Episode Final /5
5
柏木美津穂は、フーファイターに取り囲まれ、まるで死体のように貪られていたヴァルキュライドがまばゆい光を放ちはじめたことに気づいた。
周囲にいたフーファイターが驚いたように飛び上がる。白銀の戦闘機が上空に舞い上がった。いままで一方的に嬲られていたヴァルキュライドは、しかしその装甲には傷ひとつついておらず、いままで見たこともないような強い光をまとって町の真ん中に立っている。
なにかが起ころうとしていた。それがいい変化なのか悪い変化なのか、美津穂には見当もつかない。ただ、なにが起こってもいいようにヴァルキュライドをじっと見つめている。
上空へ逃げたフーファイターたちが耳障りな金属音を立てはじめた。耳の奥が痛む。沼田が撤退命令を出す。地上部隊は慌てて後退をはじめた。
「柏木、きみも逃げろ!」
沼田に腕を引かれ、美津穂もヴァルキュライドから遠ざかった。ヴァルキュライドは耳障りな金属音のなかでも悠然と立っていて、かと思うと、不意にヴァルキュライドを包んでいたまばゆい光が消えた。
一瞬、静寂。
ヴァルキュライドが地面を蹴った。空中に飛び上がる。そのまま、胎児のように丸くなった。ヴァルキュライドの身体が球体になる。月のような、白銀の球体。その全体が振動をはじめ、あたりに低い振動音が響き渡った。まるで地面が裂け、そこからなにかが生まれ出ようとしているようだった。
自衛隊の車両に押し込まれる。急発進。後方のシートに身体を押しつけられながら、美津穂は後ろを振り返った。
空気の振動は激しくなる一方だった。空気が熱を帯びる。凄まじい熱と振動。町がそれに飲み込まれていく。自衛隊の車両は全速で逃げていた。しかし異様な空気の熱さと振動が背後から追いすがり、取り憑く。それを抜けてアスファルトを走る。背後の町がぐにゃりと歪むような感覚。ビルというビルが、建物という建物が、ブラックホールに取り込まれるかのように町の中央へ向かって傾ぎ、崩壊していく。
ヴァルキュライドの巻き起こした振動は町だけでなく上空まで及んでいた。フーファイターがその圏内から逃げ出そうと急速で飛び去る。しかしヴァルキュライドはそれをしっかりと捉えていた。逃げていたフーファイターが停止、じりじりとヴァルキュライドのほうへ引き戻され、やがて、強烈な振動を受けて砕け散る。すべてのフーファイターが同じ未来を辿った。フーファイターだけでなく、町も、振動によってすべてが砂に変える。ヴァルキュライドの周囲数キロに渡って一切の建造物がなくなり、コンクリートが細かく砕かれた砂の山だけができあがった。砂は振動によってぶつかり、さらに細かくなり、一粒一粒が意思を持っているかのように飛び跳ねる。
世界中のヴァルキュライドが、そんな変化を起こしていた。すべてのヴァルキュライドは巨大な振動発生装置となり、敵味方の区別なく周囲をことごとく破壊した。それでもまだ、ヴァルキュライドよりフーファイターのほうが数では勝っている。ヴァルキュライドに近づいていないフーファイターたちは町の襲撃をやめ、宇宙空間へ逃れていた。
日本のヴァルキュライドが球体から元の人型へ戻る。砂の上に着地し、直立したまま空を見上げる。
ヴァルキュライドは本来外部からのアクセスを遮断しているネットワークをオープンにしていた。すかさず宇宙空間のフーファイターからアクセスを受ける。彼らはヴァルキュライドの支配権を取り戻そうとしていた。ヴァルキュライドはアクセスしてきた回路を反対に乗っ取り、フーファイター間に存在するネットワークに侵入した。
すべてのフーファイターの位置が自分の肉体のように理解できる。ヴァルキュライドはフーファイターに指令を送る。自己分裂せよ。フーファイターは一斉に宇宙空間で自己分裂をはじめる。
白銀の身体が溶け落ち、その雫からまた新たなフーファイターが産まれる。それはひとつの生命の営みだった。フーファイターは戦闘機であり、それ自体が生命体だった。〈彼ら〉の身体はひとつの形状にとらわれることがない。望むかぎりのあらゆる形状を取ることができ、ネットワークを通じて他者の遺伝子ともいうべきデータを自らのデータと混ぜ合わせ、分裂、すなわち子を産むことができた。
フーファイターは、ヴァルキュライドから埋め込まれたデータを含んだ子を産む。産まれた子はすぐに親への攻撃をはじめた。
宇宙空間で、親と子の殺し合いがはじまる。しかしそれは長くは続かなかった。ヴァルキュライドが支援する〈子〉はまたたく間に親を殺し尽くし、やがてそれ自体もアポトーシスを起こして消滅する。白銀の身体がくすみ、自由をなくし、凍りついたように硬直して、あとはただ宇宙を漂うか、地球の重力に引かれて大気圏で燃え尽きるかのどちらかだった。
実際の戦闘時間は十分にも満たなかった。
フーファイターは完全に消滅した。
そして八体のヴァルキュライドもまた、すべてのエネルギーを使い果たし、機能を停止した。
地球に充ちた静寂は、はじめは疑問と恐怖、疑いと絶望に彩られていたが、やがてだれかひとりが歓声を上げはじめると、またたく間に勝利と歓喜の声に取って代わられた。
地球上のあらゆるひとびとが歓喜に踊る。すべての戦いが終了したことを理解し、そして多くの犠牲を出しながらも人類は生き残った、勝利したのだという事実を噛み締めるように、彼らはいつまでも声を上げていた。
自衛隊の指揮を執っていた澁谷は、隊員たちが状況確認も忘れて喜び合うのを止めはしなかった。沼田も同様で、彼は無線の状況が改善していることを知るとすぐに澁谷へ連絡を取り、本当に状況が終了したのかと聞いた。澁谷の無線からも歓喜の叫び声が響いてくるなか、澁谷は慎重に、しかしほとんど確信的に言った。
「まだ詳しい情報はなにも入っていない。あるいはまだ終わっていないのかもしれないが――おれたちは、勝ったんだ」
沼田は無線機を握りしめ、ちいさくうなずいた。
払った犠牲は大きかった。人類はどれほど減っただろう。それでもまだ、大勢が生き残っている。人類は滅びていない。それだけが、勝利の証だった。
「隊長!」
無線機を握ったままの沼田に、美津穂が駆け寄ってくる。美津穂の表情は、この歓喜のなかでも明るくはなかった。
「状況は終了したのですか」
「まだ確証はないが、おそらく、これで終わりだ」
また歓声。美津穂は歓声に飲み込まれそうな声で言った。
「それなら早く彼らを! 彼らはまだ、あの砂のなかにいるはずです――早く彼らを助けなければ」
*
新嶋貴昭は目を覚ました。
ベッドから起き上がろうとして、全身が自由に動かないのを感じる。痛みというより、身体が鉛にでもなったような感覚だった。しっかり意識をすれば手も足も動く。しかしほんのちょっと動かすだけでも一苦労で、貴昭は起き上がることを諦め、目だけであたりを見回した。
どうやら、病院らしい。
白い天井が見えていた。
個室らしく、ベッドのまわりにカーテンレールはない。あたりは静かだった。しかし部屋は明るく、照明ではなく窓からの自然光だとわかる。
貴昭はちいさく息をつき、なぜ自分が病院のベッドに寝ているのか考える。記憶がいまいちはっきりとしなかった。覚えているなかの最後の記憶は、ヴァルキュライドのことだ。ヴァルキュライドとコンタクトを取り、協力することになって――そのあと、なにが起こったのか、貴昭は覚えていなかった。忘れたというより知らないのだろうと思う。あのとき、すでに貴昭は正気ではなかった。ヴァルキュライドとの会話も本当にあったことなのか、自分の妄想なのかわからない。
でも、すくなくとも生き残ったということだと、貴昭は大きく息をついた。それに反応したように、ベッドサイドでなにかが動く。苦労して首を起こしてみると、イヴだった。十歳になるかならないかというくらいの、幼いイヴ。スツールに腰を下ろし、ベッドに突っ伏すような体勢で眠っていた。
貴昭は再び頭を枕に預け、しばらく眠るでもなくぼんやりしていた。いろいろなものがぽっかりと抜け落ちたような気分だった。身体は動かないが、眠たくもない。かといってしゃべる相手もおらず、さすがに暇だと思いはじめた頃、ようやく病室の扉が開いた。
「お、わが城へよくきたな、お若いの」
「……目を覚まして最初に言うのがそれ?」
乙音は呆れたようにため息をついたあと、ふと笑顔になって、おはよう、と言った。貴昭も同じように返す。乙音の声でイヴも起きて、目をこすりながら貴昭を見つめた。
「イヴ、お留守番ありがと」
「ん――」
スツールからぴょんと降り、イヴはそのまま病室をぱたぱたと出ていく。代わりに乙音がそこに座った。
お互い、しばらくなにも言わなかった。
やがて貴昭からぽつりと、
「イヴは?」
乙音は首を振った。それで貴昭は、だいたいの事情を知った。イヴはいなくなったのだ。貴昭たちと、短いあいだにせよ、いっしょに過ごしたイヴは。
「ちっさいほうのイヴ、おれの記憶がたしかならもっとちいさかったと思うけど」
「成長が早いのよ。とくに、十二、三歳になるまでは。人間の何倍もの速度で成長するんですって。まあ、そうじゃないと生きていけないもんね」
「そうか――みんな、生きてる?」
「だいたいは。しぶといわよね、ほんとに。柏木さんも、沼田さんも、研究所のみんなも、だれも死んでない。たぶんあなたの家族や友だちも無事だと思う。矢代市はいちばん最初に壊滅した分、みんな避難慣れしてたのね」
「そっか。よかった――ほんと、よかった」
「泣いてんの?」
「うるせ。よだれだよ」
「汚い。せめて汗にしなさいよ」
「ああでも――勝ったのか、おれたち」
「勝ったのはあなたよ。あなたとヴァルキュライド」
「そういや、ヴァルキュライドは?」
「そこの窓からも見えるわ。身体、起こしてあげましょうか」
「自力でなんとかする」
手をつき、ベッドの上で身体を起こす。首を伸ばして窓を見ると、一見、その向こうはふつうの町並みと変わらなかった。しかしよく見ると町が途中で途切れている。その一線の向こうには建物ひとつなく、その代わり、灰色の巨大な人影がぬっと立ち尽くしていた。
それは、貴昭が知っているヴァルキュライドではなかった。
輝くような白銀でも、くすんだ白銀でもない。灰色の、化石のような姿だった。
あれではもう動かないだろうと貴昭は思う。世界中のだれも、あれを動かすことはできないだろう。ヴァルキュライドはすべてのエネルギーを使い果たしたのだ。あるいはまた何十年、何百年と経ったとき、エネルギーを取り戻し、動き出すのかもしれない。それまではああして化石のようにときを過ごす。長い眠りだ。人間ではそう感じるが、ヴァルキュライドにとってはそれほど長い時間ではないのかもしれない。
「あいつ、いいやつだったな」
「ヴァルキュライド?」
「協力してくれたんだ。人間のために。それで、なんとかなった。もし協力してくれなかったらみんなだめだった」
「そうね。あれがヴァルキュライドの本来の力だったんでしょうね――でもそのせいで、あなたは死にかけた」
「おれが?」
「知らないでしょうけど、あなた、十日も意識が戻らなかったのよ。ほとんど死んだようなもんよ」
「勝手に殺すなよ。ちょっと寝不足だっただけだ――十日、か。まだ身体中が重たいよ」
「そりゃそうでしょ、死にかけてたんだから、それくらい症状が残って当たり前。あのあと、すぐに自衛隊が助けてくれなかったら、わたしもあなたも死んでた。わたしもイヴも逃げ遅れてたから」
「そうか――あれは、どうなったんだ。アームドコアは?」
「わからないわ。たぶん、砂のなか。姉さんが持ってたはずだけど、自衛隊の捜索でも姉さんは見つからなかった。いまでも見つかってないの。町が崩壊して砂になったとき、わたしたちはわりと浅いところにいたからすぐ見つけてもらえたけど、姉さんはもっと深いところに下敷きになったのよ。アームドコアが残ってるとすれば、姉さんの身体と同じ場所だと思う」
「ああ……あのひと、亡くなったのか」
「自業自得よ。姉さんは自分の意思で生きて、自分の意思で死んだ。幸せだったと思う。思うように生きられたんだから。わたしたちなんかより、よっぽど幸せに死んでいったんじゃない?」
「かもな――でもおれたちは生きてるんだし、これから幸せなこともいっぱいあるだろ」
「なかなか大変よ。日本中、っていうか世界中、もうめちゃくちゃ。ほとんどの国が一から建て直さなきゃいけない。日本もね。元の生活に戻るのはいつになるか、見当もつかない。まあでも――たしかに、未来はいま生きてるわたしたちにしか、ないもんね」
貴昭はもう一度ベッドに寝転がり、天井を見上げたまま言った。
「なあ、鮫崎、これからどうする? さすがにもう学校は残ってないよな」
「校舎はね。だからたぶん、落ち着き次第どこかを間借りして授業を再開することになるとは思うけど」
「おれ、やっぱりサッカーやろうかな。怪我してさ、諦めたんだ。でもほんとは自分の才能じゃこれが限界だって思った。怪我は単なるきっかけで――もう一回同じ怪我をしたらやばいって医者に言われて、ちょうどいい言い訳ができたって正直思ったんだ。だから、そんな言い訳はやめて、もう一回やってみようかな。才能とかも言い訳にしないで、できるだけ、満足いくまで」
「そう。ま、それでもいいんじゃない?」
「鮫崎は?」
「わたしは……またなにか、おもしろそうなものを探して研究所でも作ろうかな。オーパーツみたいなのを見つけて」
「いいな、それ。魔法みたいにいろいろできたりしてさ。透明になれるやつとモテモテになるやつがあったらおれにくれ」
「考えとく」
貴昭はふうと息をついた。身体にずっしりと疲れが溜まる。乙音は立ち上がり、窓のカーテンを閉めた。
「なんにせよ、もうちょっと休んどきなさい。あとでいろいろ大変なことになるから」
「大変なことって?」
「世界を救った英雄には英雄の仕事があるでしょ。いまのところ、あなたのことは公表されてないけど、ヴァルキュライドのことは隠しようもないくらいみんな知ってる。自衛隊もそのうちあなたのことを公表するかもしれないわ。ま、あなたがすぐにでも公表して英雄になりたいっていうなら、そうしてくれると思うけど」
「え、英雄かあ……やだなあ、なんか、それ」
「モテるかもよ」
「後ろ髪引かれるようなこと言うなよ」
「とにかく、しばらくは騒がしくなるだろうから、いまのうちに休めるだけ休んどきなさい」
「へーい」
乙音が病室を出ていく。貴昭は薄暗くなった部屋のなかでベッドに寝転んで、しばらく目を開けたままでいた。
考えるべきことはたくさんあったのかもしれない。しかしそれはすべて後回しでいいとも思う。明日考えられることは、明日考えればいいのだ。明日はくる。未来は続く。創造主がいなくなっても。
貴昭はヴァルキュライドを思った。やがてそれが蘇る日を想像し、しかしそのときはヴァルキュライドもなにかと戦うことなく、人間とは異質な、独立した生命体として生きていくのだろう。人間もそのときまで生き続けなければならない。自分が死んでも、その時代に生きる人間たちがいる。未来が続くとはそういうことだ。
貴昭はカーテンが閉まった窓を見て、呟く。
さよなら、ヴァルキュライド。
またいつか。
/The End
月のヴァルキュライド 辺名緋兎 @cronos123
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