第5夜「落ちる男」

 娘といっしょに地元のとあるデパートに行ったときのこと。

 そのデパートには、2台のエレベータがあります。どちらもいわゆる展望用エレベータです。壁面がすべてガラス張りになっていて、そのまま外の光景を見ることができるようになっているわけです。

 夕方を過ぎ、あたりがだんだんと暗くなってきたころ、最上階での買い物を終えた私達は一階に降りようとエレベータに乗りました。

 扉がしまり、ウィーンと動き出したところで、娘が「お父さん、あれなに?」と聞いてきました。

 娘の指差す方向に顔を向けると、たしかにガラスの向こう、夜景の中に、何かががバタバタとはためきながら浮かんでいるのが見えました。

 なんだろう、と思って目を凝らし見た瞬間、私はすぐに娘の目を手で覆いました。

 サラリーマン風の男が真っ逆さまの状態で空中に浮かんでいたのです。飛び降り自殺だ、そう思いました。

 きっと、エレベータの下降速度と男の落下速度が同じになって、止まっているように見えているのだ、そうとっさに思いました。

 唖然としながら見ていると、空中の男はこちらを向き、何かを叫んでいるようです。

 嫌なものを見たな。そう思う一方で、同時に変な違和感を感じました。エレベーターは上から釣っているわけですから、自由落下ほどは速くないはずです。それなのに、なぜかさきほどから位置関係が変わっていないのです。

 そのとき、空中にも関わらず男が浮かんだ状態のまま、猛烈な勢いでこちらに近づいてきたのです。

 ぶつかる! とっさに目をつむり、防御の姿勢を取りました。

 ……あれっ、何も起こらない?

 しばらくそのままの状態で待っていましたが、チーンという音とともに、サーッと扉が開く感じがして目を開けました。

 周りを見渡すと、もう一階に着いていました。エレベータの中から外の路上を見てもいつもと変わらない様子で、地面に何かが落ちたような跡もまったくありません。目隠しされていた娘は、状況がよくわからない様子で、どうかしたの? と不思議そうにしていました。

 しばらく時間が経ち、何度かそのデパートには行ったのですが、いつの間にか展望エレベータのガラス窓には外が見えないように広告用のポスターがいくつも貼り付けられていました。私以外にも同じものを見た方がいたのかもしれません。

 気になってネットで調べてみたのですが、そのデパートで過去に飛び降り自殺をしたという事実はないようで、いまだにあれが何だったのかよくわかりません。

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架空怪談 @hidekatsu-izuno

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