第5話 後悔と幸福
あたりに溢れているヴィランは、今迄よりも明らかに多かった。
理由は分かっている。
マッチ売りの少女が、完璧にカオステラーとなって、ここら付近にいた村人さえヴィランと化してしまったのだから。
「くそ!キリがねぇ!」
「大丈夫よタオ!それでも確実に減っていってるから!」
そしてその大群に四方八方を囲まれた中で、僕達は陣形をたてて、互いを励ましながら何とかその猛攻を耐え凌いでいた。
タオの栞を使って姿を変えた盾を持った英雄に守られるように、レイナが栞を使って姿を変えた少女が魔法の本を使って味方にに強化を掛け続ける。
そして、時には猛攻に耐えきれなくなったタオの横へとレイナが出て援護する。
そしてそのさらに後ろでは、栞を使って弓を持った少女へと変わったシェインが的確にタオとレイナの後ろを抜かれ、背後から襲われることのないよう援護の矢を放っていた。
3人の連携により、何とか1人も大きな怪我を負うことなく戦闘は続いていた。
だが、
「だけど、これ以上は持たない…」
そう、栞で片手剣を持った少年となり、3人の処理しきれない敵を惹きつける陽動として、レイナ達から離れていた僕には分かった。
遠距離用の武器で有る、弓で近距離の敵へとシェインが射っているのは、明らかに戦闘が苦しくなっている証拠だった。
だから、僕は決断した。
「レイナ!僕は突っ込む!」
そう簡潔に伝えると、あとはレイナの返事を待つことなく、僕を囲むヴィランを切り捨て、カオステラーの元へと走り寄る。
その突然の行動に、僕に惹きつけられていたヴィランまでもがタオへと向かい、僕達はそれぞれ引き剥がされてしまう。
しかし、レイナ達が僕の意図を読み間違えることは無かった。
「エクス!」
レイナは、僕へと強化の魔法をかけて、
「もう少し説明しろよぉお!」
タオは周りのヴィランを惹きつけ、僕に向かってくるヴィランを減らし、
「頼みますよ!新人さん!」
シェインは僕の後ろへと駆けつけて、タオに惹きつけられずに、僕へと向かってくるヴィラんを矢で牽制する。
「うぉぉおお!」
そして僕は皆の援護により、何とかカオステラーの前へと強引に駆け込んだ。
カオステラーと僕、そして、後ろのシェイン。
その3人だけの空間が、このヴィランと入り混じりの混戦を続けるこの最悪の戦場の中で形成されていた。
そしてその状況こそ、僕が賭けに勝って作ったこの最悪の戦況を覆す、唯一の場面だった。
「ヴィランがこちらに来ない!?」
そこでやっと、正面のカオステラーと、背後のヴィランを警戒していたシェインが異常に気が付く。
「カオステラーが、近戦闘向きだからヴィラン達を私達が逃げないようにビッシリと囲ませているんでしょうか?まぁ、何にせよ、何時もは微妙ですが、新人さんお手柄です!」
滅多に僕を褒めようとしないシェインが興奮した様子で僕を貶しつつ、絶賛するのを聞きながら、僕は苦笑を漏らした。
「そんな大層なことはないよ…」
シェインは、それの言葉は唯の謙遜だと思ったのか、
「ここはもう少し誇っていないと逆にカッコ悪いですよ…」
と本気で引いたような、顔で告げる。
だけど、本当に大層なことに気付いたわけではない。
ただ、マッチ売りの少女が本当は戦いたく無かったことを知っていただけなのだから。
僕は最初に彼女がヴィランに過度に怯えていたことを思い出す。
だけど、それは僕の勘違いだった。
彼女が恐れていたのは、僕達が傷つくことだった。だから、彼女は僕達が無事だった時に、思わず抱き付いてきた。
それだけじゃ無い。
カオステラーとなったマッチ売りの少女が洞窟へと逃げていたのも、村人を傷つけたく無かったからだろう。
死ぬことを避けたいのならば、カオステラーとなった今、村にいたとしてもなし得たことなのだから。
つまり、ここにヴィランが現れないのはマッチ売りの少女が、必死にカオステラーに抗っている証拠だった。
だから僕は覚悟を決める。
絶対に彼女を調律しなければならない、と。
「新人さん?」
その筈なのに、僕に最初の一歩を踏み出すことは出来なかった。
僕の身体の震えを見てシェインが心配そうに声を掛けるが、僕はそれに応える余裕さえも無かった。
何故なら、僕はマッチ売りの少女の優しさを知ると同時に、そんな彼女でもカオステラーになってしまう程、幸福という物を願っていたことを悟ってしまったから。
そんな彼女を殺すことは、僕には出来ない。
「ふぅ、」
隣からシェインの溜息が聞こえてくる。
僕はそれに体を硬くするが、
「すいませんね。新人さん。押し付けてしまってましたね」
「えっ?」
聞こえてきたのは優しい、僕を慰めるような声だった。
顔を上げると、カオステラーへと弓を持ったままで近距離戦闘を挑もうとする、シェインの姿が目に入った。
「っ!」
そしてその時、やっと僕は気付く。
必死に敵を惹きつけるタオに、ギリギリのところで敵と渡り合うレイナを見て、ようやく気づく。
レイナ達が僕がカオステラーに突撃しようとしたとき援護してくれたのは、僕を信用していてくれただけではなく、僕にマッチ売りの少女とのケジメを付けさせくれようとしたからだということに。
僕は知っている。
マッチ売りの少女の死に一番心を痛めているのはレイナだということを。
彼女が一番自らの手でマッチ売りの少女に決着を付けたいだろうということを。
だから、そのレイナの気持ちを悟ったからやっと僕は足を踏み出した。
「有難う、シェイン。でも僕が行くよ」
「はぁ、新人さんは手がかかりますねぇ」
そしてシェインの軽口もマッチ売りの少女を直接出ないにしても手にかけることを考えないようにさせてくれているのだと今ではわかる。
そもそも、マッチ売りの少女が逃げてしまっていたら、僕達はどうしようも無かった。
つまり、村人達と話していた僕らを待っていた時点でマッチ売りの少女は、カオステラーとなった今、調律されることを望んでいる。
だから僕は、先程から動かないカオステラーへと笑いかけた。
「僕のことを恨んでいいよ」
僕が振り落とした剣は、カオステラーの身体へと明らかな致命傷を刻みつけた。
けれど、それを眺める僕の頭に何ら感慨が浮かぶことは無かった。
他ならぬ僕自身が、その思い出を自身の手で切り裂いたのだから。
それなのにここから動かないのは、カオステラーが致命傷を負ったことによりヴィランが元の人に戻っていく中、こちらへと駆け寄っていくるレイナが調律を済ませるまで、カオステラーを見張っていないといけないから。
直接マッチ売りの少女を手にかけた僕に、彼女の死を悔やむ権利などある筈が無いのだから。
だから僕は耳に響いた、有難う、という言葉をただの空耳だと、頭の隅に追いやった。
動いた身体の持っていた熱は、周りの激しい冷気に奪われ、後に残ったのは、悴んで、感覚のなくなった身体の無気力感だけ、だった。
「もう、僕らのことは忘れているかな?」
違う想区へと移る直前、僕はふとそう呟きを漏らした。
昨夜のことが頭によぎる。
しかし、直ぐにそんな問いには何も意味がないと自嘲した。
だってこの想区の主人公、マッチ売りの少女は、他でもないこの僕が、死の定めが待つこの
だから、僕は直ぐに考えを変えようとする。
手を下した僕に、マッチ売りの少女を悔やむ権利などないから。
でも、
「っ!」
そんなこと、できるはずが無かった。
こちらへと無邪気に笑いかけて来る記憶。
心配して、抱きついてきた記憶。
そして、最後まで他の人のことを考えていた彼女の記憶。
そんなものが頭に溢れてくる。
そして、責め立てる。
どうして殺した?
他に方法は無かったのか?
いや、何故殺せた?
「そんなの簡単だ」
そう、答えなど決まりきっている。
それさえあれば、全てうまくいった。
マッチ売りは笑っていた。
彼女は、全ての人に愛されていたマッチ売りの少女は、僕のせいで死んだ。
「僕が、無力だったからだ……」
「違う、わよ」
「えっ?」
そこでようやく僕は自分の声が隣にいるレイナの耳にも入っていたことに気づく。
すぐに誤魔化そうとするが、レイナはその様子に気づくと静かに首を振った。
「私がカオステラーをエクスに倒して貰おうと思ったのは、エクスの気持ちを整理してもらうためだったのに……」
そう悲しそうにレイナが発した言葉に僕はなにも言えなくなる。
確かに僕は、カオステラーを、マッチ売りの少女を殺した責任を自分に背負おうとしていたのだから。
だから僕は、何時もとは逆で、怒られるだろうと黙りを決め込んだ。
しかしレイナは僕の予想を裏切り、僕に向かって微笑んだ。
「でも、有難う」
「っ!」
「確かに、貴方に落ち込んで欲しい訳でも、責任を被せたいわけでもない。けど、私達のことを気遣ってくれて有難う」
「………」
僕はそれに言葉を発することはできなかった。
しかし、レイナは気にすることなく、耳に口を寄せ、言葉を重ねる。
「それに彼女、マッチ売りだって貴方のことを恨んでなんかないわよ」
「っ!」
その言葉に僕はもう、顔が歪むのを止めることはできなかった。
何故なら、それのことを僕は知っていたから。
そう、本当は、有難う、と聞こえたあの声は空耳じゃないってわかっていた。
そして、だからこそ自分を許すことが出来ないのだから。
レイナは僕が、落ち着いたと感じたのか僕の側からタオか、シェインの方へと向かう。
そして、僕と同じように慰めるのだろうが、それに意識を向ける余裕など僕には無かった。
顔の表情を意識することでもう限界だった。
知ってたのだ。
マッチ売りが僕を恨んでいないことぐらい。
彼女は自分の悩みを抱えたままそんなことをできる器用な人間じゃない。
それでも、彼女の抱きついてきた時の感触。
そして彼女のあの無邪気な笑顔を忘れることなんて出来るはずがなかった。
だけど、僕は知っている。
どれだけ、白紙の書を持って、もう二度と会えないかもしれないという別れを経験していだとしても、
ーーー本当に会えなくなるのとは、別だということを。
だから僕は、自分の思いが口から出て行くのを止められない。
もう二度と見ることができないあの笑顔を、無性に会いたくなるあの少女のことを考えずにいることは出来ない。
そして、どうしようもなくて呟いた。
「それでも僕は、彼女を、マッチ売りの少女を救いたかった……」
僕の後悔は、誰の耳に入ることもなく、虚空へと霧散していった……。
身体を貫くような寒さの中、私は、マッチ売りを握り締めていた。
「はぁー」
手に暖かい息を吐こうとするが、その息が手に当たったかどうかもわからない。
頭にあるのは村を出て行く前の村の皆の申し訳なさそうな顔。
「あんな表情、ストリーには書いてなかったのに皆ダメだなぁ」
そう、くすくすと笑ってみる。
だけどその笑い声は空虚で、すぐに止まってしまった。
理由は分かっている。
あの村の人達は本当にいい人達だった。
でも、決して私に逆らおうとはしなかった。
それは、彼等なりの懺悔だと私には、分かっていた。
でも、そんなものはいらなかった。
私は、普通の生活が、周りの人達と気兼ねなく笑いあえる生活がしてみたかったのだから。
「気づいて欲しかったなぁ」
だけど、全てはもう終わったこと。
そう自嘲する私の頭に浮かんだのは、ストリー通りに好きでもないお酒を飲んで酔っ払いながら泣いているお父さんだった。
それに私は疑問を覚える。
「マリー、すまない……。お前に幸せってのを一度で良いから感じさせたかった…」
何故なら、その光景も、言葉も私の記憶に無いものだったから。
なのに、
「何で、私はこんなにも幸せになりたいって感じるの?」
私は自分の目から溢れる涙に拭う。
それでも、次から次へと溢れてくる。
そんなこと今思ったって、もう何の意味もないのに。
もう、手遅れなのに。
粗末な服が涙に濡れて身体が冷えるのを感じて私は無言でマッチに火を灯した。
そして、
「えっ、」
思い出した。
マッチの火を通してそこに見えているのはのは、お姉ちゃん達、お兄ちゃん達と笑いあう、私の姿だった。
「わぁ!」
私は無意識のうちに声を漏らしていた。
私が望んだ、願いが、そこではすべてかなっていた。
そこで、レイナと呼ばれる一番偉いお姉ちゃんと話した内容を思い出す。
最近入ってきた、エクスというお兄ちゃんが気になるとか、好きな子のために必死に頑張っているということを。
「もう少し、私に気を使って、あの子みたいにカッコよく私を助けてくれたりして欲しいのになぁ」
そう、顔を真っ赤にして呟いていた、お姉ちゃんを思い出しす。
そして他にも、タオと呼ばれていた、タオファミリーの当主である自分の方が玲奈お姉ちゃんより偉いと、喧嘩していた人を思い出す。
そのお兄ちゃんはとても大きくて、撫でて貰うと、とても安心したことを。
そしてその妹の、私より背が低いはずなのに、
「子供は背伸びをしたがるものですからねぇ」
なんて言って、絶対に認めようとしなかったシェインを思い出す。
私よりも背が低かった癖に!
そして最後に、お姉ちゃんが気になると言っていたエクスというお兄ちゃんを思い出した。
私が心配で仕方なくって、抱きついてしまった時、おずおずとそれでも優しく、抱きとめてくれたり、最初洞窟に来た時、私を見つけてくれたりした、お姉ちゃんが気になるのもわかる、優しい人だった。
私はそこまで思い出した記憶が、あまりにも嬉しくて、楽しくてくすくすと笑う。
だから、聞こえないとわかっていてもお礼を言いたくて、呟く。
「お姉ちゃんに、お兄ちゃん達に、村の皆に、お父さんに、い、一応シェイン、本当にありがとうございました!」
身体が、寒さで震えてるのが分かる。
でも胸はとても暖かくて、寒さなんて感じなかったから、私は上気した顔で微笑んだ。
「ーーー私!幸せ、だったよ!」
次の朝、ある村で小さな女の子が凍死していたと言う。
人々は、彼女の周りに沢山のマッチの燃えかすが落ちているのを見て、憐れみ、彼女の死を悼んだ。
しかし、その少女の顔は、とても安らかで満足げで、そして
ーーー幸福だったことに気づくものは誰1人居なかった。
マッチ売りの願い 陰茸 @read-book-563
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