第32話 それぞれの日常

全てを明らかにすることが礼儀か。


自分が悪かったことを、吐き出してすっきりするというのは自分本意か。


後から真実を知った時、なぜその時言ってくれなかったのかと、相手を全く信じられない、恨みがましい感情が沸き上がることもあれば、


リアルタイムで聞いてしまったら、隠しておいてくれた方がマシだったと思うこともある。


どちらにしても面倒な話なら、今私がどうしたいかと自分にたずねてみる。

答はすぐに出る。

小栗くんとの出来事は、世界中の誰にも、神様にも言いたくはない。


二人だけが知っていればいい。二人だけが覚えていればいい。共有することで幸せになる人は一人もいないから。



「ゆき、起きて、朝ご飯できてるよ。」


「ごめん…。また早起きできなかったー。」


「大丈夫。自分が起きた時に、ゆきが隣で寝てくれていた方が安心する。」


夕さんは、寝起きのままの私の髪を優しく手で解いて、耳にそっとかけると自分の胸に私の頭を引き寄せて、トントンと肩をたたく。

まるで母親が泣いている子供をあやすように優しく優しく、鼓動のリズムでたたく。


始めは、夕さんを不安にさせていると思った。夕さんが、私を求めていると思った。

でも、繰り返しこうして優しい体温を感じているうちに、不安に怯えているのは私の方で、それを感じ取っている夕さんは、一回りも二回りも大きな心と腕で、そんな私の小さな心を暖めようとしてくれているんだと感じた。


「敵わないね。」


「何が?」


「夢が叶うの方の叶わないじゃないよ。夕さんに、私が敵わない。」


「私はゆきとは戦ってないけど?」


こんな話、前に小栗くんとしたことがある。

思い出は、かき消さずにそっと取っておく。そうすることで、罪悪感だけの辛い思い出ではなく、その瞬間だけはとても鮮やかに色付いていた、温かな記憶になる。

つまずいた時に、元気をくれる。


「そうだね。大丈夫、大事にされてるって私、自信があるよ。」


傲慢かもしれない。

当然、そんな気持ちのままで夕さんと付き合うのはやめた方がいい、と自分に投げ掛けてみた日もある。でも今、夕さんがそれを望んでいるとは思えなかった。


1ヶ月たっても、1日戻らなかった私を迎えてくれた時の私を引き寄せようとする強い気持ちが伝わってくる。


こうして優しく、穏やかにいつも私を甘やかす。


何も言わない。何も聞かない。


体も求めない。


ただ私がいることを、私が笑うことを、私が夕さんの腕の中にいることを求めているように感じた。


雨の日に傘も持たずに逃げ出した私の、容量の小さいちっぽけな心も、言えずにいる秘密も、その日からの僅かな罪悪感も、そのままの私を受け止めてほしいと思っているくだらないプライドも、全てお見通しのように。


夕さん大丈夫。


あなたが望まなければ、私から離れていったりなどしないから。





「最近ゆきちゃんが来ないのよ。」


「僕と違って、休みがカレンダー通りの人だもんね。土日の昼は彼氏と一緒だろうから、仕方ないよ。」


「そうね、そろそろ夜も開けたいけれど、そうしたら絢くん、ゆきちゃんに連絡とってくれる?」


「うーん…。」


「何かあったんでしょ?この前、羽山くんがお昼に来てくれて、少しは話を聞いてるの。」


「羽山さん…。」


「大丈夫。あんな感じの人だけど、悪い男じゃないから、あなたに都合の悪いことなんて何にも言ってないから。」


「山ちゃんにとってはさ、僕とゆきさんが近くなることって、願っていたことなの?」


「そこまでは深く考えてないわよ。でも、羽山くんが言ってた。絢くんが、人間らしい目をして話してたって。歌声が熱を帯びてて、色っぽくて聞いてるだけで泣けてきたって。一番幸せになってほしいけど、どうにもなんないかなって。全て、同感だわ。」


「ははは、感情駄々漏れ。筒抜けだね。」


「そこがいいところよ。あなたも、ゆきちゃんも。」


「どうにもなんない。」


「どうにかする方法は?」


「ないよ。」


「ゆきちゃんの気持ちは?」


「同じなんだよ。どうにかする気がない。いや、どうともなってほしくないのかな。こんな僕と、あのゆきさん。それが全て。『僕たち』にはなれないんだ。」


「絢くん、涙。」


「ほんの少しだけ、近付けた瞬間があった。もう、このまま二人で、どこへでも飛んでいければいいと思った。僕が、今守りたいものなんて何もないから、僕を全て、あげたいと思った。でも、元に戻すことしかできなかった。何もできなかった。」


「どうして、連れていってしまわなかったの?」


「誰かの想いを踏みにじって得た時間の中で、生きていけないんだ。ゆきさんも、僕も。」


「私、羽山くんに二人を会わせなければ良かったと言ったら、全力で否定してくれた。絢くんに、今、生きる意味ができたから大成功だと。」


「羽山さんって、自分で自分のこと、バカだバカだっていってるけど、本当によく見てるし、よくわかってるよね。」


「絢くん、お願い泣き止んで。見てる私が辛い。でも、こんな風に感情をさらけ出せることが、あなたにとって必要なことで、大成長なのよね。」


「花粉のせいです。」


「こんな時期に、何の花粉よ?」


「はは。いいんだよ。そういうことで、この季節がくれば何度でも僕は涙を流すだろうけど、だから、生きてるってわかるんだよ。そうして、いつまででも往生際悪く、その時を待つから。」


「その時?」


「そう。よろしくって言ってくれた。その時が来たら、よろしくって。」


「そう。」


「ゆきちゃんに会いたいなー。」


「あまり軽く言わないで、僕の気持ちまで軽くなっちゃう。」


「今度ゆきちゃんが来てくれた時って、あなたの名前出さない方がいいの?」


「積極的に出して。忘れられたら困るから。」


「何て弱々しい約束かしら。」


涙が乾かないままゲラゲラと目を細めて笑ったら、山ちゃんが泣いていた。


気が付かないふりをして、コーヒーを飲む。


季節はまた、何も変わらない僕を笑うように通りすぎて行くけれど、驚くほど色あせず、驚くほど変わらないままの気持ちで生きていく。

それがむしろ理想だ。




「すごく久しぶりだね。変わらずかわいいね、萌ちゃん。」


「思っても無いこと言わないでよ羽山さん。カウンター、座っていいですか?」


「もちろん、どうぞ。一人?」


「あの頃だって、私はいつだって一人でしょ?」


「そんなことない。あの頃だって今だって、君のそばには絢仁がいるだろ。それとも本当は一人だとわかっているのに、小学生のコレクションのように手放せずにいるの?」


「何て嫌みな言い方をするの。やなヤツ。」


「萌ちゃんに言われたらそれはそうとう嫌なヤツだな。」


「変わらないわね。羽山さん。絢くんに優しいんだから。」


「幸せになって欲しいんだよ。あんな才能に溢れてるのに、バカ正直で自分の価値にちっとも気が付いてない男、どうにかして幸せにしてやりたいと、相手が男だって思うんだよ。」


「幸せにするのは私では役不足なの?」


「決めるのは絢仁だ。萌ちゃんがいいか、そうじゃないか。側に女の子なんて必要じゃないのかもしれないし、どうしても側にいてほしい人がいるのかもしれないし。そんなの俺だってわからん。」


「数か月前に、久々にここに出入りしてたでしょ?」


「萌ちゃんのそういうところが、絢仁が振り向けないところなんじゃないの?自分の気持ちに向き合ってももらえない。行動全てを監視しようとコソコソする。信じてくれない。そんなヤツのこと、好きになるようなアホいないね。そうなったら相手の好意なんて、迷惑以外の何物でもないね。」


「悔しい。私の方がずっと見てたし、ずっと想ってる。」


「萌ちゃんは、自分を想ってるんだよ。絢仁を想ってる訳じゃない。」


「そんなことない!」


「目を覚ました方がいい。どんなにきれいに化粧して飾ったって、ずっと家に引き込もって絢仁が全てなんですなんて顔した女、これっぽちも魅力がない。自分のために誰かを巻き込むな。自分のために自分一人で必死になるものがあれば、萌ちゃんも必ず輝く、素質は良いんだから無駄にするなよ。今のあなたじゃダメだ。振り向いてほしかったら、絢仁を縛るのでも、絢仁に尽くすのでもなく、自分の中身を磨いた方がいい。」


「わかってるわよ。でもこんな身体でできることなんて…。」


「逃げだな。そうやって絢仁が何も言えなくなるようにするんだろ。ずるい人間だな。」


「弱くてずるいことなんて自分でもわかってるわよ!!」


「お客様、他にもお客様がいらっしゃいますので、大きな声を出さないで下さい。」


「むかつく。感じ悪い。」


「たまには、涙の一つでも流してみたら?君に、少しでも絢仁と同じ真っ直ぐな感情があるなら。どこかでいつも、うまく行かないことを人のせいにして解決してるんだろ?だから怒りは簡単に表出できるけど、涙が出ない。」


「……。」


「黙ってた方がかわいいよ。萌ちゃん。」


「ゆきさん。どんな人?」


「絢仁と同じぐらいバカ正直で、ちゃんと自分と向き合ってて、努力してて、もてる子。」


「私は絶対に敵わない?」


「絶対に敵わないことなんて無い。萌ちゃんも必ず変われる。」


「羽山さんは私の味方なの?敵なの?」


「どちらでもないよ。ただの傍観者。」





「渡川くんは、ご結婚の予定とか、ないの?」


「そうですね、したいと思う相手がいるのですが、なかなか難しいものですね。追えば相手の気持ちはどこにあるのか、不安で自信が無くなるし、追ってもらおうかと引いてしまえば、涙を見ることになって後悔しか残らないしで、押したり引いたり、一人で恋愛ごっこしてますよ。」


「君ほどの人間でもそんなことになるもの?相手はプロポーズの言葉を今か今かと待ってるかもよ。」


「チーフは、どんなタイミングで奥様にプロポーズされたんですか?」


「そうだね、20年も前の話だからな。記憶が曖昧だけど、自分に都合のいいように言えば、2年ほど付き合ったころに、プロポーズしてほしそうだなって思ったから、結婚してください!って、そのまんま言って、給料3カ月分の指輪を渡したんだよ。」


「本当ですか!?本当に3カ月分!?」


「はっはっは!嘘だよ。1カ月とちょっと分。」


「それで充分ですよね。大切なのは気持ちですしね。」


「そうなんだよ。大切なのは気持ちなんだ。指輪は月日を経ても確かに光輝いてきれいで、色あせなくて、でも約束に使われた道具、以外の何でもないんだよね。いずれサイズも合わなくなってさ。大切に引き出しにしまわれるんだ。まるで恋愛していた頃の甘い気持ちを奥底にしまいこまれるようにね。」


「深いですね。人生の先輩の話は本当にいいですね。」


「さすが、年間の接待数と契約件数ナンバーワンの男だね。話していて気持ちいい。」


「やめてくださいよ…。せっかく仕事抜きでお酒を飲める滅多にないチャンスなんですから。」


「ははは、悪い悪い。若い人にして面白い話じゃないけどさ。気持ちは月日の中で形を変えて、家族が増える幸せもあれば、そんなとこに落とし穴があったかと思うほど辛く悲しい日もある。それが結婚生活だよね。」


「恋愛って、初めは相手が喜ぶことが自分の全て、みたいな形で関係がスターとするじゃないですか。どうして、少しずつ自分を相手に認めてほしいと思うようになって、むしろ思い通りにならないと腹立たしくなって、相手を責めてしまったりするのでしょうか。初めの頃の、笑顔で会話できただけで嬉しかったような気持ちは、一体どこにいってしまうんでしょうか。」


「渡川くんはさ、私は女性に追われるだけの人生かと思ってたよ。そんなことに悩んだりするなんて、益々好きになったな。」


「ははは、嬉しいです。でもそんなに美味しいことばかりの人生じゃ無いんですよ。自分が好きになった相手ほど、長く引き付けておくことが苦手で…。」


「そうだね、渡川くんはちょっと素敵すぎるんじゃない?」


「チーフ、よくそんな恥ずかしい台詞を…。」


「せっかくアドバイスしてるのにけしからん発言だな。本音だよ。こうあるべきと言う姿をこれでもかと見せられたら、相手は疲れちゃうかもよ。今みたいに、悩んでいることをさらっと伝えてみたら、相手は益々渡川くんを好きになるよ。私みたいにね。」


「チーフは本当にいい人ですね。」


「渡川くんの『いい人』は、うちのチームの柳井さんかな?と思ってるんだけど、ハズレかな?」


「…何でですか?」


「お!当たりかな?大丈夫。別に回りにも上司にも言ったりしないよ。」


「お付き合いしてる?よね?両想いだよね?」


「私の方が割合の大きい両想いですが。」


「本当にそう思ってるの?わかってないな、渡川くん。そんなんだから相手が辛くなっちゃうんだよ。」


「どういう意味ですか!?」


「柳井さんの仕事は大抵の事がちゃんとしていて、ぬかりないし、彼女自身も誰に対してもフラットで穏やかに優しいけれど、渡川くんの関わる仕事にだけは、さらに丁寧になる。きっと、君の負担が少しでも減るように、と思ってるんだろうなと、私はすぐに気が付いたよ。周囲との関係の築き方も、根回しも、君が動きやすくなるようになっているって、思わなかった?忙しくて社やデスクを離れていても、あまり書類が溜まってないこととか、気が付いてるかな?彼女の行動を、少し想像すると、きっとすぐに君もわかる。それぐらい、彼女は君を想っている。」


「……。」


「私は、渡川くんが柳井さんから追われているかと思ったのに、違ったみたいだね。彼女はもう、君をサポートすることは当たり前になっているから、自分でも意識してないかも知れないけれど、それほど深い『好き』は無いかもしれないよ。信じてあげたら?」


「私、酷いことを言ってしまいました。自分はこんなに努力をしているのにと。」


「今、気が付いて良かったね。後悔した分、優しくしてあげなさい。自分を押し付けてはダメだ。相手の想いにいつまでも耳を傾けられる二人でいてください。きっと、お二人ならできるよ。」


「はい。」


「優しくするのは、ただ転ばないように手をとることだけではないよ。」


「はい。わかりました。」


「本当にいい男だね。いい顔してる。」





ねえ


今朝がた見た夢の続きが見たいときは、何に願えばいい?


偽物の星に、今日も明日も何度でもあなたの幸せを願う。


いつまで願えば、会えるのは夢の中だけでは無くなる?

どれだけ願えば、ほんの少し温度の上がった、あなたの体温に触れることができるだろう。


今日の歌声は、届いている?ねえ、ゆきさん。今も僕は何も状況を変えられてはいないし、成長も発展もないままに、ただ、変わらない想いを抱えています。


それは、届かない方がきっと皆が幸せで、でもずっとあなただけに届いてほしいと願っている。


自分勝手でちっちゃい。


そんな僕でしか生きられないけど。


待ってる。次の世界でも、その次の世界でも。




ねえ


あなたがいつまでも私のことを覚えてくれているのでは?と思うのは独りよがりでしょうか。


夢の中で涙を流して私を見つめる目が、ずっと頭の中で、少しも薄れなくて、これは何かあったのではないかと心配になってしまう。


帰り際、山田さん家から久しぶりにギターと透き通る歌声が聞こえてきて、私はそれだけで、今日自分が摂取した何倍もの水分が体から出てしまうのではないかと思った。


今朝見た夢。


数メートル先から聞こえる声。


今さっきまで降っていた雨の香り。


自分の頬を伝う止めどなく流れる涙。


幸せな自分。


耳をふさいで、目を閉じて、ただ家へと急ぐ。

今日はお夕飯を準備して待っているって決めたんだ。


私には帰る場所があって、そこはとても暖かだ。


歌っていた。だから何事もなく無事でいる。


良かった。


だから嬉しい。


ほっとして、うれしい時にも涙は出るんです。


私は、


実はあなたとどうにかなりたいと思っていない。


ただ、あなたが幸せでいてくれたらいいと願ている。


そういう好きもある。


そういう好きも、大切にしたい。



その時まで



大切に。








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その時がきたら、どうぞよろしく 咲良 季音 @saccot

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