ep.3-15 白馬と黒馬を駆るお姫様



 階下の兵の多さには辟易へきえきする。

 もう少し屋敷の者に紛れるように行動するべきであったと、ブレイは今更ながらに後悔していた。

 しかし、ソカロはこの状況を楽しんでいる様な節さえ見える。普段は虫も殺さないような平和オーラを放っているというのに、今は目の前の障害を嬉々として排除していく。いちおう、手加減をして命を奪うまではないようだが、何時、たがが外れるか分からない。

 ソカロの記憶が戻り、精神的に安定すれば、こんな心配もせずに済むのだろうかと、ブレイは前を往く大きな背中を見ながらそっと息を吐いた。

 しかし、記憶が戻ったソカロは果たしてこのまま、此処にいるのだろうか?

 考えたくない思考にふと触れてしまったブレイは、唇を強く結んで眉間に皺を寄せる。これは今、考えることではないと判断して、ブレイは誤魔化すように「ぬあーーっ」と憤りを叫ぶ。

「ああもう、外に出るのにいつまで掛かっているんだ!」

「わ! びっくりしたー。後ろから大きな声出さないでよブレイ。……兵士呼んじゃったらどーするの?」

 先ほどの考えを散らすようにブレイは大きな声で叫んだが、そんなことはつゆ知らずのソカロはびっくりして振り向き、口を尖らせてブレイに注意する。

「ん、ああ……すまない」

「もーう! あとちょっとだと思うから、我慢しててね」

 普段は怒られてばっかりのソカロは自分が人に注意する立場になったことが嬉しいらしい。口調が微妙に浮ついている。

 なんていったって相手はブレイ。いつもお決まりの叱る側、叱られる側の立ち位置が逆転し、ソカロは機嫌を良くした。ソカロの物言いと態度に多少イラっと来るものを抑えてブレイは前方を指す。

「あそこを曲がれば正玄関だ。あちらへ向かうぞ。こういう時は表玄関の方が人が少ないだろうからな」

 使用人の通用口よりは、兵士に出くわす可能性が低いと踏んでブレイはソカロに指示を出す。

「りょーっかい!」

 元気な了承を返すと、ソカロは曲がり角に先へ駆けていく。危険への除外に備えるも「ブレーイ、誰もいなーい!」と曲がり角から呑気な大声が聞こえた。

「はあ、僕はたまに、お前のことがわからん……。いや、いつもか」

 つい先刻、自分が言った言葉を覚えていないのだろうか。

 溜息を零し、ブレイは角を曲がるとソカロの後に続いて玄関へと走り寄る。

「外の様子はどうだ?」

「うーん、ざわざわしてるけど……。ぱっと見、兵は居ないみたいだよ」

 と言いつつ扉の外をうかがうソカロに、ブレイは「出るぞ」と見かけ通り重い扉を押し開けた。






 屋敷の玄関から出た途端の、強烈な日差しの洗礼にブレイは目をしかめた。まだ夕刻前のトランジニアは陽光がきつい。

 玄関から階段を下り、屋敷の前庭へと降りたブレイとソカロだったが、何の前触れもなく、突如灌漑かんがいから飛び出してきた兵にとっさに互いの背を合わせる。

 互いの正面に一人ずつ。ソカロがブレイを背に回そうと動くと敵もそれに合わせて位置を調整する。

「馬鹿者! いるじゃないか敵兵が! ぱっと見にも程があるぞソカロ!!」

「う、ごめんなさい!」

 このままでは守りきれない、とソカロが強く歯噛みしたところで、遠くから馬のいななきが聞こえた。

 それはブレイと向かい合う兵の後ろから徐々に、ガガガっという地面と車輪のぶつかる音を立てて近付いてくる。

 その音にいぶかしげな表情をしたブレイに気付いた兵士が後ろちらちらと気にし始める。兜をつけている分、ブレイより聞こえが悪いのだろう。


 もう一度いななき。

 今度は近い――、と思った時には灌漑かんがいをぶち抜いて二頭の馬が姿を現した。

 そのまま馬が突進し、馬の前方に居た不運な兵士は蹴り飛ばされる。

 茂みから完全に姿を現したそれは巨大な馬車であった。

 あまりの事態に固まるブレイをなんとか避けた馬車は、勢いを殺しきれずに大回りに旋回して戻ってくる。その途中、ソカロと対峙していた兵が慌てて逃げ出すも馬にぶつかり、転倒する。


 半ば唖然あぜんとしながらそれを見ていた二人だが、こちらに白と黒の二頭が向かってくることに気づく。哀れな兵と同じ轍をふむことをさけようと、慌てて駆け出した。

 とは言っても馬の早さに敵うわけがなく、寧ろブレイの足はお世辞にも速いとはいえない。

 あっという間に追いつかれ、ブレイはソカロに腕を掴まれ、投げ出されるがまま、側方へと空を舞った。

 もうもうと砂煙が上がる中、うつ伏せに投げ出されたブレイと、その横に止まった馬車。その馬車の前で間一髪、両手を挙げて衝突を避けたソカロがちらちらと垣間見えた。


「くそ、痛い…」

 投げ出されたブレイが地面から顔を上げ、愚痴をこぼすと頭上から高く澄んだ声が落とされた。

「ぷっ、ダッサ~! 顔面スライディングじゃん」

「なんだと!? ……って、ルミナ…? ルミナじゃないか! 無事だったのか!」

 ブレイが勢いよく立ち上がり、頭上を仰ぎ見ると、晴れた砂煙の間からふわふわの赤毛が覗く。そして小生意気なオレンジの瞳。

 馬車を御していたのは、我らきってのじゃじゃ馬姫、ルミナであった。

「さあ、乗って! さっさと脱出するわよ!」

 にいっと笑ったルミナに頬が少々アツくなるのを感じながらブレイも口元が綻ぶ。

「ああ…ありが」

「ソカロさぁぁあああーん! すみません!怪我はないですか!? くつもりはなかったんですぅぅ! ちょっとこの子たち気が荒くて……さあ、乗って下さいっ大変でしたねー!」


 ありがとう、というブレイの口から出るはずたつた感謝の言葉は、ルミナの黄色いきゃーきゃー声に掻き消された。

 ブレイは黙って服に付いた砂埃を落とし、腕の擦り傷をさすって屋根のないオープンタイプの馬車の後方へと無言のまま乗り込む。

 理不尽な、ソカロへの敵対心という名の怒りを持って。



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