ep.7-6 イェキル


 それは一瞬のことだった。


 ソーマの拘束を掻い潜り、ルミナへと駆け出したタマーラの勢いも、それを再び捉えたソーマの反応の速さも。

 しかしそのどれよりも、いま鮮やかにこの場に現れた男のしなやかで豪快な登場にオリオンは目を見開く。


 あいにく、身体に優れるものを持たないオリオンには何がどうなったのかさえ、正しくは理解できなかった。

 突如現れた男はソーマからタマーラを奪って、どうやって駆け昇ったのか、路地を挟む建物の屋上からこちらを見下ろしている。


 堂々とした体躯。剥き出しの灼けた肌、背負われた得物。そして顔には猛禽の仮面。

 表情は窺い知れず、仮面の隙間からの射るような視線を感じる。


 状況から読み取れば、おそらく最初から近くに潜みこちらを観察しながら機を窺っていたのであろう。自分はおろか、他の三人も気付かなかったとは余程の手練であるのだろう。

 ソーマを吹っ飛ばすパワー、隙をつく冷静さ。

 タマーラの外れた肩を掴んで関節をはめ直す手際にもモタついた様子はない。タマーラがぐうと痛みに呻くのをよそに今なお地上からこちらの様子をひたと見据えている。



 オリオンは静かに冷や汗をかく。

 戦闘については分野外な自分が果たしてブレイのようにこの場をまとめることができるだろうか。目線は猛禽の仮面の男に向けたまま周囲の様子を探る。

 ルミナ、ソカロは己と同じように顔を向けている。ソーマは?――オリオンには気配が読めない。


 この場を納めるならばソーマの動向にかけるべきだとオリオンは判断する。



「イェキル殿!!」

 肩を恐々と回して違和感の有無を確かめ終わったタマーラが喜びの声をあげてイェキルと呼んだ猛禽の仮面の男へと抱きつく。


「イェキル殿ぉ!やっぱり生きてたんですね!」

「…無事か」

 喜びの色が溢れんばかりのタマーラの声とは反対にイェキルの声は低く落ち着いている。

「あの嵐ではもうダメかと……! みなは無事ですか!」

 言いたいことが溢れるタマーラは回答になっていない言葉を次々と並べ立てるがイェキルは短く、念を押すように返答する。

「タマーラ、あの夜、海に投げ出されたのはお前だけだ」

「なんと! ふぐぅ!面目なし!」

 顔をくしゃくしゃに萎めてタマーラは己の不甲斐なさに額を叩いた。


「おい、世間話とは随分舐めてくれてんじゃねえか」

 建物の遮蔽の間を縫って、ぬらりと屋上に現れた赤い影が怒りを滲ませて振り上げた踵を二人へと打ち落とす。


 今しがたイェキルに投げ飛ばされて倒された男がどうやって背後を取るに至っているのか、呆けるタマーラの腰を掴んでイェキルは構わず屋上から下へと飛ぶ。

 地上へ落ちる前に、路地と路地の間に張られた洗濯用ロープを片手で掴み勢いを和らげると、たわんだロープの反動を利用して跳ねあがり、反対側の建物の上へと器用に着地する。

 結果、振り下げられた踵にかすったのはタマーラの結った片方の髪のみでソーマは舌を打つ。渡った先の建物は一層低く、ソーマは結った片髪が解けたタマーラを脇に抱えた仮面の男を見下ろすかたちになる。



 互いの力量を量るかのように睨みあう二人。先に口を開いたのは猛禽の仮面の男だった。

「…同胞が面倒をかけた」

「あん?!」

 凪いだ声色にソーマが気色ばむ。そのまま重心を後ろに傾けるソーマを見てイェキルもまた腰を落とす。ピリつく空気に緊張が高まる。

「あのイェキル殿!」

 そんな中、腰を折るようにタマーラが挙手をする。

「そろそろ離してください!」

 いまだ抱えられたままのタマーラは、発言ののち、しばし瞬いてから訂正した。

「あ、待って落とさないでここ高い!やっぱり離さないでくださぁい!」

「あ~~~~っくそこいつウルっセえなあ!!!」


 気勢を削ぐタマーラの能天気な一挙手一投足に我慢ならず、ソーマは唾を飛ばしてがなる。


 一瞬緩んだこの時を逃さず、オリオンはルミナ、ソカロに向かって小さく指示を流す。

「この人たちから話が聞きたいなー。……捕まえて」

 敵国の人間ならばセレノへの訪問は偵察か。イズリエン侵攻の機に現れたのは偶然ではないはずだ。オリオンの目がすうっと冷たく細められる。


「オッケイ!」

 いち早く飛び出したのはルミナだ。先ほどの動揺から、気持ちを切り替え任務に徹底しようとする気概が動きをはやらせる。

「おいオメーは前に出るな!」

 ソーマはルミナに留まるよう釘を刺すが、簡単に従うようであれば今までだって苦労はなかった。

 ルミナは真っ直ぐ猛禽の仮面の男を目指して積まれた木箱を足場に壁を駆けあがる。

「クッソ、どいつもコイツも…!」

 歯噛みしてソーマは助走の距離をとるため後退する。後退の最中に突如大声を出し「おいクソババア!」と叫ぶ。その間にもルミナは距離を詰める。イェキルと同様にロープに飛びつくと、それを利用して一気に屋上へと踊り出る。

「聞こえてんだろ!だ! なんでもいいから『武器』ィ!!」

「覚悟なさい!」


 ソーマが叫ぶのと同時に「どおっせええい!」とルミナが飛び上がった勢いのままイェキルへと拳を振りかぶった。ソーマはそれを視界にとらえて短い助走で弾みをつけて空を蹴る。

 途端、タマーラを脇から投げ捨てた猛禽の仮面の男はルミナの拳を躱して腕を取ると、その場で回転。反動を利用してソーマの方へと投げ返す。

 短い悲鳴と共に投げ飛ばされたルミナを避けることも可能だが、このままではルミナが建物の壁に激突すると見て、ソーマはしぶしぶルミナを受け止める方向に舵を切らざるを得ない。


 二人と仮面の男との空中戦の最中。

 地上ではとざされていた食堂の窓が前触れなく乱暴に開かれた。

 開いたそこから無愛想な老婆がオリオンの背後に顔を出す。先ほどたんまりと重たい料理の数々を繰り出した店主だ。

アンタ、と声をかけられたオリオンは内心ビクリとしながら振り返れば、「高くつくよ」と煙たそうに老婆はつぶやいて、ソーマの注文通り、窓から武器の長物――剣を放り出した。

 それを落とさぬようになんとか受け取ったオリオンは、鞘から重いそれを引き抜く。そのままそれをこちらへ駆けてくる手に受け渡した。

「ソカロ!」

 重さをものともせず、剣を受け取ったソカロは柄をしっかり握り込むと、地上で伏せるタマーラを再び抱えようとするイェキルに向かって駆けて行く。


 大人が二人両手を広げれば塞がってしまうような路地では長物の戦いは不向きだ。早々に決める、と強い意志をもってソカロは構えを絞って距離を詰める。

 きらりと刃物の煌めきを己の瞳に映したイェキルもまた、背に負った鞘から飛び出た柄に手をかける。剣先の届く範囲に入る直前にはソカロは剣を頭上から振りかぶってイェキルへと強かに打ち下ろす。


 ガギンと鈍い金属の音。刃が滑るような擦れあう音ではなく、絡め取られるような詰まった音が路地に響く。

 ソカロの振るった直剣はイェキルの構えた異形の剣に阻まれ、振りきれずにギリギリと刃を削りあっていた。

 刀身の両側面から分岐した複数の突起が備えられた面妖なその形は炎のようにも、幹から枝を伸ばす樹木のようにも見える。

 剣を交えたソカロはおろか、その場の人物はみなその見慣れぬ異形の剣に驚きを覚えた。

「ぐ……」

 完全に刃を絡め取られたソカロは不利ながらも力を緩めなかった。グローブの下、手の平に汗がにじむのを感じながら、ソカロは仮面の底に淡い黄色の瞳と視線をぶつける。

 最中、ギョッとして体を強張らせたのはイェキルだった。


「……様?」

 あまりにも小さく掠れたイェキルの言葉はソカロには聞き取れない。


 構わずその隙をついたソカロが強引に剣を薙ぎ払う。力任せの行動にイェキルもたたらを踏んで留まろうと堪えるが、溜まらず吹っ飛ばされてしまう。


 明らかに動揺の色を見せるイェキルの様子をオリオンは不審に思うも束の間。飛ばされたイェキルの方角からソカロに向かってナイフが飛ばされているのに気づいたオリオンは慌てて視線をソカロに向ける。

 ソカロはなんとかそれを弾いたが、ナイフの後に隠れるようにして飛ばされた玉から途端に煙幕が吹き出した。

 まずい、逃げられてしまう。

 目と鼻に染みる煙幕から身を庇いながらオリオンがよろめく。

「助太刀いたしま…」

 煙幕の中から聞こえたタマーラの台詞を頼りに飛び込んだソーマが頭上から蹴りを払い煙が薄れるも、そこにはすでに誰の影もなく、謎のイズリエン人たちは消えてしまったあとだった。




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