"神"が死にかけた時に、あなたの血も頂けば、次の転生先の姿形が記録される。」

「どう言うこと・・・?」ルシア王女は布団の中で脚を縮こまらせた。ファールフォーケン卿は小刀を取り出し、その先でぶよぶよした球を刺す。刀には水っぽい紫の汁が滴る。

 そしてファールフォーケン卿はベッドに片膝を乗せる。

「何をするんですか、ファールフォーケン卿・・・」ルシアは弱っていて大きな声が出せない。

「貴女の胸に一突きし、その血を頂く。」ファールフォーケン卿は次第にルシアに覆いかぶさる。

「やめてください!ファールフォーケン卿!やめてください!」

「永遠に生きるためだ!」ファールフォーケン卿はルシアを押さえつけて、そして小刀を振る、その手をルシアは渾身の力で掴む。

「言うことを聞かないか!」

「嫌、嫌!」

「この、分からず屋!」

「誰か・・・助・・・けて・・・!」 




 我に返ったファールフォーケン卿は床でルシアが血を流して死んでいる事に気づいた。目は閉じられ、顔はあまりに白い。奇跡的にも、否、不幸にも、騒ぎは誰も気づいていなかった。うまく、いったのか・・・?とファールフォーケン卿はルシアをじっと見つめる。そして呼びかける。


「ルシア。」


 その時、ルシアの切り裂かれた胸の傷がほのかに光りだす。ファールフォーケン卿は呆然と立ってその場を見守る。光はルシアの全身をつつみ、熱を帯びた。その熱が徐々に収まり、再びルシアの姿がまみえる。ルシアは目を開く。そしてゆっくりと起き上がり、そしてファールフォーケン卿を見る。

「ルシア王女よ・・・蘇ったのか・・・・。」ファールフォーケン卿は言う。

「ルシア王女よ・・・蘇ったのか・・・・。」生まれたばかりのルシアは言葉を返す。しかしファールフォーケン卿に対して引きつった表情を向けている。

「ルシア王女・・・私はお前が好きだ・・・・。」

「ルシア王女・・・私はお前が好きだ・・・・。」怯えた表情でちぐはぐな模倣をする。

「お前は私のものだ・・・・。」

「お前は私のものだ・・・・。」

 埒が明かない。こうなったら蟲術か。ファールフォーケン卿は甲虫コガネムシを取り出して、語る。

「私を好きになってくれ。」

 するとルシアはファールフォーケン卿を見つめる。卿は心が踊る。

「私が、好きなのか・・・・?」

「私はお前が好きだ。」ルシアは無表情にそう言って、胸の傷をガバッと開く。

「ルシア王女!?」

 ファールフォーケン卿は思わず大きな声を上げる。ルシアの胸の傷から触手が現れ、ファールフォーケン卿に伸びて、あれよあれよという間に彼の体に絡みついていく。

「やめろ、何をする。」

「私はお前が、好きだ。」そう言ってルシア王女は突然天井にドンと頭を突く。気がつけばファールフォーケン卿よりも大きな姿となっていた。そしてかぐわしい香り。

「ル、ルシア王女、ルシア王女ぉぉ!」ファールフォーケン卿は叫ぶ。彼の体は触手に持ち上げられ、そしてルシアの胸の傷跡に吸い込まれていく。

「私はお前が、好きだ。」

「ルシア王・・じょは・・・うおえ」そしてファールフォーケン卿は触手に覆われていく。ルシア王女は「ふ、ふふふふふ・・・」と苦しいような笑いを浮かべながら、その体を歪めて行く。




「あはははははは、あははははは!」

 ルシアが笑いながら最初の破壊ノ姫になっていく幻影を、僕は眺めている。

 "青年よ。ルシアの過去をいつまでも覗くでない。"

 突如声が聞こえた。

 "ルシアは死なないのでは無い。死にきれないのだ。"

 あなたは、誰ですか。

 "私は、ルシアを庇護する者。"

 ひょっとして、プロテーア・クレアトゥーラ。そう思った時、自分は気を抜いてしまった事に気づいた。破壊ノ姫ルシアに隙を突かれ、僕は融合した頭を引きちぎられた。そして激しい光の熱を喰らい、何も見えなくなったまま、おそらく倒れてるらしい事だけを感じながら、背中で何かにぶつかって行く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る