ep.1-2 大きいのと小さいの



 数分後、大広間。

 数々の危機を乗り切り、あらくれ者を千切ちぎっては投げ、千切っては投げしたもんだ、と豪語ごうごしていた城守の老兵ろうへいも真っ青な修羅場しゅらばが繰り広げられていた。


 大広間の中央に仁王立におうだちする般若はんにゃは、この城の若干じゃっかん十五歳の君主、ブレイトリア・ウル・ディスプロ。

 薄い黄緑色の、肩を少し過ぎるくらいの丈。さらりと流れる髪は、今は怒髪どはつが天を突いているように見える。錯覚さっかくだが。

 濃い青色の瞳は怒りの色に静かに燃えている。


 その眼前がんぜんには床に頭をつけ、いつくばるようにして渾身こんしんの土下座をしている図体ずうたいのでかい男がいた。

 年の頃は二十六、七だろうか。襟足が少し長い、まぶしい金色の髪は今は何故か濡れており、こんがりと焼けた褐色かっしょくの肌の頬もびちょりと濡れている。

 そして不気味なことに、その男から斜め後ろの位置に百センチは超えていそうな立派な大きさの――見た目が最高にグロテスクな巨大魚がピクリともせず転がっている。


 完璧な土下座をキメている男は顔を上げ、目の前の少年――ブレイに向かい、海色の瞳の目じりを下げ、心底困った顔を向けた。眉毛も八の字である。

 その様子はワンコが飼い主に「くぅ~ん」と鳴いて許しをう姿を彷彿ほうふつとさせた。いやもう、むしろ実際クンクン言い出しそうな雰囲気であった。


 男がじぃっとブレイを見つめてみるもブレイの表情がやわらぐことはなく、男は恐る恐る口を開いた。

「ブレイ…あの、ごめ」

が高い」


 一刀両断。

 おそらく続いたであろう謝罪の言葉をさえぎって、ブレイは哀れな男を切り捨てた。慌てて男はまた額を床へ擦り付け、そのままブレイに向かって情けない声を出した。


「ブレイ~、ごめんってば~! 嘘ついててごめんなさい~!」

「ほう、嘘だけか」

 あっと一瞬顔をしかめ、男は慌てて付け足した。

「報告書ためててごめんなさい!」


 ブレイは怒りに燃える、しかして付くような目で、いつもは顔を上げないと表情も良く分からない巨漢きょかんの男のつむじをねめつけた。


「い~や、今日と言う今日は許してやらん! 大体、これで何回目だお前は! 昨日は朝議ちょうぎも欠席していたな?僕から逃げたんだろう、ソカロ!」


 ソカロと呼ばれた大男は、その体躯たいくに似合わず、ビクッと体を震わせると精一杯に小さくなった。

 ――それでも小さくなりきれてはいないのだが。


 そんなソカロの姿を見ても、ブレイの怒りは収まりそうになかった。むしろそれが彼の中の炉に薪をくべるようだった。


「それに一体なんだこれは!? 僕を見るなりこの気持ち悪い巨大魚を押し付けて…なんかぬるぬるしてたし……。どうせ朝っぱらから呑気のんきに浜で遊んでいたんだろう」

 すっと息を吸ってブレイは一気に吐き出すように続ける。

「今日から一週間食事は抜き、外出も禁止! 部屋で大人しく反省していろ!」


 ブレイの言葉にソカロは顔を勢いよく上げキッとにらむ。

「ひどいよブレイー! この魚はブレイが最近つかれてるから、元気出してもらおうと思ってがんばって早起きして、やっと釣れたのに!」

 ソカロは涙に濡れた目のまま一生懸命に訴えを続ける。

「新鮮なうちに早く届けようと思って竿さおとか置きっぱなしでここまで走ってきたんだよ!? なのにブレイにあげたら『ぎょわわーっ!』とか言って、なんでか俺の顔、魚で思いっきり殴るし!」

「見てよあの魚!」と指をさしてソカロは眉を吊り上げた。

「あんまりブレイが強く俺にぶつけたから気絶してるよ!」


 怒涛どとうの反論にブレイはちょっぴりたじろいだ。

 周りを囲む城の者達はソカロの指差す魚に目を向け、ひそひそと「いや、あの殴りよう、魚は絶命しただろう」とか、「あんな激しい魚アタック俺初めて見た…見事だ」とか、「よくもまあ、あれでソカロさんは平気なんだ」とか、「あの魚は確かにぎょわーってなる」だとか話していた。

 そしてソカロから追い打ちをかけるような一言。


「ただ俺は、ブレイに喜んでもらいたくて……」


 語尾が消えていき、今にも泣き出しそうな成人男性。その様子にブレイはちょっと言い過ぎたかと、なんだかソカロが可哀想に思えてくる。


「はぁ~〜まったく、いい大人が泣きそうな顔をするな。……魚の件は、その、悪かった。ありがとう、ソカロ。後でコックに調理させよう」

 あきれながらも思いやりのあるその一言に、ソカロは顔を輝かせた。

「ブレイ! ありがとう!」

「別に……、と、とにかく! 報告書の件や朝議ちょうぎ欠席の件は後で説教と反省文だ!」


 まぶしいばかりのソカロの笑顔に照れつつも、罰を言い渡すあたり、さすがあるじ

 しかし、罰が少々甘くなりすぎやしないだろうか。つい先刻せんこくまでは殺してやるだの言っていたのだが。

 ブレイはしがみつこうとする大型犬を振り払いながら、「あああ、いつもこうやってほだされてしまう……」とうめきながら自室へと足を向ける。

 それを見た周囲の者達も、迎えた大団円だいだんえん微笑ほほえましさを感じながらそれぞれの持ち場へと戻り始めた。

 唯一、悲壮ひそうな表情を浮かべているのは、調理場長のコックだった。


「おおお俺があの毒魚(見た目判断)を調理するのか……? う、なんか魚がこっち見てる気がする……い、いやだぁぁぁ~!」


 コックの悲痛な叫びはその場に居た者全員に、華麗かれいにスルーされた。





 自室に戻ったブレイに着いてきたソカロはそういえば、と口を開いた。

「朝、釣りをしながら街の人といろいろ話したんだけど、なんか雲行きがあやしいとこがあるみたい」

 この言葉にブレイは表情をけわしくする。

「イズリエンの方か?」

「いや、街を出て南に行くと森があるだろ? あそこに『反乱分子はんらんぶんし残党ざんとう』が集まってきてるらいいんだって。たぶん小物こものだけど、こっちの方まで来たらみんなメーワクしちゃうだろうし、叩いた方がいいかな、って」


 「ところでハンランブンシのザントーってどういう意味?」とひそひそ話しかけるソカロは無視しつつ、ブレイは頭の中にある情報を瞬時しゅんじにかき集め整理する。


 最近、港街にて強盗が起きていた。近辺きんぺんには追いぎが出ると言う情報も上がっており、これは同一犯の可能性が高いと思っていたが……。

 そして反乱分子の残党。

 物資を集めているのならば戦いに備えている可能性も濃い。父の王国を乱すものは排除しておくべきだろう。

 そこまで考えたブレイは目線を上げ、随分上にあるソカロの顔を見る。

「奴らの情報を集めろ。クロであれば、仕掛けられる前にこちらから叩く」

「りょーかいっ!」


 びしっと決まってるような、決まってないような敬礼をして、ソカロは意気揚々いきようようと部屋を出て行った。






 それから二日後、ブレイの元へ斥候せっこうからの情報がもたらされた。

 ブレイのにらみどおり、反乱分子の残党は港街の強盗犯であること、そして近辺に出没する追いぎも同一グループであることが判明した。

 さらに、そこらの性質たちの悪い荒くれ者達をき集めて、フィッテッツオ帝国王の息子であるブレイトリアが治めるこのエスト地方の拠点きょてん、ここ、港街セレノを攻め落とすことを計画しているらしい。


 お粗末な計画だ、とブレイは報告書を読み終わり呟いた。

「そうなの? でも、気は抜かないほうがいーんでしょ」

 こういうのって、と、ブレイの私室のふかふかのソファーに寝っ転がったソカロは口をすぼめたりつき出したりを繰り返しながら呟く。意味のない一人遊びだろうと思われるが、ブレイは顔をしかめた。


「ふん、それは重々承知だ。しかし、実際にこの残党集団の中に潜入した兵からの情報によれば、数はそこそこあってもたいした手練てだれもない、烏合うごうの衆だそうだ。大体、ここセレノは僕が治める城下街だぞ? 相手のし甲斐がある策でも用意しているなら話は別だが……それもなさそうだ」


 ブレイは言葉を切ると、報告書を机へと放り出す。

 「要するに、雑魚ざこだ、雑魚ざこ

「うーん……そうならいーけど。なんかなぁ~やな予感するっていうか……気のせいかもだけど」

 ソカロは珍しくあまり楽観視できないような素振りを見せる。「いつもはお前が一番楽観的じゃないか」とブレイは軽く笑うと、机に正しく向き直り、愛用のペンを片手に今回の策を練り始めた。

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