ep.3-2 交易都市・トランジニア


 どんよりと重たい鉛色の雲が空を占拠せんきょしている。

 まるで自分の心内を反映したかのような空模様に、ブレイはますます気が滅入るのを感じていた。だが、それもしょうがないものかもしれない。未だ慣れない環境に辟易へきえきしつつ、それに我慢をしなければならないのだから。

 開け放たれた窓枠に肘を立て、どこぞの塔に幽閉されたお姫様よろしく、ブレイは「ほう」と溜息を漏らした。



 ここはエスト地方最西端、西方地方であるエスペリオとの端境はざかいの『交易都市こうえきとしトランジニア』。

 交易都市というだけあって活気ある商人の街であり、行き交う人々も品もセレノよりもずっと多い。

 建物も様々な地方の様式が混じってごちゃごちゃしてはいるが、それはそれで見ていて面白かったりもする。

 トランジニアいち大きな商家がヂニェイロ家であり、彼らは南部出身の物流のエキスパートである。

手がける商売は幅広く、扱う品もモノからカタチのないものまで様々であるという。あまりにも範囲が広い為、力や権力も相当なものであるが現当主は政治には興味がないらしい。

 ……が、国としては、彼らの動向に目が届くよう、協力と称して国の保護ーー監視を掛けている状況だった。

 トランジニアは内陸にあるまだ若い街ではあるが、国にとっても重要な位置を占める都市なのだ。


しかし如何いかんせん、特殊な環境がブレイを悩ませていた。

 この土地は非常に湿気が多く、よく雨が降るのだ。それに反して晴れている時は思いっきり乾燥する。昼と朝夜の温度差もブレイを悩ませる原因だった。

この気候に対応するため、ブレイは現在、いつもの官服ではなく、薄手のブラウスと脛の出る程度の長さのズボン。そして昨今の流行りだと無理やり押し付けられた腰布を巻いているという格好だった。

こうした慣れない格好もなんとなくブレイが落ち着かない理由のひとつでもあった。そして気候だけがこの格好でいる理由ではない。


 なぜ今回、そんな場所にブレイが滞在しているかというと――。


「ブレイ、これ例の資料ね。ここ置いといていい~~? …ってか、置いとくから」


 窓辺で憂鬱ゆううつそうに外を眺めるブレイの背に向かい掛けられた声は、特軍軍隊長でありブレイの幼馴染であるルミナ・セストナーのもの。

 開け放たれたドアから大きな箱を抱えたルミナは「前が見えな~い!」とごちつつ、そろそろと器用に入ってきた。

箱からは綴じられた冊子が何冊か飛び出ており、量的には結構なものだと推測できたが、ルミナは事もなくそれを抱えており、窓辺の机へと雑に下ろす。直後、ズシンと重たそうな音が立った。


 お腹に低い振動を伝えた箱に目線を向けたブレイは、再度その量を思い目を伏せた。


「な~に辛気臭い顔してんの。ま、言われた通り資料は集めてきたし、私はちょっと出かけてくるから!」

 バ~イ、とひらひら手を振りルミナはあっという間に部屋から消えてしまう。

「……絶対にちょっとじゃない」

 ブレイにはルミナが言う「ちょっと」で帰ってくるとは到底思えなかった。

――だってここは交易都市。

買い物魔のルミナが帰ってくるのは日も落ちてしばらく経った頃になるだろう。昨日だってこれでもかと大量に装飾品やら衣服を買い漁っていたというのに、彼女の物欲は尽きるところを知らないようであった。

 渋々ブレイは窓辺から離れ、机の上の資料へと手を伸ばした。


 今回ブレイがここに出向した理由。

 それは国王からの命により反乱を企てる異分子の処理の為であった。


 この異分子がなかなか尻尾を見せない切れ者で、前任の者はまったく足取りを掴めなかったらしい。その上、その前任者の消息は消えた――。

 そこで引継ぎの任がブレイへと下ったわけである。エスト地方の小内乱を収め、陰謀いんぼうを臭わせる男を捕縛ほばくし帝都へと送り届けて早一ヶ月。セレノは落ち着きを取り戻した。

……だから、適任といえば適任であるのかもしれない。

 しかし相手にとっては憎き王の息子が敵の腹へと、ほぼ単身で乗り込んでくる事態になってしまっているとは――。


「予想外だよねー」


 その通りである。

自分にこの任が果たせないなど有り得ないが、かなりリスキーな対応であることには違いない。しかし、父が自分を指名してくれたのだからその期待には是非とも応えたい……。

 ブレイは考えに没頭するあまり、入れられた合いの手にも気付かない。


「こんなに美味しいなんてー」


 そう、こんなに美味しい役柄はない……。美味しいって、……おいしい?

 与えられた言葉をそのまま鵜呑うのみに考えを進めていたブレイは、はた、と無理矢理さに違和感を感じた。

「見た目こんなんなのにね~、ブレイも食べる?」

 能天気な声と共に目の前に突き出されたのは、こんがり焼けて香辛料たっぷり、白目を向いて串刺しにされた謎の軟体生物だった。


 一瞬の間の後、「ぅぬぎゃーーーーっつ!!」っという、ここ一番の大絶叫がトランジニア随一の立派な宿を揺らした。





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