第19話

 奈々子はある日、自分が泣いていたのは自分が何もできないという無力感ではなく、ある悲しい予想が頭を離れないからと気付いた。つまり、花澤健二はもう死んでしまった、という予想。

 健二の肉体がルシアの体内に取り込まれている。そして霊体がどこかに漂っている。明白ではないか。肉体としての健二は、もう。


「健二、健二ぃ・・・。」

 奈々子は再び自室で泣いている。奈々子にとって健二は、お互いに単なる友達であったが、この時ほど健二を愛しく感じた事に奈々子自身は泣きながらも不思議に感じた。あの平穏な日常はもう戻ってこないという悲しみかもしれないし、やはり適当な会話をし受け止めあった上での魂同士のお互いの絆というのがあったのかもしれない。あるいは同じルシアを通じた関係性ゆえに、この苦しみを分かち合える友が花笑と健二しかいなかったのかもしれない。携帯電話には大学の友達の愛子アイコからの不在着信が多数あるが、とてもじゃないけど出れない。とにかく、この時ほど健二が側にいてほしいと願った事はなかったのだ。そう信じるほど、奈々子の頭の中で、健二が "大丈夫だよ 奈々子さんも しっかり 生きて" と囁きかけてくれるような気がした。「ああ、健二・・・。」奈々子は混乱していたが、うずくまりながら幸せの笑みを浮かべる。「健二、ありがとう・・・。」

 その時奈々子の部屋の扉が開かれたので驚いて振り返ると、ネムリダが立っていた。なにか小さい欠片を持っていた。ネムリダはその欠片に口を当てて叫ぶ。

「ネンナングディール!ハビヤバール!ハナザワケンジ!」

 沈黙。

「え、あの。」奈々子は困惑する。

「これでよし。」ネムリダは焦ったような口調で欠片を撫でる。「これで材料は揃った。」

 後ろから花笑やミトがくる。

「ネムリダさん、どうしたんですか、急に駆け出して・・」ミトは少し喘ぎ喘ぎに言う。

「この石で花澤健二さんの魂がここにくるのを感知したのでね。急いでその魂を確保した。ありがとう、瀬田菜々子さん。」

「その欠片は、何ですか?」ミトは間髪入れずに尋ねる。

「健二の魂の入れ物だ。」ネムリダは欠片を手で覆いながら言う。

「プロテーア・クレアトゥーラじゃないか。」花笑が言う。

「え?」ミト。「え?」奈々子。

「その化石には、あの空を横切ったルシアと同じ気配がする。」花笑がネムリダを睨みながら言う。

「・・・チッ。」ネムリダは舌打ちをした。「よくわかったな。魂を封じ込めて、蘇生するには彼らの力を使うのが一番いいんだ。」

「あなたは蟲術が使えるんですか。」ミトが冷たい口調で言った。

 ネムリダは黙った。

「ネムリダさん、そんな。」ミトは少し悲しげに言う。「ファールフォーケン卿がルシア王女にしたことを、あなたは花澤健二にしたと言う事ですよ。」

「仕方なかったし、それとこれとは違う。これしか破壊ノ姫ルシアを完全に制御する方法がない。」

「そんな理屈よりも、ただ、事実を知りたいんですが、一体誰から蟲術を学んだんですか。」

 ネムリダは沈黙する。

「ファールフォーケン卿しかいませんよね?」

 ネムリダは沈黙する。

「僕たちの情報は筒抜けだったんですか?」

 ネムリダは沈黙する。

「ひょっとして、あなたのその超能力とやらも、いかさまだったんですか?」

「違う!断じて、違う!」ネムリダは叫んだ。「私の能力は本物だ!この能力で政治家にも社長にも有用な助言ができた!それにユーラシア大陸の本部が爆破される事も予期した。そうだろう?花澤健二の魂を確保する事もできたのだ!」

「じゃあ答えてください!」ミトも叫び返した。「あなたは誰から蟲術を学んだのですか!」

 するとネムリダは肩を震わして、「く、くくく」と引き笑いをした。「お前たちは多かれ少なかれ分かっててその質問をしているのだろう。」ネムリダは諦めたように言う。「私は右からも左からも、どんな立場の人間に対しても助言をしてきた。誰が敵か味方かなんて興味がない。世界の調和。ただそれだけ。私は、お前たちの味方でもあるが、一方でファールフォーケン卿の味方でもある。」

「そんな!」三人が一斉に言った。

「だから、こうなってしまったからには仕方ない。私の知ってる全てを話す。私は、南極のルシアが蘇る前、つまりミトや君の父のチームに入る前にファールフォーケン卿に出会ったのだ。私は、ルシアは力あるものに管理する者と、それに歯向かう者の両者の力の均衡で平和は維持できるのではないかと考えた。」

 3人の表情が冷たくなり、ネムリダは若干喋る速度を速めている。

「私は彼から蟲術を学んだ。何百年も生きていながら、古来の業を全て完全に記憶していたのだ。」

「長生きなんですね。」花笑はその情報に淡々と答えた。

「長生きどころではない。彼は最初のルシアに取り込まれた状態で、ミトの先祖によって強引に助け出された事で破壊ノ姫の性質を受け継いだのだ。つまり永遠に生きていける。」

「ルシアに取り込まれると、ルシアと同じになるということですか?」ミトは鋭く問い詰める。

「そうだ。」

「つまり花澤健二は永遠にルシアと・・・」とミトが言いかけて口をつぐむ。奈々子がまた泣き出しそうな顔をしていたからだ。

「私はファールフォーケン卿は南極の爆発に巻き込まれて死んだものかと思っていた。」そうネムリダが話すと、ミトの肩がピクリと動いた。「だが瀬田奈々子の情報のお陰で、まだ生きている事を知った。そしてつい最近私は再び卿と連絡を取ったのだ。卿曰く、本来ならば」ネムリダは化石の欠片をもう一度見せながら言う。「ルシアは花澤健二の魂と融合するはずが外に抜けてしまった、と。ここに確保した。」

「・・・何の、ためですか?」ミトは訊ねる。なぜかミトも不安定である。

「ルシアを制御するためだ。ルシアは現在、彷徨っている花澤健二に僅かながら影響を受けている。彼の魂がルシアを暴走させるかもしれない。そのリスクを排除するために、花澤健二の魂をここに封じ込めておく。」

 ミトも花笑も思わず唖然とした。花笑は鋭く言う。

「それって結局花澤さんを振り回してるだけじゃない!」

「分かっている!これは仕方ない事なのだ!世界の平和のためにも!」ネムリダは叫んだ。「どのみち制御不可能な力だった。だからファールフォーケン卿の協力は、絶対不可欠だった!」

「健二くんは、どうなるの。」奈々子はぼそりと訊ねる。

「花澤健二の魂を借りたプロテーア・クレアトゥーラは私の指示で蘇生するが・・・正直にいおう。そんな事は今後一切ない。私は卿に管理する役割を言い渡された。ルシアを惑わせてはならない。」

「健二くんを、助けるんじゃなかったの。」

「途中まではそのつもりだったが、ファールフォーケン卿の存在を知り、そして彼の連絡から完全に取り込まれている事を知った時、魂だけでもサルベージしようと思った。だから君がいてくれてよかったのだ。」ネムリダは非常に早口でまくしたてる。

「今すぐ蘇生させて。」奈々子はネムリダを睨んで言う。

「ダメだ。」

「今すぐ!」奈々子は叫んだ。「この、事件の、一番の被害者は、健二くんよ!抑止が何よ!またルシアをころ、殺して、先延ばしにだってできるでしょ!おかしいよ!」

「君のような感情的な意見がどれだけ世界を不幸にしてきたか分からないのか。」

「そんなの知らない!健二くん!ねえ目を覚ましてよ!健二くん!」

 その時、欠片が閃光を放つ。

「うあ!熱い!」ネムリダは驚いて欠片を落とす。

 そして欠片にヒビが入る。欠片の中で何かが膨らんでいる。

「嘘だろ・・・。」ネムリダは呻く。

「何が生まれるの・・・。」花笑は狼狽える。


 欠片は砕け散り、中から現れたのは・・・。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る