第10話

 突然の轟音に驚いた僕はとっさに、ルシアの身の安全を確かめる為に自分の部屋の外を出る。しかしなんだ、この青臭くも甘い香りは・・・。頭がくらくらしそうだ・・・。なぜか心がどきどきする・・・。力が入らない・・・。

 膝の力が抜けそうなのを何とかしてルシアの部屋の前にたどり着き、扉を開けた時、僕はそれを見て咄嗟に後ずさりして扉を閉じてしまった。何を見たのか理解できない。しかし禍々しい何かが起きているような気だけが感じ取れた。もう一度僕は扉をゆっくり開けた。息を止めて。

 部屋の高さは3メートルほどある。その天井にルシアは頭を突いて立っていた。大きい・・・。服は破けてよくわからないボロ切れがルシアの体に垂れ下がっているような有様である。

「ル・ル・・・ルシア・・・?」

 ルシアは床に尻餅をついて座る。それでもなお、自分の胸の位置にまでルシアの頭がある。僕は見慣れない巨大な友人に怯え、またそれでもルシアの可愛らしさを全く失っていない事に安心のような酔ったような気分になった。

「私、やっと分かった。」

 ルシアがようやく言葉を発した。

「分かった・・・?」僕は尋ね返す。

「『人間じゃない』と『好き』の意味。」そしてルシアの体からピキピキピキと音が鳴り、中から剥けていくように腕や肩や腰や脚などが膨らんでいく。そうして全身が巨大化していく。大きくなるたびにその陶酔の香りは上質なものとなり、自分も冷静さをたもつのもやっとである。

「う・・・あああうう」僕はもう返す言葉が無い。呻くしか無い。

「私、確かに人間じゃ無いね。ペンダントが思い出させてあげた。このように大きくなっちゃうし。」首にぶら下げている糸巻きのあるペンダントをルシアは僕に見せた。わざわざルシアが大きくなるのを想定して付けたかのような巨大な糸巻き・・・どうなっている。

「そして人間だと思ってたから、好きの意味がわからなかった。」またルシアの体がピキピキピキと音を立てて大きくなる。「でも今はわかる。健二。」

 ルシアはこれまでに見せたことのない潤んだ挑戦的な瞳で僕を見る。「あなたが、欲しい。」

 ルシアの胸の間から腹にかけての皮膚がよじれ、肋骨が開いて裂かれた。傷の間から細い赤い触手が無数現れ、僕の方に伸びてくる。僕は変な悲鳴をあげた。

「ひ、ひぇえええええええ!!」

 触手が伸びながらもルシアの巨大化は止まない。もう部屋一杯になったルシアは巨大な華奢な手で僕の胴体を握りしめる。僕の足は地上を離れ、そしてルシアの渇望した大きな顔を過ぎて、そして胸の裂け目の無数の触手の中に足から押し込まれた。足はルシアの胸から腹の中に下って行く。まるでグロテスクなカンガルーである。顔だけがなんとか外に出ていて光景は見える。

 さらに巨大化し、部屋中がいやな軋み音を立てて警報が鳴り始めた時に、部屋の外から黒サングラスのあの老人が現れる。

「ファールフォーケン卿!」触手の中でもがきながら僕は叫ぶ。「助けてください!」

 ところがファールフォーケン卿は全く狼狽えず、それどころか笑みを浮かべ、去ろうとした。

「ファールフォーケン卿・・・ファールフォーケン卿!?」

「小僧許せ。わざわざルシアは人間じゃないとお前に伝えたのも、術のこもったペンダントを渡したのも全てこの為だ。」ファールフォーケン卿は後ろを向いたまま言う。「楽に死ねるよう全てを教えよう。プロテーア・クレアトゥーラは本来無性生殖であるがために、女性のルシアを象っただけでは不完全である。よって完全になるために男性体と融合する必要がある。特に最初の男性体は大事に選ばねばならぬ。全てはお前がルシア王女を求め、ルシア王女がお前を求めるようにするため。ルシア王女が蘇る度に人に忠実に従い求めたのは、それによって完全になるため。一種の生殖というわけだな。」

 "『好き』の意味が分かった。"

「私は全てを取り戻す。このルシア王女と共にな。」

 ファールフォーケン卿の前に自衛隊たちが集まる。

「さあ!ルシア王女!この飛行機を破壊しろ!」

 口の中にまで触手が入り、嗚咽に苦しみながら、僕はルシアの目が強く光るのを見た。そして次の瞬間飛行機の断片が弾け飛び、空だけが残った。ファールフォーケン卿がコートをこうもりのように広げて「ふははははははは」と笑い、蠅のようにでたらめに飛び回り、そのまま雲の中を突っ込んでルシアと僕の前から消える。

「・・・ルシア・・・」

 微かな声で僕は呼びかけた。見上げるとルシアは僕を見下して、そして微笑んで言う。

「好き。」

 そしてピキピキと音を立ててまたルシアは大きくなる。




 凄まじい速さで雲は過ぎ去っていく。自分はほぼルシアの体内に埋まってて視界が悪くて分からないが、ルシアは飛んでいるのだろうか。青空がある。海が見える。エメラルドのネックレスがキラリと光るのが見える。


 それは薄れていく。


 次第に暗くなっていく。


 僕の光は、消えていく。


 本当に消え去ろうとする、その前に、


 一瞬奈々子が地上からこちらを見つめる姿が見えた気がした。



 


(第一部 - 終わり)

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