第16話
「ファールフォーケン卿。正直あなたに失望しているんですよ。」ガスマスクをつけた井出竜也海将補は言う。「飛行機は壊れ、仲間たちが多く犠牲になった。みんな不満を露にしている。浜口海将にどう説明すればいいんですか。」
「あれが兵器として使い物になるためには、ルシアがちょいとだけ花澤に心を開いてもらう必要があった。正直そのタイミングが一番気がかりだった。」ファールフォーレン卿は笑う。「まさか輸送中に暴発するとはな。」
「んん・・」納得がいかないのか井出海将補は若干唸る。「本当に、これ、大丈夫なんですか。また暴走するんじゃありませんか?」
海将補は目の前のそれに指を差す。ちなみにここは大きな海中トンネルである。そこに巨大なルシアがトンネル一杯に寝そべって肘を乗せて頬杖を付いて自衛隊たちを見下げている。
「だからちょっとばかりテストをしといた。ユーラシア大陸にある我々の反乱分子の本拠地を襲撃した。」
「え、ちょっと、えぇ!?」井出海将補はあまりの事にひどく動揺する。「我々が攻撃したと知られたら・・・領土侵犯、いえ、それどころじゃない、戦争沙汰ですよ!何て事を!」
「安心したまえ。その日は曇り。ルシアは雲の中。おまけに建物一つが炎上する程度の威力。」
「我々は机上の理論だけで話すわけにはいかない。」
「だから、実際火事騒ぎだと新聞に出ている。」ファールフォーケン卿は新聞を出す。
「その、問題に、ならなければ、いいんですけど、ええ、まあ。」井出海将補は新聞を受け取りながらしどろもどろに言う。
「ほらほら、繊細な操作すら可能なのが立証できたのだから十分ではないか。」ファールフォーケン卿はくっくっくと笑う。
「ではその兵器の操作をするのは誰ですかね?」突如坂井という男が発言する。同じくガスマスクをつけている。
「基本的にこれはプロテーア・クレアトゥーラを埋め込んだ虫づてで指示をしている。」ファールフォーケン卿は答える。「だから虫と会話できる者だけがルシアを操作できる。」
「つまり操作できるのはあなたか、あなたがその蟲術?とやらを誰かに教えた場合だけじゃないですか。大丈夫なんですか?」
「私は死なないから大丈夫。」卿はニヤリと笑う。
「・・・よくわかりませんが、その、死ななくても何でもいいのですが、」坂井は困惑している。「あなたの意志でこの危険な兵器の操作できるって事が、この国の安全に繋がるのですかどうか。」
周囲はざわつく。
「おいおい、なに今更な事を言ってんだい坂井くん。逆に言えば私の意思で日本を脅かすって言いたいんだろう?その事について、この井出海将補様が私と話さないわけがなかろう?日本人の癖に、察しの精神が無いのかね?」
「今更なのは分かっていますけど、」坂井は前に出る。「はっきりいいましょう。私はあなたを疑っています。」
「坂井、自重しろ。元の位置に戻れ。」井出海将補はイライラしながら言う。
「だいたい、なんで」坂井は海将補の命令を無視して話を続ける。「我々全員ガスマスク着用なんですか?ルシアから危険なガスとか出てるんですか?」
「坂井!」井出海将補は叫ぶ。
「まあまあ、井出海将補」ファールフォーケン卿はふっふと笑いながら坂井に近づいていく。「この寛大なるファールフォーケン卿が若き未熟な疑問にお答えしよう。このルシア王女は放射能でも毒も発していない。だから決して死には至るまいし健康上の被害もない。ほら。」
ファールフォーケン卿は坂井からガスマスクをひったくった。顔のさらけ出た坂井はとっさに鼻でその香りを吸って、軽く息を吐く。再び息を吸って、息を吐く。「んん?」と唸り声が出る。吸って、吐く。「んん?」吸って、吐く。「んん?」・・・その呼吸は、吐く息と唸り声は高まってくる。「んん、んん、んん、!んんんんんんんんん!」そして滝のように涙が溢れ、「うわああああああああん!」と泣き叫びながら坂井は走り出し、頬杖をつくルシアの肘を抱きしめる。「うわわあああああ!うわああああ!」
「・・・このように」卿は言葉を続ける。「ルシア王女は蠱惑的な香りがある。この香りを吸ってしまうとルシア王女の事が愛しくて愛しくてたまらなくなって、会議にならない。特にこんな狭いトンネルだと濃度も凄い。だからガスマスクの着用を命じた。どうだ、奴は無様だろう?」
「あうううう、あうううう、あううううう」肘を抱きしめながら号泣する坂井。「あううう、あうううああああ!」
「ルシア王女、この男の事はどう思います?」卿は見上げてルシアの巨大な顔に尋ねる。ルシアは卿を見て、言う。「とても、かわいい。"好き"。」
まさか喋るとは思わなかったのか、井出海将補も自衛隊員たちも後ずさりする。ファールフォーケン卿も言動の何かに驚いたらしい。
「"好き"・・・ならば、自分のものにしてはいかがでしょう。」
ルシアはにこりと笑い、そして胸の傷がぐわっと開く。そこから無数の触手が震えながら伸び、号泣しながら肘を抱く坂井を包み込んでいく。胸元をよく見ると、眠っている僕、花澤健二の腐りかけた顔がある。目が開かれているが全く生気は無い・・・あれ?なんで僕はここにいるのだろう。僕はルシアも自衛隊員たちもファールフォーケン卿も、見える。僕は今、どうなってるんだ?坂井の体はルシアの胸から腹へと押し込められ、ルシアの胸の傷が塞がっていく。
「お前たちはルシア王女に抗えまい。」卿は自衛隊たちを舐め回すように見ながら言う。「これが、愛で世界を焦土にする、破壊ノ姫だ。」
なあルシア?君は本当にルシアなのか?
あの自衛隊員たちが心の底から怯えきっている。
それをとても子供のような目で見ている。
今さっきも人を食べてしまった。
ルシアをダシにして威張っているファールフォーレン卿。
あんなにルシアは彼のことを嫌がってたのに、今は言いなりだ。
どうしてだろう。君に何があったんだ。
ねえ、ルシア?
ルシアがハッと僕を見た。
「どうしたのだ?」ファールフォーケン卿がルシアの顔を見て尋ねる。だが、ルシアは何も答えない。ファールフォーケン卿はあたりを見回し、そして僕をみつけてニヤリと笑う。彼は僕が見えるのだろうか。「帰ろう。」そう言ってファールフォーケン卿はルシアと共にこのトンネルを後にした。
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