ep.7-5 異国の風


 ソーマががぶ飲みし続けた酒瓶が乾き、ルミナとオリオンが片っ端から頼んだ気になるメニューたちの皿も空き、いよいよ手持ち無沙汰になった三人が店を出た頃。

 約束の時間をゆうに過ぎた昼下がりにようやくソカロは現れた。


 あんまり期待してなかった、と一同は怒る気力もなく白けた視線を爆速で駆けてくる大男に向ける。

 店で飲み食いしたものが胃にもたれているのも一因だ。美味しいは美味しいがどれもこれもが油分多めで重たい一品たちだった。


「ごめーん遅れて!」


 さほど悪いとも思ってなさそうな能天気な詫びを入れつつ、ソカロはキラキラとした笑顔で暗い路地裏へと飛び込んだ。

「おっせぇよ!この役立たずが!」

 いち早く怒気を取り戻したソーマがソカロの鳩尾をぶん殴る。グエッとカエルのように鳴いてソカロが痛みに胸元を抑えると、ぼたっと地面になにかが落ちる。

 ルミナがソーマの乱暴に成敗を施してるのをよそに、それに気がついたオリオンがまるいシルエットを不思議そうに見つめて口を開く。

「なんか落としたよー?」

 首を傾げて覗き込めば潰れたまんまるがプルプルと震えている。


「あっこれ!? じゃーん!見て!」

 言うが早いかソカロは落としたものを拾い上げた。脇の下に無遠慮に手を入れて掬い上げて無邪気に笑う。


「この子はタマ!」

「タマーラですが?!?!?!」


 抱え上げられるがままの体制で気性の荒い小動物のようにクワッと吠えた少女の絶叫に、オリオンはじめ一同は動きを止めるのであった。



 牙を向くタマーラに「落としてごめんねぇ」としおしお謝るソカロに事情を問えば、海辺で行き倒れていたところ見つけて介抱し、人を探したいそうなので我らを頼って駆け付けたということを把握できた。

 オリオンはウンウンと頷いて、はじめて見る少女の出で立ちを窺う。


 ふくよかな輪郭にまんまるのライトグレーの瞳、丸い形の小さな眉の上で切りそろえられた前髪。豊かな黒髪をサイドからふたつに束ねて下ろされているのも相まってより小ささが目立つ。

 ブレイよりも小さくて、まるいシルエット。

 着ているものは簡素なワンピースで、もしかすると寝間着なのではと思い至る。夜間、難破して海に投げ出されたのであれば有り得る話だ。

 オリオンの視線に気付いた少女は「ぴえ」と鳴いてソカロの巨体の後ろに身を隠してしまう。


「あちゃー」

「大丈夫よ、こわくない、こわくない」

 そう言って優しくソカロの影からタマーラを招いてルミナはやさしく微笑みかける。


「ね、アナタいくつ? 私、年の近い女の子の知り合いって少ないの。よかったら私たち、友だちにならない?」

 優しい声にタマーラはおずおずとソカロの背後から顔を出してルミナの顔を窺う。

「ともだち…」

 ソワソワと気になる空気が隠せていないタマーラは、一歩一歩とルミナに吸い寄せられるように歩み寄る。

「ワタシ、タマーラ……。ワタシ、アナタ、友だち……」

 タマーラは緊張からか片言になりながらも、ルミナが差し出した手をついに握った。ルミナも少し照れ臭そうに笑う。

「よろしくねタマーラ! 私はルミナ!ルミナ・セストナーよ」

 グッと握られた手を握り返してルミナは晴れやかに笑った。

 しかし反対にタマーラの顔からはサッと色が消える。


「セストナー…?」


「そうよ、なにを隠そうこの私のお父様はこの国を独立させた英雄『アレクセイ・セストナー』! その可愛い一人娘が私、ルミナちゃんよ」

 フフン、と得意げにルミナは目を伏せて胸を張った。閉じた瞼の裏側に山のように大きな体と、それに似合わず顔いっぱいに浮かべた豪快な笑顔が浮かんでなんだか胸が満ちていく。

 ルミナにとって父は居なくなった後もずっと心の支柱だった。大好きで尊敬できる自慢の父親。この国で偉大な父の名を知らない者はないだろう。


 誇らしさでいっぱいになったルミナを現実に引き戻したのはパァンという高い破裂音と、遅れてじんと痛んだ手のひらだった。


「え……?」

 視界に映る弾かれた右手。どうしてと手を差し出した先に視線を向ければ、敵意を剥き出しにした鬼気迫る表情の少女。

 肩で息をして、熱い空気を吐きながらぴたとこちらを睨みつけている。


「タマーラ、な……」

「我らの敵!この…っ簒奪者さんだつしゃの子め!」


 なんでと問う台詞を切り裂くように糾弾されてルミナはたじろぐ。

 突然の変わりように驚きながらソカロがよろけたルミナの肩を優しく支えた。

「タマっどうしちゃったの?! なんでそんなに怒って……」

 ソカロの言葉を待たずしてタマーラは懐からナイフを取り出すと素早く握り込んで構えを取る。

 間違いなく武術の心得のある様子に一同にサッと緊張が走る。ソーマは考える前に地を蹴る。同時にタマーラは刃先を真っ直ぐルミナへと突き出した。

 しかしソーマの方が速い。


 金属が壁にぶつかって地面に落ちた甲高い音が路地に響く。


 踏み込んだソーマがタマーラの手元を弾き飛ばし、怯んだ隙を逃さず制圧する。襟元を掴まれて地面に叩きつけられたタマーラの呼吸が一瞬止まるのも気にせず、ソーマはそのまま両腕を捕まえて背後に捻り上げた。

 痛みに悲鳴をあげたタマーラへ低い声で淡々と問う。

「てめえ、一体どこの手のモンだ」

 捻る手に力を篭めながらチラと目を向けるソーマにオリオンは首を横に振った。帝国筋の刺客とは思えない。

 先ほどタマーラが言った「敵、簒奪者」という表現が引っかかる。そしてもしや、とも思う。

「タマーラ、君は……」

 オリオンが口を開くのを遮ってタマーラは押さえつけられたまま叫んだ。


「ワタシは! 神や歴史を忘れたオマエたちとは違うッ!」


 タマーラの痛切な金切り声が周囲の動きを留める。


「ワタシは神話を語り継ぐ大王様の使い、イズリエン国ソロモン神兵のタマーラ! ワタシたちからこの地を取り上げた男の関係者からの助けなんて……要らないッ!でス!」


 吐き捨てるように叫んでタマーラは押さえ付けるソーマに構わず身を捩る。骨のズレる鈍い音と共に肩の関節を外すと、そのまま必死に這い出て駆け出した。

「死なば諸共ォ!」と雄々しく吠えて決死の突進を繰り出したタマーラだが、無情にも再びソーマの長い腕がその身を捕える。


「テメーこの丸っころ!ぬるっと逃げてんじゃねェーよ!」

 思わぬ行動に虚を突かれたソーマは多少焦りを見せたが今度こそがっちりと掴んで逃さない。脱臼した肩もあり、今度こそタマーラも抵抗を諦めたようで大人しくなった。その様子にオリオンはほっと息を吐く。

 ルミナはショックが隠しきれないようで、張り詰めた表情のまま地に伏す少女から目が離せないようだった。


 再び地に転がされ先ほどよりもきつく拘束されたタマーラは悔しさからか半ベソをかく。

「…うっ、っ、ごめんなさい……」

 漏らされた謝罪にソーマは皮肉めいた笑みを浮かべて己に潰されかけている丸っころを小突く。

「いまさら謝ったって意味ねぇーぜ。オメーはこれから牢屋にぶち込まれて痛くてつらぁい尋問のお時間だ」

 意地悪く耳元で囁くとタマーラはぷるぷると震えるものだからソーマはますます笑みを深くする。隙をつかれ、恥をかいたお返しだ。

「……どの」

「あ?」

 呟かれた声があまりにも掠れていて聞き取れない。ソーマは親切にもタマーラの顔に耳を寄せる。


「っ助けてくださいイェキル殿〜〜〜〜!!」


 大音量で叫ぶとそのまま火の点いたように泣きだしたタマーラの勢いと声量にソーマはひっくり返りそうになる。反射的に片手が耳を庇う。

 拘束が緩んでしまう気配を感じ取って耳に伸びた手を戻すも、その一寸の間にソーマは強い力で弾き飛ばされる。


 タマーラではない。

 受け身の体勢を取りつつ視界の隅から外へと動く影を捉えると、ソーマは強く歯を噛み締める。

 路地に積み上げられ放置されていた古い木箱に背中から突っ込むと派手な音が鳴る。全身に伝わる衝撃と痛みに耐えるより、闖入者への怒りがソーマの身を焼くようだった。



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