topics46 あはれ、あはれってさぁ……

 第53帖 手習(【超訳】源氏物語episode53 流れ着いた舟)に寄せて


 バレンタインデー

 女の子が好きな男の子にチョコレートを渡して告白する日


 子供の頃はそういう日だと思っていました。友達同士で誰にあげるの? もしかして同じ子? 気にしたりしましたよね。どうやって渡そうかな、なるべく誰にも見られないで(秘め事?)その子を呼び出せるかな、子どもなりに胸きゅんさせたものです。


 その日は女の子が頑張って告白する日


 そんな風に思っていました。

 時は流れて現在は特に恋人同士だけの日でもないようですね。

 もちろん大切なパートナーに感謝や愛情の気持ちをこめてチョコや花を送る人もいるでしょうけれど、自分へのご褒美や「友チョコ」なんてのもあるようです。

 バレンタインデーでなくても女の子が告白するのも珍しくないし、中には逆プロポーズなんてこともありますよね。同性同士のカップルだっているし、男子がこうあるべき、女子がこんなことをしたらダメ、そんな縛りはずいぶん減ってきましたね。


 対して平安時代。源氏物語の時代。女子からの告白なんてほぼ有り得ません。女子側から手紙を出すことですら「はしたないこと」です。女子が好きな男子を探すことも難しかったでしょう。自分に贈られてくるラブレターの中から選ぶことくらいじゃないかな、女子ができたことなんて。

 

 物語の中でも女子は運命や男子の思惑に翻弄されます。

 紫の上は8歳のときに光源氏に見初められ強引に二条院に連れてこられました。普通の恋のステップを進むことなく「源氏の思惑通り」結婚しました。紫の上にとっては「源氏一択しかない恋」でした。

 明石の御方も源氏が明石にやってきて「父親の思惑」と「源氏の猛アピール」で結婚することになりました。身分違いだから、他の奥さまと争いたくないからと明石の御方は源氏の誘いアプローチを拒みましたが結局「男子の思惑どおり」になりました。

 源氏の亡くなった恋人夕顔の娘の玉鬘も「運命に翻弄」されました。紆余曲折を経て源氏の養女となり、大勢の男子が求婚してきますが、冷泉帝のもとに尚侍として上がることになります。けれども彼女をどうしても諦められない髭黒が玉鬘を襲い結婚してしまいます。「髭黒の思惑」がその後の彼女の人生を変えてしまいました。

 源氏の正室に迎えられた女三宮も柏木に侵入され一方的な柏木の想いに人生を狂わされてしまいます。罪の子薫を出産し、柏木には死なれ、源氏への罪悪感から出家してしまいました。

 その柏木の妻だった女二宮は未亡人となったあと夕霧に迫られます。再婚の意思はないと伝えましたが結局夕霧と結婚することになりました。

 

 女子側に「男子の想いを断る」という選択肢がほぼありません。イヤだと言っているのに、もしくは突然押し入られて無理に関係をせまられるパターンも多々ありました。


 宇治十帖に入ってからも中の君はある夜突然やってきた匂宮に関係をせまられそのまま結婚することになりました。

 その匂宮は薫の恋人の浮舟をも横盗りしようとして心とカラダを奪いました。


 紫の上や明石の御方のようにその後の結婚で幸せになった女子もいます。玉鬘もこれが運命だと言い聞かせて髭黒夫人となり夫を支えました。女二宮も夕霧に大切にしてもらえているようで今では穏やかに暮らしています。

 けれども女三宮は柏木の思惑のせいで人生を狂わされ尼になってしまいました。

 中の君も匂宮と結婚はしますが、ダンナのオンナ癖の悪さに悩まされます。

 そして浮舟です。元々恋人だった薫とあとから割り込んできた匂宮との三角関係になってしまいます。


 源氏物語を「もののあはれ」の文学、と評することがあります。「あはれ」とは現代の「哀れ」ではありません。「感慨深い」「しみじみとした感動、情緒がある」という意味です。(「気の毒な」という意味もあります)

「ああ、なんとあはれな……」

 現代語訳すれば

「なんて感慨深いんでしょう(しみじみ)」

 といったところかな。【超訳】してしまえば

「マジ? ヤバ。スゲーな、ソレ……」

「うっそ、ホント? すごくない?(語尾あげて)」

 超訳しすぎかな? 


 情緒ある四季折々の景色などは「いとあはれ」でしょう。とても美しく感動的でしょう。そんな美しい情景の中での恋物語。桜咲き誇る爛漫の春に出逢う恋人たち。町角の夏の花がめぐり逢わせた恋。心に染み入るような秋の野を恋しい人に逢いに行く。しんしんと降り積もる雪をふたりで眺める。とても「感慨深い」シチュエーションですよね。まさにドラマチック。「絵になる」シーンです。確かに「いとあはれ」な場面が多々出てきますね。


 それがなんと男子が女子に恋して溢れる想いを抑えられなくなり女子の寝室に乗り込み無理矢理男女の仲になってしまうのも「恋するがゆえ」「なんとあはれな」となってしまうのです。なにが感慨深いもんか。

 現代からしてみれば「女の子はなんて可哀想に」です。女子の気持ちなんて思いやってもらえずに「あはれ」じゃなくて「哀れ」じゃん。


 女子側の気持ちを考えもせずに自分が好きだからって一方的に迫るのも「恋のあはれ」なの?

「(寝室に侵入するなんて)そんなに思いつめてたんだな」

「そこまで好きなんだな」

「なんて深い愛なんだろう」

 なんでそうなる?

 好きなら何してもいいの?


 薫が見つけ出し、恋人となった浮舟を匂宮は奪おうとします。

 これも匂宮本人にとっては「いとあはれ」らしいです。

 禁断のシチュエーションに酔ってコンプレックスの克服をしたいだけにしか見えないんですけれどね。その興奮している状態が「マジ? ヤバ、スゲー」なの?


 匂宮と薫、浮舟はふたりのうちのどちらかを選ぶことができず姿を消します。

「宇治川に身を投げて死んだ」

 そう聞いた匂宮は

「なんとあはれな」と涙を流します。

 だからね、感慨深いとか言ってる場合じゃないでしょうよ。人がひとり死のうとしたのよ? 誰の所為よ。

「なんと哀れな」でしょうに。

「俺はなんてことをしてしまったんだ」じゃないの?



 当時の読者たちは

「いとあはれ」

 って本当に思ったの? 男子も? 女子も?

「感慨深いなぁ……」

 それで片付いちゃうの?



 なんでもかんでも「あはれ」「あはれ」って言ってりゃいいってもんじゃないわよ。


 薫サイドからこの事態を見ても「あはれ」どころじゃありません。初恋の姫に死なれ、ようやく出会えた浮舟。大君によく似た彼女。大君を偲んで浮舟自身を愛して生涯一緒に過ごしたい。そんなささやかな未来を親友にブチ壊されました。



 価値観、倫理観の違いだってわかっているけれど、現代のワタシはこの浮舟エピソードを読んで「感慨深いなぁ」とはとても思えません。



 何度も何度も何度も

 男子の一方的で直情的な想いに女子は巻き込まれるばっかり


「あはれ」「あはれ」ってさぁ……。

 平安時代はそうなんですねえ。


 さて、そんな平安的「あはれ」な恋の激流が流れ着く先は?

 浮舟ちゃん、生きていてくれました。本人は生きていたくなかったでしょうけれどね。読み手としては、これこそ「あはれ」じゃないですか? 感慨深いわ。

 薫くん、浮舟ちゃんが生きていると知りました。こちらも「あはれ」だわ。浮舟ちゃんの家族の面倒までみて彼女のことを想っていました。誰かさんはオンナ遊びを再開させてますけれどね。

 いよいよ次巻第54帖が最終巻です! 「いとあはれ」なエンディングとなるのでしょうか?


 永遠に終わらないんじゃないかと思った【超訳】に凝りもせずぼやき続けた【別冊】エッセイ……、終わってしまう……、のかしら。




 ☆【超訳】源氏物語のご案内

 関連するエピソードはこちら。よかったらご覧になってくださいね。


episode53 流れ着いた舟

https://kakuyomu.jp/works/1177354054881684388/episodes/1177354054886938804

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