ep.7-7 鳥籠と手紙




 倦んだ空気の満ちた箱の中で、ブレイは窓から見える灰色の光景を眺めていた。


 ここ数日は荒れた天候が続いており、部屋から出ることを許されないブレイの閉塞した気持ちに輪をかけて陰鬱さを漂わせる。

 今朝ほどには厚い雲は散り、切れ目に薄青い空をちらつかせているが、嵐によって揉みくちゃにされた海面は今も波が高く、普段の青さを忘れた灰色の海はブレイの心境そのものだった。


 ケインリヒに東極部総指揮官の任を奪われたブレイは、処遇が決まるまでは執政に携わることを禁じられ自室待機を命じられている。

 到底納得などできぬ扱いだが、父の――王の勅令書を眼前に突きつけられては為す術もない。下卑た笑みを隠しもせず、書状をチラつかせるケインリヒの醜悪な表情を思い出せば、あまりの怒りにこめかみが締め付けられるのだった。


 軟禁されて以降、自室から繋がる執務室の書類から本から何までを運び出され、書類が片付くことのなかったデスクは今まで見たことがないほどすっきりしている。

 部屋には食事を運ぶ者以外は訪れず、話しかけようが何をしようが固く口を閉ざしたまま、退室。部屋から出られる唯一のタイミングは手洗いと湯浴みだが、言わずもがなケインリヒの息がかかった見慣れぬ年嵩の女中が背後にぴたりと張り付いており、それには本当に辟易した。

 うんざりするほど過剰な己に対する情報統制っぷりに、そこまで手厚く仕事をする暇があるのなら昨晩の嵐に対する防災対策のひとつでも打っておいてくれと言いたい。航海の灯火たる灯台の火が昨晩から消えてしまっているのをブレイは窓辺からしかと確認していた。

 そのくらいしかここから見えるものもないのだが。


 ブレイの部屋は城の一角、海辺に面した側に設けられており、窓の外は断崖から望む海面が映る。

 当然、窓から脱出しても行き場はない。敵の侵入を阻む目的が裏目に出ることになるなど、当時はまるで思わなかった。

 せめて自室の真上にあたるバルコニーに出られたら。同じく海に面したそこは脱出には向かないが時折現れる気まぐれな友人に会えるかもしれない場所だ。

 せめて少しでも気晴らしがしたい。なんとか取り乱さずに過ごしているが、外界との接触を絶たれ、ひとりきりにされると不安と孤独が押し寄せる。


 ルミナは。ソカロはオリオンは。みな無事でいるのだろうか。同じような不当な目に遭っていなければいいが。

 このままイズリエンへの侵攻が始まってしまうのか。本当に?

 セレノはどうなる?

 ケインリヒは一体何を企んでいる?

 そもそも父は……。


 何度も巡る不安と恐怖、そして寂しさ。

 マズイ。まただ。また同じことばかり考えている、と頭の端では分かっているが、分からないことを考えても仕方がないのだと自分に言い聞かせることができない。


 誰かと話したい。誰でもいい。

 ブレイはヨロヨロと部屋を徘徊する。もう一週間も経つ。頭がおかしくなりそうだ。いやすでにおかしくなっているのでは。これ以上おかしくなる前にいっそ窓から海面にでも飛び込んだ方がマシなのでは?


 狭く極まる思考のままフラフラと窓辺に寄って、ブレイは窓の錠に手をかけた。差し込まれたかんぬきを引き抜いたところで前方の空からこちらへ向かう一点をぼんやりした視界に捉える。


「ん……?」


 注視すれば徐々に点の形が変化する。

 空を切る両翼はピンと伸ばされ、真っ直ぐにこちらを見据えて飛来する白い体。ギィーと鳴く嘴。


「! おまえ…ッエ、ちょっ止まっ」


 久方ぶりに見る翼を持つ友人の姿に喜んだのも束の間、速度を緩めず向かってくる様子にブレイは慄く。

 慌てて後ずされば間一髪。窓枠に翼をぶつけながらも白い鳥は窓を潜り抜けてブレイの部屋へと飛び込んだ。

 床を鉤爪で引っ掻きながらなんとか翼を畳むと、ギィギィ鳴きながら毛羽だった体を嘴でつついて整える。

「ええ……」

 たしかに誰でも良いからと来訪を願ったが、まさか鳥類に直接部屋へ乱入されるとは思わなかった。

 驚きと戸惑いが大きいが、のんびりと毛繕いをする友人の姿を見ているとそれもどうでもよくなってくる。


「やあ、久しぶり。会えて嬉しいぞ」

 いまここに豆なり、パンくずなりを持ち合わせていないことが惜しまれる。餌がないことが分かればこの薄情な友人は、また飛び去ってしまうかもしれない。

「突然どうした。飛び込んでくるほど僕に会いたかったのか?」

 刺激しないように少し距離を取ってブレイは話しかける。どうか少しでも長くここに留まってほしかった。


 部屋の中で小さな羽毛を散らしながら、白い鳥は執拗に体を嘴でつつき回している。あまりにも必死なため、ブレイも訝しんでその様子を眺める。よくよく見れば鳥のピンク色した脚に何かが括り付けられている。


「小さな瓶? ……手紙?!」


 ハッとしてブレイは一歩近づく。

 警戒して鳴き声を発っする友人を小さな声で宥めながらゆっくりと近づいていく。

 水鳥の嘴は長く鋭い。自分がつつき回されないようにブレイは慎重に腕を伸ばして友人を包み込む。途端嫌がって鳥が暴れるが、それをなんとか制して脚に巻き付いた紐を外していく。

 耳元でガチガチと嘴を鳴らされ冷や汗をかいたが、なんとか外し終わり、するりと瓶が紐から落ちて床を転がっていく。

「あ!」とブレイがそれを目で追う隙をついて鳥がブレイの手元を遠慮なくつついた。


 ギャとあがった悲鳴と、それに驚いた白い鳥もギャーギャーと騒ぎ立てる。

 その派手な合唱に、軟禁されたブレイを廊下で見張っていたであろう兵が扉を開けて部屋へと駆け込んできた。……が、目の前の光景に素っ頓狂な声をあげて剣を握り締める。


「なっ、なんだなんだ?!」


 部屋の中には羽毛だらけのブレイとその腕の中に大きな白い水鳥。腕の中で激しく暴れている鳥が翼を大きく揺らすたびに小さな羽根が抜けて舞い上がる。

 背後に開かれた窓が見えて兵はハッと我に帰ると「出てけ出てけ」と手足をバタつかせて鳥を追っ払う。驚いた白い鳥はギェーと大きく鳴いて慌てて窓から素早く外へと飛び出した。


「なんなんだ一体…。まさか外部に連絡を取ろうとしたんじゃないだろうな」

 窓から身を乗り出して鳥を見送ると、兵は窓を閉めてブレイを見やる。

 友人のご狂乱のおかげでボサボサになった頭を撫で付けながらブレイはそれに対して首を横に張った。

「突然アイツが飛び込んできたんだ、僕だって驚いている! いい迷惑だ!」

 僕は気が立っている、と怒気を孕んだ言葉を付け足して、ブレイは戸惑う兵を外へと追い立てた。

 扉に耳をたて、足音が遠ざかるのを確認してブレイは速やかに箪笥の下へと屈み込む。先ほど友人の脚から外した小瓶が転がっていった先だ。

 暗い隙間に目を凝らして、光る輪郭を捉えたブレイは腕を突っ込んでそれを外に転がした。



 拾い上げた小瓶の中に詰められた紙を期待を込めて開いたブレイだったが、予想を裏切る内容に肩を落とすこととなった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る