ep.7-2 灰色の会合


 昼時を前にしたセレノの飲食店街はいつものごとく盛況だった。

 真昼間からビアを振る舞うのは朝イチの漁から帰った酒飲みからの要望があってのことだが、そうでなくともセレノの住民たちは賑やかに違いない。

 シーフードを焼く煙が薄くけぶる道を抜け、賑わうストリートから小道に逸れたそこには、喧騒から離れ佇む小さなダイニングがある。

 対面の建物は増築を繰り返して歪に背が高く、また隣家との距離も詰まっているため日当たりも悪く薄暗い。ひび割れた壁面に凭れて煙草を吹かす厳つい顔のコックの姿も相まって、一見には入りづらい雰囲気が漂うが店主は特に気にしていないようだった。

 そんな店内には客も一組しかなく、薄グレー色した木の机を囲んで何やら顰めっ面を浮かべている。


「昨夜の嵐もひどかったけど、みんなも負けじとシケた顔してるねー」

 やんわりと笑んで茶化すオリオンに、ルミナはその顔をイーッと歪ませた。

「寝・不・足なの!!」

 確かに昨晩のひどい暴風音と叩きつける雨音は安眠を邪魔しただろう。けれど、それだけではない。ルミナの負けん気を含んだ反論にオリオンは分かるよと頷く。

「ブレイが身動き取れなくなってから今日で一週間かぁ」

 オリオンの言葉にルミナは片眉をキッと吊り上げて剣呑に唸る。

「そんな可愛いモンじゃないでしょ、あんなの監禁よ監禁! 話もできなきゃ近寄ることもできないなんて!」

「体裁としては軟禁だと思うけどー。なんにせよ接触はことごとく阻止されてるし……」


 ルミナの言う通り、ブレイが東極部総指揮官の権を取り上げられ、大臣であるケインリヒがそれを引き継いで以降、ブレイは自室に軟禁されて外部との接触を断たれている。

 その徹底っぷりは凄まじく、ルミナやオリオンなどの身内に近いものは当然ながら、ブレイの息がかかった配下は勿論、給仕の者までケインリヒが直々に指定する始末だった。

 聞くところによれば、その給仕には発声も許しておらず目を合わすことすら禁じているという。

「よっぽどブレイが憎かったんだねー」

「オッサンの嫉妬とかほんっとキモいだけだから!」

 ルミナは吐き捨てるように言うが、権力が絡んだ世界での嫉妬はそこかしこにある。特にケインリヒのように地位や権力に固執するタイプでプライドが高い男が、あまりにも若い若輩の出世を喜べる筈もなかった。

 ブレイにとっては王の側で仕えた帝都から離れたセレノという最東端に遣わされたことが追放に近いものだったとしても、ケインリヒにとってはそうではない。


「ブレイ…無事だといいけど」

 二つに結った髪の片方の毛先を指でいじりながらぽつりと漏らされた声はルミナにしては弱気で、オリオンはなんだか切なくなる。

「……ブレイ、痩せすぎてこれ以上小さくなってないといいねー」

 オリオンの気遣いを察したルミナはふっと小さく笑んだ。ぷるっと顔を振って翳りを飛ばせば、ルミナはいつもの強気な表情に戻る。

 逆境にもめげずに強い心を保てる幼なじみのそういうところをオリオンはこの先も尊んでいたいなと思う。


「おいおい、つまんねぇジョークとか聞いてる気ィしねぇんだわ。んで、この状況どうすんのかちったぁ思いついたんかよ」

 オリオンの言葉に忌々しげに噛み付いたのは大層不機嫌なソーマだ。長く伸びた前髪の隙間から覗く鋭い目が不満でギラっと光る。

 荒れた態度も無理はない。ブレイが握っていた権は反ブレイ派の筆頭・ケインリヒに移ってしまった。つまり、それはルミナ、ソーマ属する特軍の指揮権も当然含まれる。

「あんのクソ肉ダルマ…」

 苛々と怒気を吐くソーマの荒んだ表情を見るまでもなく、ひどい扱いを受けていることは察するに余る。ケインリヒは根っからの文官であり、つまるところ軍事に秀でるどころかまったくの門外漢であった。そのくせ、何にでも口を出したがる。平たく言えば、からきし無能。

 日夜ムダに呼び出されては小間使いのような見当違いな雑務を押し付けられてルミナもソーマも不満でいっぱいだった。


「クソチビが指揮振るってる方が万倍マシだぜ」

 傍目から見てもそうだろうとオリオンも思う。

「今はなんとも……。あと残念だけど治世の面でもひどいんだよね、いまは軍事のことしか考えられないみたいでー」

「とにもかくにも『イズリエン侵攻』でしょ、毎日その件で特軍にもメチャクチャな事ばっか言いつけられてるし、ほんっといい加減にしてほしいわ!」

 ダンッとテーブルを両手で叩いたルミナはそのまま大きく息を吐き出してムスっと下唇を突き出す。少し言い淀んだ素振りを見せながら、声を落として続ける。

「……あの『ソドム』がいよいよ来るのよ」

 もうマジで最悪。行儀悪く肘をついてルミナは再び大層な溜息をついた。



 ソドム。それは忘れもしない最悪の災厄だった。トランジニアをあっという間に火の海に変えた帝国所有の兵器。ロストパーツと呼ばれる大昔の失われた技術が現在に現れ、街を破壊した。

 ロストパーツには多種多様なものが存在しており、例えばブレイが所有している小型の鳥の形をとる伝書用のアイテムから、ソドムのような兵器まで幅が広い。

 その中でもソドムのように強大な力を持つものはアーティファクトと呼ばれ、帝国がそれらを管理所有している。専用の研究施設もあり、ロストパーツについては公表されていないものが殆どで市井の民には預かり知れぬものばかりである。


「ねぇ、どうにかならない? あれがどんなにひどいものか…セレノにあんなもの持ち込まれるのも嫌だし、侵攻に使うのなんてもっと反対よ」

 自分もかつてはそこに所属していたが、今や追い出され、左遷された身だからなぁとオリオンは苦い思いを口の中で転がした。

「悪いけど帝都科技研からは完全に閉め出されちゃってるからなー。いちおう人を頼ってるとこだけど、返事がなくて望み薄……」

 苦笑してオリオンはゆるりと隣を小突く。

「トウセイは元々帝都の研究部にいたんだよねー。なにか知ってる?」


 問われたトウセイはオリオンの声に微動だにせず、俯いてテーブルを見つめ続けている。

「おい、シカトかぁ?」

 テーブルについてからずっとその調子のトウセイにも不満が募っていたソーマは机の下からトウセイの足を狙って蹴り付けたが、それを見計らったかのようなタイミングでトウセイは席を立った。

 不揃いの黒髪が揺れ、元より少ないトウセイの表情を隠す。空振りしたソーマは思わず椅子からずり落ちた。

「おいっ!」

「……特に進捗ないみたいなら僕は帰るけど」

 別の予定もあるしと付け加え、上擦った声で恥ずかしさを誤魔化して怒鳴るソーマには応えずトウセイは冷ややかな一瞥を向ける。

 丁寧に椅子をテーブルに寄せてから、トウセイは白い衣を翻し、背を向けて店外への扉に手を伸ばした。

「トウセイもなにか分かったら教えてねー」

 ドアノブに手をかけたところでかけられた言葉に、指先がぴくりと動く。だがその一瞬の動きは誰に見止められることもなく、扉は滑らかに開かれた。

「…………わかった」


 小さな返答を残し、しんとした店内には三人のみが残された。

 夜祭以降、トウセイの言動はひどく余所余所しい。元から冷えた態度の持ち主ではあったが、最近はこういった集会にも応じない日もありその傾向は顕著だ。

 ただでさえ、ケインリヒの邪魔でこうして仲間が揃う機会は少ないというのに……。

 ルミナはそっとオリオンに視線を送る。二人の関係を案じずにいられなかった。


 そんな空気を知ってか知らずか、椅子に座り直したソーマはカッカとしながら暗い厨房に向かって「おいクソババア!酒ぇ!」と怒鳴る。

 無作法な注文にしばし間があって「うるさいねぇ待ってな!」と客に向けて返す承諾とは思えぬ応答が返ってくる。秘密裏に話がしたいと持ちかけたオリオンにこの店を紹介したのはソーマであった。そういった用途の店なのかはたまた馴染みなのか不思議に思っていたが、ぶすっとしたまま大人しく待ってる様を見るに後者なんだろうと納得する。

 見られていることに気づいたソーマは、わしゃわしゃと流れている赤を乱雑に掻いて不機嫌に低く長く唸る。唸り終わりに息をすうと大きく吸って今度は大きく吠える。


「っつかよぉ、アイツどっこほっつき歩いてんだよ!!!!」


 そうなのだ。暗い店内にいようが日の降り注ぐ往来にいようが、一際明るく派手に目立つ大男が……ブレイの右腕たる護衛は約束の時間を当に過ぎていると言うのに、未だ現れないのであった。


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