ep.7-4 波間に揺れる
セレノの中心街にある噴水広場に設置されたベンチに腰掛けて、タマーラはジェラートをちびちびと舐めていた。
冷たくて最初はおっかなびっくりしたが、口に含めば甘く、するりと溶けて消える感覚にえも言われぬ良さがあり、これはおかわりの二本目である。
「このサクサクした周りのコーンがまたオイシーよね」
同じく隣に腰掛けてボリボリと小気味いい音を立てるソカロは小さくなった先端を名残惜しげに口の中へ放った。
タマーラは「わかる」としきりに頷いて最後の最後まで丁寧に味わう。ソカロ曰く、よその街で食べたのを甚く気に入り、なんとかしてセレノでも食べたいできれば毎日食べたいと街の人へ懇願して、どうにかこうにか販路を広げさせたものらしい。サクサクのコーンはその際に閃いた付け合わせらしく、ここでしか食べられないからぜひに、とソカロに押されて食している。ちゃっかりおかわりまでして。
頭が悪そうだと思っていたが意外に商才があるのやもとタマーラはしげしげと隣の大きな男を眺めた。
「あっ、ほっぺについてるよ」
タマーラの不躾な視線も意に介さず、ソカロは目の前のふくよかな頬に手を伸ばす。親指で拭うとそのまま口に運ぼうとするのでタマーラは慌てて阻止することになった。
ジェラートを平らげ、今度はお散歩しようとソカロはタマーラへ立つように促す。言われるがままに立ち上がり、何気なく目の前の噴水を目に映す。はたと何かに気づいたタマーラはそのまま凝視していたがどことなく憂いた表情へと変わる。
その様子に気づいたソカロもつられて噴水に視線を送る。噴水の縁を囲むように掘り込まれた波とその合間で跳ねる魚たち。中央には波を割るように立つゆったりとした布を纏った男女の像。その肩には小ぶりの水甕が抱えられ、そこから水が流れ出ている。
ソカロにとっては見馴染んだいつもの光景だ。
「どうかした?」
タマーラは噴水に目を向けたまま、しばし黙っていたがポツリと口を開いた。
「この噴水は昔からここにあるんです?」
「えっ…と〜〜たしか……そんなふうに聞いたかも? なんか、この国がこの国じゃない時からずっとある、みたいな…」
ブレイか誰かがそんなことを言っていた気がするが詳しくは思い出せない。たぶん、と付け加えてソカロは思い出し唸りをやめてもう一度タマーラを見やる。どこか遠くを見るような目をしたタマーラにはどことなく不思議な空気を纏っていた。
「もっと近くで見る?」
ソカロの提案に薄ぼんやりとした目をハッと瞬かせてタマーラは首を振る。噴水から視線を外し慌てて下を向いてしばし。バツが悪そうにモゴモゴと篭った声で付け加えた。
「……その、ワタシの故郷にも似たものがあったので、あの…それだけ……」
なんだかその声は痛々しく聞こえてソカロは続けようとした言葉を飲み込む。
慣れない感覚を誤魔化すように両手で首元をさすってそのまま両頬をむちっと潰したら、タマーラが「ヒエッ」と素っ頓狂な悲鳴をあげた。顔を上げたら予想だにしないソカロの変顔が待ち受けていたので当然である。
何してんですかと信じられないものを見る目で問いながら後退するタマーラに弁明しながら、ソカロは普通に戻った様子にホッとするのであった。
「よっし、気を取り直して……次はここだよ!」
ジャーンと嬉しそうに言いながら両手の指をピロピロと蠢かして指し示された先をタマーラはげっそりした表情で見つめる。
これで何軒目だろうか、ソカロに「次はこっちを見て!」と連れ回されるセレノの店という店。重点的に飲食にかかわる大小問わぬ店々に気軽に声をかけては「この子はタマ!」と元気に紹介されること小一時間。
昼どきも近いこの時間。忙しいだろうに気さくに挨拶を返し、わざわざ見知らぬ自分にまで愛想を分けてくれる皆々様を無碍にすることもできず、タマーラもひとりひとりに自己紹介の挨拶をして回ったのだ。
「めっちゃしんどい……」
「おいしいフルーツ屋さんです!」
白目を剥きかけているタマーラに気づいているのかいないのか、ソカロは自信満々、元気いっぱいにのたまった。
バカでかい声の主に気づいた人の良さそうなヒゲだらけの店主が嬉しそうにテント張りの屋根の下へと手招きする。招かれるままに店主の隣に潜り込んだソカロは陽気に店主と肩を組み嬉しそうに揺れている。驚きの人懐っこさとその俊敏さは何度見てもタマーラの常識を覆してしまう。
恒例となった「こっちはタマ!」のやりとりが聞こえてきて、ソカロと店主は二人揃ってオイデオイデと手を振り始める。
タマーラはやれやれと重い足を引きずりテント屋根の影に入った。黄色のテントの影の中には濃厚に果実の甘い匂いが漂っていて、店頭に並んだ色とりどりの果物に思わず目を奪われる。見た感じはレモンのようだが楕円ではなく四角だったり、たくさんのブツブツがついた大きな玉など、タマーラの知らないものも見える。
興味津々で覗き込んでいると肩を軽く叩かれた。目線を上げれば店主が太くて短い指の中に小さなナイフを握っている。
もう片方の手には握り拳大の赤っぽい実。
器用にナイフを滑らせて皮を剥くと白い実が現れる。店主は中心に向かって切り込みを入れひと房を切り出と、そのままタマーラを見つめて手を出すように促していた。
促されるまま手を出せば瑞々しい果実がぽとぽとと降ってくる。
落とさないように受け取って店主の顔を窺えばにこりと頷いて食べるジェスチャーを見せてくれる。それに倣ってひと房を口に運んでみる。
とろっとしたクリームのような柔らかな食感に口に広がる甘酸っぱい香り、噛む間もなく喉に滑り落ちていくがその喉越したるや。
「〜〜〜っ!」
未知の美味に驚いて丸くなるタマーラの瞳がキラキラと輝いたのを見て店主は満足そうに頷いた。
「俺には?!俺には?!」
店主の背後から交互に顔を出して施しをせがむソカロは辛抱たまらず涎を垂らしている。
ホホと笑って店主はナイフを篭に差し入れて片手を空けると、我慢の効かない犬を弄ぶように残る果実を右に左に振ってソカロの気をひいた。従順にそれに釣られたソカロは振られるタイミングに合わせて顔を右に左に動かして獲物に張り付いている。
残りの果実を続け様にゴクリと飲んでタマーラはそのおかしな光景から目を背けた。そして先ほど店主が置いたナイフに目を留める。
「――……」
戯れを続ける二人を窺いタマーラは視線を迷わせる。海で溺れた際に身につけていた暗器は流されてしまった。この先を思えば果物ナイフ程度でも身を守る物が欲しい。しかし気のいい店主への抵抗もある。
せめてこの人からじゃなくても……
「ガウッ!」
「!」
突如聞こえた吠え声にタマーラは衝動的にナイフに手を伸ばす。素早く服の下に潜り込ませると、跳ねる鼓動を噛み殺して背後の様子を窺った。
どうやら先ほどの声は我慢ならなくなったソカロが店主の手に飛びついた際に漏れ出たものだったようだ。いまは「おいし〜〜!」と喜びながら飛び上がるソカロに残りの果実を与えながら笑う店主の和やかな空気が広がっている。気取られた素振りは感じられない。
ホッと一息吐いて、タマーラは店主に向かいペコリと頭を下げた。
「おじちゃん、ありがと!ごちそーさま!」
ソカロも倣って軽く頭を下げる。顔をあげてタマーラに食べたものの感想を聞こうと笑顔を向けたソカロだったが、タマーラは深々と頭を下げたままだった。
◇
次はあっちだよ、と無邪気に手を引かれかけてタマーラは往来の真ん中でたまらず叫んだ。
「なんなんですか! どんだけひと懐っこいんですか!」
急に手を振り払われてびっくりしたソカロは目を白黒する。
「けっ、警戒心とかないんですか!」
「だって……タマって悪い子じゃなさそうだし……困ってる感じだし……」
お腹も空いてたと思うし、と困った様子でソカロは振り払われた手をいじいじと動かした。
食ってかかる勢いだったタマーラだが、そう言われると気勢を削がれてしまう。
もとより無理やりに捻り出した非難だったのだ。ソカロが世話を焼いてくれなければあのまま溺れ死んでいただろうし、こんなにもすんなりセレノの中に入り込むこともできなかっただろう。初対面の際には緊張でうまく喋ることもできなかったが、いまは固まることもなく自然に喋ることもできる。
それらを思うとグッと苦い顔になる。
「やっぱり困ってるんじゃないの?」
かがみ込んで背の低いタマーラの顔に真っ直ぐ向き合うソカロの浅瀬の海のような色をした目が心配に揺れるのを見て、タマーラはううと呻いた。裏のない善意をひしひしと感じてしまうとタマーラは弱かった。
「ほんとは…」
「ほんとは?」
「……本当は、人を探したいんです」
「いいよ!」
決心して打ち明ければ、ソカロは喜色いっぱいの顔で立ち上がる。
「俺の仲間がきっとそういうの詳しいよ!」
俺よりずっと物知りだからね!と付け加えてソカロは困惑するタマーラの腕を遠慮なくとった。
「えっ、えっ」
「あっ忘れてた!ほんとはみんなと待ち合わせしてたんだった! 急ぐよタマ!レッツゴー!」
「えっえっ」
なんか既視感がある…と強く掴まれた右腕を見て冷や汗をかくタマーラ。
次いで腕を引かれる感覚に「まままま待ってェ~~~~!」と涙混じりの悲鳴を再び響かせて風のように連れ攫われるのであった。
暗がりの路地から二人を見つめる視線には気づかないまま……。
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