ep.3-16 勝利の逃走劇

 全員が馬車に乗り込んだことを確認して、手綱を手にしっかりと握り直したルミナは、荒ぶる馬たちになだめの言葉を掛け、御者席のすぐ後方で楽しそうにそわそわするソカロと、その隣で不機嫌を顕わにしているブレイを見やる。

「なあに、その不満たらたらの顔は。感謝しなさいよまったく……。で、ソーマは?」

 その言葉にブレイは表情を若干曇らせ、返答する。

「おそらくは……まだ、応接室に」

 ルミナはしばしか一瞬か、ブレイの表情に眼差しを強くすると手綱を勢いよく引いた。その合図により、繋がれた二頭の馬は鋭くいなないて前足を宙に掻く。

 勢いよく駆け出す急な発進に、揺れる車から振り落とされないよう手をかけ、舌を噛まないように気をつけながらブレイは前に乗り出しルミナに話しかける。

「ルミナ! あっちだ、裏手に回り込め!」

 何の言葉も交わされずに走り出した馬車であったが、ブレイにはルミナの向かう先が分かっていた。

 ルミナが誰かを置いたまま逃げ出すことはないと知っていたからである。おそらくはどんな状況であっても。

 ブレイの言葉にルミナはなかなか器用に手綱をさばき、馬を進路方向へと誘導する。

「ソーマ、だいじょぶかな…」

 いつの間にかへらへらとした笑顔を引っ込めたソカロが屋敷を見上げ、呟いた。

「……大丈夫、アイツは死なないって約束したんだから」

 だから、――私を置いていったりしないわ。

 振り返らずに返された言葉は過ぎる風に乗り、後方へと流れていく。その様子をブレイはただ真っ直ぐ、真摯しんしに見つめていた。


 思い出されるのは昔、ひどくやつれたルミナだ。部屋の隅にうずくまり、顔をずめた痛々しい姿の。

 掛ける言葉も見つからずただ立ち尽くす自分の足に弱々しく腕を伸ばす、その手を取ってやることもできずただ黙ってすすり泣きを聞いたあの日。

 こんな世じゃなければ、理不尽な搾取さくしゅに誰かを失って泣く、なんてことはしなくて済むだろうか。

 ……ルミナは笑うだろうか。


 そこまで考えてブレイは、周囲の様子を見張ることに集中した。






 応接間ではソーマが眉間に深く皴を寄せ、驚愕きょうがくの表情は隠しながら、真相を語り終わった男を凝視ぎょうししていた。

「これで満足頂けただろうか」

 淡々と、しかし燃える藤色の瞳で、現王の即位の真相を話し終えたリカルドはあざけりを含んだ乾いた笑みをその顔に貼り付けた。

「満足…いかねえな…っ! どういうことだそれは……!」

 満足、否、納得がいかない。

 この男が言うことが事実だと証明できるものは何もない。ただの狂った男の妄想だと切り捨てることもできた。

 しかし、これは事実なのであろうと、頭で考えるよりも本能で感じている自分をソーマは信じた。

「ふん、事実かどうかなど、もうどちらでもいい。奴の罪悪がひとつ増える程度だ。だが……」

 そこでリカルドは一旦言葉を切り、顎に当てていた手をゆっくりと下げてソーマを射るように見据える。

「奴には必ず報いを受けてもらう」

 そこには自嘲めいた笑みはなく、激しい憎悪だけがあった。

 その激しい憎悪の感情を身に感じてソーマは言葉を発することなく、しかしリカルドから視線を剥がさなかった。そして二人の間に沈黙だけが横たわる。



 先に動いたのはソーマだった。

 ぶつけ合っていた視線を、割れたガラス窓に向ける。そのまま一度瞬いてから目を閉じ、何かを測るように下を向き考え込む。

 そしてリカルドに向き直るとゆっくりと口を開いた。


「お前、その感情、途中で折んなよ」


 にやりと口角を引き上げ、ぞっとする程に暗く淀んだ笑みを浮かべると、ソーマは一瞬ひるんだリカルドへと猛突する。

「!!」

 すぐさま顔と首筋をかばうべく腕を上げ身構えたリカルドであったが、その真横を灼熱の緋色が駆け抜ける。

「しまっ――……」

 た、と言うにはあまりにも遅かった。

 その間に男はしなやかに、空を裂き、破れた窓から邸外へと、文字どおり飛んだ。

 まるで獲物に飛び掛かる肉食獣を見るように、美しく、迷いのない完璧な跳躍ちょうやく。風を受けて流れる炎のような紅い髪が快晴に馬鹿みたいに映えていた。


 しばし呆然としていたリカルドだが、我に返ると急いでソーマが飛び降りた真下を確認する。しかし眼下には荒らされた庭と光るガラスの破片以外、誰の影もない。

 いや、影がないだろうことは薄々予感していた。

 あまり身を乗り出し過ぎて落ちてはたまらない。リカルドはいまやほぼ何もはまっていない窓から身を引くと、最初は音もなく、次第に声をあげ笑い始めた。

 ようやく笑いを収め、リカルドはようやく傾いていこうかという日に向かい愉快そうに呟いた。

「この高さから飛び出していくとはな,気に入ったぞ、名も知らぬ赤赫せっかの武人よ! それにしても、あの言葉……さて、どんな真意が隠されているのやら」

 ふ、と目を細めたリカルドは踵を返し、足元に散らばった花器の破片を躊躇ちゅうちょもなく踏みつけ、静かになった部屋を後にした。







「~~~~~~~っつ!! この、馬鹿! 危ないだろうが! 大体馬車が壊れたらどうする気だっっ!!」

「あ゛ぁっ? んだとコラ!誰も怪我してねえし壊れなかったからいーじゃねえかよ!」

「結果論を言うな! 危うく死ぬところだったぞこの馬鹿!」

「馬鹿だとこの餓鬼ガキィ! 誰のお陰であの場からコソコソ逃げられたと思ってやがる! この俺様のお陰だろうがよっ!泣いて感謝しろ!!」

「だからって上から降ってくる奴があるか!!!!」

「っあーーーーウルサイ!! 気が散る!!」


 馬車の後方で繰り広げられるギャーギャーとうるさいやり取りにルミナの一喝が入り、ブレイとソーマの舌戦は強制的に終了した。

 それをにこにこと見守っていたソカロが能天気な口を開く。

「いやー、びっくりしたねえ。まさか空からソーマが降ってくるなんて~! 凄いなあーソーマって空飛べるんだね!俺にも教え」

「飛べねえよ!」

「落ちてきただけだろ!」

 ソカロの呆れる発言に二人は揃って否定の言葉を被せる。

 ぎしぎしと嫌な軋みを立てながらも馬車は辛うじて機能しているが、長くは使えないだろう。


 ソーマの元へと急ぐ馬車が屋敷の角を曲がり、南端に位置する応接室へと間近に迫った時だった。例の部屋から人影が宙におどり出たのは。

「だって~~……、もういいよ」

 年甲斐も無く頬を膨らますソカロを半目で見ながらブレイは、まあ、言いたいことも分からないではなかった。

 ソーマの身体能力の高さは資料でも戦績からも、この眼でも充分知っていた。

 知ってはいたが、いくらなんでも常人離れしすぎではないか?

 あの高さから飛び降りたことも、あまりにもタイミングが噛みあったことも。

 ソカロに向けていた半眼をソーマへと移したブレイの目には此方にガンを飛ばす柄の悪い男。

 どうにも得体が知れず、胸にもやもやとしたものを抱えるブレイだが「この先どうする?」と言うルミナの言葉に視線を切った。

「そうだな、とりあえず適当な場所でこの馬車と服を捨てないとな。王にもすぐさま報告をせねばならんし。しかしぐずぐずは出来ないな、ヂニェイロの者が僕たちを探し捕える手を打つ可能性が高い。……まあ、奴らにとっては逃げる準備の方が先決だと思うがな」

 最後は鼻で笑い、ブレイは緩慢かんまんな態度で背をもたれた。

 色々と段取りは狂ったが上々である。ルミナから手渡された証拠の書類を握り締め、その成果の感触を楽しむとブレイは昼と夕の狭間のぬるい空を自信に満ちた表情で仰ぎ見た。


 雲が一つもない、トランジニアには珍しい快晴の空だった。


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