第4話
「まーた、連れてきて。」奈々子が不機嫌そうに言う。「言っとっけど本当は関係者じゃない人連れてきちゃだめなんだよ。」
「ずっと引きこもらせるのもかわいそうじゃないか。」僕はボーイッシュな服装のルシアを連れて歩きながら言う。
「まあ、そうだけど、て・・・。」奈々子が訝しげに前を見る。「何あれ。」
学生たちが群れて口々に噂している。
「何あいつ」「明らかに学校の人じゃないよね」「追い払えないかしら」
「気持ち悪い」「こわい」
まさか、バレたか、と一瞬怯えたが、学生たちが言ってるのはルシアのことではなく、門の外にいる背の高い老人の事であった。老人は陶器のように白い肌で、やや暑い春だというのに真っ黒のコートを羽織り、黒いハットも付け、円いサングラスをつけてうろうろと歩いている。コートのポケットに手を入れ、青色に綺麗に光る甲虫の死骸を取り出した。途端学生たちは密やかに騒ぐ。
「虫をポケットに入れてるよあのおっさん。」「狂ってんじゃないのか」「門番さんはやく動いてよぉ。あんな手続きにかまってないでさぁ」
青い甲虫の死骸を耳に当てて、老人は首をかしげながらあたりをぐるりぐるりと見る。ようやく警備員が現れ、「すみませんが、何の用ですか」と老人に話しかけた。老人は首を振りながら「ちょっとここで調べ物してまして。すぐに去ります。ご迷惑をおかけしました。」と丁寧に言いその場を去った。思ったより普通の人だ。
ふと僕はルシアを見た。ルシアは少し怯えているようにも見えた。「大丈夫?」僕は声をかける。「あの人は私を侵そうとしている。」とルシアは答える。僕も奈々子も驚いて顔を見合わせる。一体それはどういう意味なのだろう?
「分かんないけど、あんなに他人に興味津々で心が読めるルシアちゃんが怯えたぐらいでしょ?」奈々子は言った。「絶対なんかあるよ。じゃなきゃヤバい変質者か。」
「そうだねえ。」
「連れてくるのはやっぱり気をつけたほうがいいよ・・・ルシアちゃんのためにも・・・。」
「しかしずっと家に引きこもらせておくのも。」
「じゃあ仮にだよ、もしあのおっさんが襲ってきた時、健二はルシアちゃん守れるの?」
「・・・」僕は沈黙したが、しかし絞り出すように言った。「守る。」
「そう。」菜々子はフン、と鼻でため息をついた。「いつまでもそんなこと、してらんない事は考えてよね。」
「分かってるさ。」僕はちょっと苛々したように言った。ルシアはいつも通りに人々を眺めている。「僕だってどうしたらいいのか分からない。石から産まれたって事は家族もいないわけでしょう。ほっとけないよ。」
「近所で助け手を増やさなくちゃね。私は住まい遠いし申し訳ないけど難しい。大家さんとかに話したら?」
「信じてもらえるかしら。タイル壊した上に女連れ込んで住まわせている事をとんでもない言い訳でかわそうとしてるって思われたら・・・」
「なーにぐちぐちぐちぐち言ってんのよ。信じさせるしかないじゃない。」
「あ。」僕はふと思いだした。「水戸くんはどうだろう・・・。」
「水戸くん?誰?」
「最近大家の冨田さんの事務所に遊びに来てる男の子。きっと暇っぽいし、彼にルシアと遊ばせてお留守番させればいい気がする。見た目の年齢も似てるし、話が合うよ。」
「そうなんだ。まあ頑張ってね。何もできなくてごめんね。」奈々子は不機嫌そうに言った。
「ねえ健二。」帰り道、ルシアは歩きながら僕に話しかける。「健二は、私、の事、好き?」
またその話題かと僕は半ば呆れつつ、「どういう意味かによるけど、好きではあるよ。」と答えた。
「好きってどんな気持ちなの?」
「いろんな意味があるけれど・・・」僕は言葉に悩む。「好きはただ好きだよ。そのあとどうしたいか、どうありたいかは、それぞれだけど。」
「私、は、健二の事好きなのかしら。」
「好きってこの前言ったじゃないか。」
「あれは分からないから、言ってみただけ。何か気持ちが湧くのかなと思って。」意外とこいつ、小悪魔だな、と思った。「言葉がわからない時、健二の真似したでしょ?あの感じ。」ルシアがすかさず言った。
「ああ、なるほど。まあそのうち分かるさ。」再び僕はその言葉で締めくくる。あんまりこの話題は触れてほしくない、というのもある。
「やっぱりいましたか。」
背後から低い声が聞こえた。
「ここまで探すのに、随分と苦労しました。王女様。」
ルシアと僕が振り返ると、校門前にいたあの老人が立っていた。
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