Episode Final /4

  4


 世界中に八体存在するヴァルキュライドは、いずれも機能停止こそしていなかったが、身動きが取れない状態になっていた。

 貴昭は八体のヴァルキュライドを感じる。そのすべてからダメージが痛みとして伝わってくるのも受け止める。もしそれを拒めばリンクが切れ、ヴァルキュライドが機能を停止してしまう。いまできる精いっぱいは、ヴァルキュライドを動かすことではなく、痛みに耐えながらつながりを維持することだった。

 しかしそれも限界に近い。貴昭は、自分はとっくに意識を失っているのではないか、もしかしたらもう自分は死んだのではないかと考えていた。八体のヴァルキュライドは感じるが、自分の身体の感覚がわからない。立っているのか、寝ているのか、息をしているのか、なにも感じられない。まるでヴァルキュライドのネットワークに意識だけが閉じ込められたような気分だった。

 ヴァルキュライドはよくやってくれたと貴昭は思う。世界中の軍隊も、だ。彼らはヴァルキュライドが劣勢と見ると、危険も顧みずフーファイターに攻撃を仕掛けてくれた。それですこしヴァルキュライドに対する攻撃が止み、考える余裕ができていた。

 しかしこのままでは、負ける。

 もともと勝てない戦いだった。相手は何千機もいて、こちらはたったの八体。はじめから勝てる勝負ではなかった。しかし負けるわけにはいかなかった。負けるわけにはいかない。まだ。

「なぜそうまでして戦うのだ」

 声が聞こえた。男女どちらともつかないような、声というより言葉そのものを感じる。貴昭にはそれがヴァルキュライドの声だとわかっていた。いままで直接聞いたことはなかったが、その気配を感じたことは何度もあった。

 ヴァルキュライドは機械ではない。独立したひとつの生命体なのだ。いままで五感を通してしか感じられなかったヴァルキュライドを、いまはそれ以外の感覚で感じる。

「おれが死にかけてるせいなのかな――」

「八体存在するわれわれのすべてが起動したせいだ。私はこの存在の統合意識とでもいうべきもの。個体ではなく、それらが共通して持つネットワーク内にのみ存在している。八体が起動し、ネットワークが復活したいま、私も目を覚ました」

 ヴァルキュライドはもう一度、同じ問いを繰り返した。

「なぜそうまでして戦うのだ、人間よ」

「ちがう――戦ってるのはおまえたちだろ。負けたくないって言ってるのはおまえだ」

「その感情は人間のものだ。われわれは人間の感情をそのまま反射しているだけ。あなたがそう感じたのなら、それはあなたがそう思っているということだ。事実、あなたはいまも負けたくないと思っている。まだ戦い続けなければならないと、死んでも戦い続けなければならないと思っている。なぜそうまでして戦うのだ、人間よ。私は長くあなたたちを見てきた。人間は凶暴で、好戦的で、しかし驚くほど愛情に充ちている。あなたたちは存在が矛盾している。なぜあなたたちは愛しながら戦うのだ」

「……人類がなんでそうしてきたかなんて、おれにわかるわけないだろ」

「では、なぜ、あなたは戦う?」

「負けたくない。負けたら、終わりなんだ。終わらせたくない」

「負ければ死ぬ、ということか。それは事実だろう。〈彼ら〉はあらゆる意味で人間を凌駕している。〈彼ら〉は人間を作り、われわれを作った。〈彼ら〉にとって人間は最高傑作ではない。最高傑作は、われわれだ。〈彼ら〉は人間を劣ったものとして作った。〈彼ら〉に従い、われわれに従うように作ったのだ。しかし人間はそうはならなかった。人間はより凶暴性を増し、より好戦的になり、より臆病になった。だれかを信じるということができず、争いを繰り返した。人間は生きるということに執着している。あなたが死を拒む気持ちは、そのことからもわかる。しかし私にはふしぎなのだ。人間というのは、いつか死ぬものではないか。だれかに殺されずとも、やがてすべて死ぬものではないか。ではなぜ、死を拒むのだ。人間にとって死は避けようのない運命だ。どれだけ拒んでも、必ず死は人間を捕らえる。〈彼ら〉に作られ、滅びる運命を背負わされ、それでもなお、なぜ戦おうとするのだ」

「そんなこと知るか。人間はおまえたちみたいに達観できないんだよ。そりゃ、いつか死ぬのはわかってる。だれだって死ぬんだ。そんなことはみんな知ってる。でも、それはいつか、だ。いまじゃない。もし明日死ぬとしても、今日死ぬ理由にはならない。一分後に死ぬってわかってもいま死ぬ理由なんてどこにもない。すくなくともおれは、いつか死ぬんだってわかってても、いまここで死にたくないんだ。だれにも、死んでほしくない」

「ならば生きる理由とはなんだ。目先の死を遠ざけて、いったいなにを成し遂げるというのだ」

「だから、そんなこと知らねえって。ひとによってちがうんだよ、きっと。生きたい理由も、死ななきゃならない理由も、ひとそれぞれだ。みんなどんな理由があるにせよ、いまを必死に生きようとしてる。そんな努力をだれかに無碍にされるのは嫌だろ」

「あなたはなぜ生きたいと願う。あなたの未来になにが待っている?」

「未来はわからない。おれの未来なんて、なんにもないのかもしれない」

「それはおかしい。未来がないのなら、あなたがいま生きる理由などないはずだ。死ぬような目に遭って、なお戦い、負けたくないと思うほど強い理由は」

「それは――」

 言われてみればそのとおりだと貴昭は思う。

 どうして自分は生きているのか。未来になにかが待っていると信じているからか。本当に心から未来を信じることは、自分にはできない。本当に戦い続ければこの争いに勝利できるとも思っていない。それでも。負けたくない、もうすこし死にたくないと思う。その理由はなんなのか。

「自分が生きる理由なんか……考えたこと、なかったな。でも、たぶん、希望だ」

 その言葉が口をついて出る。するとそれこそ真実だという気がした。

「ほんのちょっとした希望なんだ。ほんとに勝てるとは思ってない。でも、もしかしたら、とは思う。だから、ほんとに負けるとも思ってないんだ。おれたち人間には未来のことなんてわからない。わからないから勝手に絶望するし、勝手に希望を抱く。勘違いをして、自分にならできるかもしれないと思う。本当にできるかどうかはやってみなくちゃわからない。無理かもしれないと思っても、死ぬ気でやってみればできるかもしれない――だからおれは生きてるんだ。まだ負けたくない。死にたくない。希望があるかぎり、戦いたい」

「ならばあなたは生き延びてもよい。私があなたを守ろう。それであなたは満足できるか」

「……おれひとりが生き残って、か? そんなの、だめだ。おれひとりだけ生き残ってもなんの意味もないんだ。ひとりきりじゃ、希望はない。だって世界にはおれしかいないんだ。おれひとりでできることなんか最初からわかってる。そこにわけのわからない他人がいるから、勘違いが起こるんだ。そうやって未来はわからなくなっていく。だから希望を抱ける。最初からなにもかも知ってたら絶望がない代わりに希望もない。おれは、そんな生き方は嫌だ」

「自分のために他人を生かしておきたい、ということか」

「まあ……そうだな。たぶん、そうだ。だれかのため、なんて立派な理由じゃないんだと思う。ただ、自分が寂しいだけなんだ。ひとりきりじゃ寂しい。だからみんなに、ひとりでも多くの人間に生きていてほしい」

「ならばなぜ人間は戦う? なぜ自分の生存のために他者を殺すのだ。それは大きな矛盾だ。自分のために他人を生かしたいと思う一方で、自分のために他人を殺しもする。まるで人間にとって他人など命も持たない人形に過ぎないとでもいうようだ。人間はなぜそれほど傲慢になれるのだ」

「わかんねえよ。人間はひとりひとりがみんなちがうんだ。人間、なんて一言ではだれも言い表せない。そりゃ、他人のことをなんとも思ってないような悪いやつもいるし、他人に同情して泣けるようないいやつもいる。それを全部ひっくるめて人間なんだよ。おれは人間を救いたいんじゃない。目に見えるひとたちを、ひとりひとりを救いたい、生きていてほしいと思うんだ。人類を守りたいなんて思っちゃいないよ」

「ふむ――人間の考え方は奇妙だ。恐ろしく微視的、近視眼的な考え方だ。それでは未来のことなどなにもわからないではないか」

「そうだ、未来のことなんかわからない。だから生きていくんだろ。なにも知らない未来を、ちょっとでも見てみたいから」

「人間は矛盾に充ちている。人間が作る未来もまた、矛盾に充ちた、混沌とした未来だろう。一方で〈彼ら〉には矛盾などない。目的と手段は常に最適の解で結ばれている。〈彼ら〉は行動する前からその結果を知っている。しかし〈彼ら〉のなかにも例外はいた。ある者は、混沌とした未来を求めた。そして人間にある種を植えたのだ。人間が、人類が、強く生を求める根拠となる種を。人間はいわば〈彼ら〉の理想とひとりの野望が産んだ存在だ。われわれは〈彼ら〉の理想で産まれ、人間を見てきた。われわれにとって未来とは確定しているものであり、その確定した未来を人間たちが破壊していく。しかし私もまた、それをどこか小気味よく思っていた。自らに課せられた運命を拒むように生き続ける人間たちを」

 ヴァルキュライドが温かくなる。その感覚が正しいのかはわからなかったが、貴昭はそう感じた。

「人間はふしぎだ。自らの生のみを優先するかと思えば、他人のために自らの生を諦めるときもある。なぜそのようなことができるのか、私にはわからない。複雑な命令系統だ。その時々によって優先される命令が異なる」

「まあ、命令といえばそれまでかもしれないけど――結局それは、愛情なんだよ、たぶん。ただ生きるだけじゃない。他人といっしょに生きる、生きたいと思う、それが愛情なんだと思う」

「愛情か。〈彼ら〉が人間を作ったとき、そのような感情は作らなかっただろう。そして〈彼ら〉を裏切った者もまた、そのようなものを人間に植え付けたのではない。となれば、人間は進化、成長する過程で、その概念を、その感情を独自に獲得したのかもしれない。だとすれば、人間はただ作られたものではない。はじめはだれかの意思によって作られたものだったが、いまの人間は、そうではない。いまの人間になら運命を覆す力があるかもしれない――私も、その未来を見てみたくなった」

 力を貸そう、とヴァルキュライドは言った。

「われわれはまだ全力を出していない。すべてのエネルギーを放出すれば、運命を跳ね返せるかもしれない。しかしそのとき、われわれは長い眠りにつくだろう。永遠に目覚めることがないかもしれない、長い眠りだ。未来を導くものはどこにもいなくなる」

「力を貸してくれ、ヴァルキュライド」

「あなたも無事では済まないだろう。人間に耐えられる負荷ではない」

「それでも、やるんだ。ここまできて諦められるか」

「わかった――では、やろうか」

「ああ、やろう」

 貴昭はふとヴァルキュライドの感覚が遮断されるのを感じた。しかしすぐ、いままでとは比較にならないエネルギーの奔流を感じた。

 いままでヴァルキュライドがどれほど制約された力で戦っていたか、いま、はじめてわかる。ヴァルキュライドの感覚が何倍にも鋭く研ぎ澄まされる。いままで鮮やかに感じられると思っていたものが、本当は何重にもフィルターをかけたようなものだったのだとわかる。ヴァルキュライドの感覚をよりはっきりと感じられたが、それはそのまま、いままでより何倍も巨大な感覚を制御しなければならないということでもあった。

 世界中のヴァルキュライドが、いま蘇った。

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